あなたは何が好きですか。
「…ちゃん……アちゃんっ!リリアちゃん!」
「あ、え、あ…アイリスちゃん…」
ぼぅっとしていた七海はアイリスからの呼びかけに気づかなかった。目の前にアイリスの顔が出てきて我に返る。アイリスは七海をじっと見つめていたが、不安そうに顔を曇らせた。
「具合悪い?」
「あ、ううん…そんなんじゃない…大丈夫…」
「……あのね、今からガイクスくんのところに行って、魔導具の使い方教えてもらうんだけど、リリアちゃんもどうかなって」
ガイクスという名前に七海は反応する。
―お前は、誰だ。―
―俺の幼馴染はどこへ行った。―
ガイクスの声が蘇る。ぐっと目を閉じてからアイリスを見て、申し訳なさそうに眉を下げながら笑う。
「私、まだ全然授業の復習できてないから、今日はパス」
「そっか…リリアちゃん、ガイクスくんの幼馴染だから一緒にいたら話しやすいかなって思ってたんだけど…仕方ないよね」
悪気のないアイリスの言葉が突き刺さる。
キュッと唇を引き結ぶ。いつもと違うその様子にアイリスは心配そうに七海を見つめる。
「ごめん、もう寮に戻るね」
「うん。具合悪かったらすぐ教えて。お部屋に行くから」
「ありがと、じゃあ」
アイリスと別れた七海は寮へと一人で戻りだす。
少し急ぎ足だったが、やがて足取りはゆっくりとなる。まだ学園内の回廊で七海の足が止まった。ガイクスに自分がリリアではないことを告げて、こんなにも心が痛くなるとは思いもしなかった。
七海にリリアの記憶はない。ゲームの中だとしても、リリアはたしかにここで生きていた。ガイクスの言葉がそれを示している。
「わかってる…でも七海…忘れないで…私はここで何をするの…フェル様の攻略?…違う…大好きなユズフィーナ様の笑顔を見ること……異世界転生なんて、こんなことだってあるでしょ…しょうがない…」
気を引き締め直す。自分が折れてしまってはできることもできなくなる。彼らはここで生きている。
もしあきらめてしまったら、と考えてしまう。考えてはいけないと思うほど、頭の中には自分が目的を達成できなかった時のことが浮かんでしまう。
「どうしたらいいんだろう」
七海は泣き言をこぼす。相談したくとも、同じ境遇の相手はいない。一人でどうにかしなければいけないという重荷が辛い。
「リリアさん、よろしくて?」
「あ、はい…えっと、どなたでしょう?」
「私たち、あなたの一つ上なのだけど、ユズフィーナ様があなたのことを探していたのよ」
「ユズフィーナ様が…?」
「お話があるとか」
「いきます!どこですか」
「案内しますわ」
顔を輝かせた七海はそのまま声をかけてきた数人の女子生徒の後をついていく。生徒が自由に使える教室の並びを抜けて、更に学園棟の奥へ向かっていく。こんなところにユズフィーナがいるのかと首を傾げた。
「ここよ」
彼女たちの一人がドアを開ける。七海が見上げたドアの頭上には、『薬学準備室』という文字が書かれている。
「すぐユズフィーナ様も来るわ」
「中に入って待っててくださいね」
「わかりました」
七海は室内にはいる。薬学準備室には、鍵付きの棚が所狭しと並んでいる。ガラス張りの棚もある。中には瓶詰めにされた乾燥薬草が入っているのが見える。そのせいか準備室内の窓はひどく小さい。
準備室内には、調合用の机はもちろん、天秤や乳鉢、ガラス管や試験管、加熱用と思わしき魔道具などもおかれている。棚に収まっていないガラス瓶の中には樹皮や根、キノコ類らしいものが入っている。
七海は棚に近寄ってみる。きらきらと輝いていたのは何かの生物の角、形も色も大きさも様々でいったいどんな生物が持っていたのか想像もつかない。
「はぁ…すごいなぁ。理科室とか化学室とか見るのは楽しかったけど薬品とかはここまで生徒が見られるところにはおいてなかったし…」
棚を見ていた七海だが、はっと我に返る。ここにはユズフィーナが来るはずだったのだ。七海は制服の乱れを直していく。変なところはないだろうかとガラスに反射する自分の姿を見た。特におかしいところはない。
