風の加護
風は誰よりも自由だ。どこで吹こうとも、留まるのも、進むのも、その意思一つ。
だからこそ、己の意思で守ると決めたものの前では、決して退かぬ。
「ガイクスッーー!」
七海の声は風によってかき消された。ユニフェ、七海、ガイクス三人と魔物の間を突風が吹き抜ける。
振り上げられた爪は澄んだ音をたてて宙を舞った。
七海は風によって乱れた髪を抑える。
「…間に合ったか」
低い声。
ガイクスは足から力が抜けたように尻もちをつく。魔物との間に立つのはシグルドだった。模造刀ではない剣を持ち、制服姿でそこにいる。シグルドの周囲には風が渦を巻く。
「…そこでじっとしていろ」
ユニフェの体を抱えた七海はうなずく。シグルドは剣を構え直して魔物と向かい合った。力の抜けたガイクスは七海を見る。
「すげぇな…王都から距離あるのに…」
「うん…」
シグルドの魔力が渦を巻く。フェルディアークと模擬戦闘をしたとき以上の強さだった。魔物の唸り声とシグルドが振る剣が空気を裂く音がする。七海は固く目を閉じたユニフェを見つめる。
血の流し過ぎか顔が青ざめている。心なしか呼吸も浅い。
「…魔力が足らない…まずい…」
「ユニフェ、死んじゃうの…?」
「魔力の欠乏は俺たちにとって生命線の維持にも必要だから…むしろこのまま血を流し続けてもまずい。そっちでも死ぬ」
七海の顔がそうと分かるほどに色をなくす。
ガイクスは真実を言っただけである。七海はユニフェの手を握る。冷たいその手に少しでも体温を分け与えようとした。
シグルドは弱っていくユニフェの魔力を感じていた。悠長にしていられない。さらに生き残っていたらしいヴァルグの群れまでやってきた。一人でヴァルグの群れとそれ以外と戦うのは構わない。だがシグルドの後ろにはユニフェと七海たちがいる。
「シグルド、私も…!」
「いい。足手まといだ」
杖を構えた七海に冷たく口にした。まだまともに戦闘を経験していない七海とガイクスは戦力にはならない。
深く息を吐いたシグルドは剣を正眼に構えた。剣先に風が集まる。肉眼でわかるほど魔力が濃くなる。気を抜けば吹き飛ばされそうなほどの風が森を抜けていく。
「"駆けろ"」
短く、それでいて確かな意思が感じられた。シグルドの言葉に集まっていた風が自らの意思でもあるかのように動き、まずはヴァルグの群れを切り裂く。そしてシグルドは剣に風をまとわせたまま飛び上がる。すでにシグルドによって体を幾度も切り裂かれた魔物は宙のシグルドを見て真っ赤な口を開いた。一瞬シグルドは目を細める。だが容赦など不要。重力に身を任せ、鋭さを増した剣によって魔物を一刀両断にする。
「リリア」
真っ二つになり、自立することができなくなった魔物の体は大きな音を立てて倒れる。シグルドは剣から血を拭うと七海のもとに寄る。
「シグルド…ユニフェが…魔力が足らなくて…」
「わかる。かなり危ないってことも」
シグルドがユニフェの体を抱えあげる。力をなくして垂れ下がる腕を見て七海は眉を下げる。
「どうしよう…魔力欠乏時のアイテムなんてゲームになかったよ…」
なにかないか。七海は必死に考える。些細なものでもいい。きっとわずかなヒントからでもシグルドが答えを導けるかもしれない。
―魔力を蓄える植物は貴重で、学園でも限られた人間しか入ることができない温室で厳重に保管されている。知っていたかい、"魔素花"や"蒼晶蘭"は魔力欠乏の応急薬になる。滅多なことでは使われないけどね―
突然思い出した誰かのセリフに七海は目を丸くする。シグルドを仰ぎ見た。
「温室…学園に、決まった人しかはいれない温室ってあるの?!」
「…ある」
「そこの植物なら、ユニフェを助けられるかも」
「なんで、お前がそんなことを…いや、今はいい」
シグルドは七海への質問を途中で切る。七海の腕をつかんで立ち上がらせるとユニフェを抱える腕とは反対の腕で腰を抱いた。
「ユニフェが落ちないように抱えていろ。お前を俺が落とすことはないから、捕まっていれば平気だ」
