千年科学の巨人と、巨熊の背で敵艦へ
海上へ誘い出された魔物の群れが、ラビ艦長の圧縮水弾で次々と霧へ戻っていくころ、ドルドア艦隊の上空では、第二の悪意が形を整えつつあった。
それは遠目には味方の艦だった。
旗、外板、艦首の紋章、艦腹に走る赤い装飾線まで、見れば見るほどドルドア軍の制式に似ている。だが、似ているだけだった。
近づくほどに、どこかがずれている。
敬礼の角度が一度に揃いすぎている。
砲門の並びが美しすぎる。
何より、船全体から「ここにいる者は皆、ちゃんとこの役です」と言い張るような、息苦しい気配がした。
「偽装艦、三隻」 イツモアが艦橋の前面鏡に指を走らせる。 「いずれもドルドア軍の外皮を被っています。ですが中身は空、もしくは魔物の集合です」
「本物に化けるの、ほんと趣味悪い」 ピンキーが欄干に片足をかけたまま言った。 「顔じゃなくて、役目を盗んでる感じがする」
「ええ、最悪ですね」 イツモアが真顔で答える。 「顔だけ盗む者はまだ浅い。役目まで奪う者は、組織を腐らせます」
ディーアナは海図台の前に立ち、短く命じた。 「中央の本隊は市民避難の盾を維持。偽装艦は別働で落とす。ルビー、あれを正面から撃ち合う気は?」 「ない」 ルビーは即答した。胸元の黒いブローチが、低く冷え続けている。 「あれ、砲で落としても“ドルドア艦を撃った”って記録だけ残る。敵のやり方に乗ることになる」
「正解です」 艦橋の隅で、タキオンが嬉しそうに眼鏡を押し上げた。 「だから科学の出番というわけだ」
その笑顔を見たサトリが露骨に嫌な顔をする。 「その顔するとき、だいたいろくでもないですよね」 「褒め言葉だな」 「褒めてません」
ツキノワが腕を組んで、じろりと親友を見る。 「タキオン。今回は“千年越しの悪ふざけ”じゃないんだろうな」 「失敬だな、私は常に真面目だ」 「前に神の杖で変な詠唱をさせたやつが言う?」 「あれは必要な実験だった」 「必要だったのはお前の笑いだろ」
そんなやり取りをしながらも、タキオンの手は止まらない。
彼は艦橋の床に、いつの間にか細い水晶の棒を何本も突き立てていた。棒と棒のあいだを青白い光の線が走り、幾何学模様が組まれていく。まるで難解な研究室の図面が、そのまま戦場に生えてきたみたいだった。
「知識の泉由来の千年蓄積術式、“巨機外装展開・対艦型”」 タキオンが早口で言う。 「簡単に言えば、私の研究成果を一時的に身体の外へ出す」
「全然簡単じゃない」 ルビーが言うと、タキオンは片眉を上げた。 「理解する気が足りない」 「戦場でそんなこと言うな」
タマとミケは、もうすっかり慣れた顔で前へ出た。
タマが女神の鞄を開く。
ミケが中をのぞき込む。
「今日、いっぱい働いてるね」 「うん。なんか、わくわくしてる」
ぽこん、と軽い音がした。
出てきたのは、掌ほどの大きさの金属製ねじ巻き兵隊だった。丸い兜、赤い胸当て、小さな背中に羽根。どう見ても玩具なのに、タキオンは一目見て目を輝かせた。
「すばらしい! 圧縮展開用の位相固定ユニットだ!」 「おもちゃじゃないの?」 タマが聞く。 「最高のおもちゃは最高の科学だ」 「よくわかんないけど、はい」 「ありがとう、神具管理者」
タキオンはねじ巻き兵隊を術式の中央に置いた。
兵隊が、かち、かち、と小さく歩く。
そのたびに光の線が太くなり、床が震えた。
艦の外で、空気が鳴る。
最初に現れたのは、巨大な腕だった。
続いて肩、胸郭、背の骨組み。
蒼い光の枠が空中に描かれ、その内側へ金属質の外装が生えそろっていく。タキオンの身体を中心に、何十年分もの設計図が一度に立体化するような、異様な迫力だった。
「うわ……」 ピンキーが、素直に目を見張る。 「ほんとにロボだ」
「ロボではない」 タキオンの声はすでに低く反響している。 「千年科学の帰結たる多目的外装知識機構だ」
「長い」 ツキノワが一刀両断した。
次の瞬間、ツキノワの足元にも光が走った。
彼女は息を吸い、両の拳を握りしめる。
「女神様。今回だけ借りるぞ」
そう言って前へ出た熊族の少女の輪郭が、ひとまわり、ふたまわりと大きくなっていく。
骨格が伸びるのではない。もともとそこにあった“強さ”が、外へ押し広げられていく感じだった。肩幅が広がり、脚が太くなり、爪が長く光る。数秒後には、旗艦の欄干より大きな巨熊がそこにいた。
だが目は変わらない。
タキオンを見る目だけが、昔からずっと同じだった。
「置いてくなよ、科学者」 「置いていけるものか、親友」
巨人じみたタキオンの機体が膝を折り、背を差し出した。
ツキノワはそこへ軽々と飛び乗る。
「うおお……」 タマが感嘆の声を上げる。 「かっこいい」 「うん、ちょっとずるい」 ミケもうなずく。
