漏斗ロケットと宝箱、そして勝てる国の墜落
漏斗ロケットと宝箱、そして勝てる国の墜落
双子が空へ投げ出された瞬間、時間は一度、細く裂けたように見えた。
タマの鞄がくるりと回る。
ミケの手が、その持ち手を最後まで離さない。
二人の小さな身体は砲撃の衝撃と船体の傾きに押されて、旗艦アルヴァ・ドルドアの甲板からはるか外へ放り出されていた。
その下は海だ。
その周囲には、まだ撃ち残した敵艦の黒い砲火と、海中基地の残党から這い上がる魔物の群れ。
落ちれば助からない。
助かったとしても、次の一撃で終わる。
「タマ! ミケ!」
ルビーの叫びは、砲音にちぎられた。
胸元の黒いブローチが、脈打つ。
冷たい。
熱い。
重い。
その全部がいっせいに来て、息が詰まる。
「見るな、今はそっちじゃない!」
イツモアが叫んだ。
彼は叫びながらも、ディーアナの背後から一歩も離れていなかった。
艦橋はもう半壊している。前面の鏡板は砕け、左舷側の手すりはひしゃげ、床の傾きが確実に深くなっていた。それでも彼は、崩れかけた司令卓を片手で支え、もう片方の手で術式板を叩いている。
「全艦へ通達! 旗艦の墜落位置を海上南西へずらします! 市街方向へは絶対に落とさせません!」 「イツモア」 ディーアナが言った。 「はい」 「よくやってるわ」 「今さら褒めても口説き文句にはなりませんよ」 「最期までそれ言うのね」 「最期まで言います」
そのやり取りが、妙にいつも通りで、ルビーはかえって怖くなった。
双子はまだ空にいる。
――次の瞬間、海が爆ぜた。
水柱が一本、まっすぐ空へ立つ。
その中心を、巨大な影が駆け上がってきた。
ラビ艦長だった。
潜水烏賊の本来の姿へ戻った彼は、海面すれすれを泳ぐのではなく、もはや海そのものを蹴って飛んでいた。
胴体後部の漏斗が一斉に開く。
そこから圧縮された蒼白い噴流が轟音とともに吐き出される。
漏斗ロケット噴射。
海の王のような巨体が、その推進だけで空中へ弾き上がった。
「ラビ艦長……!」 ピンキーが目を見開く。
ラビ艦長は落ちていく双子よりも先に、その進路上へ身体を滑り込ませた。
だが受け止めるより早く、上空から黒い砲火が降る。
双子を狙ったのではない。救出の線そのものを断つための砲撃だ。
「邪魔をするな」
普段の穏やかな声ではなかった。
潜水烏賊ラビの声は、海底洞窟で鳴る地鳴りのように低かった。
次の瞬間、ラビ艦長は空中で身体をひねり、そのまま最寄りの敵艦へ真正面から突っ込んだ。
ばきり、と嫌な音がした。
敵艦の外殻が、艦首から真っ二つに割れる。
しかもただ壊したのではない。ラビ艦長は勢いを殺さず、漏斗から二度目の噴流を吐いてそのまま艦体中心部を貫いた。
黒い悪意の集合でできた敵艦は、その一撃で「艦の形」を保てなくなり、空中でどろりと崩れ始める。
「落ちる……!」 誰かが叫ぶ。
だがそれを見ている暇はなかった。
ラビ艦長の脚のあいだから、ひとつの宝箱が射出されたからだ。
砲弾みたいな速度だった。
けれど箱は双子の直前でふわりと減速し、ぱかりと蓋を開いた。
内側には、夜の毛布みたいに柔らかな暗さと、小さな灯りが見えた。
「タマ! ミケ! 入れ!」
ラビ艦長の声に、双子は泣かない。
タマは空中で一度だけ鞄を抱きなおし、
ミケはその背を押した。
二人の子猫は、まるで前からそれが自分たちの帰り道だと知っていたみたいに、宝箱へ吸い込まれた。
蓋が閉じる。
その瞬間、箱の表面に細かな金の線が走り、空間がひとつだけきれいにたわんだ。
宝箱は、海でも空でもない、別のどこかへ滑るように消えていく。
ルビーは息をのんだ。
――幸せな世界線。
戦うためではなく、生き残るための道。
双子はそこへ送られたのだと、理屈ではなくわかった。
