第11話 彼女が生まれる前の記録
君のために、という言葉で隠していた
「ぼくがいないほうが、安心?」
作業分担表を見ながら、みちるが言った。
管理者の欄から、彼の名前を外したところだった。
文化祭まで九日。机の真ん中には、昨日決まった三つの条件が並んでいる。
「一人で保守を触れるのを、いったん止める。顧問とも話した」
「うん」
「作業から、いなくなってほしいとは言ってない」
みちるは、表を見たままうなずいた。
技術の欄には、名前が残っている。その横に、実行の前に確認を受ける、と書き足した。
普通なら二人でさっさと済ませる作業に、今日は紙が一枚要った。
「案は作ってほしい。試験も頼みたい。でも、本番の設定を変えるときは、学校と貸与元の承認を取る。必要な操作だけ、立ち会ってもらってやる」
「ハルの権限は?」
「俺のも、使ったことを確認してもらう。自分だけ例外にはしない」
みちるが、工具袋のひもを結び直した。
いつもより、固い結び目になっていた。
端末のノアは、作業表をこちらと同じ向きで見ている。
今朝は全員が名乗り、昨日の協議と、今日変える範囲を説明した。彼女の日記にあるのは、十日以内に運用を直すことと、自分だけが問われているのではないということ。それ以上は、今日聞いた話だった。
「みちるさんが入れた、最初の三行のことも、今日、もう少し聞いていいですか」
ノアが尋ねた。
「原文を全部読むのでなく、なぜ入れようと思ったかを」
みちるは俺を見た。
俺は、うなずく前に椅子へ座った。
*
「ハルが、話せる相手を作りたかった」
「それは、聞いた」
自分でも冷たい返しだと思った。
みちるは返事を急がず、眼鏡を一度外した。布で拭くのかと思ったが、そのまま机へ置く。
「君のためだった、は本当。でも、それだけじゃなかった」
机の向こうで、天音が使っていた鉛筆を置いた。
莉乃も、書類を重ねる手を止める。
「君に、必要とされたかった」
みちるの指が、外した眼鏡のつるへ触れた。
「直してって言われたら、ぼくにはできることがある。直ったら、助かったって言ってもらえる。君が話せる相手まで作れたら、もっと……」
続きは、声にならなかった。
俺は、返してもらった端末を思い出した。電源が入ったことに安心して、みちるの肩をたたいた。
助かった、と確かに言った。
「修理を頼んだのは、文章を読んで使う許可じゃない」
「うん」
「困ってたのを知ってるからって、聞かずに決めないでほしかった」
「……うん。ごめん」
昨日から聞きたかった言葉を、聞いたはずだった。
それで全部が前へ進むわけではない。俺の中には、まだ怒りがあった。みちるが顔を上げるのを待つのも、少しつらかった。
ノアは、その間に口を挟まなかった。
「最初の三行にあった、二人って」
俺は自分から話し始めた。
「中学のときの、友達なんだ」
ノアがこちらへ向く。
名前や私的なやり取りまで話す必要はあるかと聞くと、彼女は「どんな判断をしたかが知りたいです」と答えた。
俺は膝に置いた手を開いた。
「二人が、仲違いした。同じことをやってたのに、途中から意見が合わなくなって」
どちらも俺に、別々に話しに来た。
放課後の教室。階段の踊り場。相手がいないところで、あいつとはもう一緒にできない、と言った。
「俺、お前の味方だよって、二人ともに言った」
「仲直りしてほしかったんですか」
ノアが聞いた。
「そう言えば、格好はつく。でも、あのとき考えてたのは、自分がどっちにも嫌われないことだった」
片方の前ではうなずき、もう片方の前では違うことへうなずいた。
同じ話をされても、相手が気に入りそうな返事をした。
その日の帰り道は、いつも少し楽になった。
「ある日、二人が一緒に待ってた。靴箱の前で」
自分の場所まで歩く前に、立ち止まったのを覚えている。
どちらに言った言葉を先に説明するか、まだ考えていた。
「俺は、どっちと話したかったんだろうな。どっちともだったと思う。でも、そう言わなかった。誰かを選ぶとか、選ばないって言って怒られるとか、それが嫌で」
謝る文章を書いた。
途中で、自分が悪いと認めた部分を消した。
また書き直して、結局送らなかった。
今まで隠していたフォルダへ、残した。
「二人とも、俺に話しに来なくなった」
天音の椅子が、小さく鳴った。
顔を上げると、彼女は机の端を見ていた。何か言いかけたように唇が動き、そのまま閉じる。
