第24話 子供たちの悪戯 2
そして、顔は上げられる。
刺すような眼差しを向けていたのは、まさにレイデッド、その人だった。
服まで再現され、彼がよく着ていた白シャツが漆黒の代わりにあった。
クシフと同じ血を持つことを示す、似すぎた背格好。細く長い腕はやはり一本なくなっていたが、あの腕に幼いころ抱かれた記憶がある。
大きな手で、自分たちを撫でてくれた。
そしてその手は、一度紅筆を握れば、彼の表情さえ変えた。どこか抜けたような普段の顔は、死者に紅と真の死を与える、導き手へと。
ビッターラビィは自分の迂闊さを呪う。
「レイデッド」と自分の口が繰り返した結果、化け物は彼になってしまった。
きっと自分が変えてしまったのだ。名前を呼ぶことで、彼を食って記憶を持っているという化け物の中から、散らばっていたレイデッドの魂をより集めてしまった。
「――クシフは、強い子だ。今に、ここに来る。それまで、君たちは私との遊びに、耐えられるだろうか?」
言葉はすっかりクシフの父親のものだ。
顔には生前の彼独特の困ったような楽しんでいるような、そんな表情が。
そしてその仮面の奥であの化け物の心がげたげたと笑っているのを、ビッターラビィは感じた。
記憶、仕草はレイデッドでも、中身はあの化け物なのだ。
化け物は消えてなどいない。
ただ、複雑な二人の融合が、分かりやすい形になった、それだけ。
一歩、レイデッドが前進する。
同時にヴァネットサミスがビッターラビィの腕から飛び降りた。
地面に強く足をつき両手を広げて、レイデッドとビッターラビィの間に壁になるように。
「これ以上来ないで」
レイデッドは足を止め、見えない壁を撫でる素振りを見せた。
「これが、ヴァネッサちゃんの特別なキラキラ、か。たいしたものだ、よほど心が強くないと、こんな芸当はまず無理だろうね」
「来ないでって言ってるでしょ!」
彼の足は動いてもいないのに、ヴァネットサミスが悲鳴じみた声を上げる。
ビッターラビィの目には、レイデッドが彼女の力に阻まれてこれ以上進めないのだと映っていた。
しかし。
「君は、いつもそうだった。嫌なものは嫌だと、はね退ける。
それは、その嫌なものが、君にとって悪いものだと、決めつけていたからだね。
……ところが、私はどうだろう?」
建付けの悪い押戸でも押すように、レイデッドはゆっくりと体ごと手を押す。
「今の私は、確かに気味の悪い存在かもしれない。けれどもヴァネッサちゃんの心には、私の思い出がある。
それは、悪いものじゃない。だから君は今の私も、悪いものだとは、決めかねている」
言い終わる時が、ヴァネットサミスの力が破られる時だった。
周囲の空気がレイデッドの手の中へと流れ、握り潰され、そして強い逆風となってヴァネットサミスの髪を吹き上げさせる。
「その程度の思いで作られた壁など、少し力を入れれば、なかったようなもの。
初めてかな? こんなふうに自分の壁を破られて、悪いものが内側に入ってくるのは」
ヴァネットサミスは答えない。
レイデッドを見る瞳は恐怖の色に満ちていた。
「……君の強さはね、潔癖なんだ。良いもの、悪いもの、認めるもの、認めないもの、そんなふうにキレイに分ける。
まるで君のその白く美しい肌のような、潔癖。
でもね、白い肌は光を反射し美しく輝くが、その透明さ故に、内を透かしやすい。
そして、汚されやすい」
レイデッドの背の向こう――葉を落とした木々の枝が天を裂くように伸びた、その向こうに、低く低く落ちていく夕陽が。
枝々の間をぬった光が一筋、ビッターラビィの目に当たる。
一瞬視覚を奪われ、目を開けた時には、夕陽は見えなかった。
すっかりとレイデッドの陰に入ってしまい、そこからもう永遠に上がってこないとさえ思えた。
太陽を奪われた空は暗くなる。
「ほうら、君のその美味そうな内側を見つけ出して、雑魚どもが騒ぐ」
木や草の影が夜の始まりに混ざり、踊りだす。
始めはランプの影が揺らぐようだったが、それらが意思を持っているのだとビッターラビィは気づいた。
レイデッドが雑魚と呼んだようにそれらは力ある存在ではないのかもしれない。
陽の光に触れれば溶けるような存在なのかもしれない。
けれども長い夜を迎えた今この瞬間には、恐怖を煽るに最適な存在だった。
地を這い揺らいでいた奴らが、いつの間にか二人の足元に群がってくる。
「くそがっ」
ビッターラビィは慌てて足を振り上げ、小さく無数の化け物たちを蹴り飛ばす。
当たれば簡単に霧散したが、別の黒い者がすぐにそれを吸い上げてしまう。
そして吸い上げたものを力にと、ヴァネットサミスを目指していた。
彼女は唇を震わせ動かない。夜に怯える、子供のように。
「来るな!」
ビッターラビィはヴァネットサミスを抱き寄せ、叫ぶ。
「来るな、来るなっ、来るな!」
叫びながら、夢中で黒い者たちを蹴り続ける。
蹴られた者はもちろん動きを止めたが、離れた位置にいる者たちの進行もそこで止まった。
――ヴァネットサミスがツタを切ったように、ビッターラビィの言葉が真実になる。
言葉が、相手を変える。
「それが、ビビィ君の特別な、キラキラ。
けど無駄だ。君の言葉は聞く耳を少しでも持っているものには有効だが、そうでないものに対しまったくの無力」
レイデッドが歩みを始めた。
止めようとビッターラビィは大きく口を開く。
「レイデッドさん! あんたは何がしたいってんだっ。
もうここはあんたのいるべき場所じゃない。帰るんだ……帰ってくれ、そんな闇は振り払って、空に――」
「私は、君の言葉を望んではいない。聞き入れる意思を、持たない」
手を伸ばせば触れる距離に来たレイデッド。
ビッターラビィはヴァネットサミスを自分の背後へと動かす。恐怖で、それ以上の行動が取れない。
「……守り、強める。そんな君たち二人だけの、力では、私はどうにもならない」
レイデッドの腕がビッターラビィの胸へと突きつけられる。
心臓をえぐり出される! 遊ばれる!
本能が恐怖に悲鳴を上げた。
それと同時に、もう一つの感情が生まれた。
それは疑問だ。
二つの感情が競り合って爆発を起こそうとした時、別の爆発は起きる。
レイデッドの脇腹から小さな物が弾け、そして地面に落ちた。
それはただの石だった。片手で持てる程度の石。その石には薄い薔薇色の粉が付着していた。
「その色は、肌の下に眠る血の色に似ている。」
――聞くことを、待ち望んでいた声。
顔を上げると、レイデッドの脇腹は服が破れ、そこから肌が露出していた。石が貫通した箇所に、赤いシミを披露して。
「血が通っていた頃の記憶が少しは戻ったか?
……父さん」
レイデッドが振り返る。
その先には、クシフがいた。
なんだよ、ガキの頃とは立場逆転だな。
思わず笑みが漏れる。
レイデッドの背中とクシフの姿を見つめていると、競り合っていた二つの感情に勝敗がついた。
恐怖はすでにない。
勝者である疑問が、落ち着きながらビッターラビィを満たす。
なぜ、レイデッドはヒントとなる言葉を与えてきたのか、と。




