第19話 怪獣をやっつける人 3
突如クシフが足を止めたのは、ビッターラビィが彼の話を全て信じるかどうかを決めかねていた時だ。
クシフが嘘を言うはずがない。それは昔から分かっている。だが倒れた拍子に頭を打った可能性も捨てきれなかった。
この落ち着かない精神状態が、ビッターラビィの反応を遅れさせる。
クシフが走り出したのだ。
木に向かい、ヴァネットサミスの手を引いて。
ヴァネットサミスは、ビッターラビィには触れていなかった。
だから一瞬の間に、彼女はビッターラビィの手の届かない位置に行ってしまう。
初めのうちは、クシフが何をしようとしているのか考えることもできなかった。
ヴァネットサミスから離れてしまい動けなくなった体に気づき、不安が心を占めていく。
そして、悪い予感も。
「いや〜ん、なになにぃ? クシフったらぁ私をビビィに渡したくないっていうのぉ?」
間延びした声が聞こえた時には、すでに二人は木のそばにいた。
「ごめん」
クシフは木の枝から垂れたツタを手にし、ヴァネットサミスの両手首を一つに結びつけた。
「ちょっとぉ、知らなかったなぁ。クシフにこんな趣味があ・る・な・ん・て!」
「クシフ! なんのつもりだ!」
ついにヴァネットサミスからも離れて、クシフは来た道を戻ろうとしていた。
穴があったという、あの場所へ。
なんだ、なんであいつは動けるんだっ?
「……まさか、レイデッドさんの敵討ちに行くなんて、言わないよな?」
止まり、クシフはビッターラビィを見る。
彼が頭を打って変なことを言っているだけなら、どれだけ良かっただろう。
「偉大なる子狸ポルラガマヌヌはかく語りき。
大きな存在を見よ、それは成長への道標。しかし見ているだけでは何もなかったと同じだ。
……相手が怪獣みたいなものの場合、やっつけるしかないよな」
「馬鹿、それは……俺の台詞だ」
声が震えているのが自分でも分かった。
「しかたないだろ、覚えてしまったんだから」
下手くそな笑みが、クシフの顔にあった。
その背中にはビッターラビィの見たことのないものが。
「ねぇクシフっ、これほどいていよぉ! 縛られて放置なんて、こんなの私の趣味じゃないんだってばぁ!」
ヴァネットサミスは一つにされてしまった両手を左右や下に引いて、必死に自由を得ようとしていた。
彼女も分かってしまったのだ。
これからクシフが自分たちの手の届かないところに行こうとしているのが。
そしてそれを止めるには、今のうちに手を届かせるしかない。
「私がいないとダメな体になっちゃったんでしょっ? なんで勝手にどっか行こうとするのよぉ。
あれは嘘だったの?
二人で私をからかったの? じゃあビビィもそんなとこ立ってないで、クシフを止めてよぉ!」
「あれは嘘じゃないんだ。ビビィは動けない。俺が今こうして動けるのは……もう怖くないから」
背を向けたままのクシフは、左肩を握りしめていた。
「今この森にある悪い気配は、俺の魂に混じったものと同じなんだ。同じものを、怖がる必要なんてない。
それとも、俺からなくなった魂は、恐れ、だったのかな」
クシフの背中にあるもの、それは強い覚悟だった。今までの日常では必要とされず芽生えなかったもの。
この森の中に三人仲良く一緒にいるというのに、彼だけがそれを得てしまった。
ビッターラビィは焦りを感じた。
その成長に嫉妬を感じた。
彼がもう自分を必要としていないのかと、孤独を感じた。
あの背中に自分は追いつけないのかと、惨めさを感じた。
そんなことしか感じることのできない自分を、後ろから殴りたい。
「絶対に、戻ってくる」
一度だけ振り返って、勝手に一人男らしく頷いて、クシフは行ってしまった。
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地の底の者が持つ強い悪意から身を守ってくれる剣。
抜いたそれが弾く光が橙色を帯びていて、夕刻が来たのだと知る。
冬を待つヤジョヌズの夜は長い。
その闇にあの化け物共が放たれてしまえば、こちらが不利になる一方だ。
森の落ち葉を踏みつけてできるエレの足跡が、そのまま彼の心情となっていた。
大股でいて、一歩一歩に力が入り過ぎている。
興奮と焦りが、森に刻まれていく。
だが一方で、冷静な頭の一部が疑問を浮かべていた。
なぜ、クシフは戻ってこれた……?
行く手を阻もうとする木の枝を剣で叩き斬る。
地の底の者がいたなら、クシフを逃がすはずがない。そうだよな?
エレは自分の経験した過去に同意を求めた。
旅の中、師匠と共に斬ってきた地の底の者たちは、人間である自分たちを目にすると必ず襲いかかってきた。
ならクシフが見たという化け物も、そうであったはず。
けれどもクシフは戻ってきた。
なんの前触れもなく穴に魂を落としてしまえば、思いこみの重力が働き、体に戻るのは困難だというのに。
仮に、今回の地の底の者が珍しく大人しい奴だったとしよう。
しかしクシフはすぐさま自分の状況を理解し、重力の枷を取り外せるだろうか。
異形の者を、目の前にして。
……ありえないね。
それは今回が特別すぎるということを物語っている。
ありえない事実が重なりに重なって、エレの心に恐怖を沸きたたせた。
何かが今までとは違うのだ。
それがクシフならいい。
だが這い出てこようとする地の底の者が、特別だとしたら。
オレはそれに、勝つことができるだろうか。
エレは握る手に力を込める。
あの藪が見えた。そして――。
出たね、化け物がっ。
黒く巨大な人の形をした者が、こちらを見ている。
その黒い体はエレのよく知るものだったが、例外が一つ。
顔だ。
人間の顔がついている。
あんな地の底の者、エレは見たことがない。
恐怖で剣先が震えるのを懸命に耐え、エレは呪いを呟く。
それは古い異国の言葉だ。昔、南の魔女がエレの服に縫いんでくれた言葉。
この国の言葉にすると、この世界の光で戦おう、という意味だ。
もう一つ言葉は縫いつけられているのだが、それはここで役に立つものではない。
呪いで力を得て、エレは両手で剣を掲げる。
そして藪を飛んだ。
そんな自分の姿を見つけて、化け物がつまらなそうな顔をした。
エレの跳躍を大地が受け止めてくれる。
穴の淵ギリギリのライン。
着地の勢いのまま振り下ろした剣を、その大地に突き立てた。
穴が広がって半透明となっていた大地に、色が戻っていく。
剣を起点として波が立つように、穴は狭められていく。
けれど完全にではない。
化け物が足を蹴り上げ、黒い風を起こしたのだ。するとその風と波とがぶつかり合った地点で、穴の収縮は終わった。
「やっぱり君は、特別な化け物みたいだね」
剣での穴の封じは失敗した。
しかし足場は増えた。
今はこれで、十分だ。




