第16話 家の中の距離
玄関のドアを閉めた瞬間、ふっと力が抜けた。
「……はぁ」
小さく息を吐く。
外にいる間、ずっとどこか落ち着かなかった。
視線とか、噂とか。
それと――
(……凛花)
思い出して、軽く頭を振る。
靴を脱いで、リビングに向かう。
その途中。
「おかえり」
「っ」
足が止まる。
リビングのソファ。
当たり前みたいに、そこにいる。
───凛花。
「……ただいま」
少しだけ間を空けて返す。
「遅かったね」
「普通でしょ」
「そう?」
軽く首を傾げる。
そのまま、何も言わずに視線を外す。
テレビもついてない。
ただ、静かな空間。
(……なんか、落ち着く)
学校とは違う。
変な視線もないし、変な空気もない。
「ねえ」
「何」
顔を上げる。
「今日、どうだった?」
「どうって……普通」
少しだけ言葉を選ぶ。
「普通、ね」
繰り返される。
「何」
「別に」
それだけ。
でも。
少しだけ、目が細くなる。
「……何かあった?」
「何もないって」
即答する。
一瞬、沈黙。
「ふーん」
納得してない声。
そのまま。
凛花が、すっと立ち上がる。
「ちょ――」
言いかけた時には、もう遅い。
当たり前みたいに、私の隣に座ってくる。
「……ちょっと」
思わず声が出る。
「何」
「近いって」
「家だよ?」
さらっと言う。
「……それは、そうだけど」
言い返せない。
距離が近い。
肩が触れそうなくらい。
でも。
(……嫌じゃない)
むしろ、さっきまでの空気を思い出すと、こっちの方が楽で。
「ねえ」
「何」
「学校ではさ」
少しだけ、声が落ちる。
「ちゃんと我慢してるんだけど」
「……は?」
思わず、顔を見る。
「距離」
あっさり言う。
「これくらいにしたいの、ほんとは」
「……っ」
言葉に詰まる。
「でもさ」
少しだけ、笑う。
「やめてって言われたし」
「それは……」
否定できない。
「だから、学校ではやってないよ?」
「……やってるじゃん」
思わず突っ込む。
「ちょっとだけ」
悪びれもせずに言う。
「……ちょっとじゃない」
くすっと笑う。
「でも」
ほんの少しだけ、間。
「我慢してるのは本当」
その言い方が、妙に引っかかる。
「……なんで」
気づけば、聞いていた。
「なんで、そこまでして」
少しだけ考えるように、目を伏せる。
それから。
「お姉ちゃんだから」
「……それ、理由になってない」
「そう?」
軽く首を傾げる。
「私は、なるけど」
また、それ。
「……意味分かんない」
小さく呟く。
「分かんなくていいよ」
あっさり返される。
「そのうち分かるから」
「は?」
そのまま。
少しだけ、距離が詰まる。
さっきより、近い。
「ちょ……」
「何」
「近いって」
「さっきも言ったじゃん」
「家だよ?」
逃げ道がない。
「……ほんとに、もう」
小さくため息をつく。
でも、離れようとは、思わなかった。
「ねえ」
「何」
「今日さ」
少しだけ、声が低くなる。
「誰かと話してた?」
「……は?」
急すぎる質問に、思考が止まる。
「別に、普通に」
「ふーん」
それだけ。
でも。
ほんの少しだけ。
「……気になる?」
ぽつりと聞く。
一瞬の間。
「なるよ」
即答だった。
「お姉ちゃんのことだし」
「……っ」
また、それ。
でも。
「……なんで」
「ん?」
「なんで、そんな気にするの」
少しだけ、考えるような仕草。
それから。
「嫌だから」
「……っ」
どこかで聞いた言葉。
同じ響きでも、さっきより、ずっと近い距離で言われると重さが違う。
「……ほんとに、意味分かんない」
「そう?」
「うん」
「そっか」
少しだけ、笑う。
「じゃあ」
そのまま。
ほんの少しだけ、肩に触れる。
「分かるまで、このままでいいよね」
「……は?」
「だって」
すぐ近くで。
「嫌じゃないでしょ?」
「……っ」
言葉が出ない。
否定しないといけないのに。
できない。
「ほら」
小さく笑う。
「やっぱり」
そのまま、少しだけ距離を詰める。
「お姉ちゃんは、優しいね」
「……それ、関係ない」
「あるよ」
「どこが」
「全部」
「……意味分かんない」
小さく呟く。
でも、離れようとは思えなかった。
むしろ。
(……この距離、慣れてきてる)
そんな自分に、少しだけ戸惑う。
「……ほんとに、もう」
小さく息を吐く。
そのまま。
しばらく、何も言わずに隣に座っていた。




