ユニフェ先生の講義再開
ユニフェが回復して四日後、七海はまた研究塔に足を運んでいた。ユニフェからの連絡でまたここで補習をする、と言われたのだ。カバンを持ち、前と同じ教室へと向かっていく。
ユニフェに言われていた通り、ちゃんと魔術式に関する教科書を読んでいた。
だが、わからない。数式や英語の構文のようなものだとは理解したが、果たしてそれであっているのかと不安になる。
「魔法は自然そのものに干渉するもので貴族ならその干渉の仕方を教えてもらう。えっと、自然の構成式を見ることができるように自分の魔力をルーペにして…、魔術式は魔力をルーペにできない平民が自然の力を扱うようにするもので…」
七海はぶつぶつつぶやきながら歩いていく。だが、初級編でもわからない。
そもそも。
「自然そのものに干渉する…って、なに…構成式ってなに…ぴぇん、ってこういうときに使えばいいの…」
魔法と魔術がわからない。泣きそうになりながら部屋のドアを開けた。
「時間ちょうどですね、リリアさん」
「ユニフェ!」
「座ってください。早速始めましょう」
ユニフェは課外授業のダメージなどなかったかのような顔をしている。顔色もいい。まだ強い魔法は使ってはならないと言い含められているようだが、七海相手の補習授業なら問題ない。
七海は足取りも軽く示された席に座る。だが、部屋のドアをノックする音が聞こえると二人揃ってドアの方を見た。
「邪魔する」
低い声とともにシグルドが顔を出した。ユニフェが片眉をあげて彼を見る。
「先輩に補習はいらないかと思うのですが」
「フェルディアークから。何があるかわからんから見ておけ、とさ」
「シグルド先輩は殿下の護衛も兼ねているでしょう」
「あいつに護衛がいるようなことはないだろ。そもそも今日は星辰祭の準備で王宮に缶詰だ。俺よりも腕の立つ兵士が山盛りいるんだから」
シグルドとユニフェの会話に七海は苦笑する。シグルドは学生の中でも一番に強い。七海も見た風の加護もさることながら、魔法を抜きにしてもずば抜けて恵まれた体格と剣技で正騎士団の団員ですら気絶させてしまうらしい。
シグルドは七海の隣に椅子を持ってくると腰を下ろす。ノートもペンもない。教材すらない姿にユニフェの額に青筋が見える気がした。
「くれぐれもリリアさんの邪魔はしないようにしてくださいね」
「わかった」
シグルドは素直にうなずいた。
ユニフェはため息をつきつつも杖を出して空中に文字を書いていく。七海はそれを書き写した。隣でシグルドが七海をじっと見ているのがわかる。集中できない。
「シグルド先輩。今、魔術式についての解説をするので、そんなにリリアさんを見ないでもらっていいですか」
「いいだろ。減るもんじゃないし」
シグルドは七海の髪を一筋指に絡ませる。くっ、と七海はあげかけた悲鳴をこらえた。
「先輩…部屋を追い出しますよ。護衛なら外でも十分ですよね」
「本気か」
「本気です」
「病み上がりだろう?」
「試してみますか」
「わー!ユニフェ、ストップ!ストップ!大きな魔法使ったらダメなんでしょう?落ち着いて」
ユニフェの目が不穏な色を帯びた瞬間七海は慌てて二人を止めた。
「シグルド…」
「わかった。じゃぁ、これでおとなしくしてやる」
「へっ?」
間抜けな声だったかもしれない。シグルドは七海の腰に腕を回して抱き上げると自分の膝に乗せた。七海の柔らかな尻の下にシグルドの固い太ももを感じる。顔を真っ赤にして七海は黙り込む。ユニフェも同様に言葉が出ないようだった。だが、シグルドは満足そうに七海を抱えている。
「だ、大丈夫だから!ユニフェ、補習やろう?ね?それに私、星辰祭てのも気になるんだよね。補習のあとで教えて!」
「…わかりました。ではシグルド先輩のことはないものとして扱います」
ユニフェは宣言通りシグルドを視界に入れないようにして七海の補習を進めていく。
「魔術式とは、魔導具に対して、こういう魔法を使え、というように命令する術式のことです。例えば火の魔導具を使用したいときに、あらかじめ魔力を流すと火がつくような魔術式を組み込んでおきます。そうすると、術式の回路が壊れないうちは魔力を流すだけで火をつけられるんです」
「…魔力が電気で、魔術式が電気用の回路…?コンロで例えるなら魔力がガスで魔術式がコンロそのものってこと…?」
