あなたは何が好きですか。 4
ユズフィーナはユニフェがやったようにポットに魔法をかけているのかと思った。だが、違う。
ティーセットを出したはいいが、その後は茶葉をはかることもお湯を沸かすことのも自分の手でやった。杖を振り、火を起こしたかと思えば、時間を計測して適温の湯を用意する。
七海のカップに注がれた琥珀色の液体は紅茶の銘柄を全く知らない七海であっても、顔がほころんでしまうほどいい香りだった。
「熱いから気を付けて。最初はそのままで飲まれるとよろしいかと」
「はい!」
七海はカップを手にして琥珀色の水面を見つめて。鼻をくすぐる果実の香りに口元が緩む。軽く息を吹きかけてからほんのわずか口にいれる。鼻とのどを甘い香りが抜けていった。
「おいしい~!こんなおいしい紅茶飲んだことない。えー…どうやって淹れるんだろう。セレスティアだけの紅茶かな…日本にもあるかな…おいしい…」
「お口にあいましたか」
「はい!これ、茶葉はなんですか?」
「ダージリンです。春に摘まれた新芽からできたものです」
「香りがいいですよね。これ、ユズフィーナ様の好きな紅茶なんですか」
日本にもあるやつだ、と七海はうきうきした。七海も飲んだことはあるが、ここまで香りが高くおいしいものはない。冷ましつつ、飲んでいた七海だが、その問いかけにユズフィーナは瞬きの間ほど動きを止めた。
「…好き?」
小さなつぶやきがこぼれた。
「はい。ユズフィーナ様がお好きな紅茶なのかな?って」
「…さあ…私はいつも飲んでいるものをお出ししているだけですから」
「いつも飲んでいるのなら好きなやつってことですか?私は好きなものだといつも食べたり飲んだりしちゃうんだけど」
ユズフィーナは七海を見つめる。わずかに七海はいたたまれなくなる。飲み干したカップを置けばユズフィーナが新しい紅茶を注いでくれた。テーブルにはまだ蓋を開けていないクッキー缶がある。
ユズフィーナは七海の言葉について考えながらクッキー缶の蓋を開けた。指先でつまめるほどのクッキーが入っている。どれもよく焼けていてユズフィーナの目にはおいしそうに見えた。
「あなたは、好きなものがありますの」
「たくさん!チョコもクッキーもケーキも好き。だけどお肉料理もおさかなも好きです」
「…嫌いなものがないのですね」
「あ、いや…でもそんなことはなくて…」
七海はえへへ、と笑った。ユズフィーナは花形のクッキーを指先でつまむと形のよい口元にもっていく。そのしぐさすら優雅で七海は頬を赤らめながら見つめていた。
「…おいしいですわ」
「本当に?!よかった…ユズフィーナ様は侯爵家のご令嬢だし、おいしいものはきっと食べなれてそうだなって思って…でも、貴族街に一人で行く勇気もないから…よかったぁ」
「…私たち貴族は、平民が困ったときに助けるというのが当たり前ですのよ…あなたがお礼を言うようなことではないのに」
「優しくしてもらったら貴族だろうが平民だろうが、ありがとうっていうものでしょう?それに、平民街を歩いたときにモルガナ侯爵家の家紋が入った孤児院を見ました。きれいで、そこにいる子供たちも楽しそうで…ほかにもガイクスから教えてもらったんです。ユニフェのおうちは図書館作ってたり、シグルドのおうちは平民街を守る砦を作ったんだって」
ユズフィーナは紅茶のカップを手にしたまま口をつけることなく七海を見つめていた。本当に珍しいと思う。また瞬きをし、七海を見つめる。彼女は平民であるのに、貴族にもものおじすることなく話してくる。ましてや、貴族の最上位に近い侯爵家の令嬢を前にしているのだ。同じ階級の貴族であっても、互いの足を引っ張るようなことを平気でするというのに、不思議なことだと思う。
「…あ、それでユズフィーナ様はこの紅茶がお好きなんですか」
七海は問いかけを思い出す。ユズフィーナは静かに首を振った。
「お嫌い…?」
「好きかどうかなんて考えたことありませんわ」
「そうなんですか。でもこれは苦手、とか、これは香りが好き、とかありません?」
「…必要なことですか」
「え…」
「それは、生きるのに必要なことでしょうか」
ユズフィーナは真顔だ。七海は返答ができない。何と答えたらいいのかわからないのだ。
好きなものがあれば辛いことだって乗り越えられるし、嫌いなことに当たったとしても、乗り越えたという自信はその先のことにつながると七海は思っている。視線をさ迷わせて七海はしゅんとした。
「…たとえ憎い相手の前でも笑顔でいることと私は教わりました。それは貴族の矜持だと。本来の己を見せるべき場所はただ一人でいるときだけだと、母からはよく言われました」
「…でも、お友達とか…愚痴を言いあったりしませんか…好きなもののことを話して楽しくなったり、新しいことを知ってうれしくなったり…」
