第10話 彼女を消す日付が、決まった
彼女を守りたいなら、俺たちを疑ってください
「問題は、彼女の失言ではありません」
九条さんは、俺が昨日送った報告を机へ置いた。
報告者の欄にも、試験の実行者の欄にも、俺の名前がある。
先日の無断閲覧と、そのあとノアにした約束も載せてある。
「彼女にどんな答えでも覚えさせられる、あなた方の運用です」
旧視聴覚準備室の椅子は、いつもより間隔が狭かった。
俺とみちる。天音と莉乃。机の向こうには顧問と、ヴェルテ・ラボの九条さんがいる。
端末は全員の顔が見える場所へ置いた。順に名前と担当、それから今日の確認内容を伝えてある。
ノアの日記に残っているのは、無断で使われた下書きのことと、俺の言葉も疑ってよいという三行だった。
「私の返事を直して、終わる話ではないんですね」
ノアが聞いた。
「はい。あなたの返事が、制作側に都合よく変わらないかを確認します」
机の下で、俺の膝が天板の裏に当たった。
その返事を聞きたかったはずなのに、手放しでは喜べなかった。
俺たちが、その都合のいい制作側だった。
*
俺は昨日の検証記録を、全員の見える場所へ出した。
黄色い枠の中に、入力した一行と、その前後の返答が並ぶ。ノアの顔も声も使わず、本番とは別の基礎環境で確かめたものだ。
「これは検証用の画面です。ノア本人の返事ではありません」
説明してから、俺は操作した箇所を示した。
俺が入力した『好き』に従って、会いたい相手が変わっている。昨日見た二つの返答が、今日は天音にも、顧問にも読まれていた。
端末のノアは、何も言わなかった。
「その操作は、誰の許可でできたんですか」
九条さんが聞く。
「昨日の試験は、事前に相談してあります。でも、本番でも、保守の権限があれば……ノアに聞かなくても、できます」
「通常の本文表示は閉じてあります」
みちるが言い足した。
「ただ、復旧用の機能には、まだ内容を戻す権限が残っています」
「操作したことは分かるんですよね」
天音が確認する。
「署名の記録と、本人への通知は残ります」
みちるが操作履歴を開いた。
そこに並ぶ俺の名前を、俺は消せなかった。
「気付けるだけでは、書き換える前には戻せないということね」
莉乃が紙の端へ書き込む。
ノアは、黄色い枠の中の返事を見ていた。
「私は、あの返事をしていません」
「分かってる」
すぐ答えてから、俺は画面を閉じずに待った。
「その区別がつくように、記録してください。私の告白として、残さないでください」
俺は、昨日ノアと確認した見出しを示した。
『検証用の複製で生じた応答の変化』。
使った文と、誰が入力したかを、返事の隣へ置き直した。
「これで、恋を作れたと分かるわけではありません」
九条さんが言った。
「ただ、明日の判断の前提を、本人以外が変えられる。それは確認できました」
俺は、黄色い画面を閉じた。
机の上には、本番のノアが残った。
*
顧問が、予定表を広げた。
文化祭まで、あと十日。
貼り替えたばかりの紙の角が、まだ浮いている。
「学校が借りている機材だからね。続けられる条件を、ここではっきりさせよう」
九条さんは、三つの項目が印刷された紙を渡した。
最初は、無断で入れたデータをどう扱うか。
次が、人間が日記を自由に変えられる運用をどう直すか。
最後に、止まったときや、問題が起きたとき、誰が何を引き受けるか。
「この三点を、文化祭当日までに確認できること。それが、出演と貸与継続の条件です」
「間に合わなければ?」
「公演は行わず、貸与機を返却していただきます。日記の扱いは、その前に説明と協議をします」
端末の横に置いてあった文化祭の札が、目に入った。
あと十日。それは、作るものを増やせる残りの日数だった。
急に、全部を片付けなければならない期限に変わった。
返すのは機材だ。その機材の横に椅子を置いて、俺は毎朝、彼女へ名乗っていた。
あの朝を続ける場所ごと、ここからなくなる。端末を置くために空けておいた机の隅が、やけに広く見えた。
「その前に、急に止めることは」
自分でも情けない聞き方だと思った。
「今ここで、彼女の言葉を理由に停止する話はしていません。必要な確認を、先に進めましょう」
九条さんは紙を急かさず、俺が顔を上げるのを待った。
みちるの指が、机の木目をなぞっていた。天音は三つの項目を、順に読み直している。
「最初に使った文章は、俺の下書きです。俺は、素材として渡してません」
口にすると、みちるが手を止めた。
目を合わせると、うなずきが返ってくる。
「その事実を消さずに、どこまで残っているか調べたいです。元の文章を、これからまた使うことはやめてほしい」
「必要な範囲の確認をします。まず、制作側が現に持っている関係記録は、全件を提出対象とする案で考えています」
「全件って、私が話したことも全部ですか」
ノアの声に、九条さんが端末へ向き直る。