「あの、ユズフィーナ様はいつここに…」
振り向いたその先のドアは閉まっていた。あれ?と七海は首をかしげる。ドアのそばに言って手をかけてみたが開く気配はない。
ドアの外に誰の気配もない。
「…おぉ…!」
七海は変に感心してしまった。これはもしやよくあるやつなのでは、と脳内が告げてきた。
『目障りね、閉じ込めておけばいいわ』
『殿下にいい顔して、シグルド様や生徒会長にまでちやほやされて』
『いい気になってますのね』
「いや、まさか自分が経験するとは…!!!」
今の今まで露骨な嫌味や無視というのは目立ってなかったが、これがヒロインへの嫌がらせなのだろう。
直に体験できるのは楽しい。とはいえども、準備室から出ることができなければ困ってしまう。ドアをがたがたと揺り動かしたが開きはしない。もしや魔法で鍵でもかけられてしまったのだろうかと思う。
そうなると七海は出る手立てがない。何しろ一人で魔法はまだ使えない。
「よし!叫ぼう!」
ぐっと拳を握った七海は大きく息を吸い込む。どのくらい声が出るかはわからない。
「だれかぁぁぁっ!たすけてくださいぃぃっ!」
七海の声が響く。何度か叫んだ七海は誰かが来るのを待つ。
一分、二分、三分、五分、十分…気配はない。
寮では点呼があるわけではない。七海が戻ってないとわかるのは明日の朝かもしれない。
食事をとることもできず、このままこの準備室に用事がある人間がくるまでひとりぼっちなのかもしれない。七海は不安になった。
「お願い…誰か…」
七海は窓の方を見た。もしかしたら逃げられるかもしれない。だが、窓は本当に小さかった。七海が小柄であっても抜け出すことはできるはずもない。
ドアに駆け寄ると拳でドアを叩く。声が聞こえなくとも、ドアを殴打する音であれば、外に聞こえるかもしれない。
だが、たたき続けているうちに七海の手に血が滲む。疲れてしまった七海はドアのそばに座り込んだ。
「典型的ないじめだけど、困ったなぁ…」
主人公補正などはないのだろうかと考える。思えば、セレスティアにやってきてから主人公補正らしいものにあったことがない。魔法はうまく使えないし、授業もわからない。なぜか本来とは違うイベントが起き続ける。
「…誰か…」
七海は辛くなる。次にこの準備室を使うのは一体いつなのだろうか。
七海はどうしようもない絶望に駆られる。
「…開かない…?」
小さな声とともに、ドアが音を立てた。顔を上げて七海は外に誰が来たのだと理解する。
「ねぇ!外にいる人!助けて!鍵がかかってしまったの!」
七海は声を上げる。ドアを叩く。
「おかしいですね…鍵は開けてあるから、と言われてきましたのに…」
「ねぇ!聞こえないの?助けて!!」
「ユズフィーナ、どうした」
「…殿下……薬草学の教授から、とってきてほしい薬草があると言われまして、こちらに来たのですが…鍵がかかっているようでして」
七海の動きが止まる。外から聞こえた名前に反応した。
外に、ユズフィーナ(とフェルディアーク)がいる。
二人なら、七海の声が聞こえないはずがない。
「フェル様!ユズフィーナ様!お願い気づいて!」
ドアが音を立てる。だが、開かない。外にいる二人も困惑しているようだった。
「…おかしいな………」
フェルディアークの言葉が止まる。七海からは外の様子はわからない。
だが、ドア向こうにフェルディアークの魔力がうっすらと感じられた。
「……ユズフィーナ、離れろ。それと、中にいるお前もだ。ドアから離れるように」
「誰かいらっしゃいますの?」
「あぁ…かすかに魔力を感じた…もし、誰かいるのならば…ドアに魔法がかかっている。それも強いものだ」
七海はフェルディアークの言葉の通りドアから離れた。対角線上で一番遠くなるように準備室の角に行く。
ドアに金色の魔法陣が浮かんだかと思えば、轟音とともにドアが霧散する。
「……リリア…?」
「フェルさま!」
ドアを破壊して準備室に入ってきたフェルディアークは七海の姿を認めると目を丸くしてすぐそばに駆け寄ってくる。その後ろからユズフィーナもやってきた。彼女はフェルディアークの魔法で破損したものがないかを見ている。
