第3話 丸みを帯びた三角関係の頂点であるお姫様
ヴァネットサミスにはなんとも言い難い力があった。
この力がいつからあったか、それは興味がない。とりあえずあれば便利な力だ。
自分が嫌だと思ったものは、はね除けることができた。
そうは言っても、飛んでくる石などをどうこうできるわけではない。
人の悪意と言おうか、そういうものに負かされて心に害を与えられたことがなかった。
それは単に我が強いだけだと言われてしまったら、確かにそうかもしれない。
――温もりある木造の家の一階で、ヴァネットサミスは忙しく動き回っていた。
後ろでゆるく束ねた赤髪が、ヴァネットサミスが動く度に大きく揺れる。
入口と広い一間、厨房と階段、それしかない一階は、死んだ両親の時代から喫茶店として機能していた。
おやつの時間を過ぎた今は客も三人と少なく、けれどもその三人全てが手のこんだ菓子を注文してきたものだから、さあ大変。
果物を切ったりパイ生地を温めなおしたり、挙句の果てには茶葉をミルクで煮立てたりと、ヴァネットサミスの体に休みはなかった。
つい手助けを呼ぼうとして、しかし思い出し止める。
「こういう時にかぎってぇ、クシフもビビィもいないんだからぁ!」
普段は二階に引きこもって新しい口紅の色を考えてるクシフも、無駄に傍に寄ってきて無駄口を延々と開くビッターラビィも、珍しく両方とも仕事に出ていた。
いない人間のことを考えても仕方ない。それよりは手を動かそうと、ヴァネットサミスは戸棚からカップを三つ取り出す。
濃厚で甘いミルク茶がくたくたと音を出し、もう煮るのは終わりだよと告げていた。
火を止めて素早くカップに注ぎ、それが冷めない間に精一杯のスピードで菓子の盛り付けを完成させる。
「お待たせしましたぁ」
テーブルで待つ三人娘は、この店自慢のミルク茶と美しい盛り付けの菓子に歓声を上げた。
それがとても嬉しくて、ヴァネットサミスは上機嫌で厨房へと戻った。
これでしばらくは、茶のおかわりでも要求されない限りゆっくりとできる。
果物の汁がついたナイフを水にさらしながら、ヴァネットサミスはぼんやりとしだした。
早く二人が帰ってこないかなぁという思いから、男二人の容姿がありありと浮かんでくる。
猫毛で細く短い黒髪と、同じ色の瞳を持ち、あまり表情のないクシフ。
彼よりもわずかに背が低く、茶色の髪を短く立てて、視力が悪いからなのにお洒落眼鏡だと笑うビッターラビィ。
外見だけでいえば、ヴァネットサミスの好みはビッターラビィだった。けれども口数少ないクシフからたまに出る優しい言葉と小さな笑みが、これまたヴァネットサミスの心に矢を立てる。
そしてその二人は両方とも手土産を持っていた。
クシフは頼んであったリンゴと、ついでに積んできたという花を恥ずかしそうに渡してくる。
昨日から家を空けていたビッターラビィは「会いたかった!」とまずヴァネットサミスを抱きしめて、それからババジャロから買ってきたという髪飾りを差し出す。
……どれも妄想だ。
しかし想像力豊かなヴァネットサミスは、妄想で出来上がった二人に舞い上がり頬を赤らめた。
妄想はまだ続く。
次は男二人が口論をしだした。「俺の方がヴァネットサミスを愛してる」やら「いいや俺だ」と愛のために友情を破壊していく。
そこですかさずヴァネットサミスは「私のために争うなんてヤメてぇぇぇ!」と憧れのセリフを言ってみた。
それでも男の戦いは止まらない。
いつからヴァネットサミスを愛していたかに論争の焦点はずれ、ヴァネットサミスもいつから自分が彼ら二人を愛するようになったのかを考え始めた。
記憶を遡っていくうちに、妄想の中のクシフとビッターラビィが小さくなっていく。顔も幼くなり、十歳頃の子供の姿になっていく。
そうしてビッターラビィの姿だけがふっと消えた。景色も思い出に変わる。
ヤジョヌズの広場にいた子供の頃のクシフの背中に、石が当たった。
「よーし! 幽霊退治だ!」
粗野な声で彼が振り返りと、そこには三人の少年がいた。そのどれもが、今では大きな町に出ていってしまってる。
ヴァネットサミスはというと、広場に面した民家の壁の影にいた。
この時はたまたま通りかかったのだが、すぐには出ていけなかった。お使いのバスケットを握りしめる。
クシフにまた石が当たる。何個かは避けていた彼だったが、さすがに三人の手からいっせいに投げ出されてはかわしきれない。一つが額に当たって、血が流れた。
「そうだ、頭だ、頭を狙え!
