星を待つ午後
「何を読んでいるんだい、リリア」
七海は振ってきた声にページを捲る手をとめて顔を上げた。ほんの少しつかれた色が見えるフェルディアークが立っていた。
七海は読んでいた本を見せる。『セレスティア神話』と題されている。
フェルディアークは自然とリリアの隣に腰を下ろす。懐かしい、とつぶやく。
「幼いときに読んだ。セレスティアの子どもにとっては寝物語の一つだな」
「フェル様も寝る前にはお話聞いてたの?」
「あぁ。母上に…リリアは?」
「読んでもらってたなぁ。絵本とか。動物がお店屋さん開くの。チョコとかお菓子とか、あとは郵便配達したり」
「かわいらしいな」
笑うフェルディアークだが、疲れたように背もたれに体を預ける。人のいない中庭を選んでやってきたからフェルディアークの様子を見る生徒はいない。
読んでいた本を膝に置いた七海はフェルディアークの顔を見つめ、それから手を伸ばしてその金糸の髪を撫でた。さらさらと指通りのよい髪は日の光を反射する。
「リリア…?」
「あ、ごめんなさい。触っちゃって…きれいだなって」
「…君がそういうのならそうなんだろう」
フェルディアークは七海の方に体を寄せた。フェルディアークの腕が七海の腕に触れる。髪を撫でていたはずがいつの間にかフェルディアークの頭を優しく撫でる状態になっていた。少しずつ七海にかかる重さが増える。目を瞬くうちにフェルディアークの頭が七海の肩に乗っていた。かすかな寝息すら聞こえる。
「……フェル様?」
七海は静かに名を呼ぶ。だが返答はない。七海のほうがフェルディアークよりも小柄で、その肩に頭を乗せているのは苦しくないだろうか。起こすのも忍びない。
足の上においていた本を脇にどかし、肩に手を回してフェルディアークの体を抱きかかえた。細く見えてもやはり十八の男なのだ。少し重い。七海は起こさないようにしつつも、自分の膝のうえにフェルディアークを寝かせた。
やりきった、と思った。
膝の上にあるフェルディアークの横顔を見つめてから動きをとめる。
「…膝枕しちゃったわ……これは、全女子生徒から恨まれるやつでは…」
とはいえども誰もいない。そして膝の上にはフェル様。顔がいいなといつも通り思う。白い肌、すっとした鼻梁、指通り滑らかな金色の髪、うらやましいほどに美しい。
七海が触れると長いまつげが震えるが、起きる気配は微塵もない。七海のことを警戒することなく膝のうえで寝ている。王子としては失格かもしれない。七海の考える王子というのはいつだって気を抜かず、民草の前では王族の気品を忘れないものだった。まさしくゲームのフェルディアークはそういったものだ。
ところが彼はどうだろう。平民の前で気を抜いて寝てしまう。恋愛ルートに入っているのだから多少は気を許しているというところなのだろうが、七海は落ち着かなかった。
「…フェル様…星辰祭、大変なんだね…無理はしないでね…」
七海は静かに囁く。どのくらいでフェルディアークが目を覚ますのかは分からない。人の喧騒というのも遠い。脇に置いた本を再度手に取ってフェルディアークが起きるまでの間読んでいた。
セレスティアの神々はどこに行ってしまったのだろう。ゲームの中では神話などに触れることはなかった。
七海は考える。今ゲームでは語られなかったところを七海は見ている。街も学園も人も、画面よりはるかに広い。
「『無の神様は一人の子供に言いました。君たちに託そう。それが神代の終わりを告げる言葉だったのです。』」
「………母上…」
七海の口が閉じる。目を本からフェルディアークに落とすとその一言は寝言だったらしい。そっと頭をなでる。ふっ、と寝顔が和らいだ気がする。
瞼が震えたかと思えばゆっくりとフェルディアークは目覚める。何度か瞬きを繰り返し、のろのろと首を動かして自分を見下ろす七海の顔を見つめた。七海の膝の上で横向きにされていた体を上にする。七海とばっちり目があった。
「フェル様…?」
フェルディアークは七海の顔に手を伸ばす。まるでそこにいるのが本物なのか確かめるようにフェルディアークの手が七海の頬を撫でる。突然のイベントに七海の頭は思考を停止していた。フェルディアークの頭が覚醒するにつれて、彼自身も今どういった状態なのかと認識したようで、飛び起きた。丸くなった瞳がフェルディアークの驚きを伝える。
七海は乱れたスカートを直してからうつむく。耳が熱い。
「す、すまない…少し疲れていて」
「星辰祭の準備ですよね。ユニフェが忙しいんだって言ってましたから」
「女性になんてことを…」
「フェル様…」
「でも、久しぶりにあんなに眠れた…」
七海は目をぱちくりする。
「それじゃぁ、たまに枕になったほうがいいですか?」
「…さすがに、それは迷惑だろう」
七海の問いかけにフェルディアークは笑う。長時間寝ていたわけではないが、フェルディアークの顔色はどことなくいいように思えた。
