第五話 HЯT⧉CL KN⧉WLƧDG (1)
雨の匂い。
森で嗅ぐのとは違う、石畳から立ち込める、独特の匂いです。
低く空を覆う羊雲から落ちてくる細い雨は、松かさのように張り付いた黒い屋根を叩き、錆びた鉄柵を叩いては小さな音を立てております。
黒い屋根に灰褐色の建物が並び、斜面を覆うは石畳。敷地は鉄柵で仕切られ、植物はやせ細った街路樹程度で大人しいものです。錆びたベンチも壊れてはおらず、アノマリーと呼べる異常性は見当たりません。
それ故に静かな雨音が不気味に聞こえ、窓に嵌め込まれた鉄格子が何かを閉じ込めるためのものに見えてしまうのです。
空を見上げれば、時折紐のついた赤い玉…風船が雲に飲み込まれていきます。その様子だけが、今の所唯一のアノマリーでした。
「古い街のパッチ、と言うと軽く聞こえますけど、ベテラン遭難者のイコナさん的にここは比較的『深い領域』にあるパッチです。つまり、そこそこ危険ですね。いやはや、なつかしさすら感じますよ」
村の境界線である虹の膜と石橋からさほど遠くない裏路地のちょっとした広場。鉄柵にかけられていた赤いコウモリ傘をさして、パッチを観察しながらパシパシという雨音を楽しんでいるイコナさんです。
腰掛けているのは地面に寝そべった、元のサイズになったリムの重ねた両手。傘を肩にかけて倒れないようにし、手には久々にも感じる缶詰です。パッケージによれば牛のお肉の缶詰。かなり味が濃く、何かと一緒に食べる前提のようですが、悪くありません。付属のフォークがとてもありがたい一品です。
『確かに、妙な安心感があるのは認める。俺様もお前もリバインドに飲まれすぎて感覚が狂ってるのかもな。そして雨水をそのまま飲んでるお前の姿に安心感を覚える俺様もかなりおかしい』
傘の外に出していた金属のカップは雨水が溜まるがままにしています。飲料水の補充が容易に行えない放浪生活において、雨水は貴重な水源。リバインドに巻き込まれた際は余裕があるうちに胃腸を鍛えるのをお勧めします。そのうち多少濁っててもいけるか? なんて考えるようになれます。毒にだけはくれぐれも気をつけましょう。工業地帯廃墟なんかは本当にやばいです。
さてさて。
夜明けからさほど経っていない時間。こんな時間にパッチで佇んでいるのは、別にイコナさんの夢の中で過去の回想をしているという訳ではなく、昨夜聞いたアマリとカイリスの話が本当か確かめに着た次第です。そして残念なことに本当の事でした。おまけにリムの目が二対、つまり四つ開きっぱなしになっております。これは探索はできるけど、油断は許されない程度の危険。
村との境界線がすぐそこに見えますが、既に村のワーカーには、今回は探索禁止と村の石橋の手前に外出を禁じる看板が立っていました。故に、境界を出てすぐのこの場所でリムと戯れていても問題がございません。それでも外に出てくる方は、訳ありという事なので、リムを見られたところで外出の咎を交渉材料に黙っていただくことになるのです。
ちなみにこのパッチ、危険なのは危険ですが放浪生活ならその辺の建物のドアを壊して侵入し、キッチンの戸棚なんか漁るところですね。ラベル付きの状態が比較的良い保存食が高確率で見つかります。あとは珍しい回収可能なアノマリー。危険といい感じに釣り合うバランスが良いパッチかもしれません。住居の形状によっては隠し扉があるので、お宝さがしが楽しいタイプだと思います。
お宝さがしをしたい気持ちに駆られてしまいますが、今はそれどころじゃないです。予想通りなら、そろそろ待ち人が来ます。
石橋の中ほど、草原地帯を投影する虹色の膜が揺らぎ、姿を現すのは私の待ち人。
「わ」
小さな驚きの声。パッチに立ち入った瞬間、巨大生物とその手に腰掛ける赤い傘を差した少女の姿。なかなか衝撃的だと思います。手にしていた武器を構える程度に。
「おはようございます! お待ちしてましたよ!」
食べ終わった缶詰を放り出し、傘もおちるの構わずに両手を上げて元気よく挨拶をしてあげました。
「なんだイコナか……待ち伏せするならてっきり、村側で待ってるかとおもってたよ」
「それも考えましたが、やはり自分の目で確かめたかったです。何よりリムと触れ合えないのはやはり何か物足りないです」
決して雨になど濡れないリムの体温のない身体を撫でますが、変わらずの無反応。小さなサイズも悪くありませんが、やはり彼はこの大きさがすばらしい。
リュミンは上半身を覆えるポンチョを着ており、背負っていたツルハシハンマーを手に持った状態でした。それだけ警戒して進むつもりのようですが。
「色々と配慮をしてくれていたようですが、聞きたいことがあります」
リムの手から降りれば、リムはのそりと、私のすぐ後ろで起き上がっていつもの、四肢を地面につけたいわゆるお座りのポーズをします。二つの目は私に注がれていますが、もう二つはじっと、リュミンの方を見ていました。
