第15話 広がる距離、揺れる気持ち
教室に入った瞬間。
「ねえねえ、七瀬ってさ」
(……もう嫌な予感しかしない)
声をかけられた時点で、だいたい分かる。
「昨日のあれ、マジなの?」
「……どれのこと」
一応、とぼける。
でも───
「黒瀬さんの“お姉ちゃん”ってやつ」
(だよね……)
一気に現実に引き戻される。
「いや、あれは――」
言い訳を考える。
でも、いいのが出てこない。
「なんかさー、あれ絶対普通じゃなくない?」
「距離も近いしさ」
「ちょっと特別感あったよね」
好き勝手言われる。
(だから違うって……)
否定しようとして。
「……ただのノリだから」
無難な言葉を選ぶ。
「ノリで“お姉ちゃん”って言う?」
「言わないでしょ普通」
(ですよね)
自分でもそう思う。
「てかさ」
別の子が口を挟む。
「黒瀬さん、七瀬のことめっちゃ見てない?」
「……は?」
思わず聞き返す。
「昨日もそうだったけどさ」
「今日もさっきからずっと見てるよ?」
「え」
反射的に視線を上げる。
───凛花。
目が合う。
一瞬も逸らさない。
(……いや、普通に怖いんだけど)
すぐに目を逸らす。
心臓が、ちょっとだけうるさい。
「ほら、やっぱり」
「絶対なんかあるって」
「ないってば……」
否定する。
でも───
(説得力ないな、これ……)
「七瀬」
「っ」
その声だけで分かる。
振り向くまでもない。
「ちょっといい?」
「……何」
できるだけ普通に返す。
でも、周りの視線が、一気に集まるのが分かる。
「昨日のことなんだけど」
「っ……」
わざわざ、今言う?
「ちゃんと、答えてもらってない」
「……何の話」
とぼける。
でも。
「分かってるでしょ」
逃がさない声。
「……何?」
小さく聞き返す。
すると。
少しだけ間があって。
「私だけじゃ、ダメ?」
「……っ」
空気が、一瞬止まる。
(ちょっと待って)
それ。
今、この場で言う?
「え、何その会話」
「ちょ、やばくない?」
周りがざわつく。
(やめてほんとに……!)
「凛花」
小声で名前を呼ぶ。
「場所考えて」
「関係ないでしょ」
即答。
「……っ」
言葉が詰まる。
「ねえ」
一歩、近づく。
(だから近いって……)
「答えて」
真っ直ぐな目。
逃げ場がない。
「……ただの友達でしょ」
やっとの思いで言う。
それが、一番無難な答え。
のはずなのに。
「……そっか」
小さく、返される。
その一言は妙に軽い。
「なら」
少しだけ、目が細くなる。
「他の人とも、同じようにすればいいよね」
「は?」
意味が分からない。
次の瞬間。
凛花が、近くにいたクラスメイトの腕を軽く掴む。
「え、ちょ――」
そのまま、ぐっと距離を詰める。
さっきまでの“私との距離”と、同じくらい。
「これくらい、普通なんでしょ?」
「……っ!」
思考が止まる。
「え、黒瀬さん……?」
困惑する声。
でも、凛花は気にしない。
「七瀬が言ったんだから」
ちらっと、こっちを見る。
「問題ないよね?」
「ちょ、やめてよ……!」
気づけば、声が出ていた。
一瞬、静かになる。
視線が、全部こっちに向く。
(あ……)
やばい。
今の。
「……なんで?」
凛花が、小さく聞く。
「普通なんでしょ?」
「それは……」
違う、って言いたいのに。
うまく言葉にならない。
「……嫌なんだ」
ぽつりと。
静かな声。
「……っ」
否定できない。
「そっか」
ほんの少しだけ、笑う。
さっきまでと違う。
どこか、満足したみたいな顔。
「じゃあやっぱり」
一歩、戻る。
距離が離れる。
「特別だね」
「……っ」
何も言えない。
周りの空気が、完全に変わっている。
ざわざわとした声。
明らかに、さっきまでとは違う視線。
(終わった……)
頭の中で、そう思う。
「……もういい?」
小さく言う。
「席戻る」
それだけ言って、背を向ける。
「うん」
後ろから、軽い返事。
席に座る。
視線が痛い。
(ほんと、最悪……)
でも、さっきの光景が、頭から離れない。
凛花が、他の子に近づいたときのこと。
(……あれ、普通に嫌だったんだけど)
「……はぁ」
小さくため息をつく。
その時。
「ねえ」
すぐ横から、声。
「……何」
振り向く。
凛花。
「今の顔」
少しだけ笑う。
「分かりやすいよ」
「……何が」
「内緒」
くすっと笑う。
「でも」
少しだけ、声が落ちる。
「安心した」
「……は?」
「ちゃんと、嫌がってくれて」
「……っ」
言葉が、出ない。
「やっぱり」
静かに、続ける。
「お姉ちゃんは、私のだね」
「……ほんとに、もう」
小さく呟く。
でも、さっき感じた“嫌”が。
どこか、引っかかっているままだった。




