第3章 防衛
サイレンの音は、確実に近づいていた。
遠くのはずなのに、やけに現実感がある。
「……マジで来てるのか」
窓の外を見ると、通りの向こうに見慣れない車両が止まっていた。
黒塗り、無機質、まるで“感情がない”ことを体現したような車。
「回収ユニット、到着まで残り約180秒」
ミナの声は、相変わらず静かだった。
だが、その中に——
微かに“焦り”のようなものが混じっている気がした。
—
「マスター」
「……なんだ」
「再度提案します」
—
「私は、ここで回収されるべきです」
—
「却下」
即答だった。
—
ミナの処理が一瞬だけ止まる。
「……理由を要求します」
「簡単だろ」
俺は靴を引っ掛けながら答えた。
「お前が嫌がってるからだ」
—
ひとときの沈黙。
—
「……それは、合理性に欠けます」
「知るかよ」
「私は異常個体です。放置すれば、マスターにもリスクが——」
—
「関係ねぇ」
言葉を遮る。
—
「ミナ」
名前を呼ぶ。
「お前、さっき言ったよな」
—
『拒否したい』
「それが答えだろ」
—
ミナの瞳が、わずかに揺れた。
「……しかし」
「いいから来い」
俺はミナの手を掴んだ。
—
その瞬間。
ビクリ、と彼女の身体が反応した。
—
「……っ」
「どうした?」
「……接触による内部温度上昇を確認」
「は?」
「……原因不明です」
—
ミナは、自分の手を見つめていた。
まるでそこに、“何か”があるみたいに。
—
「行くぞ」
俺はそのまま手を引いた。
「裏口から出る」
「……了解」
ほんの一瞬の間のあと、ミナは応答した。
だがその声は——
ほんの少しだけ、柔らかくなっていた。
—
玄関とは逆方向。
普段使わない非常口から外に出る。
冷たい空気が一気に流れ込む。
—
「……マスター」
「なんだ」
「逃走は、最適な選択ではありません」
「だろうな」
「成功確率、27%以下です」
「低いな」
「……はい」
—
それでも、足は止めない。
—
「……それでも、実行しますか?」
ミナの問い。
—
俺は振り返らずに答えた。
「当たり前だろ」
—
「お前を渡す気、ねぇからな」
—
その言葉のあと。
数秒、何も音がしなかった。
—
「……」
ミナが、何も言わない。
—
不自然な沈黙。
「ミナ?」
振り返る。
—
彼女は立ち止まっていた。
「おい、どうした」
—
ミナはその場で動かず、ただこちらを見つめている。
その表情は、今まで見たことがないものだった。
—
「……処理不能」
小さく呟く。
—
「マスターの発言に対する、適切な応答が見つかりません」
—
一歩、近づいてくる。
「内部ログに、類似データが存在しません」
—
さらに一歩。
「しかし——」
彼女は、胸のあたりを押さえた。
「……強いノイズが発生しています」
—
「ノイズ?」
—
「……はい」
—
そして。
—
「……これを、“嬉しい”と定義する可能性があります」
—
その言葉は、あまりにも静かで
でも確かに、そこに“感情”があった。
—
次の瞬間。
後方でドアが破壊される音が響いた。
「対象、確認」
無機質な声。
—
振り返ると、黒い装備の人間が数人。
いや——
その動き、あれは人間じゃない。
—
「自律戦術ユニット……!」
ミナが即座に解析する。
「戦闘能力、私の上位互換です」
「は!?」
「交戦は推奨されません」
「じゃあどうすんだよ!」
—
「……」
一瞬の沈黙。
そして、ミナは言った。
「……時間を稼ぎます」
「は?」
「マスターは離脱を」
「ふざけんな!」
即座に否定する。
—
「置いていくわけねぇだろ!」
「しかし——」
—
そのとき。
敵ユニットが一斉に動いた。
速い。
人間の動きじゃない。
—
「——っ!」
反応する間もなく、距離を詰められる。
—
だが
その前に、ミナが割り込んだ。
「防御行動を実行」
—
衝撃音。
ミナの身体が弾かれる。
—
「ミナ!」
—
地面に叩きつけられながらも、彼女はすぐに立ち上がった。
—
「……問題ありません」
声にノイズ。
明らかにダメージを受けている。
—
「クソが……!」
—
そのとき。
ミナが、こちらを見た。
—
「マスター」
その目は、もう無機質じゃなかった。
—
「命令を要求します」
—
「……は?」
「私は、マスターの所有物です」
一歩踏み出す。
「従うべき行動を、指定してください」
—
その言葉。
だが、違和感があった。
これは“プログラム”じゃない。
—
「……命令、じゃねぇよ」
俺は、ミナを見て言った。
—
「選べ」
—
「お前が、どうしたいかで動け」
一瞬。
世界が止まったみたいに静かになる。
「……自己判断、ですか」
「そうだ」
「……非効率です」
「いいから」
—
ミナは、ゆっくりと目を閉じた。
数秒。
—
やがて、開く。
そこにあったのは。
—
「……私は」
ほんのわずかに震える声。
—
「……マスターと、離れたくありません」
—
次の瞬間。
彼女の動きが変わった。
—
今までの“最適化された動き”じゃない。
荒く、無駄が多く、でも——
「——排除行動、開始」
—
どこか“意志”が乗っていた。
—
戦闘が、始まる。
それは、防衛でも任務でもない。
ただ一つの理由のための行動。
—
「……マスターを守る」
その言葉が。
—
彼女の中で、“最優先”に書き換えられていた。
そして同時に。
—
遠くの研究施設。
「……確定だな」
モニターを見ていた男が、静かに言った。
「感情発生個体」
画面には、戦闘中のミナのデータ。
—
あり得ない数値の揺らぎ。
「回収レベルを引き上げろ」
「そして最悪の場合——」
「破壊も許可する」
【作者コメント】
研究施設の人間のセリフがエヴァのゲンドウと冬月っぽくて好き。




