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P4TCHW0ЯK_W0R⧉D  作者: 哉守柚栞
第一章
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7/29

第四話 UИ⧉Σ⧉LΣD ODD⧉ƬƳ(2)

 常識とは青年期までに身に着けた偏見のコレクションである、みたいな事を旧時代の偉人が残したそうで、私自身いったいどこで見聞きしたのかとは思うのですが、この手の知識を思い出すときは大抵その通りだなぁ、なんて薄っぺらな感想を浮かべる時ですので、きっと考えた所で絶対思い出せない場面で知ったのだと思います。

 つまり私の知る常識でさえ偏見であり、実は世の中的には一般的な事なのかも、というお話なのですが、食堂を一歩出た瞬間に飛び込んでくる凄惨たる光景は、偏見で構成されている可能性が否定しきれないイコナさんの常識をもってしても異常事態と判断せざるを得ない状況でした。

「子供たちを外に出したくない親心が大変よくわかる光景ですね!」

 平たい岩が一枚あるだけの広場はまさに完成されたパズルを思いっきり叩いて、外れてしまった部分を空に浮かべてしまったような状況です。法則性もなくバラバラにされて、空いた部分は底無しの空を映す穴になってしまってます。巨人向けのジグソーパズル状態。あるいは神向けですかね。

 昨日はこのまままっすぐ歩けば、上の広場に問題なく行けたというのに、今では谷のように横長の断裂が発生しており、それ以外にも点々と、パズル型に剥がれた地面が存在して危ないったら無いです。特徴的な平たい岩も、地面ごと剥がれてかけてしまってました。岩の断面もやはり空の底になってます。

 地面だけではなく、建物の一部も立体的に剥がれてます。まさに立体パズル状態。塊のまま空に浮かんで、風に漂うというか、村の中心から渦を巻くようにゆっくりと回遊してました。こちらも断面が空の底になっており、ちょっと裏側がどうなってるか気になるところ。

「広場だけでもかなりひどい状態ですが、これもしかして村中でこんな感じですか? よくこんな所に住めますね…」

 素直な感想にも、アマリはどこか誇らしげでした。

「すごいでしょ! 地返し、師匠の言い方だと、リバインドの後っていつもこうなんだ。村の大人総出で一日がかりで直すんだよ。人通りの多い場所から直して、明日のお昼にはほとんど終わるんだ」

「リバインドの度にこんな状況なんですか? というか、よく一日ちょっとで直せますね…」

 見上げた空には相当な枚数の地面が浮かんでおります。曇り空、と呼んでも差し支えないほどには陽の光が遮られる状況。あれらをどうにか回収して、ジグソーパズルのように地面にはめ込んでいくのでしょうか。

 そう考えている間に、村の入り口に続く道からガラガラと荷車を引っ張ってきた方がいます。先ほど食堂で席が近かった、牙の長い恰幅の良いおじ様でした。

「おや先ほどはどうも。アマリ様もおはようございます」

「おはよう! イコナ姉さま、こちらはバルゴマールさん! なんのキメラかはちょっと、わかんない…えっと、トドだっけ?」

 バルゴマールさんはアマリの不完全な紹介でも、お腹をゆすって笑って答えます。

「自分もよくわかっておりませんが、図鑑によるとセイウチなる生き物らしいですな。なかなか体の大きい生き物のようで。つまり太っておるのはキメラの特性、決して食いすぎではないので。ちなみにもう一種はペンギンのようで、服で隠しとりますが、背中が黒くなっておるんですよ」

「先ほどはどうも。もしかしたら聞いていたかもですが、イコナです。竜とウサギのキメラですよ」

 差し出された手はがっしりとしており、脂肪というか筋肉の塊のような印象を受けました。

「いまね、イコナ姉さまに村の地直しの紹介しようとしてたの。良かったら手伝わせてもらってもいい?」

「断る理由もない。人手はいくらでも欲しいですからな。さ、イコナさん、こちらがこの広場の欠片でして、これをもとに戻すのが、我々の言う『地直し』です」

 バルゴマールさんは荷台の方へ周り、そこに積まれていたパズル型の地面、石畳で構成されているそこそこ大きなそれらを軽々と地面に降ろしました。

「空に飛んでるのに地面に降ろしても浮かばないんですね」

「そういえばそうだよね。あんまり気にしたことないかも」

 アノマリー現象にあれこれ理由を求めると疲れます。やはりこれもその類。

「では失礼して一枚」

 私の体格では両腕を広げるような大きさのパズルピースですが、驚くほどに軽く、布切れ程度の重量しか感じません。表面は石畳でしたが、真っ黒。ひっくり返してもどこか見慣れた闇が塗りこまれてます。

 厚さは非常に薄く、片手で持ちやすい厚み。石畳を構成する石よりも薄いですが、歪んだりたわんだりは一切しませんでした。

「………手に取ったはいいですが、これどの辺りのですか? ジグソーパズルやったことありますけど、さすがにこの大きさでお手本なしだと難しくないですか?」

 パッチ内で見つけた、旧時代の美術品…がアノマリー化して恐怖の体験をした場所でジグソーパズルを見つけ持ち帰りました。たまに遊んでましたが、正直得意ではありません。

「あぁ、それならいいものがありますぞ」

 バルゴマールさんがそういって腰の道具入れから取り出したのは、丸められた羊皮紙。彼はそれを近くの塔、見張り塔の壁に貼ります。

 羊皮紙はどうやらこの広場を上から俯瞰した絵のようで、とても丁寧に、石畳の模様までしっかりかき込まれています。それに格子模様で区切ってあり、番号が振ってあります。

 バルゴマールさんが説明しようと口を開こうとした時、アマリが割って入るように番号を指さしました。

「これみて! この番号がね、地面の欠片全部に刻んであるの。地返しで剥がれるところって毎回違うんだけど、大きさはいつも同じなの。だからこの番号を見れば、だいたいどの辺りかわかるんだよ!」

