第6話 来客と、五年前の記憶 1
「ただいま」
クシフの声と共に、扉のベルが金属の軽い音をたてる。
喫茶店内には客の姿がなく、奥の厨房から小さく水音だけがした。
ヴァネットサミスが洗い物でもしているのだろう。
そう思いクシフはそちらへと向かう。
左手には化粧箱で、右手にはリンゴを数個抱えて。
そして数歩歩き、ぎょっとする。
こちらに背を向けて水仕事に精を出しているのは、男だった。
ビッターラビィではない。自分とは少し色味の違う黒髪をくねくねと肩まで伸ばして、見慣れない服を着た男。
体が動いて髪が揺れる度に首筋が覗いて、そこには黒い首輪があった。
背中は広く男らしく、背はクシフと同程度。
ただ細長いだけの自分と比べると、後ろ姿だけだというのに負けた気がした。
「……あの」
彼と自分以外はどこを探しても見当たらず、おずおずとクシフは声をかけてみた。
「ん? ああ、お客さんかな?」
蛇口を止め振り返った男は、ここら辺の人間にはない浅黒さを持っていた。
彫りが深いのが健康的な肌色と混ざって、より男らしさをクシフに見せつけてくる。
こいつはヴァネッサに会わせたくない。
そんな見苦しい思いがクシフの頭を過ぎた。
「あんた、誰だ」
「あれ? 常連さん? オレはちょっとした店番。 ヴァネッサたちなら裏にいるよ、今呼んでくるから待ってて」
突然出たヴァネッサという愛称。
呼んでくるから、などと、まるで三人の関係からクシフが外れてこの男が新規参入したようではないか!
見苦しい思いが見苦しい苛立ちに変わる。
「――おっ! クシフ! 会いたかったぜっ」
背後から扉の開閉を告げるベルが聞こえ、声がして、クシフが振り返るより早くその声の主はクシフを背後から抱きしめた。
「いや〜んっ! なんなのこの展開ぃぃ、ビビィったら私にはそんなことしなかったじゃないのぉ!」
今度は別の声が上がった。やたらと高く甘い声。
「それに、ねぇ、髪飾りはっ? お花はっ?
私への愛に身を焦がす二人の争いはぁ?」
肩と肘とでビッターラビィを振りほどき声の方を向くと、赤い髪を一つに束ねたヴァネットサミスが、アヒルのような口をしていた。
「なんだよ髪飾りと花と争いって。
またヴァネットサミスは俺たちがいない間に夢でも見てたんだろ。
偉大なる子狸ポルラガマヌヌはかく語りき。
夜の夢は心地良い、だが白昼夢には気をつけろ、ぼうっとしていれば穴に落ちる。ってな」
そう言いながら、ビッターラビィは笑顔を見せる。
「おおっと、忘れてた。
こいつな、今日ここに泊めることになったから」
こいつ、というのはこの見知らぬ男のことだ。
男はエレと名乗り白い歯を見せ、ヴァネットサミスは周囲の空気を分解するような甲高い声を出す。
「エレさんってぇ、カッコいいよねぇ!
あ、もちろんクシフとビビィもカッコ良いけどぉ、ちょっと大人の男っていうのぉ? なんか素敵な感じぃぃぃ!
良い人だしぃ、ビビィとも仲良しさんになってるしぃ、いいよね? クシフ」
クシフは迫りくる目眩に踏ん張った。
こうなりそうだったから会わせたくないと思ったのに、それなのに。
ちらりと見たビッターラビィは何も考えていないのか嬉しそうな顔をしている。
「いやな、こいつが大工の親父の無駄な煙突の話を真剣に聞いてくれたもんだからさぁ」
「ポルなんとかはよく分からなかったけど、あれは面白かったね」
「おいおい、甘いな。
偉大なる子狸ポルラガマヌヌの格言は人生の縮図だ、まず聞くことに意義がある。 そもそもだな、偉大なる子狸ポルラガマヌヌはかく語りき――」
ビッターラビィはエレに向けて語りだし、ヴァネットサミスはエレの隣でうっとりとした表情を作っている。
なんだか取り残された気分だった。
ビッターラビィの話を黙って聞くのは自分の役目だったし、ヴァネットサミスの思いを恥ずかしく思いながらもいつかはそれに応える気でいたのに。
ぽつねんとしていたクシフに気を使ったのか、エレはビッターラビィの話の途中でクシフを向く。
「オレ、今晩お世話になっても、大丈夫かな?」
素直に嫌だと言ってしまえれば良かったが、それはあまりに子供じみてる気がした。
かといってどうにか上手い理由をつけて断る口をクシフは持っておらず、ただ頷く。
「ありがとう」
差し出されたエレの手に目を下ろし、しかしクシフは別の物を見た。
腰に携えられた、大振りの剣。
今まで彼の存在自体に気がいき過ぎて目に映っていかなったそれが、クシフの過去の記憶を引きずり上げてくる。
五年前、葬式の日。
六人分の式に、ヤジョヌズの人間が大勢集まる。大工の親父を初め何人かの大人が葬式を取り仕切ってくれ、ヴァネットサミスは泣きもせずにその大人達の相手をしていた。
ビッターラビィは人間には語りたくないことをロバ相手にでも語っていたのか、ここにはいない。
クシフは人の輪から外れ、ただ流れる光景を見ていた。
そして、見つけた。
路地から葬式の様子を眺めている、一人の若い男を。その男は腰に剣を下げていた。
そしてすぐにどこかへ消えてしまう。
別にあの人物がエレだったのかもしれないと思ったわけではない。顔などはもう覚えていなかった。
共通点は若い男と剣、それだけ。
ただ、思い出したのだ。それだけだ。




