美しい…生フェル様… 3
フェルディアークに抱えられた七海は、休日でもちらほら学園棟にいる生徒たちにざわつかれながら廊下を進んでいた。もはや羞恥プレイ、と思いながらせめて顔だけは見られないようにと自分の手で隠す。
フェルディアークが女子生徒を抱えて歩いているというだけで珍事だし、事件だ。明日の朝刊の一面は間違いなく、これで決まりだろう。なにしろ絵にはなる。相手が七海だが。
「リリア?」
「すみません、フェル様…恥ずかしすぎてちょっと無理…心臓持たない…」
「それは、困るな」
わずかな苦笑。硬い石の床から地面に移動した感覚があった。とんっ、と軽いジャンプの振動とともに体が浮かぶ感覚があった。それから跳ねるような感覚が二度三度と続く。
自分の手の間から見てみるとフェルディアークの足の下に地面はない。自分の魔力を使って飛んでいるのだ。
「フェルさまっ!?」
「高いところは苦手かい?」
「いや、むしろ好き…じゃなくて、なんで」
「すまない。制服を着ていれば上着で隠せたんだが、訓練服になっていたからね…あと少しで着くから」
少しだけ眉を下げて笑う顔。あれ、フェル様ゲームの中でそんな顔してました?と七海は首をかしげる。彼は王子としていつも穏やかに微笑んでいた。好感度が上がれば、リリアに対して好意を持っているという笑顔を見せてくれたし、照れてもいた。王子としての真顔も思案する顔も、人間一通りの表情を見た気はする。だが、今の表情は七海のスチルの記憶や攻略本のどこにもなかった。
「ここだ」
ふわ、と降り立った場所には蔦の絡まる白いガゼポがあった。フェルディアークは迷いのない足取りでガゼポへ近づく。そこにあった石造りのベンチにゆっくりと七海を下ろした。
「痛みは」
「あ、もう大丈夫です。だってほら、血も固まってますし」
「少し一人にするが、待っていてくれ」
「はい」
七海の手を優しく撫でてフェルディアークはその場を立ち去る。彼の姿が見えなくなると同時に、七海は顔を覆ってベンチに倒れこんだ。耳の奥で血流が激しく流れている。心臓も苦しいほどに脈打っている。顔がいい、とひたすらつぶやいていた。声も甘くとろけるようで、画面越しだから耐えられていた部分が多少なりともあったのだろうと思う。そういえば、リアルイベントでフェルディアーク役の声優さんが登壇して、フェルディアークとして第一声を出したとき、女性客から悲鳴が上がっていたし、SNSにあがったイベントの感想では生声に蕩けきったというものが多かったと記憶している。
「いや、まじ、いい声すぎる!しかも、フェル様に抱っこされて、めっちゃ至近距離でいい香り嗅いで、何のご褒美ですかっていう感じ」
はぁ、と七海は息を整えた。最初のイベントは、おそらくクリアしたのだと思う。剣の訓練場へ行き、シグルドとの試合を見るまではよかった。もとのイベントそのものは事故も何もなく終わり、帰ってきたフェルディアークに、かっこよかったと口にするのだ。
それからフェルディアークの魔力属性について話を聞き、リリアの持つ空の力についてもフェルディアークから教えてもらうという流れだった。
「空は、五つの魔力属性すべてを制することができる…だから、さっき炎の魔力を打ち消したのかな」
体を起こした七海は自分の手を見る。魔力があるといってもどうやって使っていいのかわからない。むむ、と眉を寄せて自分の手のひらに力を込めてみるが、何も出ない。むにゃむにゃと呪文のようなものを唱えても見る。やはり何も出ない。
ヒロインとしては学校に入学したてなのだから、これから教えてもらえるのだろうと考えることをやめた。
「お待たせ、リリア」
フェルディアークが戻る。手には白い布を持っていた。七海の前に膝をついたフェルディアークはその布を七海の首筋にあてる。ひやりとした感覚とともにそれが濡らされたハンカチであることに気づいた。
「フェル様…」
