美しい…生フェル様…
人間だれしも脳みそのキャパをオーバーしたらその処理に時間がかかるだろう。スマホでもパソコンでもスペック以上の処理をするためにはどうしても時間がかかるし、画面だって固まる。今の七海も同じだった。
目の前には白いソファに横たわる美しい男、絹のような金色の髪に白い制服、ボタンが二つほど外されたシャツからが胸元が見え、首元につけられたチョーカーのエメラルドの装飾が見えている。
呆然としていた七海は自分の頬をつねる。痛い。
「夢…?」
自分の声だ。だが、視線を落とす。
まず鎖骨の間にアクアマリンの飾りが見える。それから目の前の彼と同デザインの白い制服。
一房流れてきた髪ははちみつ色に近いブラウンで、緩やかなくせ毛だ。いつ染めたっけ、と考える。髪を手にとってまじまじ見ていたが、目の中にはもう一色入ってきた色がある。
「青…白地に青…チョーカー…腰に杖………ん?」
七海の頭はもう一度止まる。だが、すぐに思考回路は該当する絵を脳内でたたき出していた。
「ラブキン…貴族科の制服デザイン…!なんで、なんで?!え、まじかわいい!うわ、生地すべすべ、プリーツスカートかわいい、杖の持ち手デザイン最高じゃない?!え、指ほそーい!私ダイエットしたっけ?」
しゃがみ込んでいた七海は立ち上がり、その場でくるくると回った。何度も何度も見た制服にテンションが上がる。まさか自分が着ているとは思わなかった。どうして、はそこにはない。
「あ、鏡だ。ちょっと全身像を……」
室内に全身が映し出される鏡を見つけた七海はその前に立つ。鏡に映った服は大好きなゲームの世界のものだ。かわいい。足も細い。あらびっくり。腰回りおかしいほどに細い。ダイエット大成功か、なにしたん自分。ふわふわのセミロングの髪と白い肌、くりっとした瞳と髪につけられた野花とリボンのアクセサリー…もう、何度も何度も見たビジュアルだ。
「リリアたん…リリアたんじゃないか!このビジュアルよすぎでしょ!いや、まじかわいい。さすが、みんなから愛されるヒロイン…乙女ゲーにしては珍しいグッズ化山盛りされる子」
かわいい、と鏡を見ながらつぶやくもののやがて言葉は静かになる。
鏡の前にいるのはリリアだ。七海が遊んでいるゲームの正ヒロインで攻略対象と恋愛してエンディングを迎える子だ。
なぜ、目の前にいる。
七海は右手をあげる。鏡の中のリリアも手をあげた。左手をあげる。リリアは両手を上げた形になる。
力なく手を下ろした七海はまたしばし呆然となる。
「これは、もしや、噂のあれですか…異世界転生……私死んだ?」
いつ、なにが。事件、事故?病死のはずはない。なにしろ直前までゲームを楽しんでいたから。とはいえども突発死というのはあるかもしれない。
うーん、と腕を組んで悩む。だがやはり、リリアがかわいい。
鏡を見てにやついていれば視線を感じた。鏡越しに緑色の瞳と目が合う。何度もスチルで見た。
少し乱れた金糸の髪がわずかに動いた。
起きている。
「リリア、どうした?」
「転生したけど名前はデフォルトかい!いや、そこじゃない」
ソファから立ち上がり、優雅な足取りでやってきて七海の後ろに立つ姿を鏡越しに見上げる。鏡越しに見つめあい、ゲームの設定資料集を思い出す。
まごうことなき目の前の彼は、七海の愛してやまない悪役令嬢が出るゲームの舞台となった王国の第一王子で、ヒロインの攻略対象だ。確か設定にあった身長は188センチだったか。リリアの身長はおよそ160センチ前後ということで、見上げる状態になっている。麗しいご尊顔を拝し奉り、と考えていたが伸びてきた手が七海の頬を撫でていく。
「変なリリアだな。昨日は目があっただけで顔を真っ赤にして逃げて行ったのに、今日は目を丸くしたり、ゆがめてみたり、にやついてみたり…見ていて飽きることはないが、心配になる」
「いや、それはほら…今のこの状況が夢なんじゃないかって思っているわけで。顔良すぎません?」
「顔はいいほうだな。何しろ王子だから」
「それはそう。自尊心高いぞ、王子。大事なことだ」