「…一応聞こうかな。キミはイコナだよね? このパッチが生み出したアノマリーって事はないよねぇ?」
「私は正真正銘、竜とウサギのキメラであるイコナさんです。多少不気味に見えるのでしたら、このパッチの雰囲気とリムのおかげですね。あとはご自身に後ろめたさがあるなら、私が怒ってるように見えてしまうのかもしれません」
「あぁ、まぁ、謎解きみたいにして肝心なところをはぐらかしてた事は申し訳ないと思ってるよ。それで、何を聞きたいのさ」
こちらに寄ってくれないのは、警戒されてるからですかね。見開いたリムの目が自分に向けられていることに慣れていないのかもしれません。唸り声も上げないし、明確な意思がわからない子ですからね。リュミンからすれば、主の意図を汲み取って警戒をしているように見えるのかもしれません。
曇天の空の下。私の琥珀色の瞳に縦に引き絞られた虹彩はさぞ不気味に見えるでしょう。浮かべる笑みも友好的に見えるとは思えませんが、それも全て相手の心象次第。
「おかげさまで、アマリと大変仲良くなって彼女を通して村の問題と心配事をよそ者なりに把握しました。セトルメントについても、遭難する村という事も」
手を広げて指し示すは、曇天の空の下の黒と灰の街並み。コロニー基準で考えれば、隣接パッチが変化するのは異常な事態なのです。
「その上で改めて、セトルメントが何なのか。そしてキャラバンがこの先どうするのか、お聞きしたいと思います。お答えいただけますよね?」
号令一つで後ろの怪物が襲ってくるような雰囲気…を演出してみました。うまく出来てるとよいのですが。
得物は降ろして、リュミンは口元に手を当てて真剣に、おそらく言葉を選んでます。情報をどこまでこちらに渡せばいいか、どこまで喋るかを選んでいるのでしょう。
のんびりした雰囲気に見えて、この犬とヤギのキメラは用心深く、慎重です。そうでなければ、キャラバンに雇われるなんて事は無いでしょう。変にこちらがふざければ、肝心な部分をまたはぐらかされてしまいます。
もしかしたら、キャラバンともある程度の所で一線を引いているのかもしれません。何かあっても自分だけは助かるように、とか。さすがに考えすぎですかね。
「セトルメントについては、イコナが今日まで体験したことがほとんどだよ。リバインドの影響で特定のアノマリー現象が頻発するのと、隣接パッチが入れ替わる事。錨の無い船のようなものだね」
「つまり、アンカーが無いのですね」
「…なんだ、アンカーも知ってるんだね」
多少の驚きはあれど、知ってても不思議じゃなかったような微妙な驚き方。そこでようやく彼はこちらに歩み寄り、されど距離は置いて奥へと続く鉄柵の前にあったベンチに腰掛けます。
「そう、セトルメントはまさに『アンカー』が無い居住地の事なんだよ。コロニーでも知らない人がいるのに、イコナはさすがに物知りだねぇ」
「アンカーは知ってる人は知ってる知識だと思います。私の知識については、コロニーでの知人に自称学者がいたんですよ。世界についての仮説とかアノマリーについて報告すると内容次第でお金を払ってくれる人で、私もよく助手の真似事をしていましてね。プライベートでもよく暇つぶしに来てました」
コロニーでは工房を営んでいた私ですが、四六時中働いてられるほど忙しくはなく、見計らったようにやってきては雑談のようなお話をよくしていました。友人、などとは言えませんでしたが、関係としては良好だったのだと思えます。友人だと思ったことは無いですが、最後は味方をしてくれました。
私の妙な知識はほとんど彼女が供給源。ニアラという名の変人。懐かしいです。ものすごく久々に思い出してあげた気がします。
「私の知識では、アンカーは一般的にはコロニーを安定化させるアノマリー現象の一つです。リバインドの影響を無力化しコロニーを守り、さらに隣接パッチに限り固定化する機能があります。まさに船の錨。なので、セトルメントの今の惨状はまさにアンカーが存在しない不安定な状況ですね」
「その通り。初めて会った時も、コロニーほど安定してないとはおいら言ったんだけどね。さすがにそれじゃ伝わってなかったかぁ」
単純に安定してない、なんて言われたら、資源の供給が不安定とかそういうお話を想像します。そもそもアンカーの存在しない居住地なんて無いモノだと思ってました。
アンカーなんて、放っておいても発生するものなのです。本来は。
「私がお聞きしたいのは、それを知ったうえでキャラバンがどうするつもりなのか、という点です。アマリに話を聞く限り、その辺りは内緒のようなのでこうして配慮をして差し上げているのですが」
早朝からこちらで待っていますが、村から出てきた人は他にいません。昨夜からパッチ側で誰か待機しているなら話は別ですが……そもそも私とリュミンがこうして会うこと自体、他に誰も知りません。この環境で一晩過ごせる村人がいるなら、それこそ物資に困る事もないでしょう。