「シグルド…」
「温室に行く。お前は、これを使って学園に戻れ」
シグルドは制服のポケットから小さなペンダントを取り出す。正八面体に削られた紫色の魔石だ。シグルドがそれに魔力を流すと魔法陣が浮かぶ。
「七海…」
「大丈夫、ガイクス。気をつけて」
「"風よ"」
シグルドの一言で、三人の周りに風が吹き荒れる。ガイクスが腕で顔を覆うと同時に魔石の魔法陣が輝き、刻まれた転移魔法が発動する。
七海はユニフェを抱え込む。さらに二人をシグルドは抱え込んだ。耳元で風の唸る音がする。目を強く閉じ、こみ上げてくる吐き気をこらえた。
ユニフェの体から血の香りがするせいもあった。冷える体を抱きしめてひたすら温室に早く着くことを願う。
「リリア、目を開けろ」
シグルドの声がした。もう風の音はしない。地面にシグルドは立っている。顔をあげて見れば目の前にはガラス張りの温室があった。学園の裏手にある温室で、周囲はとても静かだった。
「あの男子生徒も学園に無事に着けたみたいだな」
「ガイクスも…よかった」
「あぁ。念のため転移魔法陣刻んである魔導具を持ってきていたから無事に帰りつけている…それで、この温室のどこにある」
「わかんない…私、…ゲームじゃ、こんな場面なかった…でも、誰かが言ってたの…魔素花とか蒼晶蘭とかって」
「どこでそれを……はいるぞ」
シグルドは目を細めた。だが、温室の扉を開けてユニフェを抱えたまま入る。温室はムッとしていた。七海は現代の梅雨時期のような感覚になる。シグルドは温室の中心部に向かって歩いていく。七海は周囲を見回しながら植物を見る。
「蘭は青いやつなんだと思う。名前がそうだし…でも、魔素花ってなに…どんなやつなの…」
七海は涙声でつぶやく。
「リリア、来い」
シグルドの声に顔を上げる。そこは温室の中心に位置していた。テーブルとチェア二人分ある。
ユニフェを寝かせられるところはないかとシグルドは見ていた。
「少し落ち着け。俺は植物のことはさっぱりだ。わかるやつは今この状態だしな…ほかに思い出せることはあるか」
「ない…なんも…」
七海の頬を涙が伝う。シグルドはぎょっとし、七海に近づいてくる。だが、ユニフェを抱えていたせいで、シグルドの手にもユニフェの血がついてしまっている。小さく息をこぼしたシグルドは七海の前にしゃがみ込んだ。
「リリア…聞いた俺が悪かった。お前はまだ学園に入りたてだ。知らないことが多くて当然だろう…だから」
「シグルド…?ここで何をしているのですか」
シグルドの言葉をさえぎり女性の声がした。二人が同時に振り向けば、わずかに目を丸くしたユズフィーナがいる。手には小さめの鉢植えを持っていた。
「ここは、一般の生徒は立ち入りを制限されているはずですが」
「ユズフィーナ様…」
「あなたも……シグルド」
少し硬いユズフィーナの声音、それが七海を温室に連れてきたことを咎めるものだとわかったシグルドは彼女の姿を見て眉を下げる。しかし、そのシグルドの腕に抱かれたユニフェにユズフィーナが気づく。
「…なぜ生徒会長が」
「かいつまんで話すと、恒例の課外授業で予定外の魔物が出て、ユニフェが満身創痍、それと魔力欠乏状態だ。魔素花、蒼晶蘭はこの温室にあるか」
「…あります。シグルド、生徒会長をあの椅子に寝かせて。それから救護室へ行って造血剤と包帯をもらってきてください。今すぐに」
「わかった」
シグルドはチェアを並べてユニフェを横たわらせる。ユズフィーナに言われた通りのものを準備するために一度温室を出ていく。
「あなたは…私を手伝っていただけるかしら」
「は、はい」
「ここから左に三ブロック進んだところに大きな青い蘭があります。それが蒼晶蘭、このはさみで花の部分から三十センチほど下から切り取ってきてください。花が咲いているもの、五本程度がいいでしょう。花の露を使いますから、こぼさぬようにしてください」
