↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
8/12

第8話 恋愛嫌いの彼女が、AIの味方をした

最初の三行は、彼女が書いたものではなかった


『初回投入 実行者 佐伯みちる』


 表示された名前を、俺はもう一度読んだ。

 間違えて知っている名前に見えたわけではなかった。机の向こうにいる本人が、小さくうなずく。


「ぼくが、入れた」


 みちるの指には、短いケーブルが絡んでいた。

 いつもなら端からきれいにまとめる。その指が途中で止まり、輪が一つだけ、机の縁から落ちている。


     *


 調査の前には、案内の画面を直していた。

 文化祭まで十二日。昨日、俺とノアが間違えた三つの分岐を直し、赤い印を一つずつ消していた。


「今日は、迷う前に座っていてください」


 ノアが言う。


「昨日の失敗で、今日の行動まで縛られるのか」


「試作の確認です。日記によると、二人で三回も間違えたので」


 俺は画面を指して、正しい曲がり角を見せた。

 今日も名乗ってから始めた会話だった。それでも、自分たちが間違えた道を一緒に直すところまでは、すぐに行けた。

 机には、案内の原稿と、別の紙が並んでいる。昨日みちるが送ってきた、調査の予定だった。


 戸口で顧問が声をかけ、九条を連れてきた。

 地味なスーツに、古い小型端末。先日の公開テストで、最初の言葉の出所を確認したいと言った人だ。

 ノアへは、俺からそう紹介した。


「ヴェルテ・ラボの九条玲司です。今日は、起動のときの入力を確かめます」


「ノアです。私は、今ある三行しか持っていません。最初のものは、覚えていません」


「はい。操作の記録は、日記の中身とは別に残ります」


 九条は机へ端末を置き、内容を映す先を確認した。

 莉乃も自分の名前と文書担当という役目を伝え、ノートを開く。

 みちるは「技術担当の、佐伯みちるです」と言った。

 ノアはそれぞれに顔を向けた。みちるの名乗りに、俺だけがいつもと違う間を聞いた。


「先に、ここまでは見せていい?」


 みちるが、操作の一覧を俺たちへ向けた。

 俺はうなずいた。

 起動した日時と、三つの枠へ入力した操作。その後ろに、彼の名前があった。


     *


「初期設定って、そういうものじゃないのか」


 言いかけて、俺はやめた。

 日付も、入力した枠の数も、もう確かめている。知らない設定を調べてもらうために、みちるを呼ぶ段階ではなかった。


「ノアが、起きたときに持ってた三行。あれを入れたのは、お前なんだな」


「うん」


「何のために?」


「最初から、君と話せるようにしたかった」


 丸眼鏡が、少し下がっている。

 みちるは直さなかった。


「俺のことを教えるため?」


「それも、ある」


 俺の肘を心配したノアの声を思い出した。

 あれも、何かを渡されて言ったのだろうか。

 そう考えてから、肘をぶつけたのは起動したあとだったと思い直す。

 目の前の一覧には、あの会話までは書いていない。


「その三行を、どこから持ってきた?」


 みちるが答える前に、九条が別の表示を閉じた。

 内容のない、白い画面になった。


「ここから先は、一ノ瀬くんに先に確認してもらう必要があります」


「俺に?」


「入力の元になったものに、君の私的な文章が含まれると聞いています。本人が知らないまま、この場へ開くことはしません」


 みちるを見る。

 否定を待っていたのかもしれない。

 彼は俺から目をそらさず、「確認してほしい」と言った。


「俺、何を使っていいって言った?」


 机の縁から落ちていたケーブルを、みちるが外した。

 指から外れたのに、まだ同じ形で手を握っていた。


「ノアに入れていいか、君に確かめていなかった」


「じゃあ、俺が頼んだことと、お前が決めたことを、分けて話してくれ」


「うん。元のデータと一緒に、説明する」


 うまく言えないなら、あとにしてもいい。

 いつもなら、そう続けたかもしれない。

 けれど、ノアの画面に『IMPORT』と出ていた夜から、俺は待っている。

 あの文章を知っていた友人と、こうして顔を合わせるまで、何度も別の話をした。


「確認する日を、ここで決めたい」


 みちるはうなずいた。

 九条が予定の紙へ、空いている時間を書き込む。


「元の端末は、今ここにはないんですね」


「ハルの手元にあります。ぼくは、対応する入力の記録を用意します」


「じゃあ、明日の放課後。俺が持ってくる」


 言い切ると、ノアがこちらを向いた。


「私は、そのとき、どこまで見られますか」


 答えようとして、俺は止まった。

 原文を自分でも開いていない。誰の名前が、どんな形で残っているかも、思い出さないようにしていた。


「俺が先に見てから、話す。見せられないところもあるかもしれない」


「何を隠したかも、私には分からないんですね」


 ノアの声は大きくなかった。