「…アマリやカイリス、他の人には内緒にできるかい?」
首を少し傾けて浮かべる笑みは、キミはそんな事をしないよね? という意思が間違いなくありました。
私はため息交じりに答えました。
「私はあくまでコロニーに帰還したいんですよ。最悪、二度とこの村に戻れなくても構わないです。名残惜しい部分は多々ありますが…」
おいしいご飯に、私を姉と慕う少女。人当たりのよい村人との対話は、悪くないと思えます。ずっとここで暮らしたいと言えば、受け入れてくるでしょうね。そして私の放浪生活で培った知識と技能は間違いなく、役に立ちます。
そんな未来に惹かれないわけではないのですが、ここで一生を過ごすというのは、正直嫌ですね。
「イコナがコロニーに拘る理由は聞かないよ。でも、万が一キミの相棒が皆に知れても、村の方が受け入れてもらえる可能性は高いと思うよ? ドラコニアンなんているぐらいだしね」
「そうですね。しかし今は論点をずらさないでほしいです。キャラバンは、現状どうするつもりなのか教えてください」
静かな雨が沈黙を静寂から守ります。傘を落としたままの私は少しずつ濡れてしまいますが、別に問題ありません。ここで得られるはずの情報を前にすれば、実に些細な問題です。
まじめに、真剣に相手を見据えるイコナさんは実に珍しい。その真剣さが伝わってほしいものです。
「………キャラバンの方向性は今は二つ。一つ、コロニーへの即時帰還。つまりセトルメントには二度と戻らない選択だね。これは主に物資管理と販売をしてる人達の意見。これまで集めた食料資源だけでも十分利益があるからね。これ以上調査に時間をかけるなら、戻って通常の交易に戻った方が利益が出ると考えてるんだよ」
キャラバンはあくまでも商人です。膨大な利益が望めるとしても、そこでの滞在に時間をかけすぎれば、同じ時間で本来の仕事をすれば補えます。今の状況は下手すれば利益を損なうという事です。
「二つ目は、交易路確保のために調査を続ける方向性。時間はかかるけど、成功すれば利益は自分たちのキャラバンが独占できる。キャラバンの決定権を持つ人たちはこっちに賭けてるのさ。おいらも一応こっちかな。おいらは利益云々よりも、単純に村の助けになりたい気持ちがあるけどね」
詳細はともかく、予想通りという感じです。
「どちらの案でもイコナの事は連れていくつもり。でも正直、かなりギスギスしてるからねぇ。方向性が固まるまでキミには村を純粋に楽しんで欲しかったんだけど」
「お気遣い感謝しますよ。実際、楽しんでます。ただ私の事を姉と慕うかわいい妹が散々村の行方を憂いておりまして、それもキャラバン次第となれば動かざるを得ないわけです。昨日は牛のために怪我までしてますしね」
あの子の笑顔を思い出すと、何もかも放り出してコロニーに行くのは実に後味が悪い。いっそ遭難者向け生存術を残してあげようか。ちょっと検討しておこう。
「リュミン。私も調査に協力します。何を調べているのかはわかりませんが、パッチでの捜索については間違いなく、協力できます」
濡れない黒い前足を撫でて見せます。リムの強さは彼はわかっておりますので、頼もしいに違いありません。
「正直ありがたいんだけど、キャラバンの秘密について知られるのはどうなんだろうって思うな…おいら、あくまでも雇われだから決定権ないんだよねぇ」
「具体的に何を探してるかだけ教えてもらえれば。あとできればキャラバンが何に困ってるか教えてくれると、探索がはかどります」
「んー…パッチで探してるのはリフト…この間みたいな二つのパッチをつなげてるトンネル。あとはこの環境特有の回収できるアノマリーかな。キャラバンが困ってるのは、とにかくアンカーがなんで機能してないかに限るね。結局のところ、アンカーさえ機能すれば全部解決する問題なんだから」
「確かに」
村が抱えてる物資に関する問題も、キャラバンの問題も、アンカーさえ存在して、コロニーみたいに機能してくれればなんの問題もない。
前例などあるはずもなく、だからこそ困っているのでしょうけど。
アンカーの特性上、絶対村にも存在はしているはずです。つまり機能不全の原因さえ取り除ければそれで万事解決。それが簡単にわかれば苦労しませんけどね。
「……いっそアンカー作ればよいのでは?」
何が原因で壊れてるかは知りませんが、壊れてるなら新しくしてしまえばいい。もちろん、作るのはめちゃくちゃ大変ですが、制限時間があるなら調査と同時進行でやる価値が…?
「…えっとどうしました? 鳩が狙撃されたような顔をされて。人造アンカーですよ? わりと有名なお話かと」
「いや、まって、イコナ。アンカーは作れないよね?」
「ん? いや、作れますが…」
おや?
