本当にゲームの中だった 2
自室の場所は学生寮の入り口で聞いた。名前と所属の科、学年を伝えると調べてくれる。杖は鍵にもなるらしい。
杖をまじまじとみながら七海は部屋に向かう。時折すれ違う生徒たちが怖い。ホラー要素はない。だが、先ほどの中庭が浮かぶ。繰り返される会話、傍らを通る七海への無関心さ、生きているはずなのに生きてない空気がとても恐ろしい。
「部屋、ここだ」
七海は自分の部屋番号の前に立つ。腰に下げていた杖を出すと軽くドアノブを杖先で叩く。すると、カチッ、と軽い音がした。ドアノブに手をかけて回す。おそるおそるドアを開けた。
中は想像以上に広かった。入ってすぐ右手側にコートをいれられる小スペースのクローゼットと靴箱、少し進んだ先に水回り。玄関正面にリビングがあった。ミニキッチンもあり、自炊もできるらしい。とはいえ、寮にも学園にも食堂があるため、自炊をするような生徒はわずかだ。リビングには壁に沿って棚が置かれている。今は何も入っていない。参考書はどこにあるのだろうか。
リビングの右にはもう一つ部屋がある。ドアを開けると、勉強用の机とシングルベッド、クローゼットがあった。またそちらにも棚が一つ置かれており、本の背が並んでいるのが確認できた。
ベッド脇に明り取り用の窓、リビングにも大きな窓がある。カーテンは遮光の素材を使っているようだった。
「…これは、リメイクしていいものなのだろうか…ここにラブキンのグッズがあれば飾ったのに…!」
何も並んでいない棚を見つめる。許されるのならばユズフィーナの祭壇を作りたい。はぁ、とため息をついてから七海は寝室へと向かっていく。白を基調とした室内は整理整頓がされていて、汚したらどうしようかと思ってしまう。
学生の大半が寮住まいだ。フェルディアークやユズフィーナ、それからシグルドなどは王宮に自室があるため、毎日学園と王宮を行き来しているとゲームの中では話していた。
もしこの先ユズフィーナと仲良くなれたら彼女を七海の部屋に招待することができるようになるのだろうか。
『七海の部屋?とてもきれいに片付いていますのね』
『ユズフィーナ様が遊びに来るっていうからがんばりました!』
『うれしいですわ』
「はわ…それは、最高では…」
七海は想像して震える。それはそれでたまらない。そうなるためにはまず仲良くならなければならないのだが、ユズフィーナとのイベントのためにはフェルディアークと親密になる必要がある。恋愛経験など乙女ゲームだけしかない。正しい選択肢を選べば好感度が上がることだけは分かっている。では、それでいいのか。
断罪イベントを出しただけでユズフィーナを救えるとは思わない。七海は俯く。ヒロインに転生したとはいえ、あまりにも無力だ。
「…でも、できることをやりたい」
ボツ案の笑顔スチルはとても愛らしかった。年相応の笑顔で、胸がキューンと締め付けられた。 あの笑顔をぜひとも生で見たい。
まずしなければならないのは、フェルディアークとのイベント攻略だ。できればその中でユズフィーナに対する偏見をなくしていきたい。あんなすてきなユズフィーナを断罪させてしまうのはあまりにもひどい。
『話してみなければわからないでしょう。僕は噂ではなく、見たままを信じます』
ふと浮かんだセリフがある。
確かこれは、生徒会長のものだ。彼もまた攻略キャラだったが、出会えるのは物語の後半近くなってからだ。今はまだ、会えない、かもしれない。
明日学校に行ったら生徒会長を探してみようと決めた。フェルディアークと街に出ることも考えておかなければならない。フェルディアーク自身のことを知れるいい機会でもあるし、もしかしたら街の方に何かしらのいい情報などあるかもしれない。
そう単純に考えていた。昨日までの七海は、『まぁヒロインだし、勉強もどうにかなるでしょう!』と楽観視していたのだ。だが、現実はそうではなかった。
「この理論によると、魔法と魔術の違いは」
「魔法陣を描く際何より注意しなければならないのは線の歪みだ」
「召喚術は、魔法陣を用いての契約が主だが」
授業が全くもってわからない。いわゆる数学や歴史などにはある程度ついていける。セルンスティア帝国の歴史などゲームの特典資料にネタバレありきで載っていたから。でも、それ以外の魔法や魔術に関する基礎知識など、攻略本に載っているわけがない。七海は机に突っ伏していた。必死にノートにメモを取るが、まだうまく魔法を扱えない七海がメモを取るのに時間がかかる。だが周りの同級生はすらすらとメモをしていく。
貴族科は幼い頃からある程度の知識を家庭教師などから得ているのだろうからできるのだろうが、ヒロインは一般人だ。平民だ。家庭教師など雇うこともないし、魔術や魔法に関する知識など少ない。必要最低限の技能しか持ち合わせていないのだ。