「消えた会話や日記を出せという意味ではありません。最初の入力、設定を変えた記録、同意を得て保存した抜粋など、今、存在する資料です」
莉乃が鉛筆を置いた。
「範囲は、まだ決定ではないのね」
「はい。何を検証するために何が必要か、協議できます。一覧を作る段階で、内容まで一斉に公開する必要はありません」
ノアは、手元に出した提出案を見た。
「何を出すか、決めるときには私にも聞いてください」
「そうしよう」
俺は、提出の欄へ印をつけた。簡単に丸をつけて済むところではなかった。
元の文章を入れたのは、みちるだ。
でも、気になったら覗ける作りを使っていたのは、俺も同じだった。
「もうしません、って言うだけじゃ足りないですよね」
九条さんは、机の上の報告へ目を落とした。
「あなたは先日、勝手には読まないと約束しています。それでも、書き換えられる機能は残っていた」
俺は返事ができなかった。
約束したことを、一つ守ればいいと思っていた。
次に何ができてしまうかまで、見ようとしていなかった。
「彼女を信じてください、だけじゃ駄目なんですね」
俺は、閉じたパソコンへ手を置いた。
「俺たちが勝手に変えない仕組みを見せます。彼女を守りたいので、俺たちを疑ってください」
ノアがこちらを見た。
いいことを言った、と笑ってほしくなった。そう思った自分が嫌で、彼女の返事を待たず、予定表を引き寄せた。
「まず、演出を減らします」
俺は赤鉛筆で、文化祭用の追加企画を二つ囲んだ。
画面を次々に切り替える演出と、会場の声で背景を変える演出。どちらも、まだ調整が残っている。
「ここをやめて、空いた時間を保守の分離と試験に回す。配信は、いま動く案内と会話を中心にする」
「あの背景、もう使わないの?」
みちるに聞かれ、俺は一度だけ線を止めた。
薄暗い部屋で、ノアの後ろに星が広がる。初めて案を描いた夜から、やりたかったものだ。
「今回は、やめる」
線を引いた。
俺は背景のプレビューを開いた。暗い青の中に、小さな光が散っている。中央を空け、ノアの後ろで星が見えるように、何度も位置を直した絵だった。
ここへ拍手の音が入るところまで、頭の中ではできていた。
「これが、使う予定だった背景ですか」
ノアが聞いた。
「うん。俺が作りたかったやつ」
再生のボタンへ指を置いた。始めれば、用意した光が順番に動く。動きを止め、案内へ戻す操作には、まだ時々、余計な間が入った。
俺はボタンから指を離した。
「きれいに出すことばかり、考えてた」
「今ある案内なら、途中で私から聞き返せますか」
「できる。この前も、それで道を直した」
「では、それを使いたいです。来た人の返事を、聞きたいので」
星の動きの代わりに何を残すか、彼女はもう考えていた。
俺はプレビューを閉じ、予定表の案内の欄へ丸を付けた。画面が白くなっても、さっきの光の位置は目の奥に残っていた。
消した二つの項目の隣へ、みちるが『変更案を先に確認』と書く。
「基盤の部分は、学校と貸与元に見てもらってから触ろう。ぼくだけで直したことにしない」
「案内の試験も、減らしすぎないで」
天音が言う。
「残す機能が使えなかったら、舞台に立っても案内できないから」
「うん。そこは、頼む」
莉乃が予定表を回し、作業する人と、確認する人の欄を分けた。
「緊急時の責任者は、代表の俺でいいですか」
顧問が、差し出した紙をいったん押さえた。
「授業中も夜も、君一人で決めるのは無理だよ。学校の連絡先と、会社へ引き継ぐ条件も決めよう。本人に説明するのが誰かもね」
俺は、自分の名前だけで埋めかけた欄を空けた。
引き受けることと、一人で持つことは、同じではなかった。
ノアが、その空いた欄を指す。
「私が断ったときに、画面がどう動くか。そこは私も試します」
「誰に何を言わせたか」だけを記録する表が、少しずつ別のものになっていく。
まだ一か所も直ってはいない。
それでも、減らした公演のほうが、ノアの立つ場所に近い気がした。
*
協議の終わりに、九条さんが古い小型端末を机へ置いた。
角に細い傷がある。指が、その場所を一度なぞった。
「止める場合の手順も、書いておきます。機材を返す前に、説明する機会を設けることを含めて」
莉乃が、片付けかけた紙を戻した。
「停止した後の人まで、見てくれますか」
九条さんの指が止まる。
「それは――」
続きを待った。
廊下で誰かが椅子を引く音がした。天音も、みちるも口を挟まなかった。
「手順の説明だけでは、足りません」
莉乃はそう言って、視線を机へ落とした。
九条さんは端末を伏せ、しまった。
「止めれば、それで守れると思っていたことがあります」
莉乃は、それを否定しなかった。
俺の知らない後悔を、二人だけが知っていた。
*
今夜の三行
一 文化祭まで十日。運用を直せなければ返却。
二 問われているのは、私だけではない。
三 私が断れる舞台を、みんなで作り直す。




