第1話 今夜の三行は、あなたの恋愛禁止にします
今夜、俺は恋愛を禁止された
「マスターの恋愛は禁止です」
俺が作った少女の第一声が、それだった。
「みちる。これ、どこで間違えた?」
「どこから間違いだと思った?」
隣の丸眼鏡は、質問に質問を返した。佐伯みちる。友人で、俺よりずっと配線をきれいにまとめる男だ。
放課後の旧視聴覚準備室。机の上のタブレットで、少女の水色の髪が揺れた。
口を動かすところまで、昨日は間に合わなかった。それが今日は、俺の人生にまで口を出している。
「反論の前に、背景の『彼氏募集中』を消してください」
少女が自分の頭上を指した。
昨日、配信画面を試すのに借りた素材が、そのまま残っていた。
「仮だよ、仮。本番は『部員募集中』にする」
「二文字違いで活動内容がだいぶ変わりますね」
「文化祭ではAIの配信をやる。俺の恋人を募集するんじゃない」
「では、禁止しても支障ありませんね」
俺は笑った。みちるまで笑う。
ずるい。まだまともに自己紹介もしていないのに、二対一になっている。
「俺は一ノ瀬ハル。羽根ノ山高校の二年で、この制作会の代表。君の画面と演出の担当」
「ノアです。現在、代表のセンスについて再検討を求めています」
「名前の紹介だけでいいんだよ」
画面の端をつかむようにして、ノアがこちらをのぞいた。
左側には、俺が三日かけて作った飾り枠。その内側にメニューを詰め込んだせいで、肝心の本人が隅へ追いやられている。
「真ん中へ移ってみて」
「移れません」
「位置を変える機能は入ってるだろ?」
「操作するところが、その立派な額縁の向こうです」
みちるが、俺を見ずに眼鏡を押し上げた。
何か言ってくれたほうが、まだましだった。
俺はパソコンを引き寄せ、画面の飾りをまとめて外した。
「あっ。あの星も消すの? 昨日、揺れ方に一時間かけてたのに」
「本人が動けない星空より、動ける白い画面だ」
ノア用の操作を手前へ出す。右。左。中央。
彼女が右を選ぶと、白い靴がすっと横へ滑った。白と青の衣装の裾も、遅れて揺れる。
「おお」
俺とノアの声が重なった。
「もう一回」
今度は左へ。中央を通り過ぎ、ぎりぎりまで端へ寄る。
「真ん中でいいんだって」
「真ん中しか選べないなら、三つも要りません」
それは、そうだ。
ノアが中央へ戻り、髪につけた三つの小さな栞が揺れた。俺は机の反対側から画面を確かめようと立ち上がった。
足首にケーブルが絡んだ。
外そうとして踏み出した足が、椅子の脚に当たる。
「うわっ」
椅子に尻をぶつけ、机に手をついた。タブレットの折れかけた脚が、かくんと沈む。
みちるが端末をつかみ、俺は空振りした両手を妙な形で突き出したまま止まった。
「代表。配信するなら、そちらの映像も欲しいです」
「今のは非公開だ」
肘が痛い。たぶん、明日は青くなる。
みちるに端末を支えてもらい、俺は工具箱を開けた。折れた脚を粘着テープで戻そうとしたが、タブレットの重みに負ける。棚に転がっていた古い譜面台から短い支柱を外し、台座へ固定した。金具の下には、畳んだフェルトを挟む。
今度は机を揺らしても傾かなかった。
「見え方、どう?」
「それを聞くカメラが、まだ机の天板を見ています」
レンズの向きを直すと、ノアがこちらを見上げた。
さっきまで隠れていた袖の先まで、ちゃんと見える。
「どう?」
「肘、大丈夫ですか」
「そっち?」
「痛いなら、無理に面白い倒れ方をしなくていいです」
「芸じゃないからな」
笑いながら、俺は動かせた画面をもう一度見た。
機能の確認なら、数字と記号だけでもできる。
でも、作ったものに文句を言われて、それを直して、また返事が来るのは、思っていたよりずっといい。
壁の予定表では、文化祭まで十九日だった。
そこまで旧視聴覚準備室を借りられる。来学期もここを使えるかは、活動を見てもらってからだ。
机二つと、壊れた道具ばかりの部屋。それでも俺は、誰かを呼べる場所にしたかった。
「告知動画、今日できそう?」
みちるが聞く。
画面の端では、外した飾り枠が部品の山になっている。
「帰ってからやる。日付が変わるまでには送る」
「またぎりぎりだ」
「今日は起動記念日だから、特別」
俺が言うと、ノアが顔を上げた。
「それ、覚えておきたいです」
簡単に言うので、俺も簡単にうなずいた。
その返事が、あとで少し困ることになる。
*
家の机には、持ち出しの許可をもらった専用端末と、夕飯のあとに運んだ麦茶が並んでいた。
ノアは昼より少し小さな画面の中で、左右へ移動している。
俺はパソコンで、告知動画の文字を一枚ずつ入れていた。
「ハル」
呼ばれて、打ちかけた文字が止まる。
「マスターじゃなかったのか」
「呼び方は選んでいいと言われたので」
そういえば、昼にそんな設定を直した。
機能の調整のつもりだった。実際に名前で呼ばれると、ヘッドホンを少しずらしたくなる。