「よし」 ラビ艦長が低く言った。 「子猫二匹、収容成功」
その直後、敵艦の残骸が彼の肩を掠めた。
黒い破片が海へ降る。
ラビ艦長もまた無傷ではない。だが彼は双子を送ったあと、迷いなく海へ落ちていった。次の敵を砕くために。まだ戦線は終わっていない。
一方で、旗艦アルヴァ・ドルドアは、ついに限界を越えていた。
第四撃。
第五撃。
第六撃。
上空からの集中砲火と、海上から跳ね上がる魔物の突撃。
船体中央が裂け、浮揚術式が明滅し、艦首が大きく下を向く。
「墜ちます!」 通信士の声が裏返った。
「南西へ!」 ディーアナが叫ぶ。 「市街から離しなさい! 最後まで盾になるのよ、この国の艦は!」
その命令を最後まで実行したのが、イツモアだった。
彼は裂けた床に膝をつきながら、残った術式板を手で押さえ込む。血が指から流れている。鏡片で切ったのだろう。それでも離さない。
「ディーアナ様」 「なに」 「来世でも立候補するなら、今度もちゃんと勝ってください」 「当然でしょう」 「私はまた幹事長をやります」 「頼んでないわよ」 「頼まれなくてもやります」
そこでようやく、ディーアナが振り向いた。
戦場の顔ではなく、少しだけ、昔の少女の顔で。
「……そう。なら、探し続けなさい」 「何をです」 「私のパン屋を」 「……はい」
次の瞬間、巨大な衝撃が来た。
旗艦が海面へ叩きつけられる。
すべてが白く弾け、音が消え、世界が横倒しになる。
ルビーは甲板へ投げ出され、ピンキーがその肩を掴んだ。
二人とも海へ放り出されそうになりながら、辛うじて残骸に引っかかる。
「ルビー!」 「ピンキー……!」
だが、艦橋の中心までは見えない。
見えないのに、わかった。
ディーアナとイツモアは、そこで終わったのだと。
終わった。
けれど消えたのではない。
海へ沈みかける艦橋の向こう、ほんの一瞬だけ、二つの光が見えた。
赤金のような強い光。
細く青い、執念深い光。
それが砕けた船体から離れ、空ではなく、どこか時間の裏側へ滑っていく。
日本だ、とルビーは思った。
しかも同じ時代ではない。
ずれた時間へ、別々に、けれど確かに続く線。
その理解とほぼ同時に、胸元の黒いブローチが、ついに音を立てた。
ぱきり。
ひびではない。
殻が割れる音だった。
「……あ」
ルビーの喉から、声とも息ともつかないものが漏れる。
周囲に漂っていた黒い破片。
沈みゆく敵艦の悪意。
撃ち落とされた魔物の残滓。
旗艦を沈めたいと願ったものすべて。
それらが、海上に黒い霧のように立ちのぼり、ルビーの胸へ、胸へと集まってくる。
「ルビー、だめ」 ピンキーが抱きとめる。 「だめ、ひとりで全部のまないで」 「でも」 「だめ!」
ピンキーの声は震えていた。
それでも逃げない。
ルビーの変化を見て、なお手を離さない。
ブローチの黒が、石の表面から溢れはじめる。
まるで液体の夜だった。
それが胸元から肩へ、腕へ、背へと這い、骨の奥にまで入り込んでいく。
痛い。
苦しい。
けれどそれ以上に、力が来る。
圧倒できる。
全部砕ける。
空も海も敵艦も、悪意ごと呑み込める。
そんな確信が、本人の意志とは別のところから湧き上がる。
「ルビー……!」
ピンキーが、泣きそうな顔で名を呼ぶ。
その声だけが、まだ届く。
その声だけが、まだ人間の側につなぎとめる。
だが、もう遅いのかもしれなかった。
海上に沈みかけた旗艦の残骸が、黒い風に包まれる。
空では残った敵艦がなお旋回し、海ではラビ艦長が次の一撃のために潜る。
双子はもう、幸せな世界線へ送られた。
ディーアナとイツモアは死に、日本への転移を始めた。
そしてルビーは、膝をついたまま、ゆっくり顔を上げた。
黒いブローチの中心で、何か巨大な眼が、確かに開いた。