二人で首を傾げてしまいます。遭難生活でブランクがある私の知識を、キャラバンが知らない事あるんですかね。彼ら、ワーカーの精鋭集団なのですが。
アノマリーについてはもしかしたら、技術者の方が知識があるかもしれませんけど。
「あのさ、面倒だろうけど、イコナのアンカーについて知ってる事教えてもらってもいい?」
「えー? 私の知識なんて雑学の域を出ませんが…」
湿ってきた頭を掻きまわして、額に指先を当ててアンカーに関する知識を無理やり引っ張り出します。
「えっと、性質についてはリバインドからコロニーを守る錨の役割があります。周囲パッチにも影響を与えるので、コロニー周辺のパッチは環境に限り固定されますね。アンカーは心象アノマリーに分類され、人の意識や記憶に強く影響され、特定の構造物、領域に発生します。そのためきまった形は存在しません。傾向としてコロニーのランドマーク、人が集まる場所の構造物がアンカーとなり、影響範囲は居住地の人口に比例する傾向があります。ただし人の記憶、感情を一種のエネルギーと考えるマナ理論に基づくと、アンカーはエーテルの淀みとも言うべきで厳密にはそれ自体はアノマリーではなく、特殊なマナがリバインドを含むアノマリーのあらゆる反応を抑えるアノマリーとはベクトルの違う魔法的仕組みの一種なのではという仮説がありますね。そのため高密度のエーテル結晶体は同等の性質を期待されています。エーテル結晶と言えば反アノマリー装具として純エーテル結晶を使用した実験ではアノマリー生物に絶大な効果が認められたため工房組合はエーテル製錬技術に懸賞金をかけましたが人造エーテル結晶はリマナをダース単位で消費して一欠けらで消耗品とかいう採算度外視の代物で結局中止され大赤字になった工房が運営委員会に集団起訴を」
「まって、ストップストップ」
おっと、つい熱がこもってしまいました。私が工房を立ち上げる少し前の面白事件だったのでつい。あの一件でいい感じの物件がたくさん空きましたので、予算内で一等地に工房を構えられたんですよね。
意識が現実に戻ってきます。いつの間にかリュミンが興奮気味に目の前におり、私の肩を掴んでいました。いつもは眠たげな翡翠色の目がきらきらに輝いておりました。
「えっと、なんでしょう?」
「イコナ、今の話どこで知ったの? いや、それよりも本当にアンカーって作れるのかな? この村に」
「んぇー? 知識の出所はコロニーの情報誌です。マナ理論についてはニアラ…友人? が大好きだったのと私の工房もそちら寄りの技術だったので……あぁ、人造アンカーは仮説の域を出てませんが、私でも作れると思いますよ? かなり大変ですが、同じ材料で確定で作る方法も一つあるので失敗しても大丈夫」
具体的な方法を考えると、かなり頭が痛くなる方法で、実行に移せば頭だけで済まない事態になりますが。必要なのは。
「わ」
いきなり抱きしめられ、浮かびかけてた必要材料がどっか行っちゃいました。とても力強い抱擁。命の危機でも助けたかのようです。実際助けてますけど、時間差がありあすぎです。
リュミンはすぐに離れ、ベンチに置きっぱなしだった得物を取りに行きました。金色の尻尾がちぎれんばかりに振られてました。
「こうしちゃいられないよ、すぐにマルセナに報告に行こう。まさか探し物がこんな近くにいるなんてさすがに予想してなかったよ」
「マルセナさん…キャラバンのリーダーさんでしたっけ?」
「そう。さ、行こう」
興奮気味に頬を赤らめて手を差し伸べるリュミンは、なかなかの魅力的な笑顔でした。手は取りませんが、気付いちゃいました。リュミンがこれだけ興奮する情報という事は。
「もしや交渉次第ではコロニーで遊んで暮らせる可能性がある…?」
『キャラバンが今後セトルメントとの交易で得られる利益の二割…いや、三だな。最初は強気に無茶な要求をしていけ? この情報はお前にとっての圧倒的アドバンテージだからな』
「いっそ交渉をあなたに任せましょうか? 収入次第ではあなたが動き回れる体を作る研究を始めてもいいでしょう」
『そいつはいい。是非男前にしてくれ。感覚の再現も忘れるな?』
どうやらイコナさんには明るい未来が待っているようですね。知識が富になるとは、まったくわからないものですね。今ならあのお喋りな研究者気取りの娘も、友人と呼んであげていいでしょう。二度と会えないと思いますが。
調査は保留。私達は村へと戻ることになりました。
空は雨、やや不穏に見える古い町並みも、妙な圧迫感も、今だけは気にならないのでした。
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パッチでは嫌な感じの空も、境界線である虹色の膜を越えればさっぱりとした青空となっておりました。
薄い雲が時折漂い、回収しきれなかったどこぞの地面の欠片が通り過ぎていく、そんなセトルメントの朝。ほんのり湿っていた私ですが、温かい日差しのおかげで道中までにすっかり乾いてしまいます。元より良い素材を使っている衣服ですので、濡れてもすぐ乾く、濡れた所で内まで染みにくいという特性があるのです。放浪中に何度も思いましたが、高いお金を払って仕立てただけあります。
興奮気味にふわふわの尻尾を持ち上げるリュミンについて行った先は、村の外れ、キャラバンのキャンプでした。村が貸してくれた空き倉庫とその周辺で寝泊りしているとの事で、林の影にのまれる半円型のプレハブ建造物の手前に、いくつかのテントが張ってありました。
本来であれば、村について早々にこちらに案内されてもおかしくはなかったのですが、キャンプに近寄った瞬間に、リュミンの配慮にも納得。皆さん実に、嫌な目つきしておりました。
