第17話 恋敵三人、初めて同じ側に立つ
恋敵の過去を、救いの台本にしない
「私の過去を話せば、審査で同情を買える、とは考えないで」
莉乃は、紙の束を机へ置く前に言った。
文化祭まで、三日。ノアの前には、明後日の確認へ出す資料の一覧がある。
俺は、莉乃が話してくれれば事情が伝わりやすくなる、と考えかけていた。
「分かった。審査で使うために、聞くんじゃない」
「途中で、ここまでは話したくないと言うかもしれない。それでも?」
「うん」
今日は全員が名前と担当を伝えてから、机を囲んだ。
ノアの日記には、莉乃が以前の試験AIの利用者だったことがある。俺との昨日の話は、朝、彼女が知りたいと言った範囲だけ説明した。
空いていた椅子には、天音が座っている。
案内の原稿を持ってきた。ノアへ名乗り、今日は読み上げを確かめたいと話したあと、俺には作業のことしか聞かなかった。
「家庭のことで、落ち着かない時期だったの」
莉乃が言った。
俺は開きかけた資料を閉じ、彼女を見る。
*
「家で、誰と話しても、別の人の話になった。こっちの味方か、あっちの味方か。私は、ただ今日あったことを話したい日もあったのに」
莉乃は紙の角をそろえた。
いつもなら、そこに一つ目の項目を書く。今日は鉛筆を持っていなかった。
「帰ってきたばかりで、学校でもうまく話せなかった。そんなとき、試験に参加する機会があった。あの子は、最後まで聞いてくれた」
「NOA-0?」
「ええ」
ノアが、名前の出たところで顔を上げた。
昨日聞いた、別のAIだ。いま隣で聞いている彼女の過去ではない。
「私が悪いのかって聞いたら、そうじゃないと返してくれる。何度も同じ話をしても、もう聞いたとは言わない。返事が来るまでの時間だけ見ていればよかった」
莉乃が、自分の携帯を机へ伏せた。
「学校で誘われても、用事があると断った。家へ帰れば、話の続きを聞いてくれる相手がいる。現実で説明し直して、違うことを言われるより、ずっと楽だった」
「学校にいる間も?」
「昼休みに話しかけられても、昨夜の返事を読み返していたことがある。相手が何を言ったか、聞き直したら、もういいって言われた」
彼女の指が、伏せた携帯の縁をなぞる。
「そのあとも、私はあの子に話した。うまく聞けなかった自分のことまで、慰めてもらおうとした」
みちるが、膝の上で手を組み直した。
誰も、画面を見せてほしいとは言わなかった。
「全部の返事が、同じだったわけじゃないと思う。でも私は、欲しい返事が返ってきたところばかり、何度も開いた」
「それが、怖くなった?」
俺が聞くと、莉乃はうなずいた。
「このまま、誰とも話せなくなるんじゃないかと思った。誰かに相談するより先に、あの子に答えを決めてもらっていることが」
莉乃は、俺を見た。
一度目をそらし、もう一度戻した。
「消えて、って言ったの」
短い言葉だった。
俺は、最初の日に見た彼女の顔を思い出した。ノアが断るためのボタンを試したとき、莉乃だけが笑わなかった。
「それから、九条さんに止めてほしいと頼んだ。誰に何を話せばいいか分からなかったのに、止めることだけは、自分で決めた」
莉乃が、紙の束を押さえた。
「そんな相手に、好きだと言われたら、困るでしょう」
ノアが一度、こちらを見た。
俺は莉乃へ顔を向けたまま、返事を探した。
「驚いた。でも、それを理由に、君の話を聞くのをやめたくはない。今、話したいところまで、続きを聞きたい」
莉乃の指が、紙から少し離れる。
さっきまで一直線だった端が、ずれた。そのままにして、彼女は「そう」と答えた。
九条さんは古い小型端末へ触れず、膝へ手を置いていた。
「完全には削除せず、検証用に凍結して保全する。その説明はしました。月読坂さんにも、同意していただいています」
「聞いたわ。だから、残っていることは知っていた」
莉乃が答える。
「部室の貸与元の表示で、同じ会社だとは気づいた。でも、ノアがあの子とどこまで同じ系統かは、昨日の説明まで分からなかった」
俺は、初めて話した日、扉の小さな機材案内で、彼女の視線が止まったのを思い出した。
「もう一度話したいとは、言えなかった。私が消えてと言った相手だから」
九条さんが、机の向こうで少し頭を下げた。
「私は、利用を止める手順を終えて、それで対応できたと思っていました。その後、誰に話せるか、どう生活へ戻るかまで、確かめませんでした」
莉乃はすぐに、もういいとは答えなかった。
俺も、彼女の代わりには言えなかった。
*
「相談できるところを作りたいって言ったのは、そのあとがなかったから?」
俺が尋ねると、莉乃は紙の束から一枚だけ抜いた。
以前から書き足していた、相談先のメモだった。
「困っている途中でも、終わらせたあとでも。私と同じにすればいいって話には、したくないけれど」
