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第23話:取引の席

 約束の場所は、商人街の裏通りに面した貿易商の二階だった。


 表の看板は出ていない。階段を上がると、薄暗い廊下の奥に一室だけ灯りが漏れている。カイルは扉を叩いた。


「どうぞ」


 中に入ると、窓のない部屋に机が一つ。向かい側に男が座っていた。


 四十がらみ。短く刈り込んだ髪。仕立ての良い上着を着ているが、座り方に商人の柔らかさがない。目が笑っていない。アルメイダが言っていた通りの男だった。


「カルヴァーリョ殿。お忙しいところ恐縮です」


 声は丁寧だったが、目は品定めをしている。カイルは椅子に座り、手を膝の上に揃えた。藍色の上着の袖口が視界に入る。ダニエルが仕立てた上着だ。


「ヴィエイラ商会からのお話とのことでしたが」


「ええ。率直に申し上げます。当商会は南方産の香辛料について、王都での卸売網を拡充したいと考えております。カルヴァーリョ殿の取引実績と顧客基盤に、当商会の仕入れ力を組み合わせれば、双方にとって有益な関係が築けるかと」


 教科書通りの提案だった。だが、この男が「率直」と言う時、本題はその先にある。


「具体的には」


「カルヴァーリョ殿には、南方産香辛料を当商会の仕入れ値で卸します。市場価格より二割は安くなります。代わりに、カルヴァーリョ殿の現在の取引先について……」


「顧客名簿の共有ですか」


 カイルはあえて先回りした。男の目が一瞬だけ細くなった。


「情報の共有と申した方が正確です。取引先の規模感、主要な品目、月ごとの発注量。それらを把握した上で、当商会が適切な供給計画を立てるということです」


 カイルは黙って聞いた。


 レナードの残滓が即座に分析を始めた。


 ——名簿を渡せば、ヴィエイラはお前の取引先に直接接触できる。トレス商会と同じだ。取引先を奪い、お前を干上がらせる。名簿を渡した時点で、お前の商人としての命脈は相手に握られる。


 分かっている。


「ありがたいお話です。ただ、当商会の取引先には長年の信頼関係がございまして、名簿をそのままお渡しするのは……」


「もちろん、強制ではありません」


 男は微笑んだ。目は微笑んでいなかった。


「では、折衷案を一つ。名簿の代わりに、月ごとの品目別販売実績をお出しします。取引先の名前は伏せた形で。仕入れ計画の参考にはなるかと思いますが」


 男は少し考えるふりをした。実際には即答できる内容のはずだ。この男は決定権を持っていない。ヴィエイラ当主の指示で動いている。


「……結構です。まずは販売実績で。取引を始めてみて、双方に信頼が生まれた段階で、改めて情報の範囲を相談しましょう」


「ええ。それがよろしいかと」


 カイルは頷いた。



 取引の条件を詰める中で、男が言った。


「最初の荷は来月の上旬にお届けできます。ちょうど南方便が入港する時期ですので、鮮度の良い品をお回しできるかと」


 ——南方便。


 カイルの内側で、何かが引っかかった。


「南方便というのは、定期船ですか」


「ええ。当商会は南方の港と定期的に取引がございまして。季節ごとに入港がございます」


 男は何でもないことのように言った。実際、商会にとっては日常の業務だろう。だがカイルにとっては違った。


 南方との定期的な航路。季節ごとの入港。


 ドゥアルテが南方から物資を受け取っている。推測ではなく、ヴィエイラ商会の実務として、現在も南方航路が生きている。


 カイルは表情を変えなかった。


「それは心強いですね。鮮度の良い品をいただけるのは、こちらとしても助かります」


 男は満足げに頷いた。


 取引の初回分の品目と数量を確認し、支払い条件を決めて、握手をして別れた。男の手は乾いていた。


 階段を降りて表通りに出ると、午後の陽が眩しかった。


 ——聞いたな。


 レナードの残滓が言った。


「ああ」


 ——南方との定期航路が現在も生きている。ヴィエイラ商会を通じて、ドゥアルテは南方から何かを運んでいる。香辛料だけなら、エスターリャ経由の正規ルートを使えばいい。非正規の独自航路を維持する理由がある。


「来月の入港で、積荷を確認する方法はあるか」


 ——港湾局の入港記録は公開されるが、積荷の明細は非公開だ。船を直接見に行くか、荷揚げの現場に立ち会うか。いずれにしても、ヴィエイラの内側にいなければ近づけない。


「だから取引を受けた」


 ——そうだな。綱の上にいるなら、渡り切るしかない。


 カイルは商人街を歩きながら、マテウスのことを考えた。


 マテウスには黙っている。取引を受けたことを話せば、マテウスは怒るだろう。止めろと言うだろう。だが今は、マテウスを巻き込むわけにはいかない。ヴィエイラの内側に入るのはカイル一人でいい。マテウスの名前がヴィエイラの帳簿に載れば、あの男の店も標的になる。


 ——嘘が、一つ増える。


 カイルはそう思った。マテウスに対する嘘。心配してくれている人間に対する、新しい嘘。


 宿に戻ると、机の上にエレーナからの書簡が届いていた。


 内容は短かった。来週の商業組合の定例集会の議題と、組合の蔵書について王宮図書館との重複調査を行う旨の事務連絡。図書館管理者として商業組合の蔵書状況を視察するので、蔵書を利用している組合員には影響がある可能性がございます、という形式的な通知だった。


 カイルは書簡を畳んだ。


 今回は追伸がなかった。以前の書簡には必ず一言添えられていた。海図の所在、戦闘の噂、傍聴券。そのどれもがエレーナの意図を含んでいた。


 追伸がないことが、逆に気になった。

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