サトリの買い物と、パン屋の恋心
一行の最後尾を行く爽やかウェイター君は、一見すると大量の荷物持ちをさせられている不遇な若者に見える。だが、彼は「アイテムボックス」の権能を持っており、その内部にはミケとタマの衣類だけでなく、大量の文房具や経済学の参考書、問題集が詰め込まれていた。
この国、ドルドアは教育に対して異常なまでの熱量を持っている。
子供たちは小学校を卒業すると同時に、国から商売の元手(資金)を渡される。学んだ経済学を実践し、自らビジネスを立ち上げるのだ。90%は失敗に終わるが、中には初年度から億万長者並みの利益を出し、その勢いで選挙権・被選挙権試験を突破して地方議員に当選してしまう「怪物のような子供」も珍しくない。
ウェイター君もかつて、アイテムボックスを利用したお菓子屋を開業したが、壊滅的に料理のセンスがなく、店を畳んだ過去を持つ。
一方で、この資金を見事に運用し、パン屋として大成功を収めた男がいる。――ディーアナ公爵の夫である。
【パン屋「ドルドア」の幸福な思念】
店の10メートル手前に差し掛かった時、ウェイター君の脳内には店主の浮かれた思念が流れ込んできた。店主は、愛する妻ディーアナと娘ルビーを溺愛しており、その心は幸福感で満たされている。
ウェイター君がこれを知り得るのは、彼が日本伝承の妖怪と同じ**「サトリ(読心能力)」**の持ち主だからだ。
彼はこの能力を駆使して数々の難関試験を突破してきた。この国では「持って生まれた能力」を公的な場で使うことは不正とみなされないため、法的には何ら問題はない。ただ、女神様からは「尋ねられるまで自分から心を読んだことを喋るな」と忠告されている。人間関係が気まずくなるのを防ぐためだ。
【局長の秘めたる執着】
そんなウェイター君だけが、もう一つの「隠された真実」に気づいていた。
冷徹な情報局局長、イツモア・カゲヤネンデスのディーアナ公爵に対する深すぎる愛情である。
イツモアは小学校時代からディーアナと同じ学び舎に通い、今日まで一途に彼女を想い続けてきた。
「どうすればあのパン屋の夫と立場を逆転できるのか」
「なぜディーアナはパン屋の男を選んだのか」
そんなことばかりを考え、誰も見ていないところではディーアナを口説き、木で鼻をくくったような対応をされ続けているのだ。彼が海軍で功績を上げ、情報局のトップまで上り詰めた原動力は、ひとえに「ディーアナの側にいたい」という執念であった。
絶世の美女であるルビーの美貌は、母ディーアナ譲りのもの。イツモアにとって、ディーアナは今も昔も、世界で唯一無二の太陽だった。
一行がパン屋の扉を開ける。香ばしい小麦の香りと共に、店主の温かな歓迎の声が響く。
ウェイター君は、表向きは爽やかな笑みを浮かべながら、渦巻く大人たちのドロドロとした、あるいは純粋すぎる感情の波を、静かにアイテムボックスの奥へと押し込めるのだった。




