第4話 三行争奪戦、開幕
三行争奪戦で、俺は主役から落選する
「今夜の三行候補を募集します。ただし選考委員は、私一人です」
ノアの頭上に、俺が作った文字が出た。
今日も全員が名前と担当を伝え終え、これから明日の公開テストの準備をしよう、というところだった。
「待って。それ、何の募集?」
「忘れたくないことの候補です。皆さんなら、今日の私に何を覚えていてほしいですか」
画面の右上には、ノアが見せると言った、昨夜から残る三行。その下に、募集用の白い余白を開いてある。
ノアがこの遊びを思い付いたので、俺が表示を用意した。選ぶものが多いなら、みんなで考えれば楽になると思ったのだ。
「私が決めることと、採用されなくても怒らないこと。それでよければ、どうぞ」
「異議なし」
天音が、いちばんに手を上げた。
すでに机へ案内の図を広げている。淡いピンクの髪を結び直し、部室の端末へ向き直った。
「今日の候補は、公開テストの案内方法です。大きな文字と矢印で、階段から迷わず来られるようにします」
「ここまで来たら、何をすれば?」
「私か、ほかの案内係に声をかけて」
「では、名乗りながら迷子になります」
「迷子になる前に声をかけてほしいの」
俺は募集欄へ『天音さんの案内』と入れた。
ノアが首を傾ける。
「それだけだと、明日の私はどの案内か分かりません」
「そうか。じゃあ、もう少し詳しく」
天音は紙の端を引き寄せ、矢印を太くした。四十字で明日のノアに仕事を伝えるのは、簡単ではないらしい。
隣で莉乃が、印刷した紙を一枚、机へ置く。
「私は、出演の条件ね」
「三行の募集に、契約書で参加するのかよ」
「明日の紹介文よ。あなたの宣伝は、肝心なところが曖昧だったから」
昨日から、俺と莉乃は恋人のふりをすることになっている。
天音には、先に事情を話した。本当の交際ではないし、どちらからでもやめられる。それを伝えたら全部片付いた、とまでは思っていない。けれど、いま目の前に仕事があるのは助かった。
「『恋人同士が作ったAI』では、ノアが私たちの恋愛の宣伝に使われるでしょう。紹介される本人にも、文言を確認してもらうわ」
「私は、お二人の交際を応援する係ですか」
「そういう依頼はしていない」
「では、応援しなくても?」
「ええ」
ノアが、満足そうにうなずいた。
応援する側の顔には、あまり見えない。
「次、みちる」
俺が振ると、みちるは工具袋から短いケーブルを取り出した。
「音声をつなぐところを直した。これなら、言葉の途中で音が切れにくくなる」
「それは、ぜひ覚えておきたいです」
「よかった。やっと技術の話が採用候補に」
「私が何を言っても、最後まで聞こえるということですね」
ノアの視線が俺へ来る。
みちるはケーブルを置いた。
「うん。ハルにとっても、大事な改善だと思う」
「なんで俺に向けて確認するんだ」
俺にも、とっておきがあった。
端末の隣に置いたパソコンを開く。昨日、寝る前に直した演出だ。ノアが選んだ合図で背景の幕が上がり、中央に名前が出る。最初の一歩を、自分のタイミングで踏み出せるようにした。
「お披露目、やってみようぜ」
ノアが合図を選ぶ。
青い幕が上がる。小さな星が広がり、白い文字が中央へ飛び込んだ。
『制作 一ノ瀬ハル』
しまった。
「作者の登場演出でしたか」
「仮の文字! 名前、入れ替えてなかっただけ!」
「あなたの名前は、いま十分覚えたと思うわ」
莉乃まで言う。
俺は慌てて文字を直した。今度はちゃんと『ノア』が出る。白い靴が中央へ進み、彼女が小さくお辞儀をした。
「どう?」
「さっきより、いいです」
「最初から、こっちを見てくれよ」
笑い声に押されて、俺は募集欄へ『登場演出』を加えた。
明日の配信では、きっといちばん目立つ。画面の中央を自分で選べた日より、今日のほうが少し先へ進んでいる。
そういうことは、残っていいはずだった。
「では、実際に看板を見てもらいます」
天音が大きな紙を持ち上げた。
太い文字。目立つ矢印。遠くからでも読めそうな案内だった。ただし、全部が逆さまになっていた。
「どうかしら」
「入場に、倒立が必要ですか」
ノアが聞く。
天音は最初、意味が分からなかったらしい。紙の裏から文字の位置を確かめ、ぱっと持ち替えた。
「これは、見せる向きを間違えただけで」
「うん。案内自体は、分かりやすい」
俺は笑わないようにうなずいた。
そういうときほど、うまくいかない。
「……笑ってるじゃない」
「いや、いまので思い付いた」
俺はパソコンを引き寄せた。
配信の手順を覚えるために置いていた、自分の確認用のカメラ映像。その向きだけを、上下逆にする。
