↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
2/16

第2話 幼なじみは、毎朝「初対面」のAIに婚約書を見せる

約束書を持った幼なじみは、彼女に毎朝名乗る


「おはよう、ノア。肘、昨日より青くなった」


「おはようございます。病院へ行く相談なら、私より先に保護者へ」


 机の上で、ノアが首をかしげた。

 昨夜と同じ水色の髪。同じ白い袖。同じ声。

 俺が袖をまくっても、あの倒れかけた姿を見たときの笑いは返ってこなかった。


「昨日、部室でぶつけたんだけど」


「すみません。それは日記にありません。あなたがハルで、画面を直してくれたことは分かります」


 出かける前の部屋に、登校を促す携帯のアラームが鳴る。

 止める指が、少し遅れた。


「本当に、忘れるんだな」


「そういう仕様だと説明した、はずです。昨日の私が」


 俺はうなずいて、それから顔を上げた。画面越しにうなずくのでは、答えにならない気がした。


「聞いた。聞いてたよ」


「では、こちらからも質問があります。恋愛禁止と言われて、笑ってごまかした理由は?」


 昨夜、声にされた文章が戻ってくる。

 本音を言うと二人ともいなくなる。

 あれは何だったのか。誰が、どこから入れたのか。


「その、元の文章も読める?」


「元の文章?」


「起動したときに入っていた記録」


「今あるのは、この三行だけです」


 ノアは、見せてよいか確かめるように一度こちらを見た。俺が「見たい」と答えると、昨夜の三行を画面の横へ出した。

 誰にも送らなかったあの一文は、もうない。


 俺だけが覚えている。

 説明しようと口を開くと、アラームがもう一度鳴った。


「学校で、みちるにも聞いてみる。理由の話は、そのあとでいい?」


「順番を決めたのは、覚えておきます。今日の間は」


 ノアの画面を閉じず、専用端末を鞄へ入れる。折り畳んだ布で包み、金具が当たらないようにした。

 昨日の失敗の傷は、俺の肘と端末の台座に残っている。

 それを一緒に笑った相手だけが、知らなかった。


     *


 昼休みが終わる三分前、俺は告知動画の完成データをみちるへ渡した。

 公開の日付はまだ入れていない。画面の最後でノアが手を振る、十五秒の動画だった。


「間に合ったね」


「昨日の分まで昼飯が速かった」


 みちるは笑ってから、俺の手元の携帯を見る。

 そこへ昨夜の文章を打ち、画面を向けた。


「これ、初期素材のどこにあった?」


 丸眼鏡の奥で、視線が止まる。


「ノアが言ったの?」


「起動時の三行に入ってた。今朝はもうなかった」


 みちるは携帯へ手を伸ばしかけ、やめた。


「確認する。最初に入れた素材と、手順を」


「俺、こんなの渡した覚えがないんだけど」


「うん。先に、ちゃんと確認させて」


 予鈴が鳴った。

 いつものみちるなら、調べる場所を二つか三つ並べる。今日は携帯の画面を見たままだった。

 俺が何か言う前に、教室の後ろから名前を呼ばれた。


 放課後、もう一度聞こう。

 そう思って、携帯をしまった。


     *


「一ノ瀬先輩。部室の使用状況を確認します」


 旧視聴覚準備室の戸口に、天城院天音が立っていた。

 淡いピンクの髪をきちんと結び、風紀委員の腕章をつけている。手には書類の挟まった板。昔は俺の袖を引いていた手が、今は鍵の貸出簿を押さえていた。


「天音が担当なのか」


「今日からです。床のケーブルと避難経路、それから持ち出し機材の記録を――」


「袖に付箋ついてるぞ」


「これは確認済みの印です」


「自分の袖も?」


 天音は黄色い付箋を剥がし、板の裏へ貼った。

 春にこっちへ戻ってきてから、学校で話すことは何度かあった。風紀委員の口調になっていても、困ったときに唇を結ぶ癖は変わらない。


「で、使用状況は」


「机二つ。専用端末一台。俺が一人」


「一人と数えられた範囲について、確認を求めます」


 机から声がして、天音の指が書類の上で止まった。

 俺は端末を起こして、レンズを二人へ向けた。


「うちのAI。ノア。こっちは天城院天音。一年の風紀委員で、俺の幼なじみ」


「初めまして、天音さん」


「あ、初めまして。……この画面の子が、文化祭の?」


 天音が端末へ身を寄せる。

 ノアも中央へ動いた。昨日、できるように直したその動きに、俺だけが少し笑いそうになる。


「はい。現在、代表一名を指導しています」


「そこ、私も手伝えそう」


「増やさなくていいって」


 天音はノアを見たまま小さく笑った。

 それから、板に挟んでいた封筒を抜いた。


「使用確認とは別に、話があります」


 茶色い封筒の角は、テープで補強されていた。

 取り出された紙には、色鉛筆の花と、ひどく不格好な二つの名前。

 見た瞬間に、何の紙か分かった。