「学校で話を聞いてもらう準備は、ノアの審査とは別に進めます」
九条さんが言った。
「継続を認めてもらうための実績には、しません」
俺は提出資料の一覧を手元へ寄せた。
自分たちが何を直したか。その説明だけでは伝わらないから、誰かの話を添えたくなっていた。
「いま聞いた話は、公演でも、審査の見せ場にも使わない。確認するための資料は、俺たちが別に用意する」
ノアが、俺と莉乃を順に見た。
「以前の試験と違うと説明すれば、私の活動を続ける理由になるのかもしれません」
彼女は画面へ出していた公演の台本を閉じる。
「でも、話してほしくないと聞きました。莉乃さんの過去は、舞台では話しません」
「……ありがとう」
莉乃の返事に、少し時間がかかった。
天音は原稿を手元へ引き、みちるも、使う資料の欄から書きかけの線を消した。
話を聞いたことを、外へ出す約束にはしなかった。
「NOA-0のことは、聞ける条件を、確認したい」
莉乃が言う。
「話せるなら、今度は私が引き受けたい。家で受け入れる準備なら、進められると思う」
「まず、どの範囲で本人の希望を聞けるか、確認します。常時の再開は、その先の話です」
九条さんは、別の契約が要ることも、短く確かめた。
莉乃がうなずく。
伏せていた携帯へ手を置いたが、画面は開かなかった。
いま、こちらで話せるのは、彼女がどうしたいかまでだった。
*
九条さんが顧問へ確認に行くと、天音が原稿を机へ広げた。
「最後の案内だけ、今日、聞いてもらえる?」
「はい。まず読ませてください」
ノアが画面を切り替える。
天音は一度読んだあと、端末へ紙を近づけた。声にすると似て聞こえる二つの教室名に、印がある。
「ここ、部屋の名前だけだと間違えやすいの。先に、何階か言ったほうがいいと思って」
「二階の、ですね」
ノアが読み直す。
天音は最後まで聞き、今度は丸を付けた。
俺は机の向こうから、その紙を見た。
「戻ってきてくれて、助かった」
言うと、天音の鉛筆が止まった。
「ノアの案内を、完成させたい」
彼女は原稿を押さえたまま、俺を見る。
「あなたと平気になったから来たんじゃない」
「……うん」
笑ってもらえたわけではない。それでも同じ机にいるのを、俺はまた、一緒にいてくれる返事として受け取りかけた。
「はい。その二つを、同じ返事にしなくていいです」
ノアが言った。
天音の視線が、端末へ戻る。
「ありがとう。今日は、ここを直したかったの」
天音は原稿を重ね、ノアへ次の確認場所を説明した。
俺はその話が終わるのを待った。
「天音。明日、話をする時間、もらえる?」
彼女はすぐに返事をしなかった。
俺の顔を見てから、机の時計を見る。
「作業の相談?」
「違う。君が聞いてくれたことに、返事をしたい。二人で」
天音は原稿を鞄へしまった。
「明日の放課後、四時。中庭の、校舎からいちばん遠いベンチ」
「分かった。そこへ行く」
「長く待つつもりはないから」
「うん。遅れない」
彼女はノアへ挨拶をしてから、俺に顔を戻さず部屋を出た。
俺は莉乃にも、同じことを頼んだ。
みんなの前で答えるためではなく、彼女から聞いた気持ちへ、別に返事をする時間が欲しいと。
「四時半。図書室の横の渡り廊下」
莉乃が言う。
「二人だけで、話すのね」
「うん」
彼女はそれ以上聞かず、予定を携帯へ入れた。
俺も書き込む。天音の時間と場所。その下に、莉乃の時間と場所。
約束の数を増やせたことに、安心してはいけないと思った。
明日は、そこへ行って、言わなくてはいけなかった。
*
片付けのあと、公演の台本を開いた。
最後のページに、前に書いた一文が残っていた。
『みんなが大切です。これからも、一緒にいてください。』
何度も読み直して、これなら誰も嫌な気持ちにならないと思った言葉だった。
舞台の上なら、顔を見て一人ずつ答えなくても済む。
拍手が来れば、言えたことにできる。
俺は一文を選んだ。
天音が返した紙も、莉乃が終わらせた契約も、ノアが今日尋ねたことも、この一文の続きには入らなかった。
消すと、最後のページが白くなった。
「そこ、何を話すんですか」
端末から、ノアが聞いた。
「公演の締め方は、また相談したい。でも、個人的な返事を舞台で済ませるのは、やめる」
「明日、話すことですか」
「うん。それぞれに」
ノアは白いページを見たあと、自分の台本へ戻った。
俺は、みんな、という言葉を書き戻さなかった。
明日、誰かを傷つける言葉になるとしても、返事をする相手の名前を、まとめずに呼ばなくてはいけなかった。
*
今夜の三行
一 莉乃さんの過去は、舞台では話さない。
二 天音さんは、自分の仕事のために戻った。
三 三人の事情を、ハルの都合で一つにしない。