キャラバンの規模は決して大きくなく、テントは三つ、特殊な形状の荷車も四台ほど。荷車、と分類しますが、厳密には車ではなく、昆虫のような三対の太い足が車輪の代わりについた謎の機械です。極限まで折りたたんだ蜘蛛の足っぽい。
荷物を整理したり、荷車の整備をしたり、十人ほどが作業をされていたのですが、誰もがこちらに気付くと睨みつけるような視線で無遠慮に私の事を見てきてました。
そんな中をリュミンは気にせず、ご機嫌に尻尾を振りながら半円型のプレハブに向かっていきます。
「なんだか、獣頭型のキメラが多いですか? あと同じ組み合わせが多いような…」
犬型の頭部には皆さん仮面を被っていて、毛並みを隠しているようにも見えます。仮面から飛び出た耳は三角形で黒く、太くて大きなリスの尻尾が特徴的でした。あと猫背です。
「彼らはみんなニブレットの子供たちだよ。スカリー一家って呼んでる。みんな似てるからおいらもまだ誰が誰だかわからないんだよねぇ」
体にキメラ種の特徴が多く出ている方は、一度にたくさん子供を産む事もあるとは聞きます。キメラ種はあくまで人間が基礎となるので、珍しくはあるのですが。
ぴりついた空気、誰も一言も話さないでこちらの様子を見ている感じは肉食動物の前に放り出されたウサギの気分です。まぁ、私はウサギはウサギでも竜が混じったキメラなので、嫌な感じ、くらいで堂々と彼らの前を通ってやりましたが。
プレハブ建造物の金属製のドアを軋んだ音を立てて押し開き、中に入れば錆臭い…と思いきや、爽やかな香りに室内は包まれておりました。植物や煙の類ではない、不自然ですが嫌な感じじゃない。
「旧時代の香り系スプレーの匂いがします!」
強烈な香りで周囲の匂いを消し去る謎のスプレー。遭難中に何度かみかけ、中身を確かめるために手に直接スプレーして食事の度に悶絶したのを思い出します。
「貸してもらったは良かったんだけど、錆の匂いがすごかったんだよねぇ。最初は警戒されてたからかなり雑に扱われたんだ。今更移動するのも面倒だから、そのまま使わせてもらってるんだよ」
雨よけのポンチョを脱いだリュミンはそれを壁にかけます。中には先日よりはいくらか細い、つまりサイズの合ったシャツを着ておりました。装飾性は少ないですが、アクセサリーを身に着けていて地味さはあまり感じません。性別がどちらか相変わらず不明です。
建物の内部は天井が高く、木箱や鉄板を並べて家具としているような、急ごしらえの生活感を感じられるものでした。木箱にシーツを敷いただけのソファーに、廃材のテーブルには酒の瓶が並び、薄暗い室内を照らすのは古い熱電球。寂れてますが、味があります。様式としてはかなりコロニーに近く、落ち着きますね。
「なかなか素敵な内装ですね。そこの端に転がってる人型のオブジェも実にいい味出してます」
「あー、それに触れちゃう? できれば無視してほしかったなぁ」
部屋の隅。陰になっている場所に、二つほど人型がありました。
体の後ろで手も足も縛られて、そのまま転がるままにした感じの前衛的な芸術品。精巧でまるで生きてるみたいです。まるで尋問された痕みたいな傷があるのがまたなんとも。
「ぴ」
構わず奥に進もうとするリュミンの尻尾、掴んでしまいました。変な声が漏れたのは気にしません。
「あの、まさかとは思いますがこれから行われるのは残虐な行為込みの取り調べですか? 辱めを受ける行為であれば、私は遠慮なくリムに助けを求めますが?」
「誓ってそういう事はしないよ。あそこの二人はまぁ、荷台に悪戯してるところを今朝捕まえたんだよ。おいら達に出ていかれると困る村人もいるのさ」
「なるほど…?」
アマリの話では、村の中でもキャラバンが出発したら戻らないかもしれない、という考えが少なからず存在するとの事。その過激派があの六本脚の荷車の破壊工作に出たという事ですね。
キャラバンも二つの派閥があって、村も色んな考えがあって、なんだか政治とかいうやつですか? イコナさんが一番嫌いなやつじゃないですか、もう。
誰もかれも自分の考えが正しいと信じて衝突する。万人が納得する方法を探す代表者の方々の苦労は考えたくも無いですね。
「あのーイコナ? そろそろ尻尾離してくれないかなぁ? 実はおいらも尻尾掴まれるの苦手なんだけど…」
「これは失礼! 触ってみたら意外とモフモフで気持ちがよかったもので!」
手入れをしていないようなぼさぼさ具合が気になりますが、触り心地は大変良いです。油と櫛で丁寧にお手入れしてあげたいところです。しかし尻尾の手入れをさせるというのは親しい相手にさせる印象がある行為。どうしたって背骨の延長で臀部に接続されている部品ですからね。よほど丈夫な種族でないと、強く引かれると背骨を引き抜かれるような感覚を感じてしまうのです。神経も多く通っているので、ぞわぞわすると感じる人もいますね。
尻尾を開放して、とりあえず視界の端で後ろへ流れていく村人達は放置することにします。助けを求めるようなうめき声が聞こえましたが、掲げた尻尾で無理です、と意思表示をして差し上げます。通じたかどうかは別として。
建物の奥。一枚だけあったドアをリュミンがノックすれば、すぐに静かな声で『入れ』と返ってきます。リュミンは遠慮なく中へ入り、私も一応遠慮がちに後ろについていきました。入ってすぐに、何かを蹴飛ばしました。足元に落ちていたのは、走り書きがされた紙でした。
「早い帰還だな。進捗はあった……ようだな」
