朝焼けの艦隊査察と、猫族のまっすぐな勘
夜が明けるころ、ドルドア空中艦隊は朝焼けの中へその輪郭をはっきり浮かび上がらせていた。
艦体の側面に流れる金の紋。
甲板に立つ礼装兵。
艦橋を繋ぐ渡り桟橋。
どれも壮麗で、どれも整っている。
だが今のルビーには、それが美しく見えるほど警戒心が増した。
整いすぎたものは、いまのドルドアでは疑うべき対象でもある。
「第一査察列、開始です」
副官が告げる。
ディーアナは長い外套を羽織ったまま、艦隊全体を見上げた。
「舞踏会の余韻はここで切ります。
ここからは芸ではなく実務です。
ただし、芸で守った国を実務で壊すつもりはありません」
「ええ」
ルビーが短く答える。
その横でピンキーは、いつもの明るい顔のまま甲板へ立っていた。
だが今日はただにこにこしているだけではない。
耳が見えないだけで、確かに猫族の集中の仕方をしている。
視線が速い。
足音が軽い。
風向きすら読んでいるような顔だった。
サトリが小声で呟く。
「……やっぱりピンキーさん、普段と全然違いますね」
「違いますわよ」
ルビーは当然のように言った。
「あなたが今まで“明るいから雑に見えていただけ”です」
「ひどい評価ですね、それ」
「本人が一番気にしていません」
実際、ピンキーはもう甲板の縁へすっと移動していた。
普通の人間ならためらう高さだ。
だが彼女は細い手すりの上へ片足をかけ、そこから下の接続桟橋を見下ろしている。
「ダーリン」
声だけが軽い。
「第三接続具の右側、金具の磨耗が不自然です」
副官がぎょっとした。
「見えるのですか、あそこが!?」
「はい」
ピンキーはあっさり答える。
「あと、昨日の夜に塗った魔力防錆剤と違う匂いがします。
上から別のものを重ねてます」
タキオンが即座に反応した。
「降りる」
その一言より早く、ピンキーが動いた。
「私が行きます!」
次の瞬間、彼女の身体は手すりを越えていた。
「ピンキー!」
ルビーの声が飛ぶ。
だがもう遅い。
いや、遅くはなかった。
ピンキーは落ちていない。
ひらり、と。
まるで空気に足場でもあるかのように、三つの旗索を蹴って接続桟橋へ降り立ったのだ。
着地音はほとんどない。
長い脚が一度しなって、それで終わり。
サトリが絶句する。
「人の動きじゃない……」
「猫族ですから」
イツモアが真顔で言った。
「しかも神の加護つきです」
接続桟橋に降りたピンキーは、膝をついて金具を覗き込み、それから振り返って手を上げた。
「やっぱりです!
これ、“接続固定”じゃなくて“遅延解除”の術式です!」
「解除?」
ルビーが眉をひそめる。
タキオンはもう小型鏡筒のような器具を目に当てていた。
「……なるほど。
艦を繋ぐための金具に見せかけて、非常時に一斉解放する細工だ。
戦列を組んだ後で起動すれば、中央列だけが崩れる」
ディーアナの目が冷える。
「内側から列を割る気でしたか」
「ええ」
イツモアが低く答える。
「しかも美しい整列の瞬間を狙って。
本当に、見栄えだけを愛する下品な敵です」
その時、双子がメイドたちの輪の中から前へ出た。
昨夜ほど甘えた様子はない。
むしろ、かなりはっきりした目で桟橋を見ている。
「タマ、あそこ」
「うん、ミケ。
線がまだのこってる」
女神の鞄が、ぴこん、と小さく鳴った。
メイドたちが一斉にときめく。
「可愛い……」
「いえ、今は可愛いだけじゃありませんわ!」
「でも可愛い……!」
鞄から出てきたのは、水色の糸巻きと、透明な猫の形をした小さな駒だった。
タマが糸巻きを持ち、ミケが猫駒を床に置く。
「いって」
「さがして」
透明猫は、するすると桟橋の継ぎ目を走り始めた。
その後ろを水色の糸がついていく。
「導線の可視化ですな」
ラビ艦長が感心する。
「しかも“今も生きている悪意の線”だけを拾っておりますぞ!」
ピンキーが桟橋の上で振り向く。
「ダーリン!
四本あります! 一本はここ、一本は第四艦、あと二本は……」
そこで彼女は鼻をひくつかせた。
風の匂いを読むみたいに。
「違う。
二本は艦じゃありません。
人の方へ戻ってます」
全員の空気が変わった。
タキオンが言う。
「つまり内通者はまだ船に乗っていない。
艦隊そのものではなく、艦隊へ“席”を与える人間側にいる」
ディーアナが即断する。
「第四艦は封鎖。
同時に、接続許可を出した人員を洗い直します」
「はっ」
副官たちが散る。
その間にも、メイドたちは本気で双子とピンキーを見ていた。
「タマちゃん、ミケちゃん、すごいですわ……」
「ピンキーさんも……!」
「うちの猫族は優秀すぎる……!」
ピンキーが桟橋から軽々と戻ってくる。
今度は跳ぶのではなく、ほとんど駆け上がるように。
「ただいま戻りました!」
「ええ、ご苦労」
ルビーが言う。
だが次の一言は、ほんの少しだけ柔らかかった。
「……怪我がなくてよかったですわ」
ピンキーはぱっと笑う。
「はい!
私、丈夫で賢くて速いので!」
サトリがぼそっと言った。
「自分でちゃんと言うんですね……」
「事実ですから」
ルビーが即答した。
そのやり取りの横で、双子は白い箱を見下ろしていた。
箱は、ほんの少しだけ温かかった。
まだ開かない。
でも、確実に何かへ近づいている。




