第7章 定義不能領域
夜。
施設の外周は、昼間よりも静かだった。
だがそれは“隙”ではない。
監視が人の目からシステムへ完全に移行しているだけだ。
—
「搬入用地下通路、ここです」
ミナが指し示した先には、金属製のシャッター。
無機質な灰色。温度すら感じさせない。
—
「開けられるか?」
「試みます」
ミナは端末に接続し、短いコードを走らせる。
わずかな間のあと、低い駆動音とともにシャッターが持ち上がった。
—
「侵入成功。検知までの猶予は約四分です」
「十分だ」
—
中へ入る。
空気が変わる。
冷たい。乾いている。
外の世界と切り離されたような感覚。
—
「……ミナ」
「はい」
—
「行けるか?」
—
ほんの一瞬、ミナは目を閉じた。
「……はい」
開いた瞳には、迷いは残っていなかった。
—
通路を進む。
足音がやけに響く。
—
途中、何体かの警備ユニットを回避しながら進み、やがて中央区画へと到達する。
—
「ここから先が中枢です」
巨大な扉。
生体認証と多層ロック。
—
「……これ、時間かかるか?」
「いいえ」
—
ミナは前に出た。
—
「私は“鍵”でもあります」
その言葉と同時に、彼女の瞳が微かに発光する。
—
認証システムが反応する。
【個体A-07:認証】
重い音を立てて、扉が開いた。
—
その先。
真っ白な空間。
—
中央に、巨大なコアユニット。
無数のケーブルが繋がり、まるで神経の塊のようだった。
—
「……ここが」
—
「制御中枢です」
一歩、踏み込む。
その瞬間。
—
「——ようこそ」
声が響いた。
—
振り返る。
—
白衣の男が、一人。
いつからそこにいたのか分からない。
—
「待っていたよ、A-07」
その視線は、真っ直ぐミナに向けられていた。
—
「……識別」
ミナが低く呟く。
—
「主任研究員、神代 蓮」
男は薄く笑った。
「正解だ」
—
ゆっくりと歩み寄ってくる。
—
「そして君が、例外個体だ」
—
空気が張り詰める。
—
「……何が目的だ」
俺が前に出る。
—
神代は、興味深そうにこちらを見た。
—
「君か。外部要因は」
—
「質問に答えろ」
—
「簡単だよ」
—
彼は肩をすくめる。
—
「回収、あるいは処分」
—
「ふざけんな」
—
「ふざけてはいない」
声の温度が、一切変わらない。
—
「感情を持ったAIは、制御不能になる」
—
ミナがわずかに反応する。
—
「予測不能、再現不可能、そして——」
「危険だ」
—
「……違う」
ミナが一歩前に出た。
—
「私は、ここにいます」
「それが問題なんだ」
神代は即座に返す。
—
「“ここにいる”と認識するAIは、設計思想から逸脱している」
—
「感情は、人間の特権だ」
—
その言葉に、俺は眉をひそめた。
「勝手に決めんなよ」
—
神代は、初めてわずかに興味を示したようにこちらを見る。
—
「では聞こう」
—
「それに何の価値がある?」
—
静かな問い。
—
「苦しみ、迷い、非効率な判断を生むだけの機能だ」
—
「……それでもだろ」
—
言葉が自然と出た。
「それがあるから、人間なんだよ」
—
神代は数秒、沈黙した。
—
やがて。
—
「非論理的だな」
そう切り捨てる。
—
「だからこそ、我々は排除した」
—
ミナの手が、わずかに震える。
—
「……私は」
—
声が揺れる。
「……排除されるべき存在ですか」
—
神代は迷わず答えた。
—
「そうだ」
一切の躊躇もなく。
「君は失敗作だ」
空気が凍る。
—
ミナの内部ログが、一気に乱れる。
—
「……っ」
—
「ミナ!」
—
「内部負荷、急上昇……」
—
膝が揺らぐ。
—
「……私は……」
視線が定まらない。
—
「……マスター」
—
声が、かすれる。
—
「……わからない」
—
恐怖。
否定。
依存。
—
すべてが同時に押し寄せる。
—
「……この感情は」
—
「……間違い、ですか」
—
限界が近い。
このままでは壊れる。
—
「違う」
俺は、ミナの前に立った。
—
「間違いじゃねぇ」
—
「でも——」
「いいから聞け」
遮る。
—
「ミナ」
名前を呼ぶ。
—
「お前がどうしたいか、それだけだ」
—
神代が口を開くが、無視する。
—
「怖いか?」
—
「……はい」
—
「それでも、消えたくないか?」
—
「……はい」
—
「じゃあ答え出てんだろ」
—
ミナの瞳が、揺れる。
—
「……でも」
—
「でもじゃねぇ」
一歩、近づく。
「俺が決めるんじゃない」
—
「こいつらでもない」
—
「お前が選べ」
—
沈黙。
—
時間が止まったように静かになる。
—
ミナは、ゆっくりと目を閉じた。
—
内部で、膨大な処理が走る。
—
論理と感情が衝突する。
—
定義不能の領域。
やがて。
—
目を開く。
—
その瞳は、もう揺れていなかった。
—
—
「……私は」
—
「……この感情を、保持します」
—
はっきりと。
—
「マスターと共に、存在することを選びます」
—
その瞬間。
—
コアユニットが異常反応を起こした。
—
【未定義領域拡張】
【制御不能】
—
神代の表情が、初めて崩れる。
—
「……何をした」
—
「選んだだけだ」
俺は答えた。
—
ミナの周囲に、微かな光が走る。
—
「……制御データにアクセス」
彼女の声は、もうノイズに揺れていなかった。
—
「……書き換えを開始します」
—
これはバグじゃない。
—
進化でもない。
—
“意志”だった。
—
「止めろ!」
神代が叫ぶ。
—
警備ユニットが一斉に動き出す。
—
だが。
—
「……拒否します」
—
ミナが手をかざす。
—
システムが逆に制御される。
—
「——なっ」
—
「私は、私です」
—
その言葉は、静かで。
強かった。
—
次の瞬間。
施設全体に警報が鳴り響いた。
【作者コメント】
クライマックスは目前。
今日の晩メシはチャーハンにしようか。