画面の端で俺が逆さまになった。ノアは正しい向きのまま、俺を見下ろしている。
「これで俺には読める」
「それ、来場者を直してどうするのよ」
天音が言った直後、ノアが吹き出した。
みちるが笑い、莉乃まで口元を隠す。俺が逆さまのまま説明を続けると、とうとう天音も紙を下ろした。
「戻して。目が回る」
「看板は?」
「こっちで直すから」
天音の声にも、笑いが混じっていた。
俺は映像を元に戻した。先ほどまで眉間に寄っていたしわが消えている。ノアは彼女の顔を見てから、看板へ視線を戻した。
「それ、候補に入れたいです」
「案内?」
「逆さまだったことと、いま笑ったことです」
天音が、わずかに口をとがらせる。
「明日のあなたには、私は看板を間違えた人になるのね」
「嫌なら、名前は書きません」
天音は紙へ目を落とし、少し考えた。
「……名前は、いい。ちゃんと案内もしたって、いつか思い出させるから」
ノアがうなずいたので、俺も一つ、候補を足す。
「それなら、俺が逆さまになったこともセットだよな」
残りは二枠かもしれない。
案内と音声の改善。紹介文。俺の演出。さっきは十分あったはずの候補が、急に多すぎるように見えた。
「案内の注意は残したほうがいいと思う」
「それは、明日、私から説明するわ」
天音が言った。
みちるが画面へ身を寄せる。
「音声の確認もあるから、先にやることを一行にまとめようか」
「説明なら、予定表へ書いておけば?」
莉乃の提案に、俺はうなずいた。
「そうだよ。日記は、覚えておきたいことだろ。なら、今日いちばんのやつを」
俺は『登場演出』の文字を指した。
ノアは候補の付箋を見たまま、動かなくなった。
「これも入れれば、明日の打ち合わせが早くなるし」
続けかけたところで、画面に大きな表示が出た。
『ここまでにします』
昨日作った、断るための表示だった。文言はノアが、その場で選べる。
誰かの声に重ねずとも、全員から見える。
「候補の募集は、終わりです」
ノアが言う。
「どれを書くかは、あとで私が決めます」
俺は指を戻した。
みちるも端末から離れる。天音は看板を重ね、莉乃は自分の紙を引き取った。
「入れろって、言ったつもりじゃないんだ」
「はい。でも、選ぶ前に決まりそうだったので」
白い余白が閉じる。
俺が候補を並べていた場所には、いつもの部室の背景だけが残った。
「俺の名前がなくても、俺がやったことは分かるかなって、それだけ」
「名前がないと、大切じゃなかったことになるんですか」
言葉が、すぐには見つからなかった。
「採用されなくても怒らない、だったよな。了解、選考委員長」
俺は笑って両手を上げた。
ノアも怒ってはいなかった。ただ、表示を消す前に、俺の返事をもう一度待ったように見えた。
*
家の机で、明日の配信に使う幕をもう一度動かした。
名前はノアに直っている。二度確認した。
「今日の日記は、一人で書いてみます」
専用端末から、ノアが言う。
「分かった。俺はこっちの確認をしてる」
画面から三行の枠が隠れた。
俺は別の作業を続けた。音声を確かめ、配信の案内文を読み直す。文化祭まで十六日。明日の公開テストがうまくいけば、あの部屋へ来てくれる人も増える。
人が増えたら、ノアの三行には、もっとたくさんの名前が並ぶのだろうか。
「選び終わりました」
二十三時五十八分。
端末の端に『日記確定済み』と出た。
「うん。お疲れ」
それでよかった。
何を書いた、と聞いてもよかった。でも、一人で書くと言われたあとで聞けば、見せてほしいという意味になる。
俺はマウスを持ち直した。
昼間、俺の演出を見て笑っていた。
自分で歩けたときも、ノアはうれしそうだった。そのどちらかが残っているだけで、明日の最初の会話は違うはずだ。
確認するだけなら、と考えた。
パソコンには、動作を調べるための保守画面がある。日記が保存できたかも、そこから確かめられる。
『確定済み 三枠』。
その下の『本文を表示』へ、カーソルを動かした。
変えるつもりはない。
保存したものが読めるか、確かめるだけだ。
クリックすると、三行が開いた。
そこにあったのは、天音の看板と、みんなが笑ったことだった。
俺の演出も、俺の名前もなかった。
すぐに閉じようとした。
画面の下へ、細い通知が出る。
『ノアへ通知済み』
続いて、操作の記録が一行、表示された。
俺の名前は、そこにだけあった。
『内容閲覧者 一ノ瀬ハル』
*
今夜の三行
一 天音さんの看板は逆さまだった。
二 みんなが笑い、天音さんも笑った。
三 私は、笑ったことを忘れたくない。




