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一戦列の歌と、雲海を裂く開幕火線

敵影が最初に見えた時、それはまだ「艦」に見えなかった。


朝の雲海の向こう、黒い点が三つ。

その後ろに六つ。さらに小型の影が無数。

整然としているようで、どこか不気味にずれている。


「速度、予測より三割増し!」


「中型艦、左右に展開!」


「小型は群れではなく波状です!」


旗艦アルバ・ドルドアの艦橋が一気に戦時の呼吸へ切り替わる。


だが、慌てている者は誰一人いなかった。


二階観測席に立つ歌手のルビーが、喉元に手を添える。

その一声が、まず旗艦全体の空気を変えた。


長くはない。

だが正確だった。

舞踏会で会談の空気を整えていたあの声が、今は艦隊全体の認証拍へ変わっていく。


それに応じて、前甲板高所のダンサーのルビーが、白い靴先で一歩を踏む。


その一歩で、旗艦の指揮楽師たちが同時に拍を合わせた。

艦隊各層へ伝達される拍節が揃い、隊列がぴたりと呼吸を一つにする。


サトリが思わず呟く。


「何度見ても変な国ですね……」


「褒め言葉として受け取っておきますわ」


ルビーは前を見たまま答えた。


前方甲板では、ディーアナが外套を翻して立っている。

戦争を始めたい者の顔ではない。

だが、始まった以上、終わらせる者の顔だった。


「全艦、第一戦列を維持。

歌拍認証、舞拍認証、両方を継続。

本物の呼吸を崩さないこと」


その命令が走った直後、敵の先頭三艦が雲を割って現れた。


黒い。


ただ黒いだけではない。

本来、艦は前へ進むために造られている。

だがあの艦は、まるで「舞台に出るため」に造られているような、妙な見栄えの良さがあった。


艦首が尖りすぎている。

装飾が多すぎる。

威圧のための意匠ばかりで、どこか“役者じみて”いる。


タキオンが即座に言う。


「来たな。

本当に“終幕の役者”を気取っている」


「趣味が悪いですわね」


ルビーが言った瞬間、敵先頭艦の甲板から、黒い光の弧が放たれた。


砲撃ではない。

矢でもない。

もっと薄い、布の裂け目みたいな光だ。


「来ます!」


サトリの声と同時に、ドルドア側の前列にいた二隻の周囲へ黒い弧が落ちる。


しかし次の瞬間、歌手のルビーが一段高い音を差し込んだ。


その音へ重なるように、ダンサーのルビーが二歩目を踏む。


黒い弧は、艦へ触れる寸前で軌道を乱し、空中でほどける。


「逸れた!?」


副官が叫ぶ。


タキオンは冷静だった。


「艦そのものではなく、“この艦がここにいる意味”へ撃ち込む術だ。

だが本物の歌と舞で位置づけを固定していれば、簡単には剥がれない」


「だから毎回説明があとなんです!」


サトリが叫ぶ横で、ピンキーはすでに前方甲板の縁へ移動していた。


「ダーリン、右側の小型群、あれ変です」


「何がです」


「一番後ろの三つ、風を切ってません。

見えてるだけで、本当はそこにいない」


ルビーの目が細まる。


「幻装艦ですか」


「たぶん。

でも、“いないふりをした本物”も混じってます」


イツモアが低く笑った。


「やはりあなたは優秀だ、ピンキー。

可愛らしいだけのメイドでいてくれた方が、敵も楽だったでしょうに」


「私は前から、ただ可愛いだけじゃありませんよ?」


ピンキーはあっさり言った。


それが自慢でも気負いでもなく、単なる事実として出てくるあたりが彼女らしい。


双子はその少し後ろで、白い箱とは別に女神の鞄を抱えていた。

甲板要員たちが本気で守ろうとしているのが、見ていて分かる。

誰も命令していないのに、近くの兵も楽師も、メイドも伝令も、双子の周りだけ妙に柔らかく陣形を作っている。


神の加護だ。


「タマ」


「うん」


「ミケ」


「わかってる」


鞄が、ぴこん、と鳴る。


出てきたのは、三枚の小さな凧だった。

紙でできた、子どもの遊び道具みたいな凧。

だが双子がそれを空へ放ると、凧は風を受けてくるくる回り、敵影の上空へ散っていく。


「なんだあれは」


副官が目を見張る。


凧が敵の上を通るたび、黒い艦影のうちいくつかが、陽炎みたいに歪んだ。

消えるもの、薄くなるもの、逆に輪郭が濃くなるもの。


タマが言う。


「あれ、うそのおふね」


ミケも続ける。


「あれ、ほんとのおふね」


「見破ったか!」


ディーアナがすぐに号令を飛ばす。


「第三砲列、本物だけを撃て!

凧の印を信用しなさい!」


ドルドア側の砲座が開き、白銀の火線が走る。

幻装は貫かれず、本物だけが爆ぜる。


最初の一隻が炎を噴いた。


敵の開幕は、ドルドアの歌と舞と、双子のおもちゃに割られたのだ。


「やった!」


「やったね!」


双子がぴょんと跳ねる。

その瞬間、近くの兵士たちが何人か本気で笑った。

戦場でそんな顔をするなと言いたくなるほど、安堵した笑いだった。


ルビーの胸元の黒いブローチが、どくん、と脈打つ。


勝利の気配。

だが同時に、敵が持ち込んだ“役を剥がす悪意”もまた濃い。


ピンキーが振り返る。


「ダーリン。

あれ、まだ本隊じゃないです」


「ええ、分かっています」


ルビーも前を見据える。


雲海のさらに向こう。

黒い艦影の後ろに、もっと大きな何かがある。


この初戦は、開幕火線にすぎない。

本当に欲しい“終幕”は、まだ姿を見せていない。


その時、白い箱が、双子の足元で小さく鳴った。


まだ開かない。

だが、戦いの匂いに反応するみたいに、表面の金の筋がまた一本増えていた。

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