18.王都へ向けて
ヴィオーラは、菫とも紫水晶とも称される紫の瞳を馬車の外に向けた。白狼領の領主代行にして、フェルメラン王国の有力者のひとりである彼女にふさわしい、豪華でつくりの良い馬車はもちろん乗り心地も極上だった。けれど正直なことを言えば、領地の外であてがわれる、身分にふさわしい乗り物や衣装は本当は窮屈なのだった。
彼女の領地は荒々しい自然に抱かれた土地だ。一年の半分近くを雪に閉ざされ、真冬には河が凍ることすらある。尊敬を集めるのは、手際よく針葉樹林の獣を殺せる腕のいい狩人と、長い冬を慰める詩人や竪琴弾きだ。
そんな土地では、貴婦人と呼ばれる身分の女に求められる振る舞いもまた、王都とはかなり違うのだった。彼女自身は狩りはしなかったが、残雪の帽子をかぶった山脈に見下ろされ、針葉樹の森を、男と同じように馬にまたがって駆けることを好んだ。王都しか知らない気取った連中がそれを見たら卒倒することだろう。彼女が本気で馬を走らせれば、今、馬車の横に付いて騎乗で護衛をしている青嵐領の騎士たちのおそらく八割がたは振り切ってしまえる自信すらあった。
それが今はおとなしく馬車で運ばれていなければならないのだから、領主代行の勤めのうちとはいえ面倒なことだと、ヴィオーラはこっそりとため息をつくと、窓の外の人馬の集団にあらためて視線をやった。
フェルメランのうら若き乙女と少年たちの憧憬の視線をほしいままにする、目にも鮮やかな凛々しい紺青の群れ。バンデリカ騎士団は常に質実剛健を旨とする集団だが、それは生白い王都の貴顕淑女がたが知らずに想像するようなただの粗野な武骨さとは異なるものだ。
銀糸の刺繍を施した飾り上着の見事なこと。戦衣装の華やかさを競うのも彼らの気風だ。むろん、ただモール飾りやレースに埋もれるだけのお飾り集団ではない。あくまで武勇と併せての男ぶりのよさを誇るのがバンデリカの騎士なのだから。
しばしばヴィオーラの護衛を務めてくれるアレクサンドルは今は隊列の先頭近くに居るらしく、彼女の視界には見えなかった。若さゆえか少々堅苦しいところはあるが、聡明で誠実、もちろん武芸の方も申し分ない若者だ。彼ならおそらく、ヴィオーラが全力で馬を走らせても付いてこられるだろう。いっそ白狼領に引き抜いてしまいたいと思うことがある。もっとも、彼とその周囲が了承しないだろうが。
アレクは青嵐領随一の名家の長男だ。彼の右袖の個人紋が左袖の領地の紋と酷似している意味は、フェルメラン人なら誰でも知っている。彼は当然のように騎士になったのだろうし、おそらくごく自然に領主を――騎士団長の地位を――目指して経歴を重ねていくのだろう。そして、おそらくその未来は実現するようにヴィオーラには思えた。
とはいえ、と、ヴィオーラは内心つぶやく。
(彼にはもう少し経験が必要。騎士団以外の世界の経験が)
視線の先に、騎士でない人馬の姿がひとつある。身軽な冒険者の装いに身を包んだ女性。明るい茶色の髪が、うんと暗い葡萄色のマントに映えて金色に近く見える。薄く化粧を施した異国の顔立ち。当然男ばかり、そして全員が紺青に身を包む黒髪の騎士たちの中で、その姿はどうにも目立った。もっとも彼女――リュナ・ワイリクロス――は自分の姿が今とても目立っていることを知っていて、その上で気にしていない様子であったが。今は隣でやはり手綱を握っている見習い騎士の少年トランと何やら話し込んでいるので、リュナの顔は見えない。
少年の表情はごくうちとけていて、付き合いで仕方なく会話に応じているようにはまったく見えなかったので、短い交流の間にずいぶんと親しくなったものだとヴィオーラは思った。
視線に気づいたのか、トランがこちらに目を向けた。そのトランに気付いたのか、彼女もくるりとこちらに顔の向きを変えた。こちらがはっとするほど透き通った狼の両眼が瞬いて、わずかに微笑んだ。
◆◆◆
さて、ヴィオーラ様に同行してヴァモントを旅立った私、リュナです。
同行と言ってもまあ、さすがに馬車に一緒に乗ったりはしない。一応私は立場上はヴィオーラ様のゲストなので、乗せようと思えば乗せられるとは思うけれど、結局は護衛の騎士団の馬を一頭貸してもらって、騎乗での随行になった。いくらなんでも六大領の領主代行とずっと同じ馬車というのは庶民の私には精神的な負担が大きいだろうという配慮があったのだろう。うん、一日中ずっとはさすがに無理。肩が凝って死ぬ。
馬の乗り方はナジェドと微妙に違ったけど、ちょっと騎士団の人に指導を受けたらすぐに慣れることができる程度の差だった。やっぱりディバンよりもフェルメランの方がいろいろと文化的な面でナジェドと似ているんだねえ。ディバンはこう、鞍の形から全然違うし。
エベレ夫人が同乗したヴィオーラ様の馬車と、荷物や野営道具や何やらを積んだ別の馬車の数台、その周囲に馬に乗った騎士団(交替で休ませるための馬も何頭かいて、私の乗っている馬もそこから都合してもらっている)という御一行様だ。ヴァモントから王都までは徒歩だとだいたい二十日くらいで、馬車と騎馬ならもう少し早い。それでも結構な長旅だ。……昔のお得意様めぐりや配達の旅でも二十日くらいかかることはあったけど、あれはあちらの村からこちらのお屋敷と、いろいろなところに数日ずつ滞在しながらだったからだいぶ勝手が違う感じがする。……冒険者の護衛任務ともまた違うし。っていうか私護衛されてる方だよね今。あ、今も、か。うーん、改めて思うけど、冒険者って言っても完全に名ばかり状態だなあ……用事が済んだら早いとこ活動をはじめないと。
トランくんの隣に配置されて(このへんも配慮でしょうな)馬を進めながらおしゃべりする。彼は今回の使節団への参加がはじめての遠出(しかも外国旅行)だったそうで、少し水を向けるとすごく楽しそうに旅で見聞きした色々なことを話してくれた。
私もナジェドの風物や、日々の商いで遭遇した出来事を話題にする。できるだけ彼の知らなそうなことを選んで話したおかげか、結構楽しんでくれているようだ。
そうしていると、ふと隣のトランくんの表情がわずかに引き締まって、視線が私の横を通り過ぎて背後に向けられた。振り向くと、馬車の窓からヴィオーラ様がこちらを見ている。私たちが気付いたことに気付いて少し首をかしげた仕草が素晴らしくエレガントで、一瞬見とれてしまう。
アメジストの瞳がこちらに来いと呼んでいるような気がして、私は鐙にのせた脚にそっと力を入れると、馬車のわきに馬を寄せていった。