すまない、とフェルディアークはまた口にした。ユニフェの言うことが本当ならば王族であるフェルディアークはとても忙しい。本当は七海なんかと会う時間すらないのかもしれない。
「…フェル様、ちょっと待ってくださいね」
七海は足元においていたカバンを探る。きんちゃく袋を出すとその中から飴を取り出した。半透明のセロファンに包まれたもので、中の味は果物だった。
立ち上がるとフェルディアークの手を取ってその飴を手のひらに乗せる。
「ユズフィーナ様のお礼買いに行ったときに見つけたんだけど。フェル様にあげます。疲れているときは甘いものがいいって。食べてください」
「…あぁ、大切にいただこう」
フェルディアークは手のひらの飴を見つめて微笑んだ。平民のお菓子などフェルディアークは食べないかもしれないが、食べてくれたいいな、と七海は思う。少々お礼が大げさな気もするのだが、そこはフェルディアークという人間の人柄が出ているのかもしれない。
王宮に戻るというフェルディアークを見送った七海はずっと座っていたせいで固まった体を伸ばす。そのままカバンと本を持つと温室に足を向けた。ユズフィーナがいればお茶会をしたい。お菓子はないが、代わりにお茶っ葉がある。売店にあったもので、ティーバッグの紅茶だがサンプルがいい香りをしていた。紅茶を飲みながらユズフィーナの好きそうな話をしてもっと彼女のことを知りたいのだ。
るんるんとした足取りだったが温室前に数人の女子生徒が立っていることに遠目から気付くと足取りを緩めた。
「…ユズフィーナ様?」
「タイミングがよろしいのね、リリアさん」
遠目からでもわかる姿に七海の顔が輝く。しかもリリアと呼ばれた。うきうきしていたが、女子生徒たちの顔色は悪い。
「この方達に見覚えありまして?」
「この方…あ、この人たち、ユズフィーナ様が話があるよって呼びに来た人たちです」
「やはり……あのあと、準備室に残っていた魔力残滓を調べましたの。そうしたらこのなかの一人の魔力と適合しましたから問い詰めましたら…」
「探したの?!」
「言いましたでしょう。私の名を勝手に使って一人の生徒を追い詰めるようなことをしたのです。下手をすればモルガナ侯爵家の名を傷つけることにもなりかねませんでした」
ユズフィーナの声音は少し荒い。彼女が怒る理由も最もだと思いながら、七海は女子生徒を見る。顔を青ざめさせて震えている。
「あなたにきちんと謝罪なさい、と伝えておりましたら、ちょうどおりよくいらしたので…許すか否かは任せますわ」
七海の目がユズフィーナから女子生徒に移る。七海と目が合うと彼女たちは体をすくませた。ユズフィーナのことだから声を荒げたわけではないだろう。だが、おそらく彼女たちがしでかしたことについて淡々と伝えたのかもしれない。
ならば七海がそれ以上叱る必要はない。七海は彼女たちの前に立つ。
「もう、しないでくださいね?怖かったし…ユズフィーナ様とフェル様にも迷惑かけてしまったから」
フェルディアークの名前まで出ると今度こそ女子生徒たちは互いに手を握り合って頷いた。ひとりが、ごめんなさい、とつぶやくとばらばらと謝罪の言葉が出てくる。
「うん、いいよ!」
七海が笑顔で許すとほっと体から力を抜く。ユズフィーナを見た彼女たちだが、ユズフィーナは冷めた目で見ているだけだった。温室から学園棟へと戻っていく姿を見送り、ユズフィーナとともに温室に入る。
「すぐ、行っちゃいますか」
「…少しお茶をしますわ」
「…一緒にいいですか」
「えぇ」
七海は笑顔になる。二人でまた温室中央のテーブルに向かう。ユズフィーナはティーセットを出した。七海はカバンから売店で買った紅茶を出す。
「それは?」
「オレンジベルガモットっていういい香りの紅茶だなって思って。ティーバッグのものなんですけど…やっぱり茶葉のほうがよかったですか…?」
「いいえ…もっと、格式あるお茶会でしたら茶葉のほうが香りがたちますから、そのほうがよいですけど…今はこれで十分ですわ」
ユズフィーナは七海からティーバッグを受け取ると二つをポットに入れた。お湯を注いで蒸らす。その間にも七海はじっとユズフィーナを見ていた。目の前のユズフィーナは息もするし動く。色の鮮やかな唇がリリア、と呼ぶ。歩けば髪は柔らかになびくし、細い指先は髪をすく。ずいぶんと間抜けた顔をしていたのかもしれない。
「…飲まれませんの?」
「え、あ!はい、いただきます」
ユズフィーナの問いかけに我に返った七海は紅茶のカップを手に取る。湯気から香る。ティーバッグでもこんなにいい香りがするものなのか。七海は目を細めた。
「そういえば、先日いただいたクッキーなのですが……」
ユズフィーナが言葉を止めた。何を言いかけたのかと首をかしげる七海だが、ユズフィーナはゆっくりと七海と入ってきた方向に目をやった。七海も釣られて視線を同じ方向に向ける。
歩いてきたのは紙袋を一つ持ったユニフェだった。ユニフェはユズフィーナと一緒にいる七海を見て少し目を丸くしていた。




