衣装部屋の子猫たちと、女神の鞄のおもちゃ大行進
鏡面回廊を抜け、ルビー一行が衣装部屋の前へたどり着いた時、そこにはすでに小さな騒ぎが起きていた。
「きゃああああっ、だめです! その子たちはこちらへ!」
「こっちよ、こっち! 早くいらっしゃい、可哀想に、そんな小さな体で……!」
「誰か、温かいミルクを! いえ、毛布が先ですわ!」
「違います、先に身元確認――って、ああもう、確認の前に抱きしめたい!」
サトリが足を止めた。
「……何が起きてるんです?」
答えるまでもなかった。
衣装部屋の前で、十人近いメイドたちが半ば円陣を組み、その中心にタマとミケがいた。
双子はきょとんとしている。
そのきょとんとした顔が、火に油どころか香油を注いでいた。
「ミケ、なんか大人の人たちが、ふかふかしてる」
「タマ、なんかすごく守られてる」
「守られてます!」
年長メイドの一人が、ぐっと拳を握った。
「聞きましたわよ……あなたたちのお父様とお母様、魔物と戦って……!」
その先を言えず、彼女は目元を押さえる。
すると別のメイドが、まるで自分のことのように涙ぐんだ。
「そんな小さな子たちが、明るく笑って……! もう、健気すぎます……!」
「うちで引き取れませんか」
「だめです、私が先です」
「何を言ってるの、私の部屋なら日当たりがいいのよ!」
「だったら私は毎朝編み込みをして差し上げます!」
「私はお昼寝の絵本が読めます!」
「私はお魚を綺麗にほぐせます!」
「私は可愛い服を縫えます!」
「私は……私は……とにかく、すごく愛せます!」
ルビーが無表情のまま呟いた。
「……屋敷の危機だというのに、妙な方向へ士気が高いですわね」
「いやでも、これは分かります」
サトリが胃を押さえながら言う。
「この二人、保護欲を殴ってきますもん……」
その通りだった。
タマとミケは、たしかに“可哀想”だけで売っているわけではない。
泣きも喚きもしない。
むしろ明るい。無邪気だ。
だがその明るさが、余計に胸を打つ。
「おねえさん、これ見て」
タマが小さな手を伸ばした。
メイドの袖をちょんとつまむ。
「ぼく、ボタンつけられるよ。ひとつだけなら」
「まああああああ!」
「見て、ミケもできるよ」
ミケが誇らしげに胸を張る。
「でも、たまに斜めになる」
「そんなの可愛いに決まってるでしょう!?」
年若いメイドが崩れ落ちた。
別のメイドがすかさず双子の前に膝をつく。
「寒くない? お腹は空いてない? 靴は痛くない? 眠くない?」
「だいじょうぶ!」
「いっぱい元気!」
「いい子……!」
「泣かないで……!」
すでに数名が泣いていた。
ピンキーが感動したように両手を合わせる。
「素晴らしいです! みんな、双子の可愛さに気づいています!」
「あなたは前から知っていたでしょう」
ルビーが冷静に返した時、衣装部屋の扉の向こうから、がた、と小さな音がした。
タキオンの目が細くなる。
「まだいるな」
イツモアも同時に気配を読む。
「ええ。
しかも、こちらが双子に気を取られているのを待っております」
「うわぁ、感じ悪い」
サトリが顔をしかめた。
衣装部屋の中には、さっき鏡面回廊で見た“役だけのもの”の本体がいるはずだった。
名札、制服、仮面、飾り、役職。
人の“誰であるか”を形だけ借りる、屋敷の腐った帳尻合わせ。
そして今、その敵は、たぶん理解している。