ディーアナは一度だけ目を閉じ、すぐに開いた。 「行きなさい。偽装艦だけを落として。本物には傷ひとつつけないで」 「了解」 タキオンの声が、機体全体から鳴る。 「敵の偽りは嫌いだ。特に、秩序のふりをした悪意はね」
機体が跳んだ。
いや、跳んだというより、空を踏み抜いた。
背部から蒼白い噴光が噴き上がり、巨体が一直線に偽装艦へ向かう。
敵もすぐに反応した。ドルドア軍の艦影をした三隻が、いっせいに砲門を開く。赤黒い砲光が、迎え撃つように空を裂いた。
「タキオン!」 「問題ない」
巨機の片腕が開き、半透明の盾が展開される。
砲撃が当たるたび、そこに細かな数式めいた光が走り、衝撃を散らしていく。
だが敵の本命は砲撃ではなかった。砲光のあいだに混じって、細い黒い糸のようなものが無数に伸びる。艦影から艦影へ、人から人へ、役目から役目へ絡みついて、こちらの“正しさ”そのものを奪うための糸。
「来るぞ、役盗りの糸だ!」 イツモアが叫ぶ。
その瞬間、ツキノワが巨体の背から飛んだ。
空中で一度、身体をひねる。
次の瞬間には、黒い糸の束に正面から突っ込み、両腕でまとめて引きちぎっていた。
偽装艦の甲板へ着地すると、そのまま前足――いや、拳で床を叩き割る。
鈍い悲鳴のような音がした。
艦の外皮が剥がれ、内側からどろりとした黒があふれる。
やはり中身は艦ではない。役目の皮をかぶった魔物の塊だ。
「見たか、ドルドア!」 ツキノワが吼える。 「こいつら、お前らの船のふりしてるだけだ!」
その声は、本隊にも市民避難路にも届いた。
「味方の船を撃っているのではない」という事実そのものが、戦場の恐怖を一段軽くする。
この一瞬のために、正面砲撃ではなく、飛び乗って剥がす必要があったのだ。
タキオンの巨機が続けて二隻目へ叩き込まれる。
拳が艦首を貫き、背中のツキノワが跳び移って、甲板に貼りついていた紋章板を引き剥がした。
剥がれた瞬間、その艦は“ドルドア軍の形”を保てなくなり、翼の折れた巨大な獣みたいに崩れ始める。
「きたない」 ピンキーが小さくつぶやく。 「中身、船じゃない」 「ええ」 ルビーも見ていた。 「悪意が、船の顔してただけ」
黒いブローチが、またひとつ深く脈打つ。
落ちていく偽装艦から、見えないはずの黒が染み出してくる。憎しみ、空腹、嫉妬、劣等感、奪えなかった役への執着。そういうものが形を変え、空を飛んでいたのだと、石だけが知っているみたいだった。
「ルビー」 ピンキーが横顔をのぞき込む。 「今、ちょっと色が悪い」 「平気」 「平気な顔じゃない」 「……平気な顔ってどんなの」 「パン食べる前の顔」 「基準が雑」
それでも、ピンキーがそばに立つと少しだけ呼吸が戻る。
ルビーは意地で笑い、再び空を見る。
三隻目の偽装艦では、敵も最後の意地を見せていた。
艦体そのものをむりやり変形させ、巨大な口のような砲門を開く。そこへ周囲の黒い飛沫が集まり、一撃で旗艦ごと呑み込むつもりの黒光を溜めていく。
「まずい、あれ撃たせるな!」 イツモアが叫ぶ。
「まかせろ!」 タマが言った。 女神の鞄から今度は、赤い木製の凧が飛び出した。小さい。あまりにも小さい。戦場で役に立つとは思えない。
だがタマが糸を放ると、その凧は空で一気に大きくなり、三隻目の真正面へひらりと舞い上がった。
黒光砲が、ほんの一瞬、そちらへ目を奪われる。
「ミケ!」 「うん!」
ミケが出したのは、先の短い太い赤鉛筆だった。
彼女が空中に横線を一本引くと、黒光砲の照準がほんの半歩ずれた。
その半歩で十分だった。
「科学的に好機!」 タキオンの巨機が真正面から突っ込み、
ツキノワがその背を蹴ってさらに加速し、
巨大な拳が、巨大な砲口へそのまま叩き込まれる。
次の瞬間、三隻目は内側から破裂した。
黒い破片が海へ落ちていく。
偽装艦は三隻とも沈黙した。
旗艦の艦橋に、短い静寂が落ちる。
「やった……?」 タマが言う。 「まだ」 ミケが、海を見た。 「海の下、まだいる」
ラビ艦長のいる海域のさらに向こう。
壊れたはずの敵水中基地の底から、今度はもっと濃い黒が泡のように湧き始めていた。
同時に、周囲を飛んでいた他の敵艦が、まるで合図を受けたみたいに一斉に向きを変える。
狙いはただひとつ。
「ディーアナ様の旗艦へ集中してきます!」 通信士の叫びが響いた。
ディーアナは表情を変えなかった。
ただ、海の底から浮かび上がる新しい悪意を見据えて、静かに言う。
「来たわね。本当の本隊が」
ルビーの胸元で、黒いブローチがこれまでで一番重く沈んだ。
偽装艦は落ちた。
だが戦いは終わらない。
むしろここから先こそが、破滅爆散へ続く本番なのだと、空も海ももう隠そうとしなかった。




