推しのドレス姿が麗しい 2
魔法陣を抜け、フェルディアークの手を取ったのはユズフィーナだった。
「推し……」
「ん?」
「推しのドレスだぁぁ!まって、これなんのイベント?ユズフィーナ様、本当きれいすぎない?スクショしまくるレベルじゃん、スクショじゃ足らん。公式でアクスタほしい」
七海はユズフィーナの姿を目に焼き付けようとする。
ユズフィーナが纏っていたのは、淡い藤色を基調としたドレスだった。身体に沿うように仕立てられた細身のシルエットは決して華美ではなく、流れるような曲線が静かな気品を際立たせていた。胸元には繊細なレースが重ねられ、その上を這うように金糸の刺繍が施されている。藤の花を思わせるその意匠は、腰から裾へ向かって優雅に枝垂れ、咲き誇る花房のごとくドレス全体へ広がっていた。
「スタイルよすぎる。フェル様と並ぶと、圧倒的美!!」
「侯爵令嬢だしな」
「それを鑑みてもすごいんだよ。たぶん、ユズフィーナ様はあのスタイルを維持するためにかなりの努力をしているとみた」
歩くたび、幾重にも重なった薄いシフォンが風を受けて揺れていた。
肩は柔らかなオフショルダーで、透き通るような袖布が腕を包み込み、手元まで軽やかに流れ落ちる。
バックスタイルは編み上げで美しく整えられ、細いリボンが静かに揺れていた。足元には銀糸をあしらった淡い藤色の靴、音を立てることなく、前を見据えて歩く姿は、凛、とその一文字が似合うものだった。
長い薄紫の髪はゆるやかなハーフアップで、後ろへ流れる髪には、白金細工で作られた藤の花飾りが添えられている。
装飾品ひとつ取ってもユズフィーナ自身の美しさを邪魔することなく引き立てている。同色でまとめられているためか、調和が取れていて美しい。
「最高すぎる…こんなユズフィーナ様を見られるなんて…本当にきれい…無理…尊い、私なんのご褒美もらってるの…」
七海はつぶやく。フェルディアークとの並びの圧が強い。遠くからでもその輝きが目にはいる。間近で見たら自分が蒸発してしまうのではないかと思ったぐらいだ。
「…珍しく本気だな、フェルディアークのやつ」
「本気?」
「格好だよ。去年もその前もあそこまで飾りはしなかった。王族とは思えないほどの簡易な礼装できてたんだがな…」
シグルドは七海を見下ろす。ドレスはフェルディアークが選んだものだ。気にかけてもらいたかっだのだろうか、と考えるもののフェルディアークの考えなどシグルドにわかるはずもない。
「ユズフィーナ様、すてきすぎる」
七海はユズフィーナから目を離さない。ユズフィーナとフェルディアークはそれぞれ来場者に声をかけている。その間も手は添えられていた。
その様子を見つめながら七海は一人、アクスタ、スクショ、公式供給と、つぶやく。そばにいるシグルドにはひとつもわからない。
「ちょっと興奮しすぎた…」
「座るか」
「うん」
七海はうなずく。ソファに向かう間も目はユズフィーナを追いかけている。かわいい、とつぶやき、きれいとこぼす。ユズフィーナには届いてないが、あとでこういうことを口にするやつがいた、と告げていいだろうか。
人のいないソファまで導くと七海に手を貸して座らせる。頬に熱が集まったらしい七海はぱたぱたと自分の手で自分を仰いでいる。
「何か食べるか」
「うん」
「持ってくる。おとなしくしてろ」
シグルドは七海の頬を突いてから料理の置かれたテーブルに向かった。遠目に見るフェルディアークとユズフィーナはお似合いのカップルだった。
眼福、とつぶやき、自分の姿を見る。派手ではないが、あの雪のような姿のフェルディアークとは並べないだろう。苦笑をこぼしてから七海はシグルドの姿を探す。周囲よりも頭一つ分抜きん出ているシグルドは皿を片腕に二枚乗せてバランスを取りながら料理を取っている。
「ねぇ、見て」
「補習受けてる方がいるわ」
山盛り料理をとる姿を見て笑みをこぼしていれば、自分に向けてクスクスと笑う声がする。七海はわずかに頬を赤くした。わかっている。これは、"成績優秀者"がいる夜会だ。フェルディアークもそれをわかっていながら七海を呼んだ。それはフェルディアークの嫌がらせではないことは七海はわかっている。
「あのドレス…」
「質素でお似合いでは?色味もありませんし」
「一人のようだな」
「平民だろう?このような場での作法を知っているんだろうか」
くす、と笑われる。七海はさすがに言い返さねばとなる。
立ち上がりかけた七海だが、中途半端に腰を上げた状態で動きが止まる。七海に向けて嘲笑を向けていた生徒たちが七海の動きを見てどうしたのかと後ろを向く。
ひゅっ、と息を呑む音が聞こえた気がした。