「なぜここに」
「あの、えと…」
「言え。閉じ込められたのか?」
「……」
「…素直におっしゃって。殿下も、そのように詰めては話せませんわ」
七海の肩をつかむフェルディアークの手をそっと外させたユズフィーナは七海を見つめる。
「話せるならば、ですけれど」
「…ユズフィーナ様が」
「私が?」
「お話があるから、って、他の生徒に声かけられてここに」
ユズフィーナとフェルディアークが視線を交わした。
「…そこまで」
「フェル様、待って!」
フェルディアークがなにを言おうとしたのかはわからない。だが、七海は止めた。
ユズフィーナのせいではないことはわかる。彼女が七海を本当にはめたのだとしたら、自分が足を運ぶところに七海を閉じ込めるはずもない。頭の良い彼女ならばもっと人目につかないところに七海を閉じ込める。
「ユズフィーナ様は関係ないです!名前を出されただけ!だから、ユズフィーナ様を悪者にしないで」
「君はなぜそんなことを言い切れる」
「だって、もし本当にユズフィーナ様が計画したのなら、こんな杜撰なことしません!もっと上手にやるはずです」
「…私、褒められてますの…?」
「あと大好きだから!」
ユズフィーナはわずかに首を傾げた。七海はフェルディアークをまっすぐに見つめる。フェルディアークはわずかな逡巡を見せるものの、七海が無事であればそれ以上言うことはないのか口を閉じた。
「…助けてくれてありがとう、フェル様。ユズフィーナ様も」
「いいえ、私はたまたまこちらに来ただけですから」
「私もだ…リリア、怪我をしている」
フェルディアークは七海の両手を取る。ドアを叩いたときに擦れただけだ。うっすらと血がにじむ手を痛々しげに見る。フェルディアークは杖を出すと七海の手に向けた。淡い光が七海の手を包んだかと思うと擦れた手がきれいになる。
「これでいい」
フェルディアークは七海の指先に唇を押し当てた。ホッとした様子が伺える。
「殿下、私はこれで」
「あぁ……ユズフィーナ、言うまでもないかもしれないが」
「…わかっております。ですが、どなたかわからない以上リリアさんにこのようなことをした方をすぐには見つけられません」
「ユズフィーナ様、私は本当大丈夫…」
「これは私の貴族としての矜持ですわ。私の名を使ってほかの誰かにこのように危害を加えているのでしたら、看過できません」
失礼します、とユズフィーナは先に準備室を出ていく。七海は半ば呆然、半ばうっとりとしながらユズフィーナを見送った。
フェルディアークはそんな七海の横顔を見ていたが腕を伸ばすとその体を抱きしめた。
「…フェル様?」
「よかった…君が無事で」
「…そりゃ広いんだし…死ぬようなことはこのゲームなかったはずだけど…」
「リリア…この前も課外授業も、心配だった。シグルドの風を感じたから私が行くまでもないとは思っていたが本当は…」
「フェル様まできたら、大変…でも、心配かけてごめんなさい」
「本当だ…」
フェルディアークが七海を見る。碧の目に映り込むのはリリアの姿だ。フェルディアークが見ているのは、リリア、だ。
「…君にかけていたお守りは、命の危険がなければ動かないものだ。害意に反応するものにしておけばよかった…」
「いい!そんなことしなくていいから!」
「だが、私はいつでも君を守れるわけではない」
「そんなの、次は私がどうにかしますから!だめ!」
七海に止められたフェルディアークは少し不服そうな顔を見せるものの無理強いはせずにそっと手を離す。
「少し風に当たるか。寮まで送るから…少しだけ時間をくれないだろうか」
「フェル様も用事があって準備室に来たんじゃないんですか」
「あぁ…星辰祭で使う薬草の在庫の確認をしにきたんだが…リリアを優先したい」
フェルディアークは少し首を傾げた。彼がいいのならば七海は言うことはない。うなずき、立ち上がればフェルディアークとともに準備室を出ていき、学園棟から中庭へと向かっていった。




