本当にゲームの中だった
フェルディアーク、ユズフィーナとのあれこれのダメージから立ち直った七海はようやくガゼポを出ていく。半ば怪しい足取りながら学生寮へと向かった。学園棟の中庭を抜けて正面玄関へ行こうとする。
ふと、足をとめる。中庭の複数個所に生徒たちが立っている。
「そうそう、それでね」
「そういえば昨日なんだけど、魔力概論の授業でね」
「明日魔法陣のミニ試験があるし、めんどくせぇ」
他愛ない会話。彼らは普段通り話をしているだけ。
そう、"普段通り"。
「そうそう、それでね」
「明日魔法陣の」
「わかる、あれ難しい」
ひゅっ、と七海は息を呑む。
聞こえてくる会話も、彼らの動きも、見ているうちに覚えてしまう。何度も繰り返されているから。七海は悲鳴をあげかけた口元を手で覆った。
ここは、本当にゲームの中だ。
そう実感した。現に七海がそばを通る時にも魔法陣の事件の話をしている。少し離れたところでは魔力概論の話をしている。そして、誰しもが何度も同じ動きを繰り返している。七海の心臓は、フェルディアークといたときとは別の理由で激しくなっていた。
早足だったのに、中庭を出る頃には駆け足になっている。すれ違う生徒の誰しもが、青ざめて息を切らして走る七海に目を向けない。彼らは、ノンプレイヤーキャラだ。ゆえに、七海のことなど意に返さない。
「うわっ!」
「きゃっ」
どこを走ったのかわからない。学生寮などの場所もわかるはずもない。ともかく今は静かになれる場所へ行きたくて周囲の様子を気にしないようにしていた。
角を曲がったその瞬間に誰かとぶつかる。七海は後ろに尻もちをつき、止まったせいでより苦しさが増した呼吸を整えようとした。だが、喉は渇いて張り付き呼吸がうまくできない。七海の目に涙がにじむ。
「リリア?落ち着け、今水やるから」
リリア、と呼ぶ。七海はそれが自分であることをほんの僅か忘れていた。顔を上げれば、赤茶のくせっ毛が目にはいる。それから七海を見つめるヘーゼルナッツ色の瞳。
ゆっくりまばたきしたその瞳がふっと和らぐ。
「どうした、リリア。ぼぅっとして。痛みで話せないほどか?」
そうだ、自分は"リリア"だ。目の前の彼は、ゲームの中で、リリアの幼馴染兼攻略キャラのガイクスだ。一般科の生徒だが、いくつかほかよりも優秀と認められ、貴族科と合同従業を受けていることもある。
七海は深く息を吐きだした。
「リリア、本当にどうした」
「ごめん、ぶつかったのびっくりしちゃって」
へへ、と笑う。ガイクスは攻略キャラともあって動きにおかしなところはない。七海は改めて彼を見た。
一般科はフェルディアークたち貴族科の制服とは正反対の黒一色となっている。襟などの装飾は、貴族科が金、一般科は銀であしらわれている。ガイクスは箱を抱えており、尻もちをついた七海へ手を差し出すことができない。七海は立ち上がって土埃を払い、改めて彼と向き合った。
「…ガイクスこそ、どうしたの?」
「ショップの手伝いに行こうと思ってたんだ。お前は?」
「学生寮に戻ろうと思ったんだけど、迷子になっちゃって」
「いったんショップ行ってからでいいなら寮まで送るけどどうする」
「行く」
「オッケー、じゃぁ行くか。ついでに手伝ってくれるとありがたい」
「何するかにもよるよ」
七海はガイクスの隣に立って歩き出す。七海より頭一つは余裕で高い。ガイクスはリリアと同い年で一緒に入学している。一般科は平民ばかりだが、それなりに裕福な家庭が多い。ガイクスの家も父が商人かつ学園にも出入りしていることから、学園には特に詳しい。秘密の抜け道や各キャラクターたちの秘密などを教えてくれるお助けキャラも兼ねている。
そして、ガイクスはリリアがもともと好きだ、という設定もあった。
「そういえば、リリア…あのお貴族様とはどうだ?」
「どのお貴族様?」
「…あの、藤紫色の髪の」
「ユズフィーナ様?名前知ってるでしょ」
「あんまりいい話を聞かないからだよ。わかってんだろ」