「とても興味深いな」
静かすぎる声だった。
七海の視線の先、生徒たちの後ろにはフェルディアークが立っている。そばにはユズフィーナもいた。彼女は何の感情も伺えない瞳をしている。フェルディアークは七海に視線を向けている。そしてその視線はゆっくりとほかの生徒へと向く。
「彼女のドレスを彼女とともに選んだ者として、一つ尋ねていいだろうか」
空気が凍る。質素と口にした七海のドレスを選んだのはフェルディアークと知った。だが、知らなかったとはいえ、あまりにも不敬。
凍りつく生徒たちを尻目にフェルディアークは表情を変えず、むしろ穏やかな声で問う。
「私の審美眼は、質素なものしか映らない、ということであっているだろうか」
「と、とんでもありません、殿下!」
「…そうか。ならば、聞き間違いだな」
フェルディアークの声は穏やかだ。だが、有無を言わせないものがある。頭を下げる生徒たちにはもう目をやらず、フェルディアークは七海をまっすぐに見た。その瞳には優しい光が見える。
「そのドレス、とても似合っている」
優しさのこもった声だった。七海は目を丸くする。隣で聞いていたユズフィーナもわずかに目を瞬き、それから口を開いた。
「月の光を落とし込んだような色ですわ。決して質素ではありません。それに…」
ユズフィーナが生徒たちへと静かに目を向けた。深い碧の瞳にわずかな感情が見えた。それは侯爵令嬢として育ってきたユズフィーナが持つ、フェルディアークへの感情なのだろうか。フェルディアークが七海と選んで買ったというドレスへの思いだろうか。はたまた成績優秀者だからといって、そうでないものを格下のように見る生徒たちへの牽制なのか。
「夜会では、ご自身の品位も見られております。確かに彼女は今夜の夜会に参加する資格はないかもしれませんが、殿下の招きによる参加ですから、あなた方の言葉はそのまま殿下への言葉となりかねません」
わずかな静寂、それはすぐに破られた。ほかでもなくフェルディアークの小さな笑い声によって。
「珍しい…あなたがそこまで言うとは」
「お気に入りなのでしょう?」
「そうだな、気に入っている」
笑うフェルディアークは七海をまた見つめた。七海から、フェルディアークの好感度メーターが見える。高い。二段階目に入りかけている。
「こんなことにならないようにシグルドをエスコートにつけたはずなんだが…」
「俺がどうした。殿下、ほかのゲストが声かけまだかって待ってるぞ」
「お前がリリアのそばを離れるからだろう。ったく…」
「…?」
シグルドは首を傾げたが、七海と、凍りついている生徒達を見て察したらしい。わずかに眉尻を下げ、七海に近づいてくる。
料理の乗った皿二枚をソファ脇の小さな丸テーブルに置くと七海の前に膝をつく。胸に手を当て、七海を見上げた。
「…すまなかった。俺がそばを離れたからだな」
「え!?違う違う!シグルドは私のために食べ物取りに行ってくれただけでしょ?なんにも悪くないよ」
七海は大慌てでシグルドの腕を掴んで立ち上がらせようとする。だが、七海では動くはずもない。
「…エスコート相手に不快な思いをさせることは貴族の男子としても騎士としてもやってはいけないことだ」
「不快な思いなんてしてないよ。だから、ね、シグルド立って」
「リリア…」
「ほら、もうめちゃくちゃ注目されちゃってるし、フェル様とユズフィーナ様も足止めしちゃってるから…!」
「リリア」
シグルドの声がまじめなものになる。七海は口を閉じた。シグルドは腰に携えていた飾りの剣を引き抜き、自身の前の床に突き立てる。
フェルディアークが生徒たちに声をかけた時とはまた空気が変わる。困惑と動揺と興味とがまぜこぜになったものだ。誰も言葉を発することなく、七海とシグルドを見つめている。
「”風の加護に誓う。この剣、この命、この誇り。すべてをもって汝を守護する”」
七海の目が点になる。
フェルディアークは一瞬間をおいて小さく笑った。
「殿下…」
ユズフィーナがほんの僅か咎めるようにフェルディアークを呼ぶ。シグルドの行動の意味をユズフィーナは痛いほどにわかっているからだ。面白がるところでは断じてない。
「シグルド」
「なんだ」
「君はずいぶんと大きなものを彼女へ贈ったものだな」
「え、ええ?いやいやいやいや、なにを贈られたの、私」
「西方の生地で作られたそのドレスもその希少さから確かに高価だ。だが、いまシグルドが君へ贈ったものはそれよりもはるかに価値のあるものだ。いや…価値などはかりしれないか」