低い天井のオイルランプが照らす薄暗い室内。何やらあれこれ書いてある紙が床一面に散らかったその部屋の唯一の調度品である椅子に座り、手元のボードに何やら書き込んでいたのは、魔女と呼ぶべき人物です。
つばの広い紫の帽子にゆったりとしたドレス。背には鈍い銀色と、黒の左右で色の違う翼。見た目はほとんど人間の女性です。
立ち上がった彼女は大きな翼を静かに動かし、自らの後ろで畳みます。背はアマリと同じくらい、つまり私より少し高いですが、翼の存在とにじみ出る自信のような迫力が妙に彼女の存在を大きく感じさせました。
私の受ける印象とは裏腹に、彼女は手袋を外して柔和な笑みで手を差し出してきます。
「始めまして。話は聞いている。私はマルセナ。カラスとフクロウのキメラで、小さなキャラバンの代表を預かっている」
「イコナです。ウサギと竜のキメラです。カラスとフクロウなんて、知の象徴じゃないですか。すごいですね」
黒い羽はつややかな光沢があり、銀の羽はふわりとした柔らかさがあります。同じ系統の生物が同時に発現するキメラは珍しい、ぐらいの頻度ではいらっしゃいますね。
私の素直な感想に、彼女は苦笑いです。
「せっかく鳥類が強く出ているというのに、バランスが悪くて飛べもしないがね。着れる服は背中が開いたものに限られるし、かなり重い。まさに見てくれが良いだけの飾りだ」
キメラ種の翼は退化して小さくなる人もいるのですが、彼女は広げれば滑空くらいはできそうな立派な翼です。確かに重量だけで背中側に倒れてもおかしくなさそうですが、妙に姿勢がいいのは前側に立派な重りがついているからですね。何がとは言いませんので、ご想像におまかせします。
手を離し、一応これから交渉もありえるので、一応その手の事が得意そうなのも紹介することにします。
「あとこちら、娯楽端末型のアノマリーであるガンターです」
ポーチから取り出した端末を両手で持って見せれば、彼にしては恭しく挨拶をされます。
『お初にお目にかかる。俺様はガンター。仮想世界のイケてるビジュアルを見せてやれないのは実に残念だ。一介のアノマリーに過ぎないが、個人として扱ってもらえると実に助かる』
「これはこれは…実に面白いモノ、いや、面白い方がいるものだ。さぞ素晴らしい知識をお持ちなのだろうな」
彼女は愉快そうでありながらも妖艶な笑みを湛えて、紙の山の中に紛れていた椅子を一つ引っ張り出し、私の前に置きます。そして自らも座っていた席に戻るので、こちらも遠慮なく座らせてもらいました。
この紙まみれの部屋でお茶が出るとは思えませんね。彼女もそのつもりのようで、すぐに話を切り出しました。
「イコナ殿。あなたのコロニー帰還の際に同行したいという旨は伺っている。私はもちろん、我がキャラバン一行も異論はなく、新しい友人を歓迎しよう。しかし、一人ではなく探索に出たリュミンと共にこの場にやってきたという事は、我々の抱える問題に助けになる知識なりをお持ちだと推測するが、間違っているかね?」
「んー、私からは何とも言えません。私にとって常識だったことに、リュミンが大変驚かれたというだけですね」
「なるほど。ではリュミン、単刀直入に報告したまえ」
ひじ掛けを使い頬杖を突く彼女は妖しく美しい。椅子の無いリュミンはその場に座って胡坐をかき、気楽に語ります。
「アンカーについて、イコナはマルセナ以上の知識があったよ。具体的にはアンカーを人工的に作れる方法も知ってるって」
「ふむ?」
マルセナさんはあまり驚いてません。もしかしたら可能性くらいは頭のなかにあったのかもしれないですね。
「アンカーについて、我々キャラバンでも知っていることは少ない。せいぜいその機能程度で、どうやって発生するのか、何を基準にしているのかは仮設の域を出ていないのだがね。もっとも、全てのキャラバンがあらゆる知識に明るいわけではないが、どこよりも世界の情報が行きかう組織なのは間違いがない。だが………」
彼女は言葉を切って、じっと、リュミンの事を見つめます。それからにこりと、なんだか冷たさも感じる笑みを浮かべると言いました。
「リュミン。報告が済んだなら外に出ていたまえ」
「えぇ? これっておいらも話を聞く流れじゃないの…?」
「女同士の方が話がしやすい。少々気になる事もあってな。あぁ、ガンター殿も退出できれば助かるな。無論、イコナ殿にまかせるが…」
内緒の話。椅子に座った私の膝の上にはまだガンターがいますが、聞かれて困るような話はないと思うんですが。わざわざ紹介したのに速攻で追い出されるなんて。自分のお好みのタイプの女性を前に下心が見透かされてしまいましたね! じゃなくて。
「えっと、信頼とかそういう話は置いておいて、純粋にお話の内容次第なんですが」
「そうだな。私は知識に貪欲で、疑問に思ったことは答えが無いと夜も眠れない性格でね。無数にあるキャラバンの中でも知識量については自負しているつもりだ。そんな私でも知らない事を知っているとなると、出所を聞きたくなるのは当然とは思わないかね? 私の中では少し、心当たりがあるのだが」
尻尾が揺れ、紙の山をかき回します。彼女の言いたいことはよく、わかりました。
「わかりました。ガンター、リュミンと一緒に外で待っててください。ついでに他のキャラバンの皆さんとの交流でも深めておいてくれると助かります。あぁ、盗み聞きも無しです」
『なんだ? 俺様に聞かれちゃまずい話でも…今更か。わかった。その代わり、報酬についての交渉は後に回してもらえ。俺様にあとで文句を言われたくなければな』
一言余計な彼を立ち上がったリュミンに渡し、二人が出ていきます。
ドアが締まり、もう一度錆びたドアが閉まる音が聞こえるまで待って、ようやく話が再開です。
