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第4話:王都

 五年後。


 一人の青年が、王都ヴァルドゥーラの門をくぐった。


 二十歳。上等な外套に、手入れの行き届いた革靴。旅の疲れを見せない背筋と、人好きのする穏やかな微笑み。


 門番に身分証を提示した。南方の港湾都市エスターリャで商いを営むカルヴァーリョ商会の当主代理、カイル・カルヴァーリョ。


 偽名だった。身分証も偽造だった。ここに至るまでの五年間に何があったかは、まだ語る時ではない。


 門番は身分証を一瞥して通した。書類は完璧だった。ある種の専門家の技術を継承しているカイルにとって、書類の偽造は難しいことではない。


 門をくぐる瞬間、門の両脇に埋め込まれた魔法石がかすかに光った。


 カイルの足が一瞬止まった。


 魔法石は通過する人間の魔力を感知する仕組みになっている。平民の出入りでは反応しない。貴族クラスの魔力を持つ者が通過した時にのみ光り、門番に通知する。


 門番がちらりとカイルを見た。


 カイルは平静を装った。五年間で学んだ技術の一つ——魔力を体内の深部に押し込め、表面的には平民程度の魔力しかないように見せかける方法。還らずの大陸ではがむしゃらに抑え込むだけだったが、今は意図的に、精密に制御できる。


 だが完璧ではなかった。門の魔法石は高感度で、一瞬の揺らぎを拾ったらしい。


「……商人さん」


 門番が声をかけてきた。


「はい」


「魔法石が反応したんだが。何か魔法具を持ってないか」


 カイルは笑った。人好きのする、穏やかな笑顔。


「ああ、これですかね」


 懐から小さな護符を取り出した。魔除け。旅商人が護身用に持ち歩く程度のものだが、その中でも質が良い物だ。


「南方は魔獣が出ますから。お守り代わりに」


 門番は護符を一瞥して、興味を失った。「行っていいぞ」


 カイルは会釈して通り過ぎた。背中に冷たい汗が伝っていた。


 ——危なかった。


 王都に入る前から魔力が漏れるようでは先が思いやられる。だが同時に、これで一つ分かった。王都には魔力を感知する仕組みがある。貴族社会に潜り込む際、魔力の制御は最重要課題になる。


 大通りに出た。


 石畳の道。立ち並ぶ商店。行き交う人々。馬車の轍の音。パン屋から漂う焼きたての香り。子供たちの笑い声。


 カイルは立ち止まった。


 こんなにも、普通だった。


 人がいる。笑っている。生きている。パンの匂いがする。子供が走っている。当たり前の日常が、当たり前に営まれている。


 頭の中で、声がした。レナードの残滓だった。


 ——これが、お前が壊そうとしているものだぞ。


 カイルは拳を握り、そして開いた。


 分かっている。分かっているから、厄介なのだ。


 あの開拓地の三百人も、こういう日常が欲しかっただけだ。パンの匂い。子供の笑い声。石畳の道。そんなささやかなものが欲しかっただけで、この国に何かを奪いに来たわけではなかった。


 なのに、奪われた。


 この街の人間が悪いわけではない。大半はあの開拓事業のことすら知らないだろう。知らないまま、パンを焼いて、子供を育てて、笑っている。


 では、誰が悪い。


 それは分かっている。少なくとも、レナードから継いだ知識はそれを示している。


 この国の構造が悪い。この国を動かしている特定の人間が悪い。


 だが「構造」は壊せるか。「特定の人間」を排除すれば終わるか。


 分からない。まだ分からない。


 とりあえず、見に来た。


 自分の目で見て、自分の足で歩いて、自分の頭で考える。三百人の声ではなく、自分の声で判断する。


 レナードが言っていた。お前の人生はお前のものだ、と。


 ……まだ、自分の人生を生き始めてすらいない気がするが。


「まあ、いいか」


 カイルは微笑んだ。鏡の前で何度も練習した笑顔。人当たりのいい、警戒されない笑顔。誰の継承でもない。カイルが自分で作った、唯一の技術。


 歩き始めた。


 王都の雑踏に紛れながら、カイルはふと、一台の馬車とすれ違った。貴族の紋章が入った上等な馬車。窓の向こうに、一瞬だけ横顔が見えた。


 長い銀髪。真っ直ぐな横顔。本を読んでいる。馬車の中で揺られながら、周囲の喧騒を完全に無視して、本に没頭している。


 すれ違う瞬間、カイルの体内の魔力がかすかに反応した。相手の魔力を感じ取ったのだ。


 ——強い。


 桁が違う。門番の魔法石どころではない。あの馬車の中の人物が持つ魔力は、カイルの中の三百人分に匹敵するか、あるいはそれ以上かもしれない。


 これが、貴族。


 これが、王族の血。


 三百人の命の対価として得た魔力が、たった一人の血統に匹敵する。その事実が、カイルの胸に冷たい怒りを落とした。


 馬車はすぐに通り過ぎた。


 カイルは胸の怒りを飲み込んで、歩き続けた。王族の魔力。貴族の血。この国の仕組み。頭の中はそれでいっぱいで、馬車の中にいた人物のことなど、一瞬で忘れた。


 銀髪の横顔も、本に没頭していた真っ直ぐな眼差しも、記憶の隅にすら残らなかった。


 この時はまだ。


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