22.宿泊所にて1
さて、ゴブリンの痕跡を発見して少々時間をとられるという、まあアクシデントともいえないような出来事を経て、一行は無事本日の宿泊所に到着した。
そこはこの一帯を治める領主(ここは六大領でいえば銀柳領だそうだが、この領主というのは銀柳領主のことではなく、その配下として小さな土地を担当する人だそうだ。初代の王様が自力で勝ち取った土地に、あとから他の領が加わっていく形で成立したフェルメランでは、このあたりのシステムも地域ごとに違っている)の別宅……普段住むのでなくて、季節ごとの狩りをしたり、領内の視察をしたりお客をおもてなしするのに使用している館で、私たちヴィオーラ様一行に先行している使者の方が滞在の手配をしてくれたものだ。
館に常駐する人たちと、ご領主がヴィオーラ様一行のために送り込んだ人たちとの、おそらく混成部隊であろうスタッフとに出迎えられ、私たちはそれぞれ割り当てられた部屋に案内された。
「お客様はこちらをお使いくださいませ」
ヴィオーラ様は当然、一番いい賓客用の客間だろうが、私が案内されたのはそこより少し離れた 、小さいながらも一人部屋だった(騎士団の人は階級? っていうのかな、それに応じて部屋があったり外でテントだったりするようだ)。
部屋の奥にはベッドとその脇にサイドボード、手前に小さなテーブルが据えてある。おそらくは隣の部屋と互い違いの作り付けのクローゼットもあった。日本でいえばマンションサイズじゃない普通の畳で八畳か九畳か、くらいのこじんまりしたお部屋だ。
ん? 八畳か九畳は「こじんまり」じゃないって? 日本のアパートと比べちゃいけない。 この手のお屋敷なら、もっとちゃんとしたお部屋は応接スペースと居間と執務スペースと寝室、くらいには分かれているもので、トータルの広さでいえばこの四、五倍、あるいはそれ以上あるだろう。応接スペースもなく、入ればすぐにベッドが見える、ひと部屋にぜんぶ詰め込んであるようなのはお客様に泊まっていただくための部屋ではない。まあ、ちゃんとした客間に泊まる主賓のお供――エベレ夫人のような上級の侍女ではなくて、ただの召使い――のための部屋、といったところだろう。それでも個室だし、召使いの中では下っ端よりは上のほうの人向けの部屋だと思う。確かにやや広めではあるけれど、これはこのお屋敷が土地の狭い街中でなくて田舎の邸宅だからだろう。
「ありがとうございます。お世話になりますね」
案内してくれた女性にお礼を言うと会釈が返ってくる。私より少し年上くらいの女性だ。偉い人のお屋敷で働くメイドさんらしい、上品な感じの人だ。
メイドさんといったけれど、いわゆるメイド服を着てはいない。エプロンはどうやらお屋敷支給のおそろいのようだけど、その下は地味なワンピース型の「下の長衣」に、ロングベストのような「上の長衣」を重ね(似た色だけど違う生地なので、もともとセットではないと思われる)、ウエスト部分を柔らかい帯で締め、その上にエプロン、という服装をしている。お屋敷の他のメイドさんも似たような格好だけど色も型も全員違う服なので、各自、仕事場にふさわしい私服をそれぞれ着ているのだろう。
前世の地球に一部熱狂的な愛好家がいたような「メイドさん」は今のところ、このあたりには存在しない。そもそも執事だの家令だの家政婦頭だのといった使用人の階級というものがまだまだ未発達で、きっちりと定まっていないのだ。まあ、将来的にはどうなるかわからないけど、どちらにしても今後何世代かはかかるだろう。
「ご用の際は、そのあたりに誰かしらおりますので、お申し付けください」
ヴィオーラ様はもちろん、エベレ夫人の部屋にも部屋付きの使用人とかいそうだけど、私は何かあったら呼んでください、てな感じかな。まあ私ただの中堅の商人の娘なので、常に誰かが部屋に控えているような生活とか想像しただけでぞわっとしちゃうので、これでちょうどいい。
