熊族の寿命願いと、科学者の未来申請
艦隊接続桟橋の再点検は、夜明けの少し前にようやく一区切りついた。
黒い糸の痕跡は、たしかにいくつかの接続座標へ伸びていた。
だが本格的な侵食はまだ浅い。
今のうちに切れば、致命傷にはならない。
「よし」
ツキノワが肩を回した。
「ひとまず、今夜すぐ空中艦隊が乗っ取られる線は薄くなったな」
「ええ」
イツモアが答える。
「今夜は、ですけれど」
「そうやって一言多いの、局長の癖だよな」
「仕事です」
「癖だろ」
そのやり取りの間に、双子は桟橋脇の控室で毛布にくるまれていた。
だが寝てはいない。
メイドたちが本気で寝かしつけようとしても、二人ともぱっちり起きている。
「まだねない」
「だいじなおはなしあるもん」
「まあ……!」
「私たちの知らない“だいじなおはなし”が……!」
「でも眠そう……可愛い……」
子猫保護隊は、もはや完全に部隊化していた。
その控室の奥、小さな応接間に、ルビー、ディーアナ、イツモア、タキオン、ツキノワ、サトリが集められた。
空気が少し違う。
これは戦術会議ではない。
もっと個人的で、それでいて後には回せない話だ。
最初に口を開いたのは、ツキノワだった。
「先に言う。
私は戦列を離れるつもりはない」
低い声。
けれど迷いはない。
「破滅爆散が終わるまで、お前らと並ぶ。
その上で、終わったら私は女神様に願うつもりだ。
不老不死を返したい」
ディーアナがじっとツキノワを見る。
「自然なクマ族へ戻りたい、という話ですね」
「そうだ」
ツキノワは頷く。
「私は死にたいんじゃない。
終わりたいんでもない。
ただ、自然の流れに戻りたい。
春に腹を減らして、冬に眠くなって、少しずつ年を取る側へ帰りたい」
ルビーは静かに聞いていた。
その願いの重さは分かる。
借りた身体で生きている自分には、なおさら分かる。
「……タキオン」
ディーアナが視線を移す。
「あなたはそれでよいのですか」
科学者は少しだけ黙った。
言葉を選んでいるというより、選ばずに済む答えを探している顔だった。
「よい、という表現は正確ではない」
「また始まりましたね……」
サトリが胃を押さえる。
だがタキオンは真面目だった。
「私は千年、知識を追って生きた。
知識の泉に潜り、異星の言葉を解き、機械を組み、理屈を積んだ。
その間、ツキノワが隣にいた。
それを当然としていた」
ツキノワは何も言わない。
ただ聞いている。
「だが最近、私は“その先”を考え始めている」
ルビーがわずかに目を上げる。
サトリも、イツモアも黙る。
「知識の泉の声――彼女と、未来の話をするようになった。
次に何を一緒に見るか。
どこまで行けるか。
そういう、“観測”ではない話だ」
「恋愛ですね」
サトリが即答した。
「雑だ」
「でも合ってますよね」
タキオンは否定しなかった。
それで十分だった。
「つまり」
ルビーが静かに言う。
「あなたもまた、永遠の観測者から降りる準備ができている、と」
「完全ではない。だが、足場はある」
タキオンの返答は、いかにも彼らしかった。
曖昧な誓いではなく、構造としての答え。
ディーアナは短く息を吐く。
「分かりました。
では国家としても、作戦完遂後にその願いが叶えられるよう、女神への正式請願に加えましょう」
ツキノワが目を瞬く。
「……そこまでしてくれるのか」
「仲間の願いを“後回しの情緒”にするつもりはありません」
ディーアナはきっぱりと言った。
「願いは、戦ってから叶えるものではなく、
戦う前から守るべきものです」
イツモアが横から口を挟む。
「実に麗しいご判断です、ディーアナ様。
願いの制度化とはすなわち国家の愛――」
「今は黙っていなさい」
「はい」
一秒で黙った。
ルビーはそこで、ふとツキノワに向き直る。
「羨ましいですわね」
全員が少し驚いた顔をする。
「私には“戻る”がありません。
借りた身体の借りを返したら、爆散して終わるだけです」
その言葉は軽くなかった。
部屋の温度が少しだけ下がる。
だがツキノワは、すぐに首を振った。
「違う」
「……何がです」
「お前にもある。
戻るじゃなくても、ちゃんと“渡す先”があるだろ」
ルビーの指先が、無意識に黒いブローチへ触れた。
妻。
姪。
ピンキー。
双子。
母。
この家。
爆散は終わりであると同時に、何かを渡す行為でもある。
その沈黙を破ったのは、控室の向こうから聞こえた双子の声だった。
「くまさん、ながいきやめるの?」
「でも、ちゃんといっしょにいるんだよね?」
ツキノワは思わず笑った。
「そうだよ。
ちゃんと一緒にいるために、相談してるんだ」
「じゃあ、よかった」
「よかったね」
その明るさに、部屋の空気が少しだけやわらぐ。
ピンキーが扉の隙間から顔を出した。
「ええと、重たい話の最中すみません!」
「分かっているなら今でなくてもよかったでしょう」
「でも、お茶をいれました!」
その後ろには、本気で配膳を手伝うメイドたち。
完全にもう家族会議に参加している。
サトリが肩を落とした。
「この屋敷、深刻な話とお茶のタイミングが近すぎる……」
けれど、その“近すぎる”ことが、今はありがたかった。
戦争の前でも、寿命の話の最中でも、
ちゃんと茶を淹れる人がいる。
そういうものが、世界を最後まで人間の側に留める。