 すごいでしょ、と言いたげなアマリは大変微笑ましいです。手元のピースをよく見てみれば、石畳の一つに確かに番号が刻んであります。

 広場・十二。地図によれば、大体真ん中。これはわかりやすい。

「村中の地図がこういう形で用意されているなら、確かにすごいです。用意するのはさぞ大変だったでしょう」

 村の歴史がどれほどかはわかりませんが、この地図は相当使い込まれてるようです。

「ではこれを見て対応する場所にはめ込めばいいんですね? ちょっとやってみます」

 該当地点に向かい、かなり軽い地面の欠片と呼ばれるピースを持っていきます。足元には注意をし、空の底と化した穴からは十分に距離を置いて移動。

 番号の法則性は既に覚えたので、中央付近で無事な石畳を観察して、番号を確認。近い…ですが。

「……ピースがたりません」

 私が持っている番号のピースの間に、どうやらもう一枚必要みたいです。中央部分は大部分が欠損した谷のような形状になっており、外縁部から修復しないといけませんね。

『ようはヒント有の巨大ジクソーパズルだな。考えようによっちゃ楽しい行事だろうな。毎週やらされる側としちゃたまったもんじゃないだろうが』

「そうですね。一応即死の危険性もあると考えると安全第一で丁寧にやるべきなんでしょうけど、お気楽思考な私としては時間を計測してタイムアタックをしたいところです」

 それこそ遊び感覚になってしまいますが、それを村全体でやってしまうとおそらく事故率が跳ね上がったり、作業に強要感を抱いてる方からの苦情が出ますので、実行できないでしょうね。

「あ、姉さま、これそこかも」

 一度戻ろうとしたところ、アマリが頭上に掲げていた一枚を渡してくれます。彼女の言う通り、それは私のすぐ目の前の地面の物で、向きを合わせて近づけると、吸い込まれるように張り付いて、軽く上から押せば完全に元通りになりました。パチリ、とはまった際の小さな音は機械的で、妙に癖になる音に耳がぴくりと反応しちゃいます。

「おぉ、これは癖になる張り付き方。多少雑においても引っ付いたりします?」

「うん。かなり近くまで行くと自分で元に戻ろうとするんだよ。地面の欠片そのものが穴の中に落ちる事もないから投げちゃっても平気だけど、こういう大きな穴の所の真ん中とかにいっちゃうとまた回収しなきゃだから、一応丁寧にしたほうがいいかも」

 私が持っていた分も無事に繋がり、わずかですが地面が埋まります。これを繰り返していくのですね。

「広場は優先度結構高いの。もう少ししたら応援が来ると思うけど、わたし達はそれまでここで手伝って、その次はまた別のところ見に行こ!」

「りょうかいです。それではがんばるとしますか」

 バルゴマールさんは荷車を引っ張って次の『回収地点』へ向かってしまい、それから二十分ほど、私とアマリで一束の地面の欠片を広場に戻していきました。

 作業中気になったのは、村の各地から聞こえる風切り音と、機械が瞬間的に動作する音。それに村人の掛け声。実に賑やかです。

 余計な事を考えながら作業をできる程には手慣れてはいませんが、何度か地図と修復地点を往復しているうちに少しは思考に回す余裕は出てきまして、なんとなく、空に浮かぶ欠片を回収する方法も予想ができてきます。

「…たぶん、アマリはそのあたりも紹介するの楽しみにしてますよねぇ」

 複雑な心情は表情にも出てしまい、ガンターは他人事みたいに言います。

『俺様でも状況を見れば何をどう使うのかはわかる。あぁ、この言い方だと俺様の思考がイコナと同等に聞こえるだろうが、アマリに遮られてなけりゃ、俺様はとっくに昨日答えを言ってた』

「はいはい、さすが愉快なイコナさん一行の知能担当ですね。あなたにご褒美をあげる事ができないのが大変悔やまれますよ」

 ガンターとそんなやり取りをしつつも、作業は継続。もう残り数枚という所でおかわりが到着しますが、広場担当の方々が到着して交代となりました。

 なお、お礼を言われ、改めて挨拶をした場面につきましては割愛とさせていただきます。紹介の度にアマリが嬉しそうに「姉さま」と強調するのがちょっと恥ずかしかったからです。微笑ましいとでも言うような温かい表情が、いかに彼女が愛されてるか伝わりました。大切にされているのは彼女がドラコニアンだからもあるのでしょうが、人柄によるものだと思います。

 アマリの案内で次に向かったのは、昨日と同じ、上の広場へ続く道です。たぶん、道中にあったバリスタを見せたいんだろうな、と思っていたら案の定でしたが、多少驚いたのは否めません。

 なぜなら、バリスタの設置されていた台、そのまま地面が柱状に上へ向かってせりあがっており、周囲の建造物の屋根と同じくらいの高さまで持ち上がってましたので。

「どう、姉さま」

 キラキラした目で見られて、素直な感想はこうです。

「閉鎖環境にありがちな謎のすごい技術ですね……何か古い施設の上に村があったりします?」

 見た所、通りの端には昨日は見かけなかった巨大なハンドルが刺してありますので、あれで高さを調整しているのでしょう。そんな機構を組み込める技術力があるという事実の方が驚きですよ。