「噴水があってね、そこの水で濡らしてきた。本当は消毒薬があれば一番だったのだろうが、せめて汚れだけでも」
「だ、大丈夫ですよ?!本当、すぐに傷なんか消えるし。ほら、これも一個の勲章、みたいな」
「女の子だろう」
「え…」
「君は、女の子だ。たとえ、勲章だとしても、きれいな体に傷なんてないほうがいい」
「ふぇ、フェル様…」
「ね?」
優しい声だった。きゅぅぅん、と胸が締め付けられる。王子力半端ない、と思いながら七海はフェルディアークのされるままおとなしくしていた。
「……殿下?」
とても静かな声だった。
七海が顔を上げ、フェルディアークは膝をついたまま振り向く。
二人を正面に見るようにして女子生徒が立っている。緩やかにカールした藤色の髪と同色の飾りがつけられたチョーカー、少し吊り上がった緑色の目、きめ細かい肌…それが誰であるか理解した途端に七海の目が大きくなる。
「…ユズフィーナか。何をしに?」
「先ほど学園棟のほうで、殿下が女子生徒を抱えて歩いていたと生徒がざわついておりましたので」
「そうか」
フェルディアークは七海にかけていた声とは異なり、何の感情もうかがえない声音で話している。
「どうかなさいまして」
「私とシグルドの模擬戦闘で怪我をさせてしまった。救護室が開いていないからここに来た。それだけだ」
「そちらの方は」
「あ、あの!」
七海は立ち上がる。その拍子にフェルディアークが抑えていたハンカチが落ちてしまうが、それに気をやる暇はない。
七海の唇が震える。目の前にいるのは、間違いなく七海の推しで、目的の人物だ。
「私、なな……」
きゅっと一度唇を閉じる。今は”七海”ではない。
あぁでも…私は七海といいます、と言えたらよかった、と思う。
「私、貴族科に入りました、七海=リリアです!ユズフィーナ=ディ=モルガナ様!あなたにずっと憧れていました!」
「憧れ…?」
わずかな困惑がその声色から漏れる。
七海の心臓はフェルディアークに抱えられていた時以上に跳ねている。わずかな困惑は瞬時に消えて麗しいユズフィーナが七海に近づく。リリアである七海よりも背が高い。七海からしてみると推しの顔が視界一杯に広がる状態になる。
「…怪我のあとは残りそうにありませんわね…」
ユズフィーナの指が七海の首に触れる。花の香りが七海の鼻孔をくすぐる。目をわずかに伏せて七海から少し離れたユズフィーナは腰に下げていた杖を持ち、軽く振った。七海の手に絆創膏が現れる。
「殿下ならば、治癒できるかとは思いますが、その程度の傷でしたら自然に治したほうがよいかと思います」
「あ、ありがとうございます!」
ユズフィーナから絆創膏をもらってしまった。これは一生使うことができない。七海が礼を口にするとほんの僅か戸惑った様子がうかがえた。だが、彼女はすぐに顔をそらしてしまう。
「ユズフィーナ様?こちらにいらっしゃいまして」
複数の足音と人の声がする。背後でフェルディアークも立ち上がった。
すぐに七海たちと同じ制服姿の女子生徒数名がガゼポにやってくる。ユズフィーナを見て笑顔になるが、奥にいるフェルディアークに気づくとわずかに色めき立つ。
「フェルディアーク殿下、御機嫌よう」
「ユズフィーナ様に会いにいらしたの?」
「ねぇ」
小さなため息が聞こえた。その出所を確認する前に七海は自分を見る鋭い視線に気づいた。これは典型的なイベントだな、と即座に判断する。
『あなた、ここでなにを?』
『最近入った平民のくせに』
『殿下とユズフィーナ様の逢瀬を邪魔なさるの?』
『平民のくせに』
うんうんこれだよこれ、と七海は勝手に頷く。だが、それはなかった。彼女たちが口を開くとユズフィーナがまず制する。
「行きましょう」
「ユズフィーナ様…!」
「殿下、一週間後にまた夜会がありますのでご参加を。王妃様もお待ちですので」
「わかった」