「さっきはあぁ言ったが、語りたくないのなら語る必要ない。私が知識欲に負けて余計な事を口にした際にそちらに不利益があっては困ると思ったのだよ」
「不利益も何も、別に今更聞かれて困ることはありませんけどね。どうせいつか聞かれますし。ただまぁ、私の予想ではこれから忙しくなるのに、余計な事聞かれても集中力が途切れるだけなので正直ありがたいです。放浪生活で錆びついた知識や技術も使う必要がありそうですし」
「それならばよかった。ではまずは本題に入ろうか」
彼女は長い足を組んで、胸の前で指を合わせて問います。
「人工的にアンカーが作れる話は本当かね? 具体的な方法と再現性についても教えてほしい」
問われた事についての関連知識はすぐに頭に浮かびます。だけどそれを口にするのは少し留めるのです。
「その前に、村の問題とキャラバンの問題、どちらも私はある程度把握しているつもりです。アンカーさえあれば解決できる事だというのも。それ故に、私が持つ知識はそれだけ強いカードだというのを理解してもらいたいのです」
「無論しているとも。だが損得だけの問題ではない状況ではないかね? リバインドで遭難している無数の人を一度に助けられるかもしれないのだ。遭難者側の気持ちは痛いほどわかるだろう?」
大きなくくりでは同じかもしれませんが、食事も人も住む家もある中の遭難と一緒にされるのはちょっと嫌です。いくらリムが居たからって、感じた孤独や苦しい日々は確かだったのですから。
言い返したい気持ちは飲み込んで、大切な事から話を逸らさせません。こちらに不都合な話にも向かわせない。
「私が良心に従い情報を渡すにせよ、報酬を求めるにせよ、あなた達キャラバンが交易路を確立させるのは間違いがないのです。そこで得られる利益を考えれば、報酬を先に求めるのは間違った選択ではないと思いますが。損するのは私なのです」
「そうだな。むしろ正しいとも言える。我々は商人の末裔だ。成功の暁には十分な報酬を用意するとも。コロニーへの案内に、移住権、住む場所、生活基盤を整えるまでの出資。あとは我々の儲け次第だが…知識一つに十分な報酬だとは思わないかね? 最初からスラムのような場所で野宿をしなくていいのだから」
「そうですね。それと、製法を口外しない事。知識の出所を含めて、私について詮索しない事。これが重要です」
ガンターには申し訳ないですが、交易を通じての利益云々は正直、諦めてもいいです。
「人造アンカーはあくまでも存在自体が仮説で成功例はありません。理論上は機能する、程度の代物です。今回に限っては成功すると断言しますが、今後、他のセトルメントを見つけても同じように作ることはできないと思っていただきたい」
少しの沈黙。思考を巡らす時間はそれでも短かったです。
「それはつまり、あなたではないと作れない方法であると?」
「純エーテル結晶の製法と調律方法が確立しているコロニーがあるなら、教えていただきたいですよ」
彼女の知識が本当に豊富なら、難しさが伝わったはずです。エーテルという単語自体、かなりマイナーな理論に基づく存在なんですけどね。
それでも彼女は理解してくれたようです。
「なるほど。では実際の制作はイコナ殿に一任しよう。無論、手伝いが必要なら我々の技術者を連れて行って構わないがね」
そこまで言うなら作業は一人でやれ、という事。まぁ、作業らしい作業なんてほとんどないし、見られたところで真似ができるとは思いませんけどね。
「ではひとまず交渉成立という事で。本題に入りましょうか。メモの準備はよろしいですか?」
「無論だとも。いつでもどうぞ」
ボードを手に取り、パッチでよく拾えるボールペンを手にします。ペンの後ろを押すとペン先が出入りする安価な利器。私はできるだけ要点だけに押さえて、余計な事を喋らないように説明を始めました。
「人造アンカーを作るのに必要なのは、純粋なエーテル結晶塊です。大きさとしては一抱えほどあれば、アンカーを機能させるには十分ですね」
「根拠はあるのかね? それとそのエーテル結晶とやらはどうやって手に入れる?」
彼女の反応を見るに、やはりマナ理論は一般的ではないです。魔法を鍛えようとするキメラ向けではありますからね。魔法の源がどうとか、仮説ばっかり。目に見えない物を説明しているのです。その仮説を一段階引き上げたのが例の友人。
それはともかく。
「方法は二通りあります。一つはリマナ、回収したアノマリーから抽出する方法ですね。種類は問いませんが、ダース単位で溶かして指先ほどの欠片しか精製できません。なので今回…というか、現実的に使えるのはもう一つの方法、アノマリークラスターを利用する方法です」
アノマリークラスターとは、そのまま塊の意味でアノマリーが局地的に密集して発生する超危険地帯です。強力なアーティファクトの原料となるアノマリーが発生しますが、発生は稀で十分な準備なしにはかなり危険。熟練のワーカーでも尻尾の先が無くなったとか平気で起こる場所ですね。
工業用の機械が密集して稼働してる極細通路を移動して、奥のカップを水をこぼさずに回収してこい、みたいな。
この提案に、マルセナさんもさすがに悩んでしまいます。
「クラスターか。我々でも見つけるのはかなり時間を要するだろうな。つまりキミは、そこで確実に回収できるリマナで結晶を生成する、という事かね?」
彼女の問いには首を振ってお答えします。
その辺のアノマリーを拾ってきて製錬するよりは間違いなく効率が良いですが、一抱えもあるエーテル結晶を作るには不十分。何よりもったいないです。アーティファクトに加工しましょう。