ガイクスは不満そうな声音だ。セレスティアの三大貴族の一つモルガナ公爵家令嬢たるユズフィーナの評判はいいものばかりではない。魔力属性のメインは闇で、それを扱う際に細かな調整もできる。しかも、光以外の三つの属性も器用に扱う。勉強だって優秀である。だが、そんな貴族ゆえに、彼女の周りは穏やかではない。
貴族たちの利益絡みの問題も、国益絡みの問題もある。さらに現状王家に嫁げる令嬢中でも最高格がユズフィーナだ。妬む者も少なからずいるだろう。そんな人たちがユズフィーナの悪い噂を流したら、どれが本当かなんて平民たちは気づかない。貴族だって気にしないだろう。
七海は少ししょげる。彼女は望んでフェルディアークの許嫁になったわけではないのだ。それなのに、ただ、たまたまフェルディアークと年齢があい、家格もつり合い、知性もあった。だから婚約者になった、それだけの話だ。
「…ガイクスは、貴族嫌い?」
「好きか嫌いか二択なら嫌いだな。もう少し平民のことを思ってくれりゃいいんだけどさ。学校なんて、いけないやつのほうが多いだろう」
「うん」
「だったら、貴族が金出して、少しでも学校通えるやつ増やしたほうが国としてもいいんじゃないかってのは思う」
「うん」
「ま、そんなこと言っても王様に届かなければ意味はないんだけどな」
ガイクスは笑う。七海の歩みが少し遅くなる。ガイクスが貴族を否定する。ゲームの中の彼のルートはどちらかというと学園の外でのイベントが多かった。貴族と平民が仲が悪すぎるわけではないけれど、決して仲良し小好しというわけでもない。
攻略キャラが、貴族三人、平民一人というバランスのせいもあって、あまり平民側の話を聞くことは少なかったこともある。
「ね、ガイクス」
「うん?」
つん、と彼のブレザーの裾をつまむ。ガイクスは足を止め、七海を見る。
「私は、ユズフィーナ様、好きだよ…まぁ、入学したてだからほかの貴族の人はまだわからないけど、フェル様もよくしてくれるし…」
「……そう、か…」
ガイクスの歯切れがわずかに悪い。何か悪いことでも言ってしまっただろうかと考えるものの思い当たる節はない。そうこうしている間に七海とガイクスはショップについてしまう。
貴族科も一般科も利用できるショップは学園生活に必要な道具を売っている。セレンスティアは魔法を扱う国である。学業に必要なものは個人個人に渡される杖とノート類だ。羊皮紙ではないのだな、と魔法小説を愛読していた七海は思った。だが、ノートは七海の現代で使っていたものと同じ形をしている。ただ、ペンは羽ペンだった。魔力を羽ペンに流し込んでインクとして出すものらしい。だが、全員が全員うまくできるわけではないため、苦手な生徒用に通常のインクも販売しているらしい。
制服や細々した日用品のほかに、お菓子も売っている。
「荷物置いてくるからちょっと待っててくれ」
「わかった」
七海は棚を見る。七海が通っていた学校にも売店はあったが、小さかった。本当に必要最低限の文具と小腹を満たすための菓子パンやお菓子、ビスケットなどしかない。だがここは違った。小規模のスーパーぐらいの広さがある。きちっと品物別に棚は別れており、奥のほうには参考書が並んでいるのもうかがえる。
「とはいえど、一般科の生徒が買える値段…のものもあるんだ。いや、でも待って、私この世界のお金の単位わからない…え、これいくら…数字的に隣よりは安いのわかるけど、単位…」
七海は値札を見ながら一人つぶやく。言葉も文字も読める。だが、値段は分からない。
買う必要が出てきたときにどうしたらいいだろうか。腕を組み悩んでいると後ろから肩を叩かれる。振り向けばいささか怪訝そうな顔をしたガイクスがいた。
「どうした、リリア。ひとりでぶつぶつ…」
「ねぇ、ガイクス…これ、いくら?」
「は?」
「今財布に銀貨三枚入ってるの確認したけど、これ買える?」
七海が指差すのは無地のノートだ。ショップのなかでも一番安い。銀貨一枚で二十冊は買える。そのことをガイクスが口にすると七海はわかった、とうなずく。