俺は、自分が今も返していない言葉を思い出した。
「俺も、相手を傷つけたくないって言えば、自分が楽になれると思ってた」
その言葉を口にしたからといって、天音へ何と返すかまで決まるわけではなかった。
目が合う前に、俺は紙へ視線を落とした。
*
莉乃が、原文を今後の素材にしないという約束を紙へ書いた。無断で操作した事実まで消すものではない。
ノアは、その紙にもう一つ、加えるよう求めた。
「今日、聞いた話も、私に代わって日記には入れないでください」
「入れない」
俺は彼女の言葉どおりに書いた。
「みちる。複製の試験画面、分かりにくいところを直してほしい」
「どこ?」
「本番と見間違えないように。あと、どこまで操作すると何が起きるか、先に見せたい」
みちるはパソコンへ手を伸ばして、途中で俺を見る。
「検証用だけ、開くよ。本番へはつながない」
「うん。それを頼む」
眼鏡をかけ直した指が、まだ少し遅かった。
黄色い枠が開く。俺が前に置いた表示へ、みちるが接続先の名前を足した。
次に触るところを指し、ノアにも画面を向ける。
「その確認には、私も参加したいです」
ノアが言うと、みちるは変更する箇所を指したまま待った。
四人で覗き込むには小さな画面へ、天音が椅子を寄せる。俺も端末を少し近づけた。
ノアが見えたと答えてから、みちるは最初の設定を変えた。
元通りになった、とは思わなかった。
それでも、友人を追い出す以外の作業を、今は一緒に始めていた。
片付けるころ、みちるは机の下に置いた工具箱まで持ち上げた。
工具袋に入り切らない部品を、上へ重ねている。
「それ、持って帰るのか」
「置いたままにしていいか、分からなくなって」
俺は箱の横へ、自分のドライバーを戻した。
「明日も使う。ここへ置こう」
みちるが箱を下ろす。
天音は机の端に残った付箋を集め、莉乃は明日の分の作業表を挟んだ。ノアの端末を運ぶ布を広げながら、俺はみちるに聞いた。
「駅まで、一緒に帰る?」
「まだ、何か直すものがある?」
「帰るだけ」
みちるは、手元を一度見た。
何か渡すものを探したようだった。
「……うん」
校門を出ても、話はなかなか続かなかった。
いつもなら、直しかけの機材や、明日の演出を話す。今日はどちらも、言い始めるのが難しい。
頼み事を一つ作れば、この沈黙は埋められる。ポケットの携帯へ触れて、手を出すのをやめた。
「さっきの、二人の話」
みちるが言いかけた。
顔を向けると、彼は眼鏡を押し上げた。
「読んだだけで、前から知ってる話みたいに思ってた。ハルが何に困ってるかも」
「今日、俺が話したところまでにして」
「……うん」
また黙って歩いた。今度は、続きを話すように促されなかった。
並んだ影が道の傾きで離れて、また近づく。俺は歩く速さを変えなかった。
駅前の信号で、みちるが俺より半歩遅れて止まった。
「明日、また来ていいんだよね」
「うん」
俺は顔を向けた。
「でも、今日、全部許したって意味にはできない。まだ腹が立ってる」
みちるは、すぐにはうなずかなかった。
青になった信号を、一緒に渡る。
「明日も、それは聞く」
改札の前で、彼はそう言った。
俺も、何を頼めば友達でいてくれるかを探さずに、そこで手を振った。
*
夜、ノアが「今夜はこうします」と、三つの枠を共有した。
俺の部屋の画面に並んだ枠は、どれも空欄だった。
「全部、空欄?」
「はい」
「書くのを、やめたくなった?」
「書かないことに、したいです」
ノアは一つ目から順に、空いている枠を見た。
「みちるさんが言ったことも、ハルが話したことも、聞きました。今、思うことはあります」
「うん」
「でも、明日の私に、こう思うべきだって渡したくないんです。許すとか、許さないとか。今夜、結論を三つ選ぶのは」
入力する場所へ、白い線が点滅している。
俺の名前も、舞台の条件も、何もない。
「明日、俺のことも知らなくなる」
「名乗ってもらえますか」
俺は画面の前でうなずき、それから「うん」と声にした。
「何から聞きたいかは、明日の君に聞く」
ノアが確定を選ぶ。
空欄のままでよいかという確認に、彼女自身がもう一度答えた。
確定済み、という小さな表示だけが残る。
「明日の私には、今日の結論を渡しません」
ノアはそう言った。
その言葉を選んだ理由まで、明日の彼女は知らない。
*
今夜の三行
一 (空欄)
二 (空欄)
三 (空欄)