「この持ち上がるのすごいよねぇ。結構簡単にアレ回るんだよ? どうやって手入れしてるのかはあんまりわかんないけど」

 普通にコロニーに生活してても全部の仕組みをわかってるわけではないので、そういうものか、と受け流す程度の物のようです。アノマリー由来かもしれません。

「なるほど、こうやって地面の欠片を回収しているんですね」

 やっぱり、と言いたいところでしたが、回収の現場はそこそこ迫力がありました。

「装填・用意、撃ちまーす」

 作業感ある掛け声の後、ガシュッ、と短い稼働音。縄の擦れる音と風切り音の後、ズドンと遠くで鈍い音。

「はい命中ー」

「よし、引けーッ!」

 射撃主の後ろに待機していた男性が声を張ると、坂道に待機していた四人の男性が空に向かって伸びる縄を声を合わせて一斉に引き始めます。

 回収は至って単純です。バリスタに取り付けられる矢には縄が結ばれており、縄付きの矢を発射し、地面の欠片を撃ちぬいて、後は引くだけ。貫いた後に抜けないように返しなんかも工夫されてそうですが、やってること自体は単純ですね。

 バリスタの稼働音や弦を引く音、縄を引く掛け声なんかはなかなか臨場感というものがありました。

「地面の欠片はね、空に浮かんでる間って結構重いの。重力なんかもおかしくなってるんだけど、ある程度引っ張ると急に――あ」

 うわぁあ、と声が上がったのはまさにアマリが説明していた時。引っ張ていた男性らが一斉に転び、繋がっていた地面の欠片が浮遊する力を失ったかのように墜落、石畳の上を滑っていきました。

「おらー何やってんだ! アマリ様に見られてデレデレしてんじゃねぇ! せめていい所みせろ!」

 バリスタの背後で仕切ってる筋肉質の腕が剛毛に覆われた男性が何やら声をあげ、彼らの様子を鼻で笑う人もいました。

「は、まったく男どもは単純だよなぁ。羨ましいかぎりだ」

 悪態をつきながら石畳に墜落した地面の欠片へ向かうのは、昨日アクセサリーの露店を開いていた妖精と鳥のキメラ。空中を滑るように移動する彼女は、えっと名前は…聞いてないかもですね。

「ヴェルガさんおはよー」

「おはよう、アマリ様。イコナさんだっけ? そっちも元気そうで何より」

「どうもです」

 挨拶もそこそこに、彼女は刺さった矢を抱え、特徴的な鳥の足で地面の欠片を掴んで一息に矢を引き抜きました。どこかの草地らしき地面の欠片は穴が開いておりましたが、見ている間に穴は謎の修復力を発揮し、生物的な生々しい動きで元に戻ってしまいます。

「西…いや東か? わからん。保留」

 回収した欠片をかなり雑に、道の端に放り投げます。なんとなく山ごとに分類されているようですが、私にはどれがどれだかわからないです。

「ヴェルガさん、ここは何か手伝う事ある? 今日は姉さまも手伝ってくれるよ!」

「んぁー? 申し出はありがたいけど、手伝ってもらうほどの事はないな。その辺の束を届けんのは荷車係がやるし、仕分けとか戻す方が忙しいんじゃないかね……あー、旦那ー! この縄もうだめだー! 次ー!」

「おーう! 取り換え少し待て」

 バリスタ側で何やら作業が始まり、外された縄が降ってきます。擦り切れてボロボロになった縄。それを巻き取りながら彼女は言います。

「そういや、今回の地返しでちょっと厄介な事起きてるみたいだな。カイリス様が対応してくれてるんだが、もうそろそろ、あ、アレだ」

 彼女が指さした上空、周回する空の欠片の一つ。妙に立体的なのがありました。

 ゆっくり回転し、背面の空の底を見せながら回転する様は空が瞬いているようですが、その欠片には大型の生物が立っており、回転しながら何やら不満を申し上げてます。

 もー、と。

「人語を解してる…? なんですかあの生き物」

『あぁ、あれは乳牛だな。乳を搾るために改造された哀れな牛だ。だがなんであんな所にいるんだ? さすがに理解に苦しむな』

 まったくもって彼と同じ意見ですが、ヴェルガさんはガンターの声が聞こえないくらいに事態を重く見ているようです。

「小屋に戻し忘れたのか知らないが、地返しに巻き込まれたみたいで、見ての通り。あれじゃバリスタも危なくて撃てない。いっそ潰しちゃうかって話してるらしいけど、妊娠してるらしくて困ってんだってさ。カイリス様はなんとかするって言ってたがね」

「えっと、じゃあ兄さまがジャンプして回収するって事? 兄さま、届くかな…」

 牛のいる地面の欠片はゆっくりですが、他の欠片と一緒に村の上空を周回してます。でもジャンプしたからって届く高さではないですね。高台からならもしかしたら行けるかもしれませんが。

「お兄さんもっと別の案があるのでは? 縄とかひっかけるとか」

「えー? 兄さま意外と力業ばっかりだもん。タイミング合わせて飛びかかればいいくらいにしか考えてないよ」

 ひどい言い方ですが、ヴェルガさんが確かに、とか呟いてしまいます。知らない人に対する冗談めいた物言いも複数人が肯定してしまうと事実に聞こえてしまうのは怖いですね。もしや脳筋なる分類の方なのでしょうか? 筋肉は全てを解決するそうですけど、果たして。