ガイクスはしばらく七海の様子を見つめていたが、ノートを一冊取ると誰もいないレジを操作してから七海に渡す。
「やるよ」
「いいの?」
「二十冊も何にするんだよ」
「ありがと、ガイクス。今度お礼するね」
「気にするな、幼馴染の面倒ぐらい俺が見ないと」
「別に私そこまで面倒見てもらわなきゃならないほど子供じゃないよ?」
頬をふくらませる七海を見てガイクスは笑う。ガイクスよりもはるかに小柄でかわいらしいという言葉が似合う。
七海の頭をガイクスは撫でる。きょとんとする七海だが、頭からゆっくり手が滑り顔の脇を撫でていく。少しくすぐったく、肩をすくめる。顔の脇の髪を少しだけ指先にすくったガイクスはわずかに目を細める。
「ガイクス?」
「悪い…なんでもない」
ガイクスは慌てて七海の髪から手を離す。頬が赤っぽく見える。七海はガイクスに好感度メーターがないことは確認している。
じっと見ていたが、ガイクスはそれ以上何も言わない。
「手伝い、いいの?」
「っ…あ、そうだな…それじゃ、リリア。あそこにある箱に菓子の追加あるから並べてほしい。それが終わったらレジの後ろの棚の備品で底をついてるものがないか見てくれ」
「了解!」
七海は示された箱のそばに行く。何種類か入っているお菓子を持っては棚の奥の方に入れていく。ガイクスはショップの中を見回り足りないものがないか、リストで確認しているらしい。
七海は先ほどのことを思い出して少しドキドキしていた。リリアの幼馴染という立場は非常に美味しい。なぜならガイクスはリリアのことを幼少期から知っているからだ。しかも、設定上ガイクスはリリアのことがそもそも好き。リリアの力が特殊であったせいで学園でのクラスは分かれてしまったが、ガイクスルートのイベントのときには貴族相手に啖呵を切ってもいた。ときめく。
幼馴染万歳。
七海は頭の中でいろいろ考えつつも手は動かす。お菓子を並べ終えると言われた通りレジ後ろの棚を見る。注文書が入った引き出しの中身が少ない。
「ガイ…」
どうしたらいいか、聞こうと振り向く。ガイクスは白い制服の女子生徒に詰め寄られていた。とはいえ、剣呑な空気ではない。女子生徒のほうは頬を赤らめているし、ガイクスも少しだけ困ったようにしてはいるが拒絶はしてない。これはつまるところ、まさかのそういうイベントかもしれない。
女子生徒に迫られる幼馴染を見る。困っている。レジを出て、静かに近づいた七海はガイクスの後ろから手を伸ばして抱きつく。
「ガイ、どうしたの?」
「り、リリア…?!」
「言われたことやったけど、ほかにある?あそこの注文書が少なくなってたよ」
「あ、あぁ…えと、そういうわけだから、ごめん…俺、その気持ちには応えられない」
告白されてたやつ、と七海は理解する。ガイクスの腹部に回る七海の手にガイクスは触れた。
「大事なやつがいるから」
「それは…でも」
「ごめんな」
ガイクスは優しい笑顔を浮かべる。女子生徒は七海に目を向ける。きれいな子だ。青空色の瞳と手入れのされた金髪、貴族科の制服だしそれなりに裕福なのだろうと判断つく。彼女は七海の顔を見て、制服を見て、わかりました、と小さくつぶやいてからショップを出ていった。
「…もしやこれはガイクスの玉の輿を邪魔した?」
「邪魔はしてねぇよ。それに、俺は…」
する、とガイクスの指先が七海の指に絡まる。顔を上げればわずかに赤らむ顔が目に入った。
「…まぁ、いいや。注文書が少ないんだっけ。ほかは?」
「ペンとかはあったよ」
「わかった。明日親父に言っておく。それで終わりだから学生寮帰るぞ」
「はーい」
七海はガイクスと並んで学生寮に戻る。学生寮は一般科、貴族科まとめて同じ寮となっており、男女が分かれているだけであった。入り口までくるとガイクスは七海と向き合う。
「また何かあれば声かけるし、リリアも、なにかあればすぐに来いよ」
「うん、わかった!」
ガイクスは七海の頭を一度だけ撫でていく。そのまま男子寮へと入っていく姿を見送り、七海も女子寮に入っていった。




