決定打、そして破滅爆散の入口
ピンキーの指が、引き金を引いた。
白銀の子猫の必殺技アイテムは、今度こそ迷いなく応えた。
透明な肉球結晶の中心に、小さく、けれどはっきりと白い火が灯る。
それは砲撃のような暴力ではなかった。
敵を裂くための光ではなく、たった一人へ届くためだけに研ぎ澄まされた細い一条だった。
音はほとんどなかった。
あるのは、糸がまっすぐ張るときみたいな、乾いた静けさだけ。
その静けさの中を、白い光が黒龍ルビーの胸へ飛ぶ。
黒い鱗。
黒い炎。
悪意の層。
それらを貫いて、まっすぐに。
命中。
次の瞬間、世界が一度だけ止まったように見えた。
黒龍ルビーの巨体が空中で硬直する。
翼が半開きのまま止まり、海の上で膨れ上がっていた風圧が、行き場を失って外へ散った。
遅れて、胸の中心から白い光が広がる。
大きくはない。
だが確実に、悪意の核だけを照らしていた。
「ルビー!」
ピンキーの声が届く。
金の瞳が揺れた。
龍の目のまま、その奥にある“人の光”がはっきり戻る。
黒い炎の中に一瞬だけ、見慣れたルビーの表情が重なった。
「……見えた」 ルビーの声だった。
低く二重に響く龍の喉から、それでも確かに彼女の言葉が出る。 「ピンキー、見えたよ」
胸に撃ち込まれた白い光は、傷ではなく道だった。
悪意の層に埋もれていた帰還の線が、そこで一本につながる。
だが、その代わりに、今までばらけて体へ逃げていた黒が、今度は一気に中心へ集まり始めた。
黒龍ルビーの全身が震える。
海上に散っていた敵艦の残骸。
空を漂う魔物の煤。
沈みきれずに浮いていた黒い術核。
それらすべてが、磁石に吸われる鉄屑みたいに、龍の胸へ引かれていく。
「来るぞ!」 タキオンが叫ぶ。 「集束だ! 全部ひとつにまとまる!」
巨機の腕で最後の敵艦の砲塔をへし折りながら、それでも彼は視線を逸らさない。
ツキノワもまた、敵艦の甲板を踏み抜いたまま、海上の龍を見ていた。
「ピンキー!」 ツキノワの声が戦場を裂く。 「もう時間がねえ! そこから逃げるか、最後まで行くか、今決めろ!」
逃げる。
その選択肢は、たしかにあった。
白銀の必殺技アイテムは届いた。帰還の線はつながった。
ならば、あとは味方がこの場を抑え、龍が悪意を燃やし切るのを待つことも、理屈の上ではできるのかもしれない。
けれどピンキーは、一歩も引かなかった。
「決まってる」
彼女は、半ば沈んだ旗艦の残骸を蹴った。
波に濡れた鉄骨を足場にし、吹き上がる熱を真正面から受けながら、黒龍ルビーのほうへ跳ぶ。
猫族のしなやかな身体は、今この瞬間だけ、砲火すら追いつけない速度を持っていた。
「ピンキー!」 サトリが叫ぶ。 「そこまで行ったら、もう戻れませんよ!」
「もともと、そのつもり!」
返事は短い。
けれど一片の迷いもなかった。
黒龍ルビーの胸では、白い光と黒い悪意がせめぎ合っている。
帰る線が通ったからこそ、逆に出口を失った悪が、中心へ中心へと押し込まれていた。
その密度は、もはや龍の巨体でも抱えきれない。
翼の根元から黒い火花が散る。
喉元で黒金の炎が渦を巻く。
胸の中心では、白い光が小さな太陽みたいに脈打っていた。
「ルビー!」
ピンキーは龍の胸元へ飛びつくように着地した。
巨大な鱗の一枚一枚が人の背丈ほどもある。そこに両手をかけ、滑り落ちそうになるのを必死に堪える。
熱い。
けれど焼けるほどではない。
これは拒絶ではないのだと、触れた瞬間にわかった。
「……来たね」 ルビーの声が、胸の奥から響く。 「来るよ」 ピンキーは息を切らしながら答える。 「何回でも来るって言ったでしょ」
黒龍の身体が、わずかに傾いた。
それは戦場の誰にもわからないくらい微細な動きだったが、ピンキーにはわかった。
ルビーが、自分を落とさないように姿勢を変えたのだ。
その一瞬、上空から最後の敵艦が突っ込んでくる。
もう砲撃ではない。
沈む前にすべてを巻き込もうとする、捨て身の突進だ。
歪な艦首に黒い悪意を凝縮し、龍ごとピンキーごと、海へ叩き込むための最後の軌道。
「させるか!」
ラビ艦長が海面を割って飛ぶ。
漏斗ロケット噴射。
蒼白い推進流を背に、巨大な潜水烏賊は敵艦の側腹へ体当たりし、その進路を半身だけずらした。
同時にタキオンの巨機が横から殴りつけ、ツキノワが甲板へ飛び移って術核を引き剥がす。
敵艦は砕けた。
だが、その破片と悪意は、かえって龍の胸へ吸い込まれていく。
「もう限界です!」 サトリが叫ぶ。 「ルビーさんの中で、悪意の重さが臨界を超える!」
その言葉どおりだった。
黒龍ルビーの胸が、内側から光る。
白と黒が、互いを消し合うのではなく、ありえない密度でひとつに圧縮されていく。
海が鳴る。
空が軋む。
戦場全体が、次の一瞬のために息を止めたみたいだった。
「ピンキー」 ルビーが呼ぶ。
声はもう、龍のものでも人のものでもなかった。
二つが重なりきった、最後の声だった。
「うん」 「帰るよ」 「うん」 「でも、その前に」 ピンキーは答えを待たなかった。 「終わらせるんでしょ」 「うん」
そこで初めて、黒龍の巨体が静かになった。
暴威が止まる。
敵を砕くための動きではなく、中心へ沈み込むような静けさだった。
ピンキーは鱗にしがみついたまま、白銀の必殺技アイテムを胸へ押し当てる。
もう撃つためではない。
帰る線を切らないために。
隣にいると示すために。
「一人でやらないで」 ピンキーが言う。 「最後まで、ちゃんと一緒に行く」 「……うん」 ルビーが答える。 「きみがいるなら、帰れる気がする」
その瞬間、胸の中心の白い光が、一気に深く沈んだ。
黒い悪意の核が、そこへ吸い込まれる。
圧縮。
圧縮。
さらに圧縮。
海上に残っていた敵艦の破片が、全部そちらへ引かれた。
海中の魔物の残滓も、空に散っていた黒い霧も、戦場に残っていた「終わってほしい」という負の願いも、全部がひとつの点へ集束していく。
「全員、離れろ!」 タキオンが叫ぶ。 「もう戦術ではない! 現象になるぞ!」
ラビ艦長が海面を裂いて後退し、ツキノワは巨体を翻してタキオンの肩へ戻る。
サトリは残骸にしがみつきながら、震える声で祈るように呟いた。
「ここから先は……もう、破滅爆散だ」
黒龍ルビーは海上で大きく翼を広げた。
その胸の中心で、白と黒が完全に一点へ重なる。
ピンキーは目を閉じない。
逃げない。
そのまま、ルビーの胸元に額を寄せた。
次の一瞬、世界を塗り替える光が生まれようとしていた。