「わかった、わたしの方でも何か考えてみる。とりあえず他の所手伝いにいくね。いこ、姉さま」

 こちらでも軽く挨拶を交わし、道沿いに上って上の広場を目指します。

 昨日と違い、道の所々が虫食いになっていますが、回収され運び込まれた欠片が次々とはめ込まれて、既に通りの修復はかなり進んでいるようです。そもそもどの程度、地返しとやらで剥がれていたのかわかりません。周回している欠片の枚数を見ると、村全体で相当な被害があるようですが。

 それよりも。

「潰す、って事はお肉にしちゃうって事ですかね? ミルクの派生食品はたくさん見ましたが、やっぱり貴重なんですか?」

「うん。ここはほら、土地が限られてるでしょ? 北側は牧草地になってるんだけど、その中で牛を育てるのって大変だから、数の管理もしっかりやってるの。たくさんミルクを作れるように、少ない数でも大丈夫なようにって品種改良してるから、一頭一頭がすごく貴重なんだ。しかもお腹に子供がいるみたいだし」

 歩きながらアマリが空を見て、丁度頭上ですれ違った牛がそうだとばかりに一鳴きします。回収されるまで延々と狭い土地で村の上空を漂うなんて、憐憫を覚えてしまいますね。

 そんな事を考えつつも、まだ上を見ていたアマリの手を反射的に取って引っ張ります。

「わっ、と」

 一瞬だけバランスを崩し、私に詰め寄る形になってしまいましたが、離れないように彼女の腰に手を回し一歩後ろへ。そこでようやく、アマリも足元にあった底無しの空に気付きました。

「ありがと姉さま…」

「いえいえ。パッチでの習慣と反射が生きててよかったです」

 私だったらリムが出てきて体ごと掴まれてる場面でしたね。そんな形でリムが現れるのも困るので警戒しておいてよかったです。

「やっぱり姉さますごい人なんだなぁ。わたしもまだまだだ。これじゃ兄さまに心配しないでなんて言えないよ」

「イコナさんは確かにすごい人ですが、アマリが頑張ってるのは村の皆さんも知っているのでは? 私の目からは少なくとも、役に立ちたいという気持ちはちゃんと伝わっているように見えます。お兄さんがどれほどかは私にはわかりませんが、あなたはいろんな経験をするべきであり、誰かと比べる必要があるようには思えません。失敗と経験は重ねてこそ意味があるのです」

 個人的な評価では、お兄さんとアマリを比べた際、愛想や私に親しみを感じている点で圧倒的にアマリの方が優れていると思いますね。これでお兄さんが私に跪いて言いなりになるのなら番狂わせがあるかもしれませんが。そうなったら実に楽しそうですね?

「わたしもイコナ姉さまみたいな自信がほしいよ。どうやったらそんなに堂々とできるの?」

『そいつを問うとは酷だな。こいつは自信家なんじゃない。他者なんて比べる必要すら無い、自分と同じなんざ少しも思っちゃいないんだ。つまり何にも考えてない』

「ところで空の底って面白いですよね。ここに物を落としたらどうなっちゃうんですか? 知的好奇心に駆られ後先考えず試してみましょうか。さぁ経験を積みますよ!」

『誰か助けてくれ! 過去一番の危機だ!』

 イコナさんが何も考えてないなんて実にアレな感想です。頭の中はこんなにも賑やかだというのに。これでも放っておくと真面目な思考で埋め尽くされちゃうんですから。

「他人と比べない、という点は半分ぐらい合ってますね。私には私にしか出来ない事があり、私には絶対にできない事もあります。ならばできる事をやって、できない事は他人に任せるまで。それでも多少他者との比較はしますが、経験や適性の差もありますし、参考程度です。私はこうするけど、あの人はこうしてる。その結果ここが優れてる、という風に、比較分析が重要です。他人と比べるというのはそこまでやってようやく意味を成すのですよ。つまり、表面的な無意味な比較はしてません」

「比較分析…」

 穴をよけて歩きを再開。土の影が作り出す日陰は少しだけ濃いです。

「どうせ他と比べるなら常に優れた点を見るべきです。良いところだけを見つけていけば、それを前例として自然と自分のものにできます。それを繰り返していくと自信と言えるものができるんじゃないですかね。見つけてしまったり浮き彫りになってしまう自分の悪いところはまぁ、頭の隅に置いて改善していけばいいです。個人的にはそれもまた個性だと思います。同じ人ばかりなんてつまんないですからね」

『本当に頭の隅に悪い所あるか? お前の事だからそのまま可燃ごみに出してそうだ。試しに自分の悪い所言ってみてくれ』

「…………」

 頭の中に燃えカス程度の言語化できない何かがあった、程度のモノが見つかります。どうやらイコナさんのお気楽思考は熱性で、可燃性の思考や記憶を焼却できるくらいの火力があるようですね。これは素晴らしい発見。嫌な体験や思い出はみんな燃やして教訓だけを取り出していきましょう。

 アマリの横顔は笑顔が張り付いてますが、何か悩んでるようにしか見えません。この子は元気に無邪気なふるまいが似合うと思うんですが、物憂げな表情はそれはそれで美人ですが、違う感じです。つまり気に入らない。

 私は少しだけ跳ねるような足取りで前に出て、斜面に地面の欠片を貼り付けていたほっかむりを被ったエプロン姿の女性に近寄ります。

「こんにちは。突然ですが、アマリはお兄さんに比べて頼りないですか?」

「は、え? 誰だいあんた? ってあぁ、噂の外の人か」

 顔が完全に猫の顔になっている、猫顔のおばさま。もしやケット・シー、と思いきや、作業する手が吸盤のついた触手でございました。タコかな?