「わかりました」
ユズフィーナは銀でできた剪定ばさみを七海に渡した。受け取った七海はユズフィーナに示されたほうへと小走りに向かっていった。七海の背中を見送ったユズフィーナは杖を出してユニフェに向けた。
「"水よ"」
杖先から生まれた澄んだ水がユニフェの体を包み込む。水属性の魔法は治癒を施すことができる。ただ魔力の欠乏にまでは対応ができない。シグルドが口にしたもう一つの花、魔素花は温室内でも奥まった場所にある。ユズフィーナはそちらに足を向けた。
いくつもの貴重な植物が植えられた区画を抜け、巨大な老木がある場所までやってきた。その老木もまた魔力の欠乏に効くものではあるが、効果を得るために若芽を摘む必要があった。今現在若芽は見当たらない。老木から顔をそむけたユズフィーナは同じ植物の埋まった鉢植えの並ぶ一角へと足を向ける。
大きく枝葉を伸ばし、空気中から魔力を取り込んでいるのが見える。ユニフェのもとの魔力量を考えると鉢植え一つ分では足らないだろう。鉢植え三つほどに魔法陣を描く。すると鉢植えが浮かび上がり、ユズフィーナのもとへ来た。そのままユニフェを寝かせたところへと向かう。
鉢植えをテーブルに置いたところで足音が聞こえる。振り向けば七海が大きな青い蘭の花を五本抱えてこちらに戻ってくるところだった。
「これ、で…」
「えぇ、間違いありません。そのまま持っていてくださる?」
「はい」
ユズフィーナは制服のポケットから試験管を一本取り出した。もともと別の用事でこの温室に来たのだが、タイミングが良かった。七海の持つ蒼晶蘭の花びらに乗る露を試験管に一滴ずつ落としていく。試験管に落ちた雫は花びらの色を写し取ったかのような青い色をしていた。
それから細い指先を蘭の花弁の中へと入れる。つまみ出されたのは金色に輝く爪先ほどの大きさの玉だった。そして玉もまた試験管に落とす。その瞬間に色が紫へと変化した。五本すべての蘭から同様に雫と玉を取り出して試験管に落とす。
ユズフィーナはユニフェの体を包んでいた水の膜を消し、試験管をユニフェの口元に近づけた。薄く開いた口に紫色の液体が流れ込む。喉が動いたのを確認したユズフィーナは運んできた鉢植えへ手を伸ばした。
「それをどうするんですか」
「抜きます」
「抜く…」
「ユズフィーナ、造血剤と包帯、持ってきた」
「…では、この後治療をしますので、シグルド、あなたも治療を」
「俺はいい」
「……右腕に爪痕、左腰に打ち身、太ももに打撲、殿下の近衛になろうとする人が自分の怪我の状態もわかりませんか」
「見えてんのかよ」
「シグルド、そんなに怪我してたの」
「騎士としてはまだ軽いほうだ」
包帯と造血剤を鉢植えのそばに置いたシグルドはため息をこぼしてから自分の腕を見る。確かに二の腕の部分に二本の爪痕が残っている。血は乾いているし、深い傷ではないようだが顔を青ざめさせている七海を見たシグルドは顔を背けてから息を吐き出す。
「包帯もらうぞ」
「あなたがもってきたものですから」
シグルドは温室の中にある水場へと足を向けた。ユズフィーナはそちらに目を向けることなく、魔素花を鉢植えから引き抜いた。己の杖で水を出し、根の部分の土を落とし、きれいにしてから剪定ばさみで細かく切っていく。その後葉もすべてとり、同じように細かくした。
「あなた、見ているだけでしたら手を貸してくださる?」
「は、はい!」
「この葉は魔力を吸収し、蓄える性質があります。ですので、この細かくした葉をさらにすりつぶしていただきたいの。根と合わせ、薬湯にすることで蓄えた魔力を受け入れられるのですから」
「わかりました」
「この正面の道をまっすぐ行くと道具を置いた棚がありますからそちらからすり鉢をもってきてください」
「はい」
七海は走ってその場を離れる。入れ替わりでシグルドが戻ってきた。傷を負ったところには包帯を巻いている。
「ユニフェの手当てでもしておけばいいか」
「えぇ、お願いします」
