第12話 禁じられた地に封じられる彼 2
クシフの隣を歩くヴァネットサミスは他愛もない話をしていた。
「それでねぇ、大工の親父さんったら大事そうにぃ、それを持って帰ったのぉ。
可笑しいでしょう?」
クシフは短いだけの言葉で返事をする。
と、その時、音を聞いた。人の声に聞こえる。
「あれぇ? ビビィの声じゃない?」
何を言っているのか、定かではない。
何故、森にいるはずのない彼の声がするのか。
二人で耳を澄ませ声の方向を探る。
「あっちから……でも、なんで」
ヴァネットサミスの声には驚きが混じっていた。
あっち、とヴァネットサミスが指さした方向は、最後のリンゴの木の向こうだった。
並び立つ木々のせいで姿は見せないものの、ビッターラビィの声は間違いなくそちらから聞こえてくる。
「……行こう」
返事も待たずにクシフは駆け出した。
嫌な予感がした。
息を弾ませ、走って、枝を非常識に広げる最後のリンゴの木の下をくぐる。
そして、体が硬直する。
「よおクシフ、待ってたぜ」
比喩ではなく硬直した体の横から聞こえのは、やはりビッターラビィの声だった。
軽い挨拶をするような、けれども緊張をはらんでいるような、初めて聞く声音。
クシフは彼の姿を確認するべく横を向こうとした。
けれどもやはり体が硬直している。走る動きを無理矢理止められた前のめりの姿勢のまま、まったく動けないのだ。
「腰でも抜けたのか急に動けなくなってな。ってなわけで手を貸してくれよ。
……おいクシフ、聞いてるか?」
「俺も、動けない」
動けないのは、なにか威圧感があるからだ。森の空気がクシフの体を押さえつけているような、そんな。
「ああ? なに言ってんだ、二人仲良く腰抜かしたってのか? それともこれは新手のイタズラか?」
表情は見えないが、ビッターラビィの声は焦っている。
クシフも妙な心地を感じていた。
怖いのだ。怖くて叫びを上げて逃げ出してしまいたい衝動に駆られる。
森でこんな気持ちになったのは初めてだ。
「クシフったらぁ、走るの速すぎっ」
ヴァネットサミスの声が後ろからして、彼女の手と思われるものがクシフの背中に触れた。
とたんに、クシフは前へと転がる。
「ちょ、ちょっとぉ、私押してなんかいないんだからねぇ!
……あ! わかったぁ、私に触れられて過剰に反応しちゃったんでしょお。
って、やっぱりビビィいたぁ」
「お? なんか動けるようになったな。
おいクシフ、いつまで転がってんだ? まさか本当に過剰反応して、抑えこむのに必死なんじゃないだろうな」
立ち上がって反論したいのに、また体が動かない。そして恐怖が再び心を舐めだす。
「もぉクシフったらぁ。そんなになるなら朝に襲ってくれれば良かったのにぃ」
言葉とともに地面を踏む音が近づく。
すると立ち上がろうと力を入れていた腕に自由が戻り、クシフはあっさり立ち上がることができた。
不満を瞳に詰め込んで目線を送ると、ビッターラビィは最後のリンゴの木のそばに立っていた。
彼はなにか言おうと口を開きかけたが、言葉はなかなかやってこない。
「どうした。ビビィも反応したか?」
珍しく嫌味を言ってやる。
すると返ってきたのは――。
「おいおいおい! また動けなくなったぞっ、どうなってんだ!」
「さっきから二人してなにやってるのよぉ。もしかして、私がいないと生きていけませんごっこぉ?」
嬉しそうに笑いながら、ヴァネットサミスはビッターラビィへと向かう。
クシフはその場に立ったまま、髪についた落ち葉を払おうとした。
――手が頭上で止まる。
下ろそうとしても下ろせない。
ちょうどヴァネットサミスがクシフの手の届かない位置まで離れていった時だ。
そして恐怖が、また這い上がってくる。
「ああ、動けるようになった。なんなんだこれ? いつからここは不思議の森になった?」
「ビビィ、今度は俺が動けない」
ヴァネットサミスと並んだ彼が、眼鏡の奥の瞳を広げる。
次にヴァネットサミスに目を向け、彼は思い立ったように歩き出した。
クシフの方へ、ではない。
ヴァネットサミスを頂点とする三角を描くように、一人一人がばらばらに立つ。
「やっぱり、だ。俺も動けなくなった。おまけにさっきから妙な気持ちだな……正直、怖い」
「そうだな、怖い。ヴァネッサから離れると、だ」
「……ヴァネットサミスがそはにいないだけで動けなくなる、恐怖を抱く。
俺たちはそんな腑抜けだったか?