「イコナと言います。竜とウサギのキメラです。先の質問、本人がいないものと思って素直にどうぞ」

「いや、本人うしろに」

 見ようとするので身体を広げ、傾ける体に合わせて一緒に傾いてやります。尻尾が長いイコナさんはバランスを取るのがとても得意。すぐに諦めて答えてくれます。

「そりゃまぁ、カイリス様は頼りになるけどねぇ。でも元老院の指示を優先されてるもんだから、最近じゃアマリ様の方がなんでもすぐにやってくれて助かってるよ。ありがとう……と、伝えておくれ」

 猫の笑顔ってよくわかりませんが、目を細めて本人不在のふりを貫いてくれました。いい人です。

 振り返れば両手で顔を覆い隠し、特に赤くなった頬を隠すアマリがいます。元々色白の肌は照れてるとすぐ赤っぽくなって目立ちますね。真っ白な角の根元、耳まで赤いです。

「さて次はそちらの方に」

「まって姉さま、わかった、わかったから」

 肩を掴まれて引き留められ、突撃取材は強制終了。そのまま大人しく広場へ向かっていきます。

 道中屋根の一角が無くなっていた場所を修復していており、屋根に上った人に向かって欠けた屋根を放り上げる様子はどこか現実味がなく、少し愉快に感じました。少しテンションあがってきちゃいました。

「元老院とやらはよくわかりませんが、つまり村の公的なお仕事にお兄さんは忙しいんですね」

「うん……兄さまは今のわたしの歳には元老院の仕事任されてたの。だからわたしも役に立たなきゃって思って、それこそ師匠に色々教わってたのに、なんか姉さまと話してるとその辺の気持ちわかんなくなる」

 ため息つかれてしまいました。良い方向での意識改善だと思うのですが。アマリが何に悩んでいるのか、いまいち要領を得ません。放浪生活が長すぎたのか、そもそもコロニーでも良好と言える対人関係が少なかったからか、いずれにしても経験値が足りない?

 その辺りはどうやら、ガンターの方が優れていたようです。

『なんだ? 承認欲求が足りてないらしいな。アマリに対するレビューをまとめる掲示板が即刻必要かもしれん。アンチ意見はお断りでな。それとも特定の誰かに認めてもらいたいのか? リュミンか? 恋人候補か? つまらん答えかもしれんが、もしや兄貴か』

 ガンターの指摘に、アマリは立ち止まってしまいました。図星みたいです。

 バレてしまったと察した彼女は、ずんずんと速足で歩き始めます。ふてくされたように。

「だって、兄さまってわたしが何かするとすぐ無茶するなって言うんだよ? 少し擦り傷作って帰ったら大げさに騒ぐし、昨日だって服にちょっと泥ついてただけなのに何して来たんだ、どうして転んだんだってしつこいんだもん」

 聞いてる限りは良いお兄さんに聞こえますが、確かに少し過保護にも思えます。それよりアマリ、足早いです。決して私の足が短いわけじゃないですが、身長差による歩幅の差というものはあるのですよ。

「師匠と外に出ようとするとついてこようするし。忙しそうだから手伝おうかって言っても、わたしには難しいかもなんて言うし。そもそもキャラバンの人と話すのも許可が下りるまですっごく大変だったの! 姉さまの事もすっごく怪しんでた! こんなに優しいのに!」

「ぶっ」

 突然立ち止まり、憤りと共に上に持ち上げられた尻尾がすぐ後ろにいたイコナさんの顎をなかなかの威力で打ちのめし、そのまま後ろに倒れてしまいました。後頭部を打つ直前、もふっとした感触に救われ、すぐに地面に降ろされます。

「ね、姉さまー!」

「だ、大丈夫です、頭は打ってません…」

 先ほどの感触は間違いなくリム。助けてもらわなければ危ない勢いで頭を打ってたという事ですか…? 確かに一瞬で視界が上に向いてましたが。あれ、くらくらします? 

「ふふふ、何かに夢中になってると尻尾って存在忘れちゃいますよね? 私も興奮しすぎて尻尾を振り回し、回転する何かに危うく突っ込みかけた事ありますよ…」

「怖い事言わないで! わぁん、ごめんなさい!」

 眩暈のような感覚はすぐに収まり、アマリの手を取って助け起こされ、そのまま抱きしめられちゃいました。別に怒ってませんが、何事かと作業を止めた方々がこちらを見てるので、ちょっと恥ずかしいかもですね。

 私にも羞恥心が残っていたことに驚きです!

「えっと、アマリが何に悩んでるのかよくわかりました。一人前であることを証明したいのですね。それなら一つ、お兄さんも手をこまねいている事をやってしまえばいいのでは?」

「えっと、なに?」

 抱擁を解除させて、今は後ろの方へ行ってしまい、豆粒みたいになってしまった白黒の生き物を指さします。

「あれ、回収してしまいましょう」

「……えっと、どうやって?」

「さぁ? それはこれからどうにかするとして、できたらすごいですよね?」

「そうだけど、一番高い所からでも届かないよ? 縄だって、届くかわかんないし」

 バリスタで矢を撃って、それで回収しなければならないほどには高い場所を周回してます。ドラコニアンが身体的に優れていても、跳ねた程度で届くはずもない。

 妖精種の混じったキメラは地上から一定の高さしか飛べない制約がありますし、有翼のキメラ種は存在しても実際に身体を支えて飛ぶことができる人はほとんどいません。ハーピーとか、幻獣種が混じりなおかつ体に多く特徴が出ていれば特性、つまり魔法という形で飛行できる可能性はありますが、この村にそんな方がいるとは思えませんね。