この場で一番守られているのが誰かを。
双子だ。
「ルビー閣下」
イツモアが低く言う。
「敵が最も奪いやすいのは“空席”ですが、次に狙うのは“皆が守ろうとしている席”です」
「ええ」
ルビーのブローチが、熱を持つ。
「つまり、タマとミケを“ここにいるべき可哀想な子猫”として固定してしまえば、周囲は守ることに夢中になり、敵の導線を見失う」
「嫌な言い方をしますね」
サトリが呟く。
「ですがその通りでしょう」
ルビーは双子へ視線を向けた。
「タマ、ミケ」
「はーい!」
「なあに、ルビーおねえちゃん」
「可愛がられるのは結構ですが、今は遊びではありません。
……いえ、訂正します。あなたたちには“遊び”の方が向いていますわね」
双子は顔を見合わせた。
「遊ぶ?」
「おもちゃ?」
その瞬間だった。
二人の腰のあたりで、女神様の鞄が、ぴこん、と機嫌よく鳴った。
メイドたちが一斉に息を呑む。
「ま、魔法の鞄……!」
「なんて愛らしい音……!」
「音まで保護対象ですわ……!」
タマが鞄のふたを開ける。
ミケが嬉しそうに覗き込む。
「今日はなにかなー」
「かっこいいのがいいなー」
「かわいいのもいいよ」
「両方がいい!」
鞄の中から最初に飛び出してきたのは、ねじ巻き式の小さな兵隊人形だった。
赤い帽子。丸い目。木でできた短い脚。
だが、床に置かれた瞬間、兵隊人形はぴしっと敬礼した。
続いて、ぴよぴよ鳴く黄色い笛。
それから、車輪のついた玩具の木馬。
最後に、金色の星がついたおままごと用のティーセットまで出てくる。
「……どういう選定基準です」
ルビーが呟く。
タキオンは真顔だった。
「分からん。
だが、こういう時の女神の鞄は、だいたい必要なものを必要な形に偽装して出す」
「偽装のレベルがかなり可愛い方に寄ってません?」
「女神の趣味だろう」
ツキノワが前へ出ようとした、その時。
衣装部屋の扉が、ひとりでに、ぎい、と開いた。
中に並ぶのは無数の衣装。
メイド服。礼装。外套。仮面。名札。
それらの隙間から、ぬるり、と人影が伸びる。
一人。二人。三人。
さっきの“役だけのもの”だ。
今度は鏡の中ではない。
衣装部屋そのものから、役目を着込んだ空っぽが出てくる。
メイドたちが息を呑み、しかし双子をかばうように前へ出た。
「下がって!」
「この子たちには触れさせません!」
「可哀想な子猫たちを二度も泣かせてたまるものですか!」
「泣いてないよ?」
「でも泣かせません!」
「すごいね」
「うん、すごい」
双子は、きらきらした目でメイドたちを見上げた。
それからタマが、ねじ巻き兵隊をつまみ上げる。
「いってらっしゃい!」
ミケは黄色い笛を吹いた。
ぴよっ、と間の抜けた音が鳴る。
次の瞬間、ねじ巻き兵隊が、ありえない速度で床を走った。
「えっ」
サトリが目を剥く。
兵隊人形は衣装部屋の床を小刻みに駆け、影たちの足元を次々に叩いていく。
叩かれたところから、役だけの影がほどけていく。
まるで“この場所に立つ資格なし”と判子を押して回っているみたいだった。
「かわいいのに強い!」
ピンキーが大喜びする。
ミケは木馬を押した。
「おうまさん、いけー!」
玩具の木馬はころころ走り、影の間を横切る。
すると床に、きらきらした線が引かれた。
その線の内側に入った影は、急に向きを見失ったようにくるくる回り始める。
タキオンが即座に叫ぶ。
「導線の再設定だ!
