第17話 怪獣をやっつける人 1
父は自分のように無口というわけではなかったが、大人しい性格をしていた。
「私もなぁ、昔から運の良い方ではなかったが……」
腕を折って、そのため皿にかじりつくように食事をとっていた子供のクシフに、穏やかな声で父は話しかけてきた。
「それでも、友達の下敷きになって怪我をするなんてことは、なかったよ」
黒い目を細めてやんわりと言うそれは、父なりの嫌味なのだろうか。
だがそれでもいいのだ。クシフはこの痛みと引き換えに大切なものを得た。
「そのわりには、楽しそうだね」
無意識のうちに笑顔になっていたのだろうか、クシフの顔を見た父は「なぜそんな顔をするのか」と聞いてきた。
ずいぶんと興味があったようで、手にしていた本を閉じ、テーブルの上に身を乗り出す。
成長したクシフのように、細くて長い体だった。
「色を見た」
「色? なんの」
「ビビィとヴァネッサの、本当の色」
思い出すだけで興奮した。
家に帰ってから、またあのような色がどこかにないかと探したが、あれ以上のものはなかった。
今正面にいる父も、外見とは裏腹にどこか強くてカッコイイ色をしているが、あの二人程ではない。
それを正直に話してみた。
「ああ、それはね。一人一人の、特別なキラキラだ」
「キラキラ? みんなが持ってるの?」
「たぶん、ね」
クシフは首をひねる。
家の中を見た時に自分の色を見てみたが、そんなことはなかった。
自分はひどく面白味のない色だった。どこまでも黒かった。
だから「やっぱりあの二人は特別なんだ」とクシフは答えを出す。
「それにしても」
父はその日一番嬉しそうな顔をしていた。
「その年で魂の色が見れるとはね。やっぱりお前には才能があるんだろうなあ」
「才能?」
「死化粧師の、さ」
言われて、一気にクシフの機嫌が悪くなる。
父親がその仕事をしているというだけで石を投げられたりしているのに、自分がその仕事についてしまってはもっと酷いことをされないだろうか。
そんな子供の気持ちを察したのだろう、父は少し悲しそうな顔をした。
「嫌なら、いいんだ。例えば、そうだな。
怪獣をやっつける人になりたい、とか夢があるなら、それを頑張った方がいいさ」
そんなものクシフが一度も夢見たことないことを知っているくせに、彼はいたずらっぽく笑う。
居心地が悪くなってしまって、子供のクシフは食事を終えた。「ごちそうさま」と言うだけで、食器も片付けずに部屋を出ていった。
クシフはそれを後ろから見送る。
……そう、見送っていた。
いつの間にか視線は高くなり、自分は元の年齢へと戻っている。
そうして部屋の片隅に立っていた。
懐かしい思い出を振り返る時間は終わったのか。そう残念に思っていると、椅子に座っていた父が目線を上げる。
この場にはいるはずのない、クシフへと。
「大きく、なったね」
紛れもない、今のクシフへと向けられた言葉。驚き、目頭が熱くなった。
こんなこと、あるはずがない。
思い出が勝手に延長線を作り一人歩きしていると、そんなふうに受け止めた。
「仕事は、順調かい?」
「今、少し困ってる」
「ほう、それは死化粧師の仕事かな? それとも怪獣をやっつける仕事?」
怪獣、と言われてあの闇が脳裏に浮かぶ。
父さんは、あの化け物に、食われたのか……?
そう聞いてしまいたかったが、心のどこかがそれを拒否した。
答え合わせをするのが、怖かった。
「私のことは、忘れなさい」
微笑んで口にされた言葉は、クシフの心の中の問いに対するものに感じた。
「忘れなさい。思い出してはいけない」
「どうして――」
クシフは目を大きく開く。
父の体が半分黒い闇と化し、そうしてその横にはあの化け物がいた。笑っている化け物と、微笑んでる父とは、溶けて繋がっていた。
「私を思い出せば、お前は惹かれてしまう」
肩に痛みが走る。
恐る恐ると目を向けると、狼に食われた肩はやはりえぐられていて、それを埋めるように蠢く黒があった。
化け物と同じ色だった。
帰りたい、とクシフの心が叫びを上げる。
「惹かれてしまえば、お前は闇を呼んでしまう。自ら食われてしまうよ」
だから忘れなさい、父はそう念を押した。
……ああ、そうか。
クシフは納得する。あの時、ふいに駆け出したあの時も、帰りたいと心が言った。
そして穴に落ちた。
闇に惹かれていたから、自ら落ちたのだ。そんな自分があの化け物との出会いを手繰り寄せた。
では、急にクシフの魂の欠けを埋めた闇とは何か。
それは、きっとあの化け物の悪意だったのだ。おぞましい程の悪意が化け物の魂からはみ出て、森に漂い、隙間の空いてしまったクシフの魂に収まった。
「――父さんは」
どうしたら救われるんだ。
そう聞きたかったのに、声が出ない。
きっと自分自身でも分かっている。あそこまで繋がってしまった父を彼から切り離すなど、不可能だ。
それを証明するように、クシフの肩にまとわる闇は悪意と懐かしさとをドロドロに混ぜたような存在だった。
「私のことは、忘れなさい。
代わりに、あの二人を思い出すんだ」
ビッターラビィとヴァネットサミスだ。
二人の美しい色を思い出すと、肩から闇は消えた。ごく普通の、人間の肩になる。
「ヴァネッサちゃんの優しい強さは、お前を守ってくれる。
ビビィ君の確かな言葉は、お前を強くしてクれる」
父の体はほとんどが化け物の黒と同化していた。
もう、どうにもならない。
五年の月日は長すぎた。
けれど、どうにかしたいのだ。
「あの二人が持っている、特別なキラキラなんだよ。そシてお前にも、キラキラはあル」
もう父は彼の腹の中だった。
そして彼が言う。
「ソのキらきラで、僕ト遊ぼウゼ、クしふ」