「そうですね。もし偶然、何かの拍子にジャンプして、ついでに縄をうまく投げたら届く距離にアレが来たら都合がいいですよね」

「そりゃね。でもそんな事ありえるかな。確かにたまに、低い所を飛んでくることはあるけど、めったにないよ?」

「可能性の話ですよ。とりあえず、上に行きましょう」

 上の広場までもう少し。焦らず今度はゆっくりと歩いていきます。

 尻尾を揺らして、ちょっと上機嫌に。懐かしい感覚を思い出しながら。

「アマリ、一つおまじないをしましょう」

「おまじない?」

「えぇ、お呪いを」

 言葉の一つ一つを考えて、順番に言葉にします。丁寧に、紡ぐように。

「私に混じるウサギというのは幸運ウサギでして、こうしてこの村にやってきたのもその幸運のおかげでもあります。なので私がするお呪いは、とっても効果があるのです。まさに運命に干渉するレベルです」

「そうなんだ! でもどんなおまじないなの?」

「単純です。あなたはアレを回収する覚悟があって、その機会が必ず来ます。ちょっと大げさで無茶な方法を選べばできますが、その際にどのくらいの覚悟を持てますか?」

「えっと、これっておまじないなの? でも覚悟かぁ。実際、あの子がいなくなると牛一頭分のミルクが減るわけだし、かなり大変なんだよね。ミルクは村の食料を補ってるし、産まれるはずの子牛もいなくなっちゃう。兄さまに怒られるかもだけど、ちょっとくらいなら怪我してもいいかも? 死んじゃうのは嫌かなぁ」

 後ろ手に手を組んで、なるほど、と小さく呟きます。

「程よい覚悟、いいですね」

 握った右手を包むように左手で覆い、尻尾がゆらりと波打つように揺れます。

 広場に入る手前、立ち止まって目をつむって、立ち眩みのような気だるさを覚えて、少し我慢。

 かちん、と、頭の中で何かが釣り合ったような感覚。

「姉さま?」

「大丈夫です。でもちょっと、疲れたかもしれませんね」

「姉さまここに来るとちょっと調子悪そうだよね。まだ二回目だけど」

 目を開けて、市場の代わりに矢や縄、集められた土の欠片が仕分けされている広場を横目に高台の方へ向かいます。

 縁沿いに置かれたベンチに腰掛ければ、程よい風が吹き抜けていきました。

 荷車が行き来する音。指示や報告の声。昨日とは違う喧騒です。村の各所ではバリスタの射撃音、漂う欠片に向かって矢が飛んでいく景色は、なんとも奇妙に感じます。村にとっては恒例行事でしょうけど、慌ただしさは落ち着きませんね。

「さっきのおまじないって、もう終わったの? よくわかんなかったけど…」

「あぁ、単純ですよ。機会があった際に、どこまでやれるか、それを事前に考えておくだけで体って動きやすくなるんです。覚悟というお呪いですよ。まぁ、怪我はできるだけしてほしくは無いですが」

「そっか! 怪我は、気を付けるね。兄さまもまたうるさいだろうから」

 辟易とした表情を浮かべる辺り、かなり頻繁に言われてるようです。そんな彼女の髪を乱すように、強い風が吹き始めました。私も耳が風になびく強風。ちぎれちゃいそう。

「うわぁ、風強くなってきたね。姉さまはもう少し休む? それならわたし、少し広場の方手伝ってくるけど」

「んー…ここにいると耳がちぎれちゃいそうなので、私も行きます」

 こうして私とアマリは広場の作業にそれぞれ合流します。アマリを介して簡単に紹介してもらい、アマリは地面の欠片の仕分け、私は荷車に積み込んでいきます。

 薄っぺらく見た目以上に軽いそれらも、まとまればそれなりに重く、軽く息があがってしまいます。三枚程度なら問題ないですが、四枚以上になるといきなり重くなる妙な性質がありました。

 荷車二台ほど手伝い、積み込み作業が一段落したところで給水休憩。小型の樽に木製のジャッキを突っ込んでなかなか豪勢ですが、嫌いじゃないやり方でした。むしろ好き。

「はー、井戸水おいしいです」

「だろー? この村の地下水はどこで汲んでも美味いんだ」

 積み込みを一緒に行った頭を含めた上半身が狼な青年。ほぼワーウルフじゃん! と内心思ったのですが、筋骨隆々の腕は人間で、尻尾は太く短い毛に覆われた体重を支える事ができる何かの生き物でした。そういえば昨日市場で見たような?

「そういえば自己紹介してませんでした。私はイコナです。竜とウサギのキメラですよ」

「あぁ、俺は犬とカンガルーっていうなんかよくわからん生き物のキメラだ。名前は」

 お名前を伺う瞬間、高台寄りで作業していた方々がざわめきます。広場で作業していた人も高台側へ集まり、その中に実に自然に混じっていた私もその原因を理解いたします。

「なんじゃこりゃ」

 誰かが呟きますが、村でもどうやら異常事態の模様。高台の目の前に広がる光景は、確かに、異常事態です。

 視界には無数の土の欠片。様々な場所の剥がれた地面や、構造物の一角。それらが高台とほとんど同じ高さで漂っているのです。多少高低差はありますが、螺旋を描くような形でほどほどの間隔を開けて密集していました。強風で流されてきたように見えます。よく見れば、遠くの方も同じように村の外周から内側へ乱れて入り込んでる一群が見えました。