あの木馬、通っていい道だけを上書きしている!」
「おもちゃが賢すぎません!?」
サトリが叫ぶ横で、タマは今度はティーセットの小さなポットを持ち上げた。
「おちゃのじかんだよー」
ことり、と床に置く。
するとポットの注ぎ口から、ふわりと甘い湯気が立ちのぼった。
香りはミルクと蜂蜜と、ほんの少し焼き菓子みたいな匂い。
それを浴びた影たちの動きが、一斉に鈍る。
「眠そう!」
「うとうとしてる!」
双子が弾んだ声を上げる。
「……役目だけのものに、“休憩”を教え込んでるのか」
タキオンが低く呟いた。
「空席を埋めるだけの存在に、仕事以外の時間を混ぜた。
だから命令が崩れる」
ルビーはその言葉を聞いた瞬間、前へ出た。
「結構」
黒いブローチに手を添える。
「“埋めるだけ”のものは、休みも、迷いも、誰かを可愛いと思う心も持たない。
だから家を食い荒らすのですわ」
その声に、メイドたちがはっと顔を上げる。
双子を抱きしめたい、守りたい、引き取りたいと本気で思った、その感情そのものが、いま敵との違いになっていた。
「イツモア」
「はい」
「本物の使用人たちを前へ。
可愛がるついでに、この家の“中身”を見せて差し上げなさい」
「承知しました」
イツモアが指を鳴らす。
メイドたちが、まるで最初から打ち合わせていたみたいに一歩前へ出た。
「この子たちは、ただの空席じゃありません!」
「泣いていたら抱きしめますし、笑っていたら一緒に笑います!」
「お魚は骨を取って差し上げます!」
「眠るなら毛布を増やします!」
「お揃いの服も作ります!」
「だから、“いるふり”だけのあなたたちとは違うんです!」
その言葉に呼応するように、双子のおもちゃたちが一斉に動いた。
兵隊人形が敬礼し、木馬が光の線を引き、笛がぴよぴよ鳴り、ティーセットが甘い湯気を広げる。
衣装部屋から出てきた影たちは、次々にほどけ、縮み、役目だけの薄い紙片みたいに剥がれていった。
最後に残ったひときわ大きな影が、扉の奥で低く軋む。
『空席を……埋め……』
タマが言った。
「だめだよ」
ミケも言った。
「そこは、おとうさんとおかあさんのせきだから」
その一言で、場が止まった。
メイドたちの目が一斉に潤む。
サトリは危うくもらい泣きしかけた。
ルビーはただ静かに、双子を見た。
そうだ。
この子たちは最後に“送り返される”側だ。
だから今、皆が守りたくてたまらないこと自体が、物語の芯になる。
ルビーは一歩前へ出る。
「ええ。
埋めてよい席と、埋めてはならない席があります」
黒いブローチが熱を増す。
「その区別もつかないものは、この家には不要ですわ」
次の瞬間、影は音もなく崩れた。
衣装部屋の中の名札と仮面が、ぱらぱらと床へ落ちる。
静寂。
そして、その静けさの中で、ねじ巻き兵隊が最後にもう一度だけ敬礼した。
「わあ!」
「えらい!」
双子が拍手する。
メイドたちもつられて拍手した。
何人かは完全に涙目だった。
「もうだめ……可愛すぎる……」
「今すぐ湯上がり用の寝間着を仕立てたい……」
「いえ先に夜食です!」
「だめ、まず保護計画書を――」
「保護計画書って何ですの」
ルビーがさすがに突っ込む。
だがその時、タキオンが衣装部屋の奥を見て、表情を変えた。
「待て。まだ終わっていない」
「え?」
サトリが振り向く。
衣装部屋の一番奥。
主役級の礼装が掛かるはずの区画で、一つだけ空のハンガーがゆっくり揺れていた。
誰かが、何かを、すでに持ち出している。
しかも、その足元には、鏡面回廊で見たものとは質の違う、もっと濃い黒い痕が残っていた。
ルビーのブローチが、どくん、と脈打つ。
「……本命は別」
イツモアの声が低くなる。
「ええ」
ルビーも頷く。
「今のは“埋め草”ですわ。
本当に盗られたのは、役ではない。もっと大きい」
双子はまだ、おもちゃたちを抱えていた。
明るく、無邪気に。
でもその小さな手の中には、確かに次の戦いへつながる力があった。
タマが空のハンガーを見て首をかしげる。
「ねえ、ミケ」
「なあに」
「だれか、おきがえしていっちゃったね」
ミケはこくりと頷いた。
「うん。
しかも、わるいおきがえ」
ルビーは黒い痕を見つめたまま、静かに言った。
「次は追いますわよ。
“いないはずの主役”を」
衣装部屋の灯りが、わずかに揺れた。
それは風ではなかった。
もっと大きな何かが、すでにこの屋敷の中心へ向かって動き始めている合図だった。