「七海=リリア、お前またこの点数…さすがにまずいぞ。お前は…」
ぴたり、と教師の言葉が止まる。七海もといリリアが平民であるにも関わらず貴族科に入学した理由は一般生徒には知らされていない。教師は一呼吸おいてから、追試と補習を告げた。ため息をこぼす七海は席に戻る。平民を相手にする貴族はいない。休み時間も七海は一人だった。
「困った…勉強できないとそもそもフェル様とお出かけできないやつでは…?ゲームの中でもミニゲームあったし…それクリアしないとアイテム手にはいらなかったし…どうしよ…」
教科書を見てもわからない。ゲームの知識でなんとなく理解はする。だが、深く掘り込もうとするのはできなかった。
はぁ、とため息を付いた七海は立ち上がろうとする。だが、教室が突然ざわつく。廊下の外から悲鳴が聞こえてきた。
「殿下!」
「シグルド隊長もいる…」
「なんで?上級生の教室って上よね」
「えー、やばい!」
嫌な予感がした。隠れる場所を探すがあるはずもない。
おろおろしながら教室の隅に逃げる。たぶん、彼らの目的は自分だ。教室で声をかけられたら今後の七海の生活に支障が出る。
「殿下、どうしてこちらに?」
「会いたい人がいて…いるかな?」
「どなたですの?」
「シグルド隊長は護衛ですわよね」
「付き合えって言われたからな」
シグルドの低い声、そして七海から見えるドアの外にフェルディアークの姿が見えた。麗しい。だが、彼の瞳は教室のなかに向く。七海は目が合ってしまった。とろけるほどの微笑を向けられて七海は動きをとめる。
シグルドはそのまま外に、フェルディアークだけ中に入ってくる。教室内にいた生徒は男女問わず七海に目を向ける。フェルディアークが誰を目的にやってきたのか勘づいたのだ。
教室の隅に身を潜めていた七海の前までやってきたフェルディアークは、七海の正面に陣取るようにしてしゃがみ込むと七海を見つめる。
「リリア、すまない。少し時間をもらえるだろうか」
「え、あー…その…私、補習しなきゃ…いけなくて、ですね」
「補習?」
「授業、わからなくて…」
フェルディアークは七海が見ていた補習の予定を手に取る。隠そうとしてもできない。日にちを見つめ、それから考えるようにあごに手をやる。
「…リリア、明後日なら空いているね?なら、明後日街に行こう。シグルドを迎えによこすから、王宮までおいで」
「街に行くなら校門のほうがよくないですか?」
「人目についてしまうから」
「今も十分人目についてますけどね」
クラス中どころか隣のクラスまで見に来ている。フェルディアークが立ち去ったら地獄にしかならないのではないだろうかと七海は恐怖する。
フェルディアークは七海をじっと見つめていたが、すぐに七海に補習予定を返した。
「では、明後日」
「え、聞いてます?私行くなんて一言も」
「待っているよ」
微笑んだフェルディアークの圧に圧されて七海はうなずいた。フェルディアークは立ち上がると七海へと手を差し出した。
「リリア」
「はい」
七海はフェルディアークを見つめる。それから目の前の手を見た。もう一度フェルディアークを見て、そろそろと差し出された手に自分の手を重ねる。重なった手のサイズ比に目を丸くしたのもつかの間、七海は強い力で引き上げられて立ち上がっていた。
フェルディアークに沿うようにして立っている。腰に手が回されていた。スチルで見たことあるぞ、これ、と冷静な自分がいる。
「明後日が楽しみだ」
ちゅっ、とかすかな音。外から、ぎゃーっ!という悲鳴が聞こえる。何をされたのか一瞬判断がつかなかった。フェルディアークは優しく七海の頭を撫でて解放する。またね、と微笑みを残し、シグルドを伴って行ってしまった。
へなへなとしゃがみ込んだ七海は自分の口を抑えた。気を抜けば悲鳴が出てしまう。
顔のいい男が女の子に頭にキスをしていくとはけしからん。心臓がうるさい。痛いほどに動く。
「断じて好きにはなってない、フェル様は推し…大丈夫大丈夫…」
「あの子、平民でしょう…?」
「殿下とあんな親密に…?」
「どちらかというと殿下のほうが、って印象だけど」
「補習まみれの子が…」
「ユズフィーナ様がいらっしゃるのに」
七海は口を引き結ぶ。いちいち気にはしていられない。
周りからの陰口よりも七海には明後日のことを考えなければならない。フェルディアークの隣に並んでもおかしくはない服はあるだろうか。
はぁ、とため息をついてカバンを持つ。今日はもう学生寮に帰ろう。顔を上げれば七海を見ていた同級生たちがさっと距離を取る。苦笑し、それから七海はなにも言わずに教室を出た。ゲームのモブキャラたちを相手ばかりもしていられない。気を取り直し、明日から授業後の補習を頑張ろうとこころに決めた。