「…ちなみに、魔術式は魔法陣を用いて魔導具から引きずり出すことが可能です。ですが、魔術式というのはかなり繊細なものですので、慣れない人間がやると失敗します。下手をすると大けがものです」
七海はぴたりと書く手を止めた。顔を上げてユニフェを見る。
「ユニフェもできる?」
「できません。自分が作った魔術式ならいざ知らず、他人の魔術式にどんな癖があるのかわかりませんから」
「…市販の魔導具でも?」
「当たり前です。人の手が入っています。まぁ、平民が日常的に使う魔導具はくせが出ないように魔法塔で調整してから出荷されているはずなので、ある程度知識と技能を持った人間であればできなくはないかもしれません」
「へぇぇぇ…」
では、課外授業の混乱のさなか、魔導具を直したガイクスはすごいのだとわかった。ユニフェにもでないことをやってのけたのだろう。
「誰かやったんですか」
「うん!」
「…そう、ですか」
「ユニフェ、悔しそう」
「私でもできないことをやってのけるんです。悔しいに決まってます」
「やろうとするなよ、ユニフェ。本来は危険だ」
「わかっています…それをやった人も、危険だとわかっていればいいのですが」
シグルドはそれ以上口を挟まず、七海を抱きかかえた状態でユニフェの補習を聞いていた。シグルドの体温を感じている七海はさすがにユニフェの解説がそれ以上入ってこなかった。ユニフェもそれをわかっているのか、ため息をついて教材を閉じた。
「今日は無理ですね…やめておきましょう」
「え、いいの?」
「シグルド先輩がいてはリリアさんも集中できないでしょうし、私も無理です」
七海はちらりと視線を横に向けた。シグルドは七海を膝に座らせたまま平然としている。
七海の腹部に回る手は大きいし、腕は太い。ユニフェはとん、と机を指でたたいた。
「先輩」
「わかったよ」
シグルドはやれやれと言った様子で七海の体を解放した。
一度立った七海は軽く伸びをする。
「…星辰祭について知りたいとのことでしたね。今日はもうまともな授業になりませんからそのお話でもしましょうか」
「いいの?」
「はい。まだ時間もありますし…今日やれなかった分は宿題にしておきますので、後でレポートを書いて私にください」
「鬼!」
ユニフェは七海の文句を聞き流す。軽く教材を片付けてから部屋を出ていった。七海はレポートが、とため息をつきながらシグルドに目をやった。シグルドはユニフェのノートを勝手にめくっている。七海はそばに寄るとそのノートを覗き込んだ。読みやすい文字でまとめられた、授業内容のノートで、『リリアさんは難しい言葉になると動きを止める。できるだけ簡潔に』『たとえ話を盛り込むと理解が早い』とメモが書かれていることに気づいた。
「…私の補習用…」
「ユニフェの直筆ノートだろ。俺も見たが、普通に売れると思うんだよな」
「直筆って…これ全部?びっしりなんだけど」
「あぁ。もともとお前の成績がまずいってことで誰か教師をとは話があったらしいけどな…だが、だれもが渋っていた。平民で貴族科に入ってきた生徒を見ていられるかってな」
シグルドは足を組んで七海を見る。その顔には面白がるような笑顔が浮かんでいた。
「ユニフェはそれにキレてた。教師でありながら生徒を差別するのかって。そんなことなら自分がやるからってなわけで、ユニフェはお前の補習を請け負うことになったってわけだ」
「シグルド先輩、それはリリアさんに関係ない話です。リリアさん、勝手に人のノートを見ないでください」
ユニフェの声に飛び上がった七海は慌ててノートを閉じて机に置いた。ユニフェは少し古びた地図をもって戻ってきていた。
自分のノートや教材を机の端に置くと地図を机の上に置く。それはセレスティア王国がある大陸の地図だった。
中心の大きな大陸がセレスティア王国であり、そこから川を挟んだ左右に別の大国、海を越えた先にまた国がある。
さらにユニフェはもう一枚地図を広げた。それはセレスティア王国そのものの地図である。こちらは比較的新しいもののようだった。王都を中心に貴族の領地がどこにあるのかを示したものらしい。王都には三つの大きな建物がある。王宮、学園、魔法塔だ。空から見ると三つの建物で三角形を描いているのがわかる。
「セレスティアは国土に恵まれた国です。それは創世の神々の加護があるから、といった話もありますが、それを抜きにしてもたとえば鉱物資源が豊かですし、農作物も問題なく毎年一定量収穫ができます。海が遠く、海路での貿易ができにくいのが難点ではありますが、それを抜きにしても周辺から見たらかなり恵まれた国でしょう」
