第5話 文化祭前夜祭の配信で、AIが恋敵を宣言した
初配信で、AI彼女が偽装恋人に宣戦布告した
「昨日、勝手に日記を読んだ」
公開テストの開始まで、あと二十分だった。
旧視聴覚準備室の机には、配信の手順と来場者向けの案内図。入口には、今日は正しい向きの看板がある。
俺は端末の前へ椅子を置いたまま、座れなかった。
「君が一人で書くって言った日記を、俺が保守画面から開いた」
ノアがこちらを見る。
今朝、改めて名前を伝えたときと同じ顔だった。今の彼女の日記には、天音の看板と、みんなが笑ったことしかない。
昨夜、閲覧の通知を受け取ったことは、残っていなかった。
「……私が、見せると言ったのではなく?」
「言ってない」
「何を見るために?」
保存の確認、と答えるために開いた口を、一度閉じた。
画面には最初から『確定済み』と出ていた。
「俺の名前が入ったか、気になった」
みちるが、つないでいたケーブルから手を離す。
天音は原稿を机へ置いた。莉乃も何も言わず、俺と端末の間の資料をどけた。
「勝手に読んで、ごめん」
ノアはすぐに返事をしなかった。
昼に全員が名前と今日の担当を伝えたあと、配信の練習をした。そのときは、俺の言い間違いを三度も笑っていた。
今は、次の言葉を探しているように口を閉じている。
「配信の前に、話す時間をください」
「うん。開始を遅らせる」
俺は席へ戻って、公開ページに十五分遅れると出した。天音が廊下へ行き、来てくれた生徒にも伝える。
時計の数字が進むのを、見ないようにした。
「私の日記は、見たいと思えば、ほかの人にも見えるんですか」
俺はみちるを見る。
自分が説明しないで済むための視線になりかけて、端末へ向き直った。
「保守の権限がある人は読める。俺とみちる、学校の運用アカウント。それから、貸してくれている会社の担当者」
「私は、どの行を見せるか選んだつもりでした」
「うん」
「選ぶところも、見せるところも、同じ画面にあったから」
俺が作った三つの枠を、ノアが見る。
下書きを横へ置けるようにした夜、使いやすくなったと思った。それだけでは、足りなかった。
「通常の操作から、本文を出すボタンを外せる」
みちるが言った。
「でも、保守の権限まで変えるには、貸与元の確認がいる。今日、全部直ったとは言えない」
「通知は?」
俺が聞くと、みちるは設定を開いた。
「昨日も送られている。読み取りを試した場合も、必ず本人側へ知らせる設定に固定しよう。こちらから止められないように」
莉乃が紙に二つの項目を書き、ノアへ向けた。
「今日の対応と、まだ残ること。分けて確認しましょう。これでいいと思う?」
ノアは、表示と莉乃の紙を見比べた。
「今日は、その形で。誰が読めるかを、私も見られるようにしてください」
みちるがうなずく。
俺は日記の画面を閉じ、ノアが共有するときだけ表示する側へ切り替えた。
「俺は、もう勝手には読まない」
「はい」
短い返事のあと、ノアは少し間を置いた。
「今、それを信じたか聞かれると、困ります」
「聞かない」
信じてくれるなら安心できる。
そんな返事まで、俺から取りにいくわけにはいかなかった。
*
予定の時刻を過ぎても、廊下には人が残っていた。
みちるが見せた確認画面に、配信を待つ人数が出ている。少なくとも、準備室に置ける椅子の数より多い。
「今日は、やめてもいい」
俺が言うと、ノアは日記の枠ではなく、公演の台本を開いた。
「出たいです。準備した紹介と、案内を試したいので」
「怒ってるよな」
「怒っています」
そう言ってから、ノアは台本の途中を指した。
「ここは、変えてください」
『代表の理想を詰め込んだ、最高のAI彼女です。』
告知用に俺が書いた一文だった。
「最高、が嫌?」
「代表の理想を、です」
俺は文字を選び、消した。
何と紹介するか迷っていると、ノアが言う。
「ノアです。今日は、私たちの制作会を紹介します。それで始めます」
「分かった」
莉乃が自分の紹介文を示す。俺の恋人という肩書きを使うこと、顔を映す範囲、答えない質問。今朝も打ち合わせたことを、もう一度確認した。
天音とみちるは顔を映さず、必要なところだけ声を入れる。カメラの向きと配信画面が違うことも、全員で確かめた。
「日記は出さない。ノアが見せると決めた行だけ、こちらの枠へ」
俺が言うと、ノアは一行を選んだ。
『私は、笑ったことを忘れたくない。』
「昨日の私が残した文です。この一行なら、見てもらいたいです」
あとの二行は、共有の画面に来なかった。
俺も、それを出す操作はしなかった。
天音が入口を開ける。椅子を引く音が重なった。
俺はノアが始めるのを待った。
「では、お願いします」
彼女が選んだ合図で、青い幕が上がる。
白い文字は、ちゃんと『ノア』になっていた。
*
「初めまして、ノアです。今日は、私たちの制作会を紹介します」