「アノマリークラスターには二種類あるのはご存じですか? 一つはランダムにパッチ内に発生する偶発型クラスター。そしてもう一つが、パッチを構成する特異点に存在する中核クラスターです」
「中核クラスター?」
キャラバンが知らないのも無理は無いです。彼らはコロニー同士を行き来するのが本来のお仕事。であれば危険は避けるはず。これは人が本来寄り付かない領域のお話です。
「特定のパッチには世界観がありますよね。そういったパッチには特異点が存在して、アノマリー密度が異常に高いクラスター状態になっているんですが、ここでのアノマリーは世界観特有のアノマリーで構成されてるんですよ。その中核には超高密度のエーテル結晶体が確定で生成されます。それさえ回収できれば、今回のアンカー問題は私が多少手を加えるだけで解決するのですよ。イメージとしては、パッチ用の変異アンカーをコロニー向けに調律しなおす感じですね」
キメラ種の扱う魔法についてあれこれ理由をつけて説明した事が始まりである、マナ理論。それによればエーテル結晶はアノマリーに絶大な効力を発揮すると実証までされていますが、アノマリーの中心点に結晶が存在するのは不思議に思うかもしれません。これについては、例の友人、ニアラが興味深い仮説を立てていて、もらったメモの複写が大鞄の底にあるのですが、その辺りをお話すると日が暮れてしまいますのでまた次の機会に。
「つまり、人造アンカー作りに必要なのは、パッチの深部に入り込める手練れというわけかね? それは普通のクラスターでアレコレ集めるよりもよほど危険に思えるが…」
「危険ですが、私は経験がありますので一人でも問題なく回収できますよ。ただ特異点までのルート確保や、回収の補助役が欲しいのは確かです。場所の特定のためにキャンプがあるとすごく助かりますね。あととても重要な事なのですが、人造アンカーは永続的に機能するものではないです。内部の純エーテル結晶のエネルギーが無くなる前に、本物アンカーとなる必要があります」
「人造アンカーは、人々の思い入れが集まる物である必要がある、という事かね?」
マルセナさんは床に散らばってる紙きれの何枚かを拾い上げ、束として整えてこちらに渡してきます。
他人様にお見せするような丁寧な調書なんかではなく、雑なメモ書き。統一規格の用紙をなんと贅沢な使い方かと思えるようなそれですが、掛かれている事はアンカーに関する情報と、この村のアンカーに関する考察です。
「石像か皆が納得するオブジェがいいと思います。それを人造アンカー化し、お祭りか何かの象徴にでもしてもらえれば、そのうち本物のアンカー化すると思います。人造アンカーの稼働期間はおそらく数年はありますから。懸念があるとすれば」
用紙の一枚に『なぜ?』と大きく書かれた疑問。そもそもアンカーがなぜ存在しないのか。
人口が少なく、建造物やランドマークに十分量の思い入れが集まらない? そもそもランドマークとなるモノがない? セトルメントそのものがアンカーを阻害する何かがある?
「余談だが」
メモを見つめて考え込んでいた私に、彼女は声を落として呟くように言いました。
「この村の意思決定機関である元老院についてどう思う?」
「…? なんだか仰々しい名前だとは思いましたけど」
マルセナさんはボールペンの後ろを何度もノックし、ペン先をカチカチと出し入れします。
「この村の元老院は匿名性のようでね。誰も正体を知らない。意思決定は常に電子掲示板を通して村に伝えられるそうだ。実際は大した指示もないようで、あくまで有事の際の方向を定めるための物のようだが、どうも、な」
ドアの方をちらりと見た彼女の意図。つまり、あの縛られていた人達は元老院の指示で妨害工作に来たという事ですかね。それにしてはやる事が嫌がらせの域を出ていないような。
「我々を留めよう、というよりは、内部分裂を図っているようにも思える。実際、帰還派の連中は限界だ。それはイコナ殿のおかげでなんとかなりそうだが、私が言いたい事は、わかるかね」
警戒してほしい、という事。
「今後の交易も考えれば、村の秘密は憂いにつながりかねん。まずはアンカー作りに集中してほしいが、ゆめゆめ身辺には気を付けたまえ。もっとも、リュミンの恩人であるならその手の心配は無用かもしれないがね」
「いえ、ご忠告感謝です。その可能性はあんまり考えてませんでしたので」
元老院とやらがアンカー作りそのものに反対するとは思えませんが、もし、アンカーに関わるあれこれの黒幕がそうであるなら、何かしら接触がありそうです。
その辺り、直球でカイリスに聞いてみてもいいかもですね。彼は言い様に使われてるだけかもしれないですが。
「ともあれ、詳細を詰めていこうか。必要な物、用意するもの。それがある程度決まり次第、村に我々の方針を伝えるとしようじゃないか。あぁ、面白い話があればその都度話してくれて構わない。エーテルについては実に、興味深い」
「その辺りは、全部終わって大団円となったら食事でもしながらしましょう。マイナーなお話ですが、奥が深い話なので」
頭の隅がもやっとしますが、とにかく今はアンカーを作るのが優先です。最悪、面倒な事になってもなんとかなるでしょう。
今回の一件、何もかも上手く行ったら手柄は全てキャラバンに持って行ってもらいます。後の交易の際、英雄たる彼女らには格別な対応が待っているはずです。
その分、私の報酬もお約束いただきました。具体的には食料の割引とか、横流しとか。これでコロニーでの生活も安泰ですね!
願わくば、何事もなくあっさり、アンカーが作れますよに!