「おいチャンスだ! 急いで縄縛れ! 届く範囲を今のうちに回収するぞ!」

 迅速な判断は先ほどのカンガルーなる生き物が混じってた青年。他の皆様はすぐに反応し、束ねられた縄をほどきに行きました。

『…おいイコナ』

「姉さまあれ!」

 ガンターの言葉を遮り、アマリが身を乗り出して指さしたのは、牛の乗った大地の欠片。かなり遠く、欠片の軌道はかなり不規則です。螺旋状に集まっていた形も崩れ始めてました。

「んー、残念ながらあれじゃ縄は届きません。運よくこちらに流れてくれば話は別ですが、さすがにイコナさんの幸運効果だけでは足りません。空の柱があと二本必要です」

 強風が吹き、欠片がぐらつくように行き先を変えます。互いにぶつかったり、本来の軌道に戻ろうとする欠片もあり、動きは完全に混沌と化していました。まるで波立つ湖の上の木の葉のようです。

「そういえば、空中で構造物が接触した際にはどうなるんですかね? バリスタで貫通した部分は修復されてましたが、もしかして生物も貫かれても実は治るのでは?」

「巻き込まれてる建物とかは欠片同士ぶつかっても大丈夫なの。でもバリスタの矢を当てちゃうと壊れちゃう。生き物も普通に怪我するのってそうじゃなくて! これぐらいなら行けるよ!」

 アマリは広場に走っていき、既に先端を輪っかに加工した縄を半ばひったくるように村人から受け取ります。戻ってきた彼女はそれを振り回し、欠片を回収…するわけでもなく。たすき掛けで体に固定するのです。

「アマリ?」

 高台の縁に立った彼女は胸の前に手を置いて何やら呟きます。

「わたしならできる! わたしだって、ドラコニアンだから!」

『おいアマリ!』

 慌てた声をあげるガンターは大変珍しく、彼が声をあげるのも無理もない事態が起こります。

 水竜の尾、それに首の後ろで細く束ねた薄い青の髪をなびかせ、彼女は高台から飛び出しました。人と呼ばれる種にしてはあまりにも高く、遠い跳躍力。人外のそれでした。

「アマリ様!」

 誰かが絶叫し、アマリの体が宙を踊ったように見えたのは一瞬だけ、彼女は一番手前で回転してた草地の欠片へと着地します。

「ッ! 大丈夫、行ける!」

 回転して斜めになっていた草地に垂直に、欠片の重力に従って着地した彼女はすぐに次へ向かって飛び出しました。

 彼女が行っているのは、床が傾いた状態で次も別の角度に傾いた床に飛び移るなんてことを、床の引力込みで繰り返している状態。しかも上下逆さまもありです。それは普段訓練でもしてないとできない離れ業に違いないですが、彼女は驚異的な身体能力を見せつけてくれました。

 草地、石畳、屋根、草地と次々と飛び移っていく彼女は時折ふらついていて実に危なっかしいです。見ている群衆が短い悲鳴を上げるのも納得です。私なんか黙って見届けるしかできません。それでも彼女は順調に、重力さえおかしくなっている足場を渡っていきました。

 安堵なんてできない展開の中、特に大きな悲鳴が上がります。アマリが縦に傾いた泥地に飛び込もうとした瞬間、強烈な風が吹き着地がずれたのか、彼女の体は半分宙に投げ出されます。胸部を強かに薄い側面に打ち、上半身は泥地に残りましたが、下半身が本来の重力に従い、下へと引っ張られていました。

 かなり異常な姿勢を、彼女はすぐに転がる事で下半身を欠片の上に引き上げます。見事な対応力ですが、せっかくの白い姿が泥まみれ。しかしその甲斐あって、牛のいる欠片までもう二枚か三枚といったところ。

 問題は間に欠片が無い事でした。牛のいる欠片は完全に孤立していたのです。

 アマリが渡った地面の欠片は、蹴飛ばされた勢いで他より少し早く回転してます。戻ってくるのは難しいでしょう。欠片の多くは外周に向かって動き始めて、彼女たちが孤立するのも時間の問題です。

 縄は片手に。上手に投げれば届くはず。互いの傾きがかなり難しいですが、彼女はタイミングを見て振り回した縄を牛に向かって投げました。

 しかし強風がそれを許しません。二度、三度と挑戦しますが、縄の投擲距離から徐々に牛も離れてしまっているようです。彼女自身の足場も移動しているので、距離がどんどん離れていきます。

 それでも偶然、アマリのいる欠片と牛のいる欠片の向きが揃いました。さらに地面に対しても水平に。まさに私の祈りが幸運として働いた瞬間。ですが距離は、届かないかもしれません。

 迷ってる暇はなく、これ以上のチャンスは無い。そして彼女は迷いませんでした。少ない選択肢の中で唯一ともいえる方法をすぐに選ぶのです。

 アマリは勢いよく自分のいる地面を飛び出し、されど牛のいる欠片に本人は届かず、落ちていく中で縄を投げます。輪っかになった部分は見事に牛の首に入り、アマリの体重が掛かり欠片ごと下へと引っ張られ、回転しながら高度を下げました。

 牛からすれば首が締まった状態で若干暴れていましたが、アマリはいつまでも縄に掴まっていたわけではなく、縄の長さ分滑るように落ちていき、建物の屋根へ降り、傾斜で転がって行き、屋根から放り出されるも縁を掴んでぎりぎり落下を防ぎました。

