違和感ありまくりすぎる王子様との街歩き
「…ねむたい…」
七海はそんなことをつぶやきながら起きた。あまり眠れなかった気がしている。いろいろと考えていたこともそうだが、七海の眠りを浅くしたのには別の理由があった。
「お母さん…」
ぽろり、と口からこぼれる。何かの理由で自分が死んでしまったからここにいるのだろう。わりかし小説で読む異世界への転生というものはそうした物が多い。七海自身には病気も疲労もないが、もしかしたら事故で死んでしまったのかもしれない。
夢の中に出てきた母親は七海のことを呼んで笑っていた。
「…会いたい」
ぎゅっと手を握る。こぼれそうになった涙をシーツに吸わせてしばらく動きを止める。泣いても仕方ないとは思っているが、帰れないのはやはり辛いものがある。
顔を上げて鼻をすすり、今度こそ制服に着替える。白いスカートを履き、新しいハイソックスを出す。少しだけ目が赤くなってしまったが、それを気にするような友人はまだいない。寂しいことだと笑って七海は寮を出た。
「そういえば、聞いた?週末の夜会のこと」
「成績優秀者だけが行けるっていう?」
「そう。あれ、隣のクラスの子が招待状きたんだって」
「その子って前期試験で学年一位とった子?」
「そうそう」
寮から学園棟まで歩く間聞こえてくる会話に耳を傾けた。夜会、とはフェルディアークに誘われたものだろう。ゲームの中でもあった。魔力数値を高めて、時折ある試験にパスすると夜会の案内状が届くのだ。そこで攻略キャラとダンスを踊ることができた。そのスチルの美麗なことといったらなかった。思い出すだけで頬が緩む。七海の自室の棚には攻略キャラ四人分の夜会スチルのアクリルスタンドが飾られている。見るのがまぶしすぎて普段は薄手のレースで目隠しをしているが、疲れたときやへこんでいるときには取り出してみていた。
「あれは美しかった…」
思い出してため息をつく。フェルディアークは簡易ではあるが王族の礼装を着用し、白地に金糸の刺繍が鮮やかで、シグルドは騎士団の簡易礼装で色は黒、青い糸で刺繍が施されていた。フェルディアークと光と例えるなら、シグルドは闇だろう。二人が並んで立つ画面は息をのむほどの美しさだった。
「いや、ほんと……そこを実際に見ることになるの…?」
教室に着くまでに七海はよくよく考える。実際に目の前にしたら意識を失ってしまうのではないだろうか。学園では伸ばしている髪を結ばずそのままにしているフェルディアークが、夜会では白いリボンで一つにまとめているのだ。不愛想なシグルドも、ヒロインを前にしてわずかに微笑みすら見せていた。
心臓によくない。
「参加したくはないけど…しないといけないよね」
自分の机にカバンを置いた七海はユニフェから借りた本を取り出して授業が始まるまでそれを読む。昨日の補習のおかげなのだろうか、今日の授業は少し理解できる部分があった。教師よりわかりやすい説明をしてくれるユニフェを改めてすごいと思う。七海の理解度が低いことはわかり切っているが、どう説明したら七海がわかるのかというのを瞬時に判断しているのだろう。
「さすが…」
将来を期待されるだけのことはある、とひとりでうなずく。授業も一人、休み時間も一人で過ごした七海はシグルドが来る前に教室から逃げ出そうとした。カバンをつかんでドアを開けると、すぐそこにあった固いものに鼻をぶつける。
困惑しながら顔をあげると、群青の瞳と目がかち合った。
「なんだ、ずいぶん情熱的だな」
「…シグルド先輩…」
「迎えに来た。話は聞いてるな」
「……今、にげ、じゃなくて、帰ろうかと」
「”殿下”がお待ちだ。行くぞ」
七海の腕をつかまれる。シグルドに半ば引きずられるような形で七海は教室を出る羽目になった。大きな体で歩いていくシグルドと、その彼に引っ張られる小柄な七海を行きかう生徒たちが振り向いていく。
「ちょ、せんぱ…待って…」
「なんだ」
「シグルド先輩、足長いから…歩幅が…」
ぴた、と突然止まる。七海は再び鼻をぶつけた。鍛え上げられた筋肉はかくも固いものなのかと、鼻を抑えて少し涙目になりながら七海はシグルドを見た。彼は眉を寄せて七海を見ている。
「女の子です、私」
「見ればわかる」
「シグルド先輩より、二十センチも小さいです」
「見れば…わかる」
「股下の長さも全然違いますよね!」
「それは、そうだな」
「歩く歩幅が違うんです。腕引っ張られて歩いたら痛いし、歩けないです」
シグルドは意表を突かれたような顔をする。だが、悪気があってのことではないと七海も理解している。
「先輩の歩幅に合わせると小走りになっちゃいます」
「あー…わかった…悪かった」
頭をがしがしとかいたシグルドはそっぽを向きつつも謝罪の言葉を口にする。別に急いでいたわけではないのだろうと七海は思う。たぶん七海が迷子になるから連れて行ってくれるつもりだったのかもしれない。
