19.白狼の貴婦人とナジェドの娘
「ヴィオーラ様?」
私が馬車のすぐそばまで近寄ると、ヴィオーラ様は窓から顔を出した。私は馬車の右側で馬を走らせていたので、進行方向に向かって着席している彼女と、同じ方向を向いて並んだ状態になる。
「せっかくですから、私ともおしゃべりしてくださらないかしら?」
そう言って微笑む。紫の眼が悪戯っぽく煌めいた。
「え?」
戸惑う間もあればこそ。いきなり馬車の窓からヴィオーラ様の真っ白な手が伸びて来たかと思うと、私の手をつかんだ。ちょ、ちょっと待っ――。
「もう少しこちらへ」
そして手綱ごと引きよせられる。ちょ、この人、馬の扱いめっちゃ慣れてる! 呆然としている私をよそに、馬がおとなしく馬車の方へ寄っていく。ギリギリまで近くになると、馬車の扉が開いた。ちょ、走行中! 馬車走ってるのに!
「な、何を」
「そのまま走っていてね」
あろうことかヴィオーラ様は開いた扉から身を乗り出した。ま、待って待って待って! 思わず離れそうになって、でも手綱を持たれているしヴィオーラ様が落ちたらどうしようと思うと反応できない。
ヴィオーラ様は手綱ごと私の手を上に持ち上げさせると、それをくぐるようにしてぐいっと近づき……あろうことか鞍に、私の前に横に腰かけてしまった。ええとほら、ディズニーアニメとかで王子様がお姫様を前に乗せるヤツ。あれです。わかる? あの、私どうすればっていうか、何で? 何で何で?
「領主代行?」
「ヴィオーラ様!?」
アレクさんとトランくんが目を剥いている。よかった動揺してるの私だけじゃなかった……いやよくないよね? あ、クライスさんは苦笑している。これ初めてじゃないんだな。ちょっと安心……できるかああぁ!
何なの何なの? 何で駆け出し冒険者でしかも外国人の私がフェルメランの要人と王子様とお姫様的なタンデムしてるの? どういうことなの? これうっかり落として怪我とかさせたら私の人生終了のお知らせだよね? 何? コレ手の込んだ罠なの? いやそんなことする理由ないし!
内心大パニックになりながら、それでも絶対に彼女を落とすのだけは駄目だと、かろうじて稼働している脳の一部が私に命じて、私は手綱を片手持ちにして空いた方の腕をヴィオーラ様の腰に添えた。ほっそ! ヴィオーラ様ほっそ! いやまて落ち着け。
私の動揺を多分わかっておいでなのだろうとは思う、ヴィオーラ様はごく落ち着いた様子で、片腕を私の背中から、もう片方の腕は前から私の肩に回してつかまってきた。鞍に横向きに座る様子も堂に入ったもので、全く危なげない。
…………これ、私慌てる必要がないやつ? ……あ、一気に冷静になりました。
というか駄目だこれ私、冒険者として。魔術師で斥候とか、パーティで一番冷静じゃなくちゃいけない役回りじゃないですか。これじゃポーリンさんを笑えない。
ヴィオーラ様がしっかり捕まっていてくださるので、私は手綱をちゃんと両手に持ち直した。ただ馬を歩かせるだけなら片手でもいいけど(というか、乗馬の際に馬に意志を伝えるために使うのは手綱よりも脚だ)、何かあったときに馬をちゃんと御そうと思ったら両手の方がいい。
「ふふ」
私が落ち着いたのを察したのか、ヴィオーラ様が笑った。はあ。美人は何しても美人ですね。って、いやいや。
「いつもこんなことをされるんですか?」
「王都のお堅い人たちの目があるところでは無理ですけどね」
……つまり割と普段からやってるってことですね。馬車の中のエベレ夫人はまったく動じていないようだし、慣れてるのか……。
「トランととても楽しそうにしているから、私もじっくりお話したかったのよ」
馬車も退屈だし。これが辺境なら私も自分で乗って横に並ぶのだけど、外ではそうもいかないから。にっこりと笑うそのお顔がこう……うん。
どう見てもわがままで私を振り回しているの図なのだけど、イヤミがなさすぎて拒めない。さすが生まれながらの貴婦人というか。……これだから生まれのいい人は……ッ!
「ご自分でも乗馬をされるのですか?」
「ええ、これでも速いのよ? 歩くより先に馬に乗せられるような土地の育ちですからね」
なるほど、レディと言ってもエオウィン姫とかそのあたり入ってるタイプなんですね、把握しました。というか、走行中の馬車から馬に乗り移るって何者……私、冒険者の基本的なスキルだから乗馬はできるけど、たぶん私が同じことをやろうとしてもGMに超高い目標値を要求されてあえなく判定失敗するのが落ちだろう。ヴィオーラ様はデータ的に曲馬師とかそれ系のジョブをお持ちなのではなかろうか。
「白狼領は王都から一番遠いから気風も違いますし、気候の厳しい土地ですから。荒っぽいのですよ」
アヴェルディ河の上流、フェルメランの中でもかなり北側に位置する。冬の雪に閉ざされる時期が長いのだとヴィオーラ様は教えてくれた。
「だから、王都で使節団の代表としての仕事を済ませたらとんぼ返りの予定よ。白狼領の夏は短くて、そのぶんとても美しいの。故郷の夏を逃すわけにはいかないわ」
雪解けの水が小川になり、動物たちが冬籠りから目を覚まして生を謳歌し始める。そしてあらゆる花が一斉に花開く野はどんな宝石をちりばめてもかなわないほどだ、と。
そして私の故郷のことも聞いてくださった。さっきまでのトランくんとの会話と話題が被るけれど、もちろん話すことを面倒とは思わない。
私にしてみればナジェドは普通に四季のある、冬はそれなりに寒い土地だが、緯度が高いフェルメラン、特に北方の寒い地方の人から見ると「いつも太陽の光に恵まれた明るい国」みたいなイメージがあるらしい。
そういえば地球でも、ヨーロッパから見れば日本は太陽がいっぱいの温暖な国と思われてるみたいなことを聞いたことがある。まあパリとか緯度から言えば稚内より北、コペンハーゲンなんか樺太より北だもんね……実際にはヨーロッパは海流と偏西風の影響で基本樺太よりは温暖だけど、日本からすれば立派に北国なんだよね。
私はナジェド人らしくない外見の持ち主だけど、フェルメランでは異国風の見た目なのは間違いない。ヴィオーラ様は私を通して、一年通して雪に閉じ込められることのない南国というものを見ていらっしゃるのかもしれないな、とちらりと思った。




