第13話 それ、嫌だから
教室に入った瞬間、いつも通りの空気が広がっていた。
ざわざわとした声、椅子を引く音、誰かの笑い声。
───いつも通り……のはずなのに。
(なんか、落ち着かない)
席に座りながら、小さく息を吐く。
原因は分かっている。
昨日のことだ。
「家ではいいんだ」
そう言われて、何も言い返せなかった自分。
(別に、いいって言ったわけじゃ……)
頭の中で言い訳するけど、どうにも歯切れが悪い。
ふと、視線を感じた。
顔を上げる。
───凛花。
少し離れた席から、こっちを見ている。
目が合った瞬間、すっと逸らされた。
「……何それ」
思わず小さく呟く。
あからさますぎる。
でも、だからといって何かしてくるわけでもない。
話しかけてくることもないし、距離を詰めてくることもない。
……昨日あんなだったくせに。
(普通すぎるんだけど……)
それが逆に、落ち着かない。
「七瀬ー、おはよ」
横から声をかけられる。
「おはよ」
振り向くと、クラスメイトの女子が立っていた。
そのまま自然に会話が始まる。
昨日のテレビの話とか、課題の話とか。
どうでもいい、いつものやり取り。
「てかさ、今日の放課後ヒマ?」
ふいに聞かれる。
「んー……別に予定はないけど」
「じゃあさ、ちょっと寄り道しない?」
「寄り道?」
「駅前に新しい店できたじゃん。気になっててさ」
「あー……」
少し考える。
別に断る理由もない。
「いいよ」
そう答えた瞬間だった。
「……七瀬」
低い声。
すぐ後ろから。
「っ!?」
びくっと肩が跳ねる。
振り向くと、いつの間にか凛花が立っていた。
距離が、近い。
「な、なに……」
「今の、何の話?」
「え……」
一瞬、言葉に詰まる。
「放課後、寄り道するって」
代わりに答えたのは、さっきの子だった。
「へぇ」
凛花は、そっちを一瞬だけ見る。
でも、すぐに視線は私に戻る。
「……そうなんだ」
それだけ。
それだけなのに。
なぜか、空気が少し重くなる。
「じゃ、また後でね」
気まずくなったのか、その子はそそくさと離れていった。
残されたのは、私と凛花。
「……何?」
耐えきれずに口を開く。
凛花は、少しだけ首を傾げた。
「別に」
「別に、って……」
「ただ、気になっただけ」
「何が」
一歩、距離を詰められる。
さっきより、近い。
教室なのに。
「……お姉ちゃんが、誰と何してるのか」
「っ……!」
思わず息が詰まる。
「ちょ、学校でそれやめてって……!」
「今、“お姉ちゃん”って言ってないけど?」
「そういう問題じゃない!」
思わず声が大きくなりかけて、慌てて周りを見る。
誰も聞いていない……はず。
「……とにかく、ああいうの普通だから」
小声で言う。
「普通に話して、普通に遊ぶだけ」
「ふーん」
興味なさそうな返事。
でも、目だけは逸らさない。
「……ダメなの?」
「は?」
「寄り道」
「ダメなわけないでしょ」
即答する。
「友達なんだから」
「……そっか」
それだけ言って、凛花は少しだけ視線を落とした。
珍しい反応に、逆に戸惑う。
「……何、その反応」
「別に」
また、それだ。
でもさっきより、少しだけ声が小さい。
「ただ」
一瞬、間が空く。
「……あんまり、他の人と仲良くしないで」
「は?」
思わず、聞き返す。
「今、何て言った?」
「……嫌だから」
ぽつりと、続けられる。
「……っ」
言葉が出ない。
意味が分からない。
分からないのに、なぜか心臓がうるさい。
「なんで……」
やっとの思いで、声を絞り出す。
「なんで、そんなこと言うの」
凛花は少しだけ考えるように目を伏せて。
それから、顔を上げた。
「だって」
いつもの、あの顔。
少しだけ意地悪そうで、でもどこか真っ直ぐな目。
「お姉ちゃんでしょ?」
「……それ、理由になってない」
「そう?」
首を傾げる。
本気で分かっていないみたいに。
「……私は、なると思うけど」
そう言って、ふっと距離を取る。
「じゃあね」
何事もなかったみたいに、自分の席へ戻っていく。
取り残される。
「……何、それ」
小さく呟く。
意味が分からない。
分からないのに。
胸の奥が、妙にざわついている。
───放課後。
結局、私は寄り道の約束を断った。
「ごめん、今日やっぱ無理」
適当な理由をつけて。
断る必要なんて、なかったはずなのに。
(なんで、断ってるの私……)
自分でも分からない。
ただ、あの言葉が頭から離れなかった。
『嫌だから』
「……はぁ」
一人で歩きながら、ため息をつく。
その時。
「帰るの?」
「っ!?」
後ろから声をかけられて、思わず振り向く。
───凛花。
「……いたの?」
「うん」
当たり前みたいに隣に並ぶ。
距離が近い。
でも、さっきほどじゃない。
「寄り道、しなかったんだ」
「……まあね」
「なんで?」
「別に」
さっきの凛花みたいな返しをしてしまう。
一瞬、間。
それから。
「……そっか」
少しだけ、嬉しそうに笑った。
「ねえ」
「何」
「お姉ちゃんはさ」
また、その呼び方。
でも、もう訂正する気力もない。
「私だけじゃ、ダメ?」
足が止まりかける。
「……は?」
聞き返す声が、少しだけ掠れる。
「他の人と遊ぶより、私といればいいのにって」
さらっと、とんでもないことを言う。
「な、何言って……」
「だって」
一歩、近づく。
さっきより、ずっと近い。
逃げ場がない。
「お姉ちゃんは、私のものなんだから」
「……っ!」
心臓が、跳ねる。
否定しないといけないのに。
言葉が、出てこない。
「……冗談だよ」
くすっと笑って、凛花は距離を取る。
「そんな顔しないで」
「ど、どんな顔……」
「困ってる顔」
「……っ」
否定できない。
「ほら、帰ろ?」
何事もなかったみたいに歩き出す。
その背中を、少し遅れて追いかける。
(……冗談、って)
さっきの言葉が、頭の中で何度も繰り返される。
『私のもの』
───冗談にしては、重すぎる。
「……ほんとに、もう……」
小さく呟く。
でも、嫌だとは、やっぱり思えなかった。