じゃないと俺たちが呪い殺されるぞ!」
馬鹿げた言葉と共に石は投げ続けられる。
ヴァネットサミスは唇を強く噛んだ。何故自分はこんなところで黙って立っているのだろうと憤りが出てくる。
決心して、そっとバスケットを置いて、代わりに転がっていた石を二つ握った。こんな場所からは飛び出して向かっていこう、そう思ったのに、足は一本だけ動いて止まる。
「――おいおい馬鹿ども、ずいぶん暇そうだな」
ヴァネットサミスよりも早くクシフの元に向かったのは、ビッターラビィ。この時は長かった髪を揺らし、足取りは軽く、そして両手は腰のポケットの中だった。眼鏡はまだない。
「そうだ、俺の話を聞けよ。今日はかなり面白い話があるんだぜ?
家の物置の掃除をさせられてな、一冊の本をみつけたんだ。なんだと思う?
なんと、偉大なる子狸ポルラガマヌヌの格言とその生涯! いやぁ、あれは素晴らしいな。
何がどう素晴らしいかと言うと」
「おいビビィ! お前また邪魔すんのかよ!」
長々と続きそうだった話の隙間をついて、少年のうちの一人が大声を出す。
ビッターラビィは「おや?」と首をかしげ「俺が邪魔なわけないだろう」と、にやり笑った。
クシフはそんなやりとりをじっと見ていたが、その目に血が入って拭う。
それがスイッチになった。
「そもそも、だ。邪魔というのはだな」
笑ったままのビッターラビィの言葉を聞きながら、ヴァネットサミスは大股で広場へと駆け出す。
母親が作ってくれたスカートがめくれ上がるのも気にせず、父親が行商人から買ってくれたヒラヒラの上着が汚れるのもかまわず、土のついた石の一つを振り上げる。
「こういうものを、言うんじゃないか?」
「――こんのっ不細工どもがぁぁぁぁ!!」
ヴァネットサミスの投げた石が真ん中の少年の肩に当たる。
「やべ、ヴァネッサだ!」
一人が叫び、一人が肩を押さえ、一人はすでに駆け出していた。
「なんでお前ら邪魔すんだよ!
そいつは幽霊だ、死体の臭いがするんだ! 男のくせに化粧臭いし。
そいつの親父がどんな仕事してんのか、ビビィもヴァネッサも知ってんだろ!?」
肩を押さえた少年が可笑しな言い分を撒き散らす。
ビッターラビィはその言葉を鼻で笑っていたが、当のクシフは顔を伏せた。この頃の彼は父親の仕事をあまり好いてはいないようだった。
そんなことないんだよ、クシフの仕事は素敵なんだよ。
そう叫びたかったのは、思い出を辿っていた大人の自分。
ヴァネットサミスが毎日笑顔で店に出られるのはクシフのおかげだった。
クシフが毎日化粧をしてくれて、毎日夜には手入れをしてくれるから、ヴァネットサミスは自分が世界で一番可愛いのだという自信があった。
「これだからガキは嫌よね、仕事の良し悪しが分からないなんて! ってかぁ、私らのこと馴れ馴れしく愛称で呼ばないで!」
子供のヴァネットサミスが、手に残った石を投げる寸前のポーズをとる。
そこで少年たちはついに全員が逃げ出した。
「ありがとう」
小さく、声がした。綺麗な黒い瞳の周りを赤で汚してしまっているクシフだった。
それがとても切なくて、ヴァネットサミスは石を放り出し駆け寄る。
クシフに触れる瞬間、思い出は突如消えた。
「――ねぇってば」
女の声だ。クシフとビッターラビィとヴァネットサミス、その関係の中には不要な声。
なんだろうと顔を上げると、厨房を覗きこんでいる女がいた。お客の三人娘の一人。
「ヴァネッサったらまたぼんやりして。お茶のおかわりって言ったのに」
返事をして、ヴァネットサミスは鍋に火をかける。茶葉とミルクの温度が上がっていくのを見ながら、そういえば結局自分はいつから二人が好きだったのだろうと考えた。
けれど、止める。
きっと自分は生まれた時から、二人が好きだったのだ。という適当な答えを出した。