夢ではないと理解する。目の前の王子は間違いなく存在していて、七海と話している。
では、ここは、間違いなく、ラブキン世界だ。それも、七海がヒロインのリリアとして存在している。
七海は息をのんだ。では、どこかにユズフィーナもいる。そこに”存在”しているはずだ。会いたい、会って話がしたい。彼女の笑顔が見たい。デートもしてみたいし、女子会とかお泊り会とかもしてみたい。
「リリア?本当にどうした。具合でも悪いのか」
「いいえ、それは違います。ちょっと野暮用を思い出しました」
その場を離れようと動きかけた七海は王子のそばにありえないものを見つけて動きを止める。王子の頭の上に、メーターがある。左側に割れたハート、右側にリボンのついたハートだ。メモリがついていて、いまはどちらかというと割れたハートに近い。それがなんであるか理解した。
「好感度メーター、個別ルート版…え、それがフェル様に出ているっていうことは、ここフェル様ルート…?」
「フェル様?そんな呼び方をしていたか」
「いえ、これは」
七海の言葉が途切れる。
ラブキンの舞台でもあるセレスティア王国の王子フェルディアーク。何度も攻略した。だから選ぶ選択肢も、起こすイベントも他キャラクターとの関係性もわかっている。エンディングを求めることなんて簡単だ。だが、それをしてはユズフィーナは追放を迎えてしまう。ひどい場合には処刑だってありうる。
「神様がくれたご褒美…いや、何のだよ。でも、これはチャンスなのでは…何があってここに転生したのかわからないけれど、私ならユズフィーナ様を助けられる!」
「ユズフィーナ?会ったのか、あの女に」
「あの女?!ご自分の婚約者でしょう!」
「あぁ。だが、それだけだ」
「それだけ?!何言ってるんですか!!」
フェルディアークは七海の言葉に目を瞬く。何を言っているんだ、という顔だ。それすら麗しい。
「いじめられているのに、かばうのかい?」
「いじ……」
七海はハッとする。そうだ。リリアは平民で、特別な力をもって学園にやってきた。その特別な力のせいでいじめを受けることになる。その首謀者とされるのがユズフィーナじゃないか。彼女がいじめをしたなんて考えもつかないが、ゲームの中ではそういう風に言われていた。
七海はフェルディアークの服のすそをそっとつまむ。
「あ、あの、フェル様…」
「なんだ?」
見上げるフェルディアークの表情に覚えがある。個別ルートなんて何回も攻略した。どんなセリフを言うのか、どんな選択肢か、どんなスチルか。そんなものとっくに記憶している。
イベントを進めなければユズフィーナに会えない。七海が記憶しているこのイベントは、個別ルート最初のものだ。
ー休みの日に町へ行きませんかー
ー休みの日に剣の訓練見ませんかー
目の前に選択肢が現れる。もちろんフェルディアークには見えていない。七海ではなく、リリアに対して少なからず恋愛感情を抱きはじめた当初に下手な選択肢をとって幻滅させることはない。それが王道。
「休みの日に剣の訓練見ませんか」
七海の言葉にフェルディアークは一瞬の間を置く。それから口元を手で押さえた。すぐに顔を背けて肩を震わせる。
剣の訓練は乙女ゲームの中では王道ではない。だが、フェルディアークに関しては今はこれが最善だ。
町に行けばデート的なものになるが、リリアはあれもこれもといろいろ欲しがってしまう。隣にいるのが王子だから当たり前だ。しかも、買ってくれる。
だが、そのあとリリアへの評価が下がるのだ。後々の攻略に地味に響く評価ダウンである。評価をあげる努力は基本的に惜しまない七海だが、この世界でどれだけのことができるのかわからない。ならば絶対的に正解の選択肢を選んでいくほかない。
「女の子から剣の訓練見ませんかなんて…面白いデートの誘い方だね」
笑いながらフェルディアークは七海を見た。
「いいよ、行こうか」
彼の背後で花が散る。まずはひとつ、と七海は息を吐き出した。
「待ってて、ユズフィーナ様…断罪イベントなんて起こさないで幸せにするから…!」