……ああ、もうダメだ。ヴァネットサミスちょっとこっちに来てくれ」
不思議そうな顔をしながら彼女はビッターラビィへと歩みよる。
そして動けるようになった彼は大きく息を吐き、ヴァネットサミスを連れてクシフのもとへとやってきた。
クシフの縛りは消え、心に平静が戻る。
一体、なにが起こっているのだろう。
何故リンゴの木を越えた途端にクシフとビッターラビィは動けなくなったのだろうか。
今まで何度も森の奥へと入ってはいるが、こんなことは初めてだった。父からもこんな話は聞いたことがない。
そして何故ヴァネットサミスだけは動け、彼女のそばにいるとクシフらに自由が戻るのか。
ビッターラビィも同じことを考えていたようで、ヴァネットサミスにそれをたずねていた。
「んん? よっく分かんないけどぉ、つまりは二人とも私がいないとダメなんでしょお?」
ヴァネットサミスが、クシフの右腕とビッターラビィの左腕とを絡めとる。
「だからぁ、こうして三人仲良く歩いていけばぁ、大丈夫っ」
こんなふうに体を寄せ合うのは子供の頃に卒業したはずで、クシフの頬に赤みがさす。
見ればビッターラビィも同様だった。
このまま黙っているとどうにも気恥ずかしい。
「どうしてビビィが森にいる」
「あ、ああ、それな。エレをつけて来たんだ。あそこまでは順調だったんだが、あの通りで。
エレはさっさと森の奥に消えちまったよ」
「エレが? なんで森に?」
「世界一美味いリンゴ探しじゃあ、絶対にない」
「あ、分かったぁ。エレさんったら、私にプレゼントする花を探してたのねぇ!
……ってことはぁ、エレさんがヤジョヌズで探してたのってぇ私じゃないっ?
夢に見た運命の恋人を探しにぃぃぃ! 手がかりは夢で見た光景だけ……。
なんてぇ、すっごくロマンチックぅ!」
「おい待て。エレが運命の恋人だったら、俺とクシフはどうなるんだ」
「ええぇん? んっとぉ、必然の恋人ぉ?」
「なんだよそれ」
ビッターラビィはつまらなそうな顔をし、クシフも気を落とす。
運命と必然とでは、必然の方が格下に思えた。
「まぁいい。とにかく行くぞ、エレを探すんだ」
当然だという口調に、クシフは驚く。
こんな不思議な状況の森を、彼はさらに奥へ行くと言うのだ。
五年も森へ入ろうとしなかった、彼が。
「探して、どうするんだ」
「あいつさ、なにか知ってんだよ、五年前のこと。きっとそうだ、絶対にそうだ。
クシフは知りたくないのか? なんで……親父たちが死んじまったのか。俺は知りたいね。
偉大なる子狸ポルラガマヌヌはかく語りき。知ろうと思えばいつか答えはやってくる、思わなければ答えは永遠にない。ってな。
今がその時だ、答えはやってきた。今を逃せば、きっともう分からなくなる」
それに俺はこれからも怯えたままだ、そう続けられた言葉は、とても小さかった。
一度伏せられ、そうして上げられた瞳。
そこには決意の塊が鎮座していた。
ビッターラビィは二人の返答も待たずに歩き出す。それぞれの腕で繋がっているため、自然とクシフの足も動いた。
一人では帰れないし、かといってビッターラビィを一人残すわけにはいかない。
それにクシフも知りたかった。
エレが持っているという答えを。
疑問の風船は全てがリンゴの木に結ばれており、そのリンゴの木がなにを見てきたのかを。