練習と同じ言葉なのに、人のいる部屋では違って聞こえた。
画面の横を、初めてのコメントが流れる。
『動いた』
『声かわいい』
『横にいるの代表?』
「制作会代表、一ノ瀬ハルです」
「本日は、椅子に座った状態でお届けします」
ノアの余計な補足に、来場者の一人が笑った。
今日の打ち合わせで、失敗する代表をいじるのは構わないと話していた。でも、その言い方は練習にない。
「普段から座ってるよ」
「ときどき、座るのに失敗するそうです」
天音が、カメラの外で看板へ顔を隠した。
笑っているらしい。
俺たちは案内の画面を出した。
来場者から教室を一つ選んでもらい、ノアが道順を話す。画面には大きな矢印。声の速さを変えると、後ろの生徒が親指を立てた。
「もう少しゆっくり、もできます」
天音の声が入る。
ノアがゆっくり読み直すと、今度は「分かりやすい」と返事が来た。
説明の途中で音は切れなかった。みちるが机の下から、小さく拳を上げる。
コメントが、次々に増えていく。
誤字を見つけた生徒が教えてくれて、俺はその場で直した。直るたび、ノアが「代表、本日二つ目の仕事です」と数える。
「仕事は、もっとしてる」
「数え直しの依頼は、終了後に受け付けます」
廊下にまで笑い声が届いた。
俺が作った白い画面の中で、ノアが自分の間で言葉を出す。
この場を止めたくないと思った。さっき、止めてもいいと言ったばかりなのに。
続いて、莉乃の紹介だった。
「文書担当の月読坂莉乃です。代表の彼女をやっています」
さっきまで案内を聞いていた生徒たちが、一斉に俺を見た。
コメントの流れも急に速くなる。
『彼女いるのかよ』
『じゃあAI彼女は何担当』
天音が案内原稿の角をそろえ直す。
偽装と知っている彼女の前で、俺は肩書きを宣伝に使っている。そのことが、いまになって落ち着かなかった。
「制作も手伝ってもらってます。契約……じゃなくて、書類とか」
「紹介の訂正が必要なら、終了後に受け付けるわ」
さっきのノアと同じ言い回しで、莉乃が返す。
画面の中のノアが、二人を見た。
「では、代表に人間の恋人がいる間、私は休業ですか」
「いや、そういう分担じゃなくて」
「私、お二人の交際を応援する仕事は引き受けていません」
「頼んでいないわ」
莉乃が答える。
画面を見つめたまま、口元だけがわずかに笑っていた。
「では、応援しません」
コメントに、たくさんの笑う顔が並んだ。
ノアはその流れを一度見て、俺へ向き直る。
「恋人になる予定はありません。でも、ほかの人の恋人になるのは、もっと嫌です」
俺は、次の説明を忘れた。
ノアが俺の顔を見ている。コメントの流れる欄へ目を逃がしたのに、文字が頭に入ってこなかった。
「その台詞、台本にないぞ」
「私の不満に、あなたの台本が必要ですか」
椅子を引く音がした。前の列の生徒が、笑いながら隣をたたいている。
莉乃は笑ったまま、ノアを見た。天音は原稿を持ち直し、俺を一度だけにらんだ。
「……必要ない」
俺は答えて、次のページを開いた。
ノアが何を感じたのかを、俺がここで解説するのは違う。
「それじゃ、文句も言えるうちの主役に、最後の案内を頼みます」
「はい。文化祭当日も、私は私が選んだ言葉でご案内します」
最後の画面に、彼女が選んだ一行が出た。
私は、笑ったことを忘れたくない。
その下へ、大きな文字で文化祭の日付。
拍手が来た。
部屋にいる人と、画面の向こうの人の反応が重なって、俺は一瞬、どちらを見ればいいか分からなくなった。
*
配信を閉じると、ノアは画面の隅で白い袖を振った。
「終わりました」
「うん。音も、最後まで切れなかった」
みちるが言う。
天音は来場者を送り出し、莉乃は使わなかった紙を重ねた。
俺は端末の前へ戻りかけて、足を止めた。
「今日、出てくれてありがとう」
「公演は、楽しかったです」
ノアはそれだけを答えた。
俺も、それ以上の返事を求めなかった。
顧問が、部屋の入口から俺たちを呼んだ。
貸与元から見学に来ると、昼に聞いていた人がいる。地味なスーツに、古い小型端末を持った男性だった。
「ヴェルテ・ラボの九条です。今日は、拝見しました」
名刺を受け取る。
九条玲司。検証担当。
「あの、さっきの台詞は、俺が用意したものではなくて」
先に言ってしまった。
九条はうなずき、まだ消していなかった最後の一行を見た。
「そのようですね。だから、確認したいことがあります」
俺はノアを見る。彼女も、男性の顔を見ていた。
「このAIが何を感じたかより先に、誰が最初の言葉を渡したか、確認させてください」
みちるの指から、束ねかけたケーブルが一本落ちた。
拍手のあとで、彼だけが顔を上げなかった。
*
今夜の三行
一 ハルは、勝手に読んだことを謝った。
二 私は怒ったまま、舞台に出ると決めた。
三 ほかの人の恋人になるのは、もっと嫌だ。