「さっそくですが、お湯をいただけますか? 少しほこりを落としたいので」
「それはもちろん……ですが、お疲れでしょう。たらいのお風呂でよければ、別室でご用意できますけれど」
「え? ありがとうございます! お言葉に甘えます」
身体を清めるため洗面器のお湯でも、と頼んだら思わぬ厚遇。正直そろそろちゃんと全身洗いたいなあと思っていたところで、すごくうれしい。
用意できたら呼んでくれるそうなので、その間にマントを脱いで、リュックをおろし、さっと武装を解く。まあ武装といっても、私は駆け出しで、しかも魔法使いなのでごくごく軽装だ。ベルトポーチと剣帯を外す。鎧も、布と硬化させていない革との組み合わせで作られた、鎧ではなく服といった方が正確なものなので、あっという間に脱げてしまう。まあ、脱ぎ着が楽な代わりに防御力という点ではどうにもショボいけど、仕方ない。
他のTRPGシステムやコンピュータのゲームと同様、私が考えたシステムでも、戦士とか魔法使いといったジョブによって装備可能な防具の範囲が決まっている。魔法使いは金属製の鎧はもちろん、革製でも一定以上の重さがあるものや、身体の動きに制限が出すぎる形状のものを着ると魔法の行使ができなくなるので、これが精いっぱいである(それでも、ただの服だけよりはずっとましなのは言うまでもない。地球のバイクで国道飛ばしていてすっ転んで、硬いアスファルトの表面ですりおろされるところを想像してみればいい。Tシャツに短パンと全身覆うライダースーツと、どっちがマシかは明らかだ)。私の場合、斥候の技能を生かすためと、あと体力的にも重い装備は避けたいというのもあるけど。
マントと鎧はひとまずクローゼットに納め、ベルトポーチと剣帯は短剣と杖ごと、サイドボードの上の、ベッドから起き上がればすぐに手に取れる位置に置く。リュックも近くの足元に置き、そこから取り出した手ぬぐいと着替えをベッドの上に放り出す。
もう一つの私の荷物、トランクは一行の荷馬車のうちの一台に搭載されている。これはよほどのことがない限りは王都まで荷ほどきされることはない予定で、今夜も荷馬車は館の敷地内に置かれ、交代で見張りが立つことになるだろう。
この旅に必要なもの、貴重品などの自分で持ち歩きたいものはリュックに入れて馬上で背負っている。逆に、一般的な冒険者の旅であればリュックに詰めてあるような野営用の食器や、藪払いに使う小型のナタなんてものはトランク行きだ。……商品のケースはすでに手元にはない。商業権を手放した私はこれらの品にふさわしいお店を持つことはできず、道々売り歩くには高額商品すぎる。今はもう、いくつかの品を服やハンカチにくるんでリュックに入れて持っているだけだ。
正直、品物を手放した直後はなんだか不安だった。なにしろ、私は親の代からモノを売ることを生業にしてきたわけだから。
けれども実際にモノが手元になくなってしばらくたった今ではそれほどでもない。冒険者として活動しているうちにもっと気にならなくなっていくだろう。こうやって少しずつ、少しずつ私は商家の娘から冒険者の魔法使いになっていく……のだと思う。
「……さて、と」
お湯の支度にはもう少し時間がかかるだろうし、魔法の復習でもしようとサイドボードの剣帯から杖だけを取って構える。
何の呪文にしよう。攻撃魔法はもってのほかだし、かける相手の必要な呪文は今は無理だし……まあ、これかな。
『生命ある者は心得よ、これより内はわが領域……』
自分にかける呪文だし、見た目にはわからないし。実地練習にちょうどいいしね。
『……踏み入る者、その歩みは残さず我の知るところ……感知領域』