七海はシグルドを見上げると手を差し出した。
「引っ張られるのは痛いので手をつなぐ方でお願いします」
「……は?」
間の抜けた声だった。間違ったことを言っただろうかと首を傾げるが、シグルドは七海のことを大きく見開いた目で見ているだけだ。
完全に動きが止まっている。このままではフェルディアークを待たせかねない。七海のほうから目を取ればシグルドは身体に力を込める。
「おまえ…」
「私、一人じゃ王宮入れないですよね。連れて行ってください、シグルド先輩」
「天然か?」
「何がです?」
首をかしげて七海はシグルドを見上げた。ぽんっ、と花が散る。やはり好感度が上がった。
フェルディアークだけではない、ユニフェ、シグルドの好感度が上がる。では、おそらくガイクスも何らかの行動をこちらがとると好感度が上がる可能性が出ている。断罪イベントに影響しなければいいのだが、と七海は真剣に悩んだ。
「ほら、行くぞ」
くいっとつかんだ腕を引っ張られた。思考から戻ってきた七海は慌ててシグルドについていく。シグルドは七海の歩幅に合わせて歩いてくれた。とはいってもやはりもともとの歩幅の差があるため、かなりゆっくり歩いている状態になる。大柄で目立つシグルドの隣を、小動物のような七海が歩いていく。すれ違う貴族科の生徒たちは自らの目を疑っているのか、振り向いてから自分の目を擦っている。
学園棟の正門を出ると馬車が一台待っていた。王族の紋様である、薔薇と蔓草が刻まれている。
「乗れ」
馬車の扉を開けたシグルドが言った。七海に手を差し伸べる。正門前にいた生徒たちが遠慮なく二人を見ていた。恥ずかしい。それでもここで足止めさせるわけにはいかない。七海はシグルドの差し伸べられた手に自分の手を重ねて、馬車のステップに足をかける。馬車など乗ったこともない。ふらつかないように手すりをつかもうとしたが、シグルドの手に重ねた側の手が不安定でよろける。
「うわっ…」
七海が体勢を崩す。だが太い腕が七海の体を支えた。
「っぶねぇ…」
頭上から聞こえた低い声に心臓が止まるかと思った。シグルドが七海の体を抱えて支えている。さすがは学園の治安を守る騎士団の団長、体幹がしっかりしているし七海一人を抱えてもぶれやしない。
顔を上げるとシグルドとがっつり目があった。
「…どんくせぇ」
「の、乗り慣れないから仕方ないです!」
「わかってる」
シグルドは七海を抱えたまま自分もステップに一段上がった。とん、と軽く馬車の内部に降ろされると七海は後ろを振り向く。シグルドはドアを閉めようとしているところだった。
「ま、待って!先輩は?」
「俺は御者席」
「な、私ここに一人ですか」
「…男女で乗りたいか。何もしない自信はないが」
「ひとりで乗ります!」
「くっ…それがいい」
七海は勢いよくドアを閉めた。あっけにとられるシグルドだが、堪えきれないというように笑う。
馬車の窓から見えていたシグルドの後ろ姿が見えなくなると同時に馬車が動きだす。馬車内部の座面はふかふかで、結構揺れているはずなのにお尻が痛くない。高級品だ、と七海は一人思う。だが、いま向かっている先が王宮であることを考えるとひどく胃が痛む。
リリア自体は平民だ。王宮など縁もゆかりもない。七海も平凡な日本人だった。別に親戚にお金持ちがいるわけでも、先祖は華族よというような友人がいたわけでもない、完全に一般人オブ一般人である。
それなのに何がどうなって今王宮に向かってしまっているのだろうかと改めて考える。
答えは簡単だ。フェルディアークと街歩きイベントが待っているから。
「うぅ…フェル様、今日も顔がいいんだろうなぁ…」
王子の中の王子という美しすぎるビジュアル、優しい声、七海、というかリリアを見つめる瞳もきれいだ。
ランダムのカード類を購入した時、フェルディアークが出ると悲鳴を上げそうになった。それほどまでに顔がいい。顔がいいのはゲームの運営とイラストレーターの努力の賜物なのではと思わないでもないが、平面と立体では受けるダメージがやはり異なる。
「…顔もよくてお金もちで優しくて、魔法と魔術の才能もあってって…非の打ちどころないんだよなぁ…本当にできた王子様だ…」
「独り言言っているときに悪いが、ついた」
「……聞いてました?」
「フェルディアークができた王子だっていうのは周知の事実だろ。まぁ…人間味の欠けた王子かもしれねぇけどな」
七海の独り言を聞いていたらしいシグルドは、馬車のドアを開いてまた七海に手を差し出している。ドアから外を見てみれば王宮のシンボルたる塔が目の前に見えた。ゲームのスチルで何度か見た。あそこでイベントも起きたな、とぼんやり考える。だが、周囲に人気はない。王宮であれば警護をする騎士団が常駐しているし、庭師や侍女たちも歩いていておかしくない。
シグルドの手に手を重ね、今度は足元に気を付けながら馬車を下りる。