シグルドは立ち上がり、剣を再び腰の鞘に納める。様子を伺い見ていた生徒たちは互いに小声で会話をする。ユズフィーナのみならず七海以外の誰もが、シグルドの行動がどれだけの重さを持っているのか知っているからだ。だが、七海にそんなことがわかるはずもない。周囲の様子から、とんでもないことが起きたということだけはわかった。
「いりません!」
「え」
「そんなすごいもの受け取れないです!ていうか、いま何が起きたんですか」
「”騎士の誓い”ですよ」
ユニフェの声が割って入る。少し疲れた様子のユニフェは制服姿だった。
ドレスアップした生徒たちの中にいると浮く。
「騎士の誓い…?」
「はい。本来であれば、王族や公爵家、三大侯爵やその身内に捧げられるべきものです。そう軽々しくたてるものではありませんが……」
ユニフェは言葉を切ってシグルドを見る。七海のそばに立つシグルドは特に気にした様子がない。彼の生家が今夜のことを知れば大騒ぎになるのではなかろうかとユニフェは思う。
それも、正式な場ではなく、単に学園の夜会のひとつ、公衆の面前で、平民に、というとんでもないおまけをつけている。
「前例がありません」
「今できた」
「…そうですね」
疲れたようにユニフェは言う。
「私も、できることなら誓いたいものだな」
「フェル様!だめ!それはだめ!今聞く限り、フェル様は絶対にしちゃいけないってわかる!さすがの私でもわかる!シグルド、撤回!返品して」
「無理」
「ユニフェぇ…」
「公式でないにしろ、前例ができてしまいましたので…それに、私はただの生徒会長であって、慣例に口出しできる立場にはありません。叙任されたわけではないシグルド先輩の誓いがどこまで有効かはわかりませんが、加護を持ち出したので、撤回はまず無理かと」
七海は頭を抱えた。だがシグルドは満足そうだった。フェルディアークは笑顔のままだし、ユズフィーナはやはり何の感情も読めない顔をしている。
「さて、ここで集まっていても夜会は終わりへと近づいてしまう。食事も残っていることだし、彼らはそっとしておいて解散しよう」
フェルディアークの言葉でシグルドと七海の周囲から人が離れていく。いつの間にか、フェルディアークにくぎを刺された生徒たちは見えなくなっていた。七海はほっとすると同時にシグルドを向いた。
「シグルド、撤回」
「しない」
「無理ですよ、リリアさん。シグルド先輩は一度決めたことを撤回なんてしませんから」
ユニフェは七海たちのそばのソファに腰を下ろした。七海も隣に腰を下ろした。すかさずシグルドが皿を一枚渡してくる。一口で食べられるサイズのクラッカーにチーズやジャムが乗っていた。
「ありがとう、シグルド」
「あぁ」
「ユニフェも食べる?」
「…いいです」
ユニフェはちら、とシグルドに目を向ける。一瞬二人の中で何か交わされたらしい。首を振ったユニフェは長く息を吐き出してソファに背もたれに頭を預けた。イチゴのジャムの乗ったクラッカーを頬張ってからかなり疲れているらしいユニフェを心配する。七海の補習はもちろん、ユニフェ自身の学園生活もある。しかもそこに生徒会長としての仕事まで追加されているのだから疲れて当然だろう。
「眠れてる…?」
「そうですね…だいたい三時間ほどは眠れてます」
「それは眠れてないよ」
七海は自分の皿からチーズの乗ったクラッカーを手にするとユニフェの口元に運ぶ。ユニフェはそれを見つめ、七海を見つめ、再度クラッカーを見た。だがユニフェが食べるまではおそらく七海はそのままだろうと判断したらしく、顔にかかる自分の髪を抑えながらクラッカーを口に入れた。
「おいしい?」
「…まぁまぁですね」
飲み込んでからユニフェはほっと息をついた。
「制服姿できたってことは今まで学園にいたの?」
「はい。来週一年生は貴族科も一般科も含めた課外授業がありますから」
「課外授業…」
「はい。王都を少し離れた場所で低ランクの魔物を相手にしてみます。その準備と騎士団との調整で少し」
「…ユニフェ」
「シグルド先輩は学園騎士団ですよね。いくら誓いをしたからといって、先ほども言った通り正式に叙任を受けた騎士ではないので、効力は今回発揮されないものと思ってください」
「ちっ」
シグルドが舌打ちする。課外授業、と七海は再度つぶやいた。
何か引っかかる。今回のこの夜会もそうだ。元来あるはずのないイベントに、リリアとして参加している。七海が転生したから、ゲームに不具合でも生じてしまったのだろうか。
夜会だけではない。先ほどのシグルドの行動もそうだ。ゲームのはずが、ゲームではなくなっている。
「ここ、本当にゲームの世界なんだよね…」
不安に彩られた七海の言葉はユニフェとシグルドには届かなかった。