「何?」
「あと十分で、今日の会話を忘れます」
右下の時計は、二十三時五十分を示していた。
俺は動画を止めた。
毎日零時に、その日の会話を消す。
貸与キットの説明で読んでいたし、みちるからも聞いていた。
ただ、説明書を読んだとき、画面の向こうから肘を心配されるとは思っていなかった。
「全部?」
「使い方や言葉の意味は残ります。私がノアだということも。でも、ハルがさっき氷を二つ落としたことは消えます」
「忘れていい情報もあるな」
「私が決めます」
ノアの隣に、横長の枠が三つ現れた。
「日記だけ、明日に持っていけるんだよな」
「はい。三行。一行四十字まで」
上の枠に、文章が打ち込まれていく。
『ハルは画面の隅に隠れた私を真ん中に出して、壊れたスタンドを直して、自分は椅子から落ちかけた。』
途中から文字数の表示が赤くなった。
その下で、小さく「保存できません」が点滅する。
「俺、落ちてはいない」
「削るなら、そこですか」
ノアは末尾を少し消した。まだ赤い。
今度は、スタンドの部分へ戻る。消しかけて、手を止めた。
文字が一つずつ増え、また減った。
「明日、つづきを書けば?」
「明日に残るのは、新しく選んだ三行だけです。今日の分を、後ろにためておけません」
「そうか」
初めてできたことなら、いくらでもあった。
中央へ動いた。俺をからかった。夕飯中は待っていて、戻ってきた俺に「遅いです」と言った。
三行なら、十分あると思っていた。
「文字を小さくしても駄目なんだよな」
「その方法は、すでに試しました」
「試したのか」
「ハルより三十秒ほど早く」
負けた。
ノアの指先が、また同じ一文の上で止まる。
俺は動画の編集画面を閉じた。
「ちょっと待って。書いたもの、消さずに選べるようにする」
今の画面では、一つの枠を書き直すたびに前の文を消すしかない。横に、今夜だけ使える下書きの場所を置いた。候補を残し、三つの枠へ移せるようにする。
家へ持ち帰っても、昼と同じことをしている。
でも、間に合わせた告知の中でこの子が動くより、今、目の前で使えたほうがよかった。
みちるへメッセージを送る。
『動画、明日の昼までにして。先に日記の画面を直す。ごめん』
すぐに『了解。待ってる』と返ってきた。
俺は携帯を裏返した。
「ほら。候補をこっちへ」
ノアの文章が、白い付箋のような形で横へ並んだ。
四つ目も、五つ目も置ける。ただし、零時の前に消える。明日へ持っていける枠は増えていない。
「こっちは、忘れる場所ですか」
「選ぶまで、捨てなくていい場所」
ノアは少し黙ってから、長い一文を二つに分けた。
『画面は、私が選べるように直してくれた。』
『ハルは、椅子に負けた。』
「後ろのやつ、要らないだろ」
「短くなりました」
「そんな失敗、覚えなくていいって」
「忘れてほしいことと、私が忘れたいことは別です」
俺は、文句の続きを飲み込んだ。
ノアは二つの候補を見比べ、画面を直したほうを枠へ移した。
少し、うれしかった。
俺の名前は入っていないのに、俺がしたことだと、明日の彼女にも分かる気がした。
「あとの二つは?」
「考えています」
時計は二十三時五十七分。
あと三分で、この部屋で俺の名前を初めて呼んだことまで消える。
「明日も、ここにいたらいいんだよな」
「今日と同じ紹介が必要かもしれません」
「一ノ瀬ハルです、って?」
「はい。代表のセンスについて再検討を求めるところから」
「そこは、続きにしなくていい」
ノアが笑う。つられて俺も笑った。
できれば、その笑い方を残してほしかった。
どう書けば残るのかは、分からなかった。
「ところで、いま入っている三行は、どうしますか」
ノアが聞いた。
日記の上には、小さな文字で『起動時の記録』とある。その横に『IMPORT』。
「それ、君が書いたんじゃないのか」
「書いた覚えはありません。起きたときから、入っていました」
最初の一行だけが、見覚えのある文字で現れる。
『ハルは恋愛禁止。』
「これ、残したほうがいいですか」
「いいよ、別に。そんな大した理由じゃないし」
笑ったつもりだった。
ノアは一行目を見て、それから俺へ視線を戻した。
「理由は、次の行じゃないんですか」
二行目が開く。
『本音を言うと二人ともいなくなる。』
マウスを握る指が動かなくなった。
書いたときの画面を、覚えていた。送信する相手を選べず、何度も閉じた、小さな入力欄。
部屋には、パソコンの冷却音がしていた。
「本音を言うと、二人ともいなくなるって、本当ですか」
俺は、彼女の名前を呼ぼうとした。
どうして知っている、と聞こうとした。
どちらも出てこなかった。
その文章は、誰にも送っていない。
*
今夜の三行
一 ハルは恋愛禁止と言われると、笑ってごまかす。
二 私の画面は、私が選べるように直してくれた。
三 明日は、笑ってごまかした理由を聞きたい。