ヒロインを見下すというイベントを期待していたのだが、ユズフィーナの一言でイベントがなくなる。そして七海の脇でユズフィーナとフェルディアークの義務的な会話がなされる。そこに婚約者同士だという空気はない。ユズフィーナの手から薄青の封筒がフェルディアークに渡される。
ユズフィーナは七海を一瞥し、取り巻きと思われる女子生徒を連れてガゼポを離れていった。その後ろ姿が見えなくなると七海の足から力が抜ける。ガゼポの床に座り込んだ七海にフェルディアークは驚いた。
「リリア…?ユズフィーナの魔力に当てられたか」
「いえ…あまりにも…」
「あまりにも?」
フェルディアークに支えられて立つ。七海はフェルディアークの目をまっすぐに見つめた。
「あまりにもユズフィーナ様が美しすぎて!足も手も細いし肌もきれい、いいにおいするし、髪もさらさらふわふわ。声も生で聞くと耳がとろけるぐらいいいし、しかも見ず知らずの女子生徒に絆創膏までだしていただけるなんて…推している身として、本当なんのイベント!?ってぐらい幸せで」
七海の早口にフェルディアークは呆気にとられた。七海は一通り話してから我に返る。フェルディアークの顔を見つめた。驚きの表情すら麗しい。
「…驚いた。ユズフィーナのことをそういう女の子には会ったことがない…変わっているな」
フェルディアークの言葉に七海の胸が僅かに痛む。
ゲームの中だから、と理解はしている。だが、ゲームだと理解するのと実際に目の前で見るのでは感情の面で大きく違う。
うる、と目が潤む。泣いたらフェルディアークにまた驚かれてしまう。七海は頭を振って泣きたくなる気持ちを追い出すとフェルディアークを見た。
「フェル様も、ありがとうございます!ハンカチ……は…落としたぁっ!」
七海は自分の首に当てられていたハンカチが地面に落ちていることに気づけば急いで手に取る。白いハンカチが七海の血と土とほこりに汚れている。慌てて払うものの汚れは落ちない。
「気にするな、安いものだから」
「王族が持つんだから安いものじゃないですよぅ…洗って、汚れは落ちないし私の血がついてるし、新しいもの探します」
「いや、いらな………そうだな…もしよかったら、ハンカチの代わりに一緒に出かけてくれないだろうか」
「え…?」
「かまわない?」
七海はしばしフリーズする。ちらりと見たフェルディアークの好感度メーターはそう高くない。まだ半分にも届かない。半分を超えるとフェルディアークからの誘いが増える。これはイベント?こんなものあった?と七海は少し戸惑う。
必死に頭を働かせて、どう答えるべきなのかと考える。だがどうやっても答えは出ない。これは新規イベントなのか、それともゲーム内で時折開催されるイベントのストーリーの一部なのだろうか。
七海の瞳にわずかな不安が宿る。
「リリア?」
フェルディアークの呼びかけに答えるのが遅れた。思考の迷路から戻った七海は目の前の美しい顔を見る。
「…私で、よければ」
選択肢がない。七海は自分の言葉が正解だろうかと不安になる。フェルディアークの反応を待つ。好感度が上がったことを示す花も散らない、フェルディアークはわずかに首を傾げたまま動かない。もしや自分は何か間違えたかと思うと口の中が乾いていく。
「よかった」
ふっと、フェルディアークの空気が和らぐ。ハンカチを持つ七海の手をそっととり、フェルディアークは優雅な笑みを浮かべた。
「では、また。連絡をするよ」
「は、…は、い」
「それと、君が良ければ一週間後の夜会に参加してほしい。エスコートをしてあげたいのだけれど、あいにくと…ね。だから、もし参加してくれるならシグルドをエスコートさせるから」
「フェル様…それは」
「また返事を聞かせておくれ」
手にした七海の指先にフェルディアークの唇がわずかに触れる。七海の目を見た美しい緑の瞳が笑みを形作ると七海の思考は真っ白になる。そのままガゼポでフェルディアークとは別れたが、七海はしばらくその場所を動くことができなかった。