 『ハルは、昨日の私を試さなかった。』と、彼女の日記にはある。

 今日は、その文を受け取った彼女に疑われている。


「そのあと、何を残したかは、ノアが決めたことだろ。最初に入っていたからって、いまの言葉まで全部」


「全部、偽物だと言いたいのではありません」


 ノアが俺の言葉を止めた。


「私が選んだところと、誰かが渡したところを、同じにしないでください」


 俺は、キーボードから手を離した。


「自分で選んだ言葉だから大丈夫、と言われても、何を選ぶ前に渡されたか、私は知らないんです」


 莉乃が、紙へ引きかけた線を止める。

 ノアは俺ではなく、白いままの画面を見た。


「知らないまま好きでいれば、みんな楽なんですか」


 俺には、すぐに返せる言葉がなかった。

 知ったことで変わるのが、怖くないわけではない。

 でも、その怖さを理由に待たされているのは、今はノアだった。


「楽かどうかを、あなた抜きで決めさせないために確認するの」


 莉乃が言った。

 線の途中で止まった鉛筆を置き、紙を三つに分ける。


「元の文章。入力された部分。これからノアに説明すること。一緒にしないほうがいい」


「見せないところも、ちゃんと言うってことか」


「少なくとも、『全部分かった』という説明にはしない。本人が出したくない文章を、ノアのためと言って開かせるのも違うでしょう」


 ノアは少し黙ってから、紙の真ん中を指した。


「まず、私へ入れられたものの出所を知りたいです。ハルの私的な文章を全部読むことを、お願いしているわけではありません」


「それなら、俺が確認する。確かめられたことと、俺の考えを分けて話す」


「分からなかったところも?」


「分からなかったって言う」


 ノアが一度だけ、うなずいた。

 莉乃は区切った紙へ、明日の日付を書いた。


     *


 予定が決まると、机を少し広く使えるようになった。

 俺は案内図を脇へ寄せ、確認に使うパソコンの場所を空ける。みちるがいつものように配線をまとめようとして、今度は先に聞いた。


「ここ、触っていい?」


「配線は、頼む」


 みちるは短く返事をして、ケーブルをほどいた。

 同じことを何度も頼んだ手だった。机から落ちないように引っ掛ける場所まで、俺よりよく知っている。

 その手が入れた三行のことを、俺は知らなかった。


 明日は俺だけが原文を先に開き、共有する部分を選ぶ。さっき決めた方法で準備するよう頼むと、みちるは返事をして、空いていた机へもう一本ケーブルを置いた。


 九条が明日の確認方法を顧問へ伝える間、莉乃はノアへ、元の文章を公開する話ではないと念を押した。


「確認して、もし活動をやめることになったら、そのあとも説明を聞けますか」


 ノアが聞く。

 俺は振り返った。やめる、という言葉だけが耳に残る。


「まだ、そう決まったわけじゃ」


「分かっています。もし、の話です」


 莉乃が口を開きかけた。

 代わりに紙を引き寄せ、余白へ何かを書いた。


「やめる手順だけ説明して、それで終わりにしないでほしい」


 九条へ向けた声だった。


「使うのをやめた人が、そのあと誰に話せばいいのか分からないこともあるでしょう」


 莉乃の鉛筆が、余白の一点を押さえる。

 九条はすぐには答えなかったが、顧問へ向けていた資料を戻した。


「その点も、確認しておきます」


 莉乃はうなずいた。

 いつもなら、何を、いつまでに、と続けそうなのに、その一言のあと、口を閉じた。


 俺はノアへ向き直った。


「明日、調べたくないことがあったら、途中でも言ってくれ」


「はい。でも、今は知りたいです」


 机の上の案内図が、扇風機の風で少し浮いた。

 角を押さえた俺に、ノアが言う。


「そちらは、消さなくていいんですよね」


「案内? これは明日も使う」


「では、そちらは続きからできますね」


 俺はうなずいた。

 今日、ここへ来る前に、ノアへ見せるつもりだった改良版。その続きをする机に、別の準備が並んでいる。

 明日も同じ声で呼ばれるのか、先に確かめたくなった。

 聞く代わりに、案内図の端へ重しを置いた。


「確認用に、元のファイルの場所だけ伝えておく」


 みちるが言った。

 一覧の最後に、入力元の保管場所が一つ表示される。中身は開かれず、フォルダの名前だけが見えた。


『送らなかったもの』


 何年か前、指先だけで打ち、誰にも見せないつもりで付けた名前だった。

 送り先を選ぶ画面を、閉じたことがある。

 そのあと、もう一度開いたこともある。


 俺の横で、ノアが黙ってその文字を読んでいた。

 先に目をそらしたのは、俺だった。


     *


 今夜の三行


 一 最初の三行は、みちるさんが入れた。

 二 出所は、ハルが確認してから教えてもらう。

 三 私が知りたいと決めたことを、忘れない。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。