旧リハーサル室と、まだ渡せない星の玩具
旧リハーサル室は、舞踏会場から少し離れた西翼にあった。
昔は舞の練習や楽師たちの合わせに使われていたらしいが、今は半ば倉庫になっている。
古い幕、割れた譜面台、使われなくなった仮面、練習用の杖。
そのどれもが、夜の中では妙に息を潜めて見えた。
「ここ、なんかさみしいね」
タマが言う。
「でも、だれかいるよ」
ミケが続ける。
羅針盤の猫の手は、部屋の中央をぴたりと指していた。
そこには、黒い布がかけられた大きなトルソーが一つだけ置かれている。
「……露骨ですわね」
ルビーが呟く。
イツモアはすでに半透明になっていた。
「ええ。
“見つけてください”と言わんばかりです。こういう時は大抵、その後ろが本命――」
言い終える前に、部屋の四隅の古い鏡が一斉に鳴った。
きいん、と高い音。
次の瞬間、幕や衣装掛けから、ぬるりと人影が立ち上がる。
今度は使用人ではない。
**舞踏会の客人や楽師や護衛の“役”**を着た空っぽたちだ。
「また増えた!」
サトリが叫ぶ。
「人数で押すつもりか!」
ツキノワが前へ出ようとした時、双子がぱっと手を上げた。
「まって!」
「こんどはぼくたち!」
メイドたちが一斉にざわめく。
「危ないですわ!」
「だめよ、そんな前に出ちゃ!」
「でも……」
タマは振り向いて、にこっと笑った。
「だいじょうぶだよ。おもちゃあるもん」
その顔があまりにも明るくて、メイドたちは止めるより先に胸を押さえた。
「強い……のに可愛い……」
「もう本当に養いたい……」
鞄が、またぴこんと鳴る。
今度は星のついた小さなステッキと、紙でできた王冠が飛び出した。
「わあ、へんしん!」
ミケが王冠をかぶる。
タマがステッキを振る。
すると、リハーサル室の床に、きらきらした線が円を描いた。
空っぽたちがその線を踏んだ瞬間、足が止まる。
「舞台の立ち位置を固定した!」
タキオンが声を上げた。
「円の外へ出られないよう、役の位置だけ縫い留めている!」
「だから説明が毎回あとですって!」
サトリが叫ぶ横で、ピンキーが双子を見て目を輝かせる。
「すごいです! まるで本物の王子様とお姫様です!」
「ちがうよ」
「ぼくたち、こねこだよ」
その返答に、メイドたちが崩れ落ちた。
一方でルビーは、黒布のかかったトルソーへ近づく。
ブローチが強く脈打つ。
布を払う。
そこに掛けられていたのは、漆黒の舞踏会用ドレスだった。
重い。美しい。だが、見るだけで不快なほど“役”を押しつけてくる衣装だ。
「これですか」
イツモアが低く言う。
「本命は」
「いいえ」
ルビーはドレスの胸元を見た。
そこには、留め具の代わりに、空の台座があった。
「まだ未完成ですわ。
ここに何かをはめるつもりだった」
タキオンが近づく。
「役目を固定する核だな。
これだけではただの器だ。誰かの“主役性”を吸って完成する」
「最悪ですね」
サトリが言う。
その時、ミケが床の隅を見つけた。
「ねえ、タマ」
「なあに」
「これ、かくしてある」
二人が一緒に古い譜面台をずらすと、その下から小さな箱が現れた。
白くて丸く、リボンで封がされている。
箱の表には、幼い字みたいな模様で、星と花と――なぜか爆発の絵が描いてあった。
「またおもちゃだ」
「かわいい」
ピンキーがしゃがみ込む。
「開けてみます?」
タキオンが一瞬で止めた。
「待て」
声が真剣だった。
全員が固まる。
「それは今、開けるな」
「危ないんですか?」
サトリが訊く。
タキオンは首を振る。
「危険というより……早い。
これはおそらく、まだ使う段階ではない」
ルビーも箱を見下ろす。
ブローチがそれに反応している。
「何ですの、これは」
タキオンは短く答えた。
「二段階式の武装封印。
しかも、使用者指定がある」
ピンキーがぱちぱち瞬く。
「使用者って、誰です?」
タキオンは少しだけ黙ったあと、言った。
「……まだ確定していない。
だが、たぶん“最後に誰かを送り出す側”の手に渡る」
その言葉に、ルビーは何も言わなかった。
ピンキーも意味までは分かっていない顔だった。
ただ双子だけが、箱を見て同時に頷く。
「これ、まだだね」
「うん。まだ、あげない」
その言い方が、不思議と自然だった。
イツモアが息を吐く。
「では、敵はこのドレスと核の候補を集めていた。
舞踏会の主役を上書きし、何か大きな儀式に繋ぐつもりだったわけですか」
「ええ」
ルビーが答える。
「そして未完成のまま動いた。
ということは――」
その時だった。
旧リハーサル室の天井近くから、ぱきん、と細い亀裂音がした。
全員が見上げる。
黒い筋が、天井からまるで糸のように伸びている。
外へ、もっと上へ。
屋敷の中心ではない。
空中発着塔のさらに上だ。
「……屋上ではありません」
タキオンが呟く。
「もっと高い。
空中艦隊の接続桟橋だ」
ルビーのブローチが、どくんと鳴った。
屋敷の中の危機は、もう屋敷の中だけでは終わらない。
空へ繋がっている。
双子は白い箱を抱えたまま、そっとピンキーを見た。
「あとでね」
「ちゃんとあとで」
ピンキーは意味が分からないまま、それでも優しく笑った。
「はい。あとでですね」
その笑顔を見て、ルビーはほんの一瞬だけ目を伏せた。
“あとで”が、ちゃんと来る保証なんてない。
だからこそ、次へ行かなければならない。