シグルドはユニフェのそばにしゃがみ込むと杖でまずはユニフェの傷を洗った。魔物の中には爪に毒を持つものもいる。それを知っているシグルドはユニフェの傷口をじっと見た。傷口の周辺はただれていない。ということはあの魔物の爪には毒はないということだ。ほっとしつつ、傷口を消毒しガーゼを当てて包帯を巻く。
「ユズフィーナ様、これでいいですか」
「十分です」
七海の声がした。視線を向ければすり鉢を持ってきた七海がテーブルの上でユズフィーナが細かく切った根と葉をすりつぶしているところだった。時折ユズフィーナが水を生み出してすり鉢に注いでいる。顔色の戻らないユニフェを見てシグルドは目を細めた。
「できましたわ…シグルド、生徒会長の体を起こしてください」
「あぁ」
葉と根が入った薬湯は深い緑色をしている。苦いだろうな、と思いつつユニフェの体を抱き起こした。ユズフィーナはユニフェの口元にすり鉢を当てて少しずつ流しいれていく。こぼれたものはふき取り、すべて飲み込ませるとまた横たわらせた。
「シグルド、後で仮設の寝台を一つここに運んでいただける?」
「救護室ではだめなのか」
「この温室は植物たちのために魔力を取り入れやすいように細工がされていますから、外よりも魔力が集まってきやすくなっています。ですから、救護室よりは回復が早いでしょうし…先生方には私から伝えておきますので」
「わかった。すぐに準備する」
うなずいたシグルドは温室を出ていきかけ、足を七海へと向けた。立っているのがやっとという状態の七海を見ると何も言わずに抱き上げる。
「シグルド、私もここにいる…ユニフェが心配」
「お前も無理だろう。寮まで送る」
「でも、私が戻ったからユニフェが…」
「お前のせいじゃない」
「生徒会長の目が覚めましたらきちんと連絡しますので、戻ったほうがよろしいかと」
ユズフィーナにも言われてしまう。七海は抵抗していたが、やがておとなしくなった。シグルドは一度ユズフィーナに目を向け、それから七海を連れて温室を出ていく。
七海はシグルドに強く抱き着いていた。学生寮まで戻り、入口の寮監に声をかける。
「課外授業の生徒を連れてきたんだが、一人で歩けないようだから部屋まで連れていく」
「…わかりました」
傷だらけのシグルドと震えがみられる七海を見た寮監はうなずく。課外授業で一年生たちがショックを受けているかもしれないことや寮に戻った後体調を崩す可能性について、連絡がきているのかもしれない。すんなりと女子寮へはいれたシグルドは七海の部屋へとそのまま向かっていく。
「リリア、明日は休みのはずだ。何も考えずに寝ろ」
「シグルド…」
「…ユニフェやあの男子生徒もそうだが、お前が無事でよかった」
シグルドの顔は七海からは見えない。安心したような声音が耳に深く沈んでいく。
シグルドの首に強く抱き着く。大きな手のひらで頭を撫でられ七海は涙ぐむ。
「しぐるどぉ…」
抱き着いたシグルドの制服にはまだ血の匂いが残っていた。それでも七海を抱く腕は驚くほどにあたたかい。怖かった、という気持ちが遅れてやってくる。七海は声を殺して泣いた。シグルドは何も言わずにただ七海の頭を静かになでる。
しばらくしてから歩みが止まった。部屋についた、とシグルドの小さな声に七海は顔を上げる。シグルドに降ろしてもらうと杖を使って部屋の鍵を開ける。
玄関に入りかけ、足を止めるとシグルドを見上げる。
「…シグルド…ごめんね、ありがとう」
「謝るな。俺は、俺がした誓いのもとでお前のもとに向かっただけだ」
シグルドは七海の頭を撫でてから女子寮を出ていく。撤回できない誓いのせいでシグルドまで怪我を負わせてしまった。自分が考えていたこととかけ離れた状態の今どこまでゲームの知識が使えるのか七海は不安でならない。重たいため息が知らず知らずのうちにこぼれた。部屋のドアを閉めると七海はずるずると座り込む。膝に顔を埋めて七海は静かに泣いていた。