「リリアさんは、ご学友に恵まれてまして?」
ユズフィーナの言葉にぐっと言葉に詰まる。だが、今の七海は一人ではない。アイリスもいる。科は違うが、ガイクスもアスターたちもいる。
深い付き合いというほどのものではない。一緒に授業を受けて、時折図書館で勉強して、寮で別れる。それだけのことだ。放課後に寄り道をして帰ったり、スマホで連絡を取り合ったような現代の友人たちとは違う。それでも、彼らは今の七海にとって大事な友人と言えた。
「います…まだ、知り合ったばかりで、好きなものとか嫌いなものはわからないけど…でもきっと、いつかそういう話もできるだろうなっていう友人です」
「そう…」
「あと、私ユズフィーナ様のことも知りたいんです。攻略本以上のこと!何が好きなのか、何がしたいのか…好きなものは色だってお花だってお菓子だってなんだっていい。あなたのことを教えてください!」
今度こそユズフィーナの動きが止まった。変わった生徒だと思っていたがまさかここまで変わっているとは、という驚きなのか、それとも七海への嫌悪なのかわからない。動かぬ表情から七海はなにも判断できなかった。
ユズフィーナはカップから静かに手を離した。
「…私はあなたの期待に沿うことはできないかと思いますわ。好きなものなど、思いつきませんもの」
「そうしたら、またお茶会しましょう!お菓子もって、いろんなお茶飲んで!まずはそこから!私が、あなたの”好き”を見つけるから」
「…なぜあなたはそこまで私にかかわろうとしますの?そうすることであなたに何のメリットがありまして」
「それは、推しを間近で見て…げふげふっ………好きなもの、見つけたらきっと毎日が楽しくなるから」
ユズフィーナはその鮮やかな緑の目を軽く見開く。あぁ驚きの表情もまた麗しい…と心の中でスクショをした七海はだめだろうかと彼女の反応を待った。
「…本当に、変わった方……」
ぽつりとユズフィーナがつぶやく。
「構いませんわ…私はたいてい放課後はこちらに寄ってから王宮へ戻りますので、もしそれでタイミングあえばお茶をいたしましょう」
「いいんですか!?」
「この温室に、あなたも入れるように殿下が許可をされたのでしょう。そうでなければ今日も入ることができませんもの」
「やっぱり…昨日フェル様がユニフェのお見舞いに行くなら、って言ってくれたから…」
ユズフィーナはクッキー缶に蓋をする。
「これ、いただいてよろしいのよね」
「はい!」
「…ありがとう」
「…えへへ…また平民街行ったら買ってきます」
「えぇ」
ユズフィーナとの会話はそこで終わった。タイミングを見計らったかのようにユニフェの診察をしていた医師が戻ってきたのだ。
「あと二日か三日ほど養生すれば通常通りの生活を送って問題ないかと思います。ですが、魔力を使いすぎるとまた倒れる可能性もあるかと」
「生徒会長はそれもご存じでしょうか」
「伝えてあります」
「ユニフェのことだからまた無茶しないかな…」
「生徒会には会長を極力働かせすぎないように伝えます」
医師が帰っていき、七海はもう一度だけユニフェのもとに向かう。
「リリアさん、まだいたんですか」
「むぅ…ユニフェのこと心配だから待ってたの」
「そうでしたか…それはすみません。また復帰したら補習をしますから」
「でも魔法は使っちゃだめだよ」
「そうですね…倒れない程度にします」
「ユニフェ、そういってやりすぎそうだから、絶対ダメ……あと、一個だけ聞いていい?」
「なんでしょうか」
七海は少し躊躇する。だが、聞いておいたほうがいいだろと判断した。
「課外授業のとき、ユニフェの腕に何か見えた気がしたの…怪我、とかかなって」
ユニフェは口をつぐむ。今彼は袖の長い服を着ている。だから七海からはその腕は見えない。
「ユニフェ?」
「大丈夫です。おそらくリリアさんが見たのは、私が使った魔法陣の反射でしょう」
「そんなんじゃ…」
「大丈夫です」
七海の言葉をユニフェは無理やり区切る。魔法陣の反射などではない。それは間違いないと言い切れる。ユニフェはきっと口を割ることはないだろうとも七海は理解していた。
「リリアさん、復帰した最初の補習は魔術式についての講義にするつもりですから、きちんと初級の教科書を読んでおいてくださいね」
「うえっ?!はい!」
「図書室においてありますし、必要であれば私のものをお貸しすることもできますが」
「大丈夫。初級のなら部屋にあったはずだから」
「そうですか。では、お願いします」
「うん…」
七海は立ち上がり、ユニフェを振り返りつつ温室を出て行った。
七海のいなくなった温室でユニフェは自分の腕に触れる。その下に何があるかなんて、七海は知らなくていい。ユニフェ以外の誰も知らなくていいことなのだ。
誰にも触れさせることができないユニフェの大事なものだった。




