階段の鏡と、奪われた名前
無人のグレートグレープ国会議事堂。静まり返った議場に、ルビー(おじさん)とピンキー、そして女神様の三人が立っていた。
女神様からの不意の問い。
「魔法と科学の違いは何だと思う?」
ルビーは、自分の中に残る日本人としての知識を総動員して考えた。この星の住人なら「神の力か、人の力か」と答えるだろう。だが、それだけではない、言葉にできない「何か」がある。
「……わかりません」
「私もわかりません!」
ルビーの正直な答えに、ピンキーも元気よく同調した。
女神様は、ルビーの心を見透かしたように微笑んだ。
「神と人の違い。お前はそう考えたな。日本人のおじさんらしい、教育と歴史に基づいた答えだ。だが、魔法を科学にすることはできる。かつてお前の世界で空を飛ぶのは魔法だったが、飛行機が生まれた瞬間にそれは科学になった。……使い方は分かっても、人類には作れないもの。それがお前たちの言う『魔法』だ」
■ 鏡張りの階段と、見えない「過去」
「女神様、何を言いたいのかさっぱりですよ。それより、そこの階段は鏡張りです。見せてはいけないものが見えてしまいますよ」
ルビーの指摘に、女神様は「ならば見てみよ」と促した。
それはかつて、不審者が武器を隠し持っていないか確認するために作られた古の装置。だが、ルビーが覗き込んでも何も映っていない。
ところが、女神様の隣に立ったピンキーだけは違った。
「あ、ピンキーのは見えるわ。……私の似顔絵付きの下着」
「ダーリン、エッチですね! でもいいですよ、ダーリンの演劇場のグッズ店で買ったんですから!」
「はい、そこまで」
女神様が指を鳴らすと、鏡の像は消えた。
「私には簡単だが、人間にはこれを科学にすることはできまい。……そしてもう一つ。日本にいるお前の妻の『あだ名』を思い出せるか?」
ルビーは記憶の海を潜った。だが、一番大切だったはずの呼び名が、どうしても浮かんでこない。
「……ダメです。思い出せない。いや、思い出そうという気にならないんです」
「私が思い出せないようにしたからだ」
女神様の言葉は残酷で、しかしどこか慈悲深かった。異世界で「悪役令嬢」として生きるおじさんにとって、元の世界の執着は歩みを止める鎖になりかねないからだ。
■ 独裁の条件
女神様は、話題を切り替えるように言った。
「では、これならお前にも答えられるはずだ。――独裁は、なぜ起きる?」
おじさんとしての経験、秘書として見てきた権力の光と影。
ルビーは、もはや癖になった「小首を傾げるポーズ」……もとい、共感性周知の構えを取りながら、静かに口を開いた。
「ええ。それならば、答えられます」
「きゃー! ルビー様、ビューテフォー!!」
誰もいない広い議場に、主を絶賛するピンキーの声だけが、どこまでも高く響き渡った。