「悪いな、フェルディアークの命とはいえ、正門から堂々と平民を連れ込むわけにはいかなかったから、裏門に来させた」
「むしろ助かります。注目浴びたくないですから」
「…そうか?」
「はい。目立つの、好きじゃないし」
「十分目立っていたけどな」
「それはシグルド先輩のせいです」
「悪かった」
裏門からとはいえ王宮に入る。今度はシグルドと手をつなぐわけにはいかないとわかっている。彼の後ろを小走りで追いかける。シグルドもどことなく空気が緊張している。
いずれ王となるフェルディアークの騎士に就くことになるシグルドだが、今はまだ学生の身だ。自分よりも老獪な貴族たちのいる王宮はさぞかし緊張するのだろう。かわいいところもあるのだな、と七海は勝手に思う。
「…シグルド先輩、もしかして王宮の中にユズフィーナ様のお部屋とかありますか」
「あぁ、当たり前だ。あれは生まれた時からもうフェルディアークの許嫁だったからな」
「生まれた時から…?」
「あぁ。フェルディアークと同じ年に生まれた、王家と釣り合う令嬢なんて、あいつしかいない。ほかの令嬢じゃ貴族としての格が釣り合わないし、多少下の貴族から娘を出したところで、王家の政治に口を出しかねないことがわかっているもんだから…」
七海の瞳がわずかに揺れる。生まれたときから二人は許嫁だった。
それはもしかすると幸運ではあるかもしれないが、見方によってはとても不幸なことかもしれない。ユズフィーナだけではなく、フェルディアークにとってもそうだ。
「…だから、フェルディアークだけはやめておけ」
「え?」
「お前、あいつのこと好きなんだろう。フェルディアークもお前を気に入っているようだが、ユズフィーナを相手にしたらどうやっても勝ち目も支持も得られない。ましてや平民と王族だ。どう頑張っても無理だろう」
「…いやいやいやいや!!私、フェル様のことかっこいいなとは思うけれど、本気で奥さんになろうとまでは思わないですよ?!」
「じゃぁなんでそばにいる」
「それは」
フェルディアークといれば必然的にユズフィーナと会うことが多くなるだろうし、むしろこの世界に来たときからフェル様ルートを突っ走る羽目になったんです!
などとシグルドに言ってもわからない。だが、彼はまっすぐに伝えないと信用しないだろう。
「…大好きな人を守りたくて」
「それがフェルディアーク?」
「いいえ。別の人です。でも、フェル様を守ることも、もしかしたらその人を守ることにつながるかもしれないから」
「二人とも平民のお前よりははるかに魔法も魔術もできるぞ」
「それは知ってます。でも、それでも二人は…」
ゲームの中の登場人物だ。”人”ではない。”人間”ではない。今七海の前にいるシグルドも同じだ。
胸が痛くなる。先ほどつかんだ腕も背中に感じたシグルドも体の熱さも、本物なのに、彼らはゲームの存在だ。
「…王族と、その許嫁なら…もしかしたら二人は誰にも見せられない弱さがあるかもしれない…せめて、私はその弱さを、支えたいんです」
シグルドの目が丸くなる。目の前の女は王族に媚を売りたくてそばにいるわけではないとわかったからだ。今までシグルド含めフェルディアークに近づいてきた人間たちは目的があった。王家と縁づくこと、それにより自分たちの利益を得ること。汚い目的を隠して、媚びた笑みを浮かべてくる人間たちを見ることのほうが多かったが、彼女はどう見ても違う。
ただまっすぐにフェルディアークを案じているらしいとわかった。
「変わった女だな…」
「…そう、ですね。多分、本来の私とは違うと思います」
リリアは、プレイヤーだ。プレイヤーはキャラクターたちと交流し、イベントを成功させて、エンディングを迎えることを主としているのだから、個々のキャラクターの裏側まで知ることはない。ましてや、ゲームとして遊んでいる以上、知るはずもないことだ。
「でも、私はここにいる。だから、せめて…できる限りをしたいんです」
ユズフィーナの笑顔のため。
七海はそう言いたいのを飲み込んだ。シグルドは黙っていたが、少ししてわずかな笑みを見せた。
「悪くねぇな」
大輪の花がシグルドの背後に見えた。花の大きさで好感度の上がり方が違う。七海はつばを飲み込んだ。特大の花は個別ルートに入った際、キャラクターの好感度メーターのレベルが上がった時に出てくるはずだ。目の前のシグルドには何度見てもメーターはない。
ここは、ゲームの中のはず。ルートはフェルディアーク、だからシグルドの好感度は上がらない。そう思っていたのに、もしかしたら何か変わっているのかもしれない。
七海の行動でゲームに変化が出ているのだとしたら、ユズフィーナの断罪も回避できるかもしれない。
「ひとまずフェルディアークのところに行くぞ」
「はい」
待っててユズフィーナ様…必ず断罪回避して見せますから。
城のどこかにいるのかもしれないユズフィーナへ思いを飛ばす。七海は再度歩き出したシグルドのあとを追いかけて行った。