地図を見るためにユニフェの隣に腰を下ろした七海は地図の上をすべるユニフェの指先を見つめた。
「ですが他国がそうとは限りません。また、周辺に魔物も生息しています。なので、セレスティア王国国土には守護の結界が張られています。国境の辺境伯の領土や王都から離れた農村部ももちろん結界を張っています。一般に公にはされていませんので、この先は誰にも話さないでくださいね」
「うん」
「…星辰祭は国を挙げての重要な儀式です。国を守る結界の術式を、その年の星の巡りに合わせて変更し、弱った個所を補強していくのがこの祭りの本来の姿です。平民にはほぼ関係ないのですが、王族を含め魔法塔関係者、学園の上層部などはこの祭りに神経をとがらせています」
「…どうして平民は関係ないの?」
「結界の術式を更新するために魔法を使うこと、更新のための魔力が平民では足らないことという理由があります。さらに、結界自体、国とそこに生きる人たちを守るためのものであるから、貴族の役割、仕事の一つに挙げられているんです」
ユニフェは首をかしげて七海の反応を待った。七海はわずかに眉を寄せている。必死に考えているのかもしれない。
「…魔力はそのまま生命力に直結する。だから魔力欠乏に陥ったユニフェは死にかけた。結界の更新や補強っていうのは、下手すると魔力欠乏に陥ってもおかしくないレベルのものだ。だからこそ、魔力の少ない平民にかかわらせるわけにはいかない。守るために行う儀式で人死にを出すわけにもいかないだろ」
ユニフェの言葉を補うようにしてシグルドが口を出す。なるほど、と七海は納得した。
「世の中には知らなくていいこともあります。国を挙げての年に一度の大きなお祭りですから、大騒ぎして楽しんでほしいと私は思いますしね」
「実際平民街はどんちゃん騒ぎだしな。貴族街からも時折出かけて行っている奴がいるけど」
「それはシグルド先輩でしょう…」
「俺だけじゃない。あの祭りの高揚した空気を感じたいっていうやつは多いだろうよ。それに騎士団の中には、平民たちのそうした光景を見るために守ってるんだっていうやつもいるぐらいだ」
「シグルドも…?」
「…俺は単に家が騎士の家系だから騎士団に入るだけだが…そうだな。星辰祭のときの平民街は嫌いじゃない。出かけていいなら出かける」
「…その気力があれば、ですけどね」
ユニフェは嘆息する。
だが気を取り直すと説明をつづけた。
「中心となるのは王族と魔法塔です。ですが、今年は私も出ます」
「加護の力で?」
「はい。私の加護でよりバランスのいい結界を張れるのでは、ということがありまして」
「ユニフェ、また倒れない…?」
「今度は倒れません。だから心配しないでください」
七海の言いたいことが分かったのか、ユニフェは安心させるようにやさしい声で言った。信じてないような七海の顔に苦笑しつつ、古い地図を丸めた。
「…リリアさんはお祭りを楽しんでください。祭りの期間は学園はお休みですから、羽を伸ばしたほうがいいかもしれません。でも必要でしたら課題をお出ししますが」
「大丈夫です!」
「ははっ。いいじゃねぇか。ユニフェの補習も途中だし」
「それは先輩が邪魔したからです」
七海は地図に触れる。星辰祭のイベントを思い出していた。期間限定のイベントで、ゲーム本編には直接出てこなかった。限定イベントということもあって、各キャラクターの衣装がとてもおしゃれだった。星をモチーフにした白と青の衣装で、一時期七海のスマホの待ち受けがスチルのスクショだった。もし、あの限定イベントと同じものが催されるのだとしたら、目の前のユニフェとシグルドの限定衣装を見られるのかもしれないと期待する。
だが、ゲームのイベントでは祭りを抜け出して二人で散策するようなものだった。多少の荒事はあったような気もしているが、七海がいるのがフェルディアークルートとはいえ、国をあげての祭事を彼が抜け出して七海とデート、ということはないだろう。
「…ユニフェ」
「はい」
「お祭り終わったらまた補習?」
「もちろんです。星辰祭のあとには試験もありますからね。本当に忙しいんですよ」
「試験…」
「落第もあるので、リリアさん、全力で授業受けてくださいね」
落第するわけにはいかないが、試験と聞くと逃げたくなる。だがユニフェの補習を無駄にもできない。七海は顔を曇らせながらしぶしぶうなずいた。