 片手には縄を掴んだまま。一息で屋根に戻った彼女は、そこからゆっくりと牛の首につながった縄を引っ張ります。

 上の広場では拍手が巻き起こりました。牛一頭を助けるにはいささか大げさで危険が釣り合っていないような光景でしたね。

「はぁ、まったく冷や冷やする光景でしたね。感情の処理が間に合ってませんでしたよ」

「まったくだな。でもさすがアマリ様だ。ドラコニアンはやっぱすごいな」

 ワーウルフもどきさんとそんな会話をして、はけていく人たちに混じって私もその場を離れます。すぐにまだ近くを漂っている欠片の回収が始まるでしょう。

 そんな中、私は来た道を戻って、下の広場、食堂前を目指していきます。

『………なぁイコナ。お前、何をした?』

「何とは? 見ていた通り、私は可愛い妹が足を踏み外さないか気が気ではありませんでした。見てください、まだ手が震えてます」

 小刻みに震える手は自分のものではないみたい。なかなか緊張しました。

 斜面を速足で降りていきますが、ガンターは何やら物申したいようです。

『思えばに互いに付き合いが長くなったもんだ。隠し事の一つ二つあるだろうが、それを聞かないのは俺達の仲にそんなのは関係ないと割り切ってるからだ。隠したい事は隠していればいい。それでもあえて聞くぞ? 何をした?』

「んー」

 尋問するような口調はかなり真剣です。彼に体があれば肩でも掴まれていたかもしれません。

 ですが私は歩きながら、なんてことないように言います。実際大したことはないのです。

「魔法です」

『あ?』

「だから魔法ですよ。私の、コレの」

 これ、と尻尾を振ってやります。あぁ、なるほど、この俺様の足りない頭でも万事理解したぜ、という返事が無いので説明してあげました。

「私の竜としての種族特性ですよ。非常に強力な制約と効果を持つ魔法です。自分に直接使用できませんので放浪中は使う機会がありませんでしたが、以前のコロニーではこれを応用した工房を営んでました。条件さえ満たせばご覧の通り、大変都合の良い事が起こせます。どこまでが魔法の効果だったかはご想像にお任せしますが、今回はかなり、制約の部分で私が負担してます。かわいい妹へのサービスですね」

 言った傍から懐かしい感覚と共に鼻がむずがゆくなり、触れれば鼻血が出ておりました。ポーチから布切れを取り出してあてがいながら先を急ぎます。発動の対価を後払いにしてみましたが……よくなかったですね。

「キメラの特性も訓練すれば大規模な事が起こせます。私はコロニーで商売として使ってましたので、まさに魔法の域に達しているのですよ。とはいえ、久しぶりに使ったので」

 ガッ、と音がした直後、視界が傾き頭から飛び込むように転びます。両手をあげて傾斜を滑る姿は実に滑稽だったでしょう。膝や顔をすらないよう、お腹で滑るような見事な飛び込み。転びなれたモノが身に着ける対処法です。

「…ちょっとバランス調整にミスって体調に出ちゃってますね。あぁくらくらする」

 情けない姿を誰もみていないのは幸い。立ち上がって、土を払います。その間に一滴、鼻血が地面に垂れました。

 その血を嗅ぐような姿勢で、じわりとにじみ出る小さな姿のリム。地面の血、それから私の顔を見上げます。おやおや、心配してくれるのですか? 愛いやつめ。あなたにとって私の出血は大事件ですもんね。

 かがんで頭を撫でて、立ち上がるころには鼻血も止まりました。リムも姿を消し、再度広場を目指します。

『代償が何かは知らんが、その調子じゃ使わない方が良さそうだ。おいイコナ、約束しろ。俺様に相談なしにそれを使うのは無しだ。貧血で倒れられちゃ困る』

「えー? 一体何様のつもりですかー? イコナさんはこの力でコロニーで財を築き、金に物言わせてこの村から美味しいご飯を届けてもらうのです」

『商売に使うのは構わないが、さっきみたいのは無しだ。少なくとも細かいルールを話すまではな。俺様の直感が正しければ、アマリ…魔法の対象者にも何か影響があるんだろ?』

「むしろ他者にしか恩恵が無いので、対象者に影響があるのは当然なのですが………わかりました。今回みたいなこっそり使うようなやり方はやめます。正直、私もアマリには悪い事したと思ってますからね。ドラコニアンなら多少何かあっても大丈夫、なんて考えましたから。さっきは答えませんでしたが、これが私の悪い所ですよ」

 牛を助ける覚悟が足りなかったり、僅かにでもためらえば大けがをする。その代わり、覚悟に応じた助けるための都合のいい事が起きる。ちょっと大雑把すぎて、私への反動が大きすぎました。やはり手順を無視するのは良くない。

 広場に辿り着けば、先ほどよりもかなり修復の進んだそこで牛を連れたアマリが村の人達に囲まれておりました。そんな中でもこちらの視線に気が付いた彼女は、ちょっと怒られてるみたいでしょんぼりしてました。それはまぁ、そうですよね。お兄さんじゃなくても無茶したのは目に見えますもの。

「……助けたのが行方不明の子供だったらもっと喜べましたかね。牛なら食べてもよかったのではなんて思っちゃいます」

『牛が美味いのは認めるが……長期的な村の食料事情を救ったんだろ。十分に英雄だろ』

 その後、泥まみれのアマリは食堂裏の私の宿泊する建物でお風呂に入り泥を落とし、私は彼女の泥まみれの服を洗う事となりました。せっかくなので大鞄に取っておいた衣類用洗剤を使い洗濯。いつもより仕上がりが素敵な洋服に驚くのが楽しみです。

 そのあとはお昼を食べ、夕食の仕込みに人手が欲しいという事で、午後からひたすら食事の用意でした。食堂の汚れっぷりには絶句しましたが、危険もない軽作業を行う事となったのでした。

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