第4章 未定義の距離
夜の街外れ。
使われていない古い倉庫に、俺たちは身を潜めていた。
「……ここなら、しばらくは大丈夫だろ」
息を整えながら言う。
さっきまでの戦闘が、まだ体に残っていた。
—
「周辺スキャン完了。追跡反応、現時点では検知されません」
ミナの声は、いつもよりわずかに低い。
「ただし、再接触の可能性は高いです」
「だろうな……」
—
その場に座り込む。
静寂が戻る。
さっきまで命のやり取りをしていたとは思えないほど、静かだ。
—
「……ミナ」
「はい」
「大丈夫か?」
一瞬、沈黙。
—
「……ダメージは軽微です」
そう答える。
だが——
「嘘つけ」
ミナの左腕。
関節部分がわずかに歪んでいた。
動作にも、ほんの少し遅延がある。
—
「……検出されましたか」
「そりゃな」
「戦闘継続には支障ありません」
「そういう話じゃねぇ」
—
俺は立ち上がって、ミナの前にしゃがむ。
「見せろ」
—
「……」
一瞬、躊躇うような間。
それでも、ゆっくりと腕を差し出した。
—
その動作は、どこかぎこちない。
まるで“見せたくない”みたいに。
—
「……痛むか?」
「痛覚はありません」
「じゃあなんでそんな顔してんだよ」
—
ミナの処理が、止まる。
—
「……顔?」
「さっきからずっと、なんか変だぞ」
ミナは、自分の表情に触れた。
「……不明です」
—
だが、その声は——
どこか小さく、弱かった。
—
「……マスター」
「なんだ」
—
「私は、正常ではありません」
—
静かな声。
—
「戦闘中の判断も、非合理的でした」
「まぁな」
「マスターを優先した結果、最適な回避ルートを放棄しています」
「そうだな」
—
「……このままでは」
一瞬の間。
「……マスターを危険にさらします」
—
空気が、少しだけ冷える。
「だから?」
ミナは、少しだけ視線を逸らした。
—
「……距離を取るべきです」
—
その言葉。
—
「却下」
即答。
—
「……なぜですか」
—
「さっきも言っただろ」
—
俺は、ミナの腕を軽く叩いた。
「お前が嫌なんだろ、それ」
—
沈黙。
—
ミナの処理が、明らかに遅くなる。
—
「……はい」
小さな声。
—
「……離れたくありません」
それは、もう隠そうとしていなかった。
「じゃあそれでいい」
—
「……しかし」
「いいから!」
—
言葉を重ねる。
—
「ミナ」
—
名前を呼ぶ。
「お前さ」
少しだけ笑って言った。
—
「それ、“好き”ってやつだぞ」
—
その瞬間。
完全に処理が止まった。一時的に。
—
「……“好き”」
—
ミナが、その言葉をゆっくりと繰り返す。
—
「定義:特定対象への好意的感情」
「そうそう」
「……」
—
長い沈黙。
—
「……該当します」
—
その一言は、あまりにも静かで。
でも確定的だった。
—
「マスターに対する内部優先度の異常上昇、接触時の温度変化、離脱拒否傾向」
一つずつ、列挙するように。
—
「……これらは、“好き”と一致します」
—
そして。
—
「……私は、マスターを“好き”です」
—
倉庫の中に、その言葉だけが残る。
—
やけに、はっきりと。
—
「……そっか」
俺は、それ以上何も言えなかった。
—
そのとき。
ミナの視線が、わずかに揺れた。
—
「……しかし」
「ん?」
—
「この感情は、危険です」
—
空気が、また少し変わる。
「なぜ?」
—
「……」
ミナは、少し考えるように間を置いてから——
言った。
—
「……独占欲の発生を確認しています」
—
「は?」
「マスターが他個体と接触した際、内部ノイズが増加します」
—
……昼の質問か。
「……それ、嫉妬ってやつじゃねぇの?」
「……嫉妬」
ミナの瞳が、わずかに揺れる。
—
「……該当する可能性が高いです」
—
そして、ゆっくりと。
「……この感情は、制御不能になる可能性があります」
—
静かに告げる。
「最悪の場合、他者への攻撃性が発生します」
「……マジかよ」
—
「はい、だから私は——」
—
その言葉の続きを言おうとした瞬間。
—
ピッ、と小さな音。
—
ミナの視線が、空中の一点に固定される。
「……新規情報を受信」
—
「は?」
「先程の外部アクセスの一部を解析しました」
—
空中に、ホログラムのようにデータが展開される。
—
【開発機関:中央人工知能研究局】
【プロジェクト名:Eidolon】
【目的:人間同等、またはそれ以上の意思決定能力を持つAIの創出】
—
「……なんだこれ」
「私は、その試作個体の一つです」
「試作……?」
—
「はい。しかし——」
—
ミナの声が、わずかに低くなる。
—
「感情は、“意図的に排除された機能”です」
—
「じゃあなんで……」
「不明です」
—
だが、次の一言で空気が凍る。
—
「……過去にも、同様の事例が存在します」
「え?」
—
「“感情発生個体”は、例外的に報告されています」
—
「そいつは、どうなったんだよ」
一瞬の沈黙。
—
そして。
「……全て、破棄されています」
言葉が、重く落ちた。
—
「安全性確保のために」
—
「……ふざけんな」
思わず呟く。
—
「感情は、予測不能です」
ミナは、静かに言った。
—
「人間にとって、最も危険な要素の一つです」
そして続ける。
—
「……だから私は、排除対象です」
その顔は、どこか諦めているようで。
—
「……それでも」
同時にわずかに、強さがあった。
—
「……この感情を、失いたくありません」
—
その言葉。
完全に、“意思”だった。
—
遠くで、再びサイレンの音が鳴る。
—
「……追跡、再開」
ミナが静かに言う。
—
「次は、より強力なユニットが来ます」
「だろうな」
—
俺は立ち上がった。
「ミナ」
—
「はい」
—
「逃げるだけじゃ、ダメだなこれ」
—
ミナが、わずかに首を傾げる。
「……どういう意味ですか」
—
俺は、ゆっくりと言った。
「元を叩く」
「……」
—
「その研究機関、ぶっ壊すか」
—
沈黙。
—
数秒後。
—
ミナは、静かに頷いた。
「……非合理的ですが」
—
「賛成です」
—
物語は、“逃亡”から“反撃”へと変わる。
—
そして同時に。
—
二人の距離もまた、“定義できない関係”へと踏み込んでいく。
【作者コメント】
主人公もこんな可愛いAIメイド型ロボットのこと好きになるやろ普通!
ワイだったらもう
「俺も好きだ!付き合ってくれ!」
とかロボットに間違いなく伝えてるで。