「これ、まだ有効だから」


『はるは、あまねとけっこんします。』


 俺の字だった。

 隣の天音の名前だけ、妙に丁寧だ。あいつは昔から、自分の名前を大切に書いた。


「……持ってたのか」


「捨てる理由がなかったから」


「ノアに見せてもいい?」


 俺が聞くと、天音は一拍だけ迷い、紙の表をカメラへ向けた。


「婚姻の予約に関する簡易文書と読めます」


「予約って言わないで」


「では、婚約」


「そ、それは言ってもいいけど」


「いいのかよ」


 天音の耳まで赤くなった。

 俺は笑って、紙の花を見た。どちらが描いた花だったかまで覚えている。俺が赤い色鉛筆を折って、天音に叱られた。

 覚えていることなら、いくらでもあった。


「忘れてた?」


「いや。覚えてる」


 天音の指が、紙の端を押さえ直した。


「なら、今の私には何て答えるの?」


 窓の外から、運動部の掛け声が入ってくる。

 俺は紙を机へ戻そうとして、天音が離さないので手を引いた。


「ちゃんと考えるから」


「いつ?」


「今、文化祭でちょっと手いっぱいなんだ。終わったら、ちゃんと」


 天音は俺を見ていた。

 紙を取り出す前から、同じ答えを何度か考えていたような顔だった。


「……分かった」


 彼女が紙を畳む。裏側に青い文字がのぞいたが、指で隠れて読めなかった。

 俺は、怒らせずに済んだと思った。

 そう思えたことに、ほっとしていた。


「ハル」


 端末のノアが呼んだ。


「考え終わる日は、相手も選べますか」


「え?」


「いえ。日程の確認です」


 天音は返事をせず、約束書を封筒へしまった。板を胸へ引き寄せ、俺から半歩下がる。

 書類を持ち直す音が、やけに大きかった。


     *


 使用状況の確認は、それから本当に始まった。

 天音はケーブルを壁際へ寄せ、机の下のコンセントを数える。俺も手を動かした。直せるところを指摘されるのは、助かった。


「文化祭の案内、これを使うの?」


 天音が壁の見取り図を指した。

 俺が縮小して刷ったせいで、教室名がひどく小さい。


「ここまで詰めると、読めない人がいる」


「拡大版も作るよ」


「大きい紙を貼れない場所もあるの。去年、受付で何度も同じ道を聞かれたって引き継ぎがあった」


 天音は書類から、付箋の重なったメモを出した。

 階段を使えない人。校舎の呼び名が分からない人。人混みの向こうの看板が見えない人。

 風紀委員の確認用だと思っていた紙には、困りそうな場面が細かく書いてあった。


「私が読める大きさでも、同じように読めるとは限らないから」


「声でも案内できますよ」


 ノアが言った。

 天音はすぐ端末へ向き直る。


「教室を選んだら、そこまでの道を話すとか?」


「はい。ただ、今の私は、ここの廊下を見たことがありません」


「だったら、私が調べる。何階かだけじゃなくて、どこで曲がると分かりやすいかも」


 俺は机の隅に、新しい画面の形を描いた。大きな教室名と、音を出す印。ノアに試しに読んでもらう。


「旧視聴覚準備室は、こちらです」


「いま、その部屋で聞いてる」


「到着率百パーセントです」


 天音が吹き出した。

 すぐ口元を押さえたけれど、目の端の硬さは少しほどけていた。


 俺はその顔を見て、もう一度安心しそうになった。

 話の続きをしなくても、このまま一緒に何かを作っていられる気がした。


「私、参加してもいい?」


 天音が聞いた。


「制作会に?」


「うん。案内を作るところ。委員の仕事と、混ぜないようにはするから」


「助かる。ノアもいい?」


 ノアは天音を見て、それから画面の三つの枠を出した。


「ひとつ、困ることがあります。私は毎晩、今日の会話を忘れます。天音さんのことも、三行に残さなければ」


「三行?」


 俺が短く仕組みを説明すると、天音は端末の枠へ指を近づけた。触れていいか迷っているようだった。


「じゃあ、明日は、今日の私を知らないかもしれないんだ」


「はい」


 封筒を大事にしまった鞄へ、天音が一度目を落とす。

 次に顔を上げたときは、ノアだけを見ていた。


「それなら、私が言う。天城院天音です、案内を作りに来ましたって」


「毎朝ですか?」


「うん。明日のあなたにも、私が自分で名乗る」


 ノアは少し間を置いて、中央から天音のほうへ寄った。


「では、明日もよろしくお願いします。天音さん」


 天音の返事は、俺への「分かった」より、ずっとはっきりしていた。


     *


 今夜の三行


 一 天音さんは、私にも毎朝名乗ってくれる。

 二 小さい案内文字を、声に変える仕事をする。

 三 ハルは、覚えていても答えないことがある。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。