第八話 F4D⧉И⧉ ⧉Σ⧉Ƨ (4)
村の未来は明るい方向に進んでいますが、どれだけ浮かれて仕事に手が付かなくても、地返しという現象は容赦なく発生して否応なしに村人を現実に引き戻していました。
剥がれた地面を元の場所に戻し、空に浮かんでいる分はバリスタで回収し、手慣れた様子はこれが村の日常の一つだと改めて思わせます。
今回は十字型に裂けた広場を横目に、村の入り口を目指して歩いていると、荷車を引っ張る恰幅の良い男性、セイウチとペンギンのキメラであるバルゴマールさんとすれ違いました。軽い挨拶だけして通り過ぎ、先日回収班の集合場所となった村のワーカーが利用する建物が近付いてきます。そこにもバリスタが設置されていて、数人が作業しているのですが、その中の一人が知人でした。
引き締まった細身の筋肉質。牛の角と、カメラレオンの尾を持つオルヴァさん。彼はクマのような大柄の男性と話していましたが、私を見かけると何やら断りを入れて、駆け寄ってきます。
少し手前で立ち止まり、大きな手でマスクのように口元を隠して、彼はなにやら悩んでしまいました。
「どうされました?」
「あぁ、いや」
妙に身構えていた彼は深く息を吐くと、頭をがしがしと掻きます。
「あんたに対してその、どういう態度が適切かわからない。敬うべきか……ただの知人として受け止めるか」
一度は叩き切るぐらいの勢いで襲ってきてますからね。彼らがやろうとしていた事は私が口止めしているような状況です。
「イコナさんは心が広いので、とりあえず知人として接する事を許してあげます!」
ふふんと胸を張って言ってやれば、少しだけ目を見開いて、表情が少し柔らかくなりました。
「なら、そうさせてもらおう。改めて、あの時は申し訳なかった。それと、俺たちの事を黙ってくれて、感謝してる」
背筋を伸ばして、綺麗に頭を下げてくれます。律義で真面目。立場もわきまえてる。演技が一切ないなら、彼の性格は誠実と表して問題ないと思います。
「元老院と直接お話しましたが、あなた達の処分とかってどうなるんですか? えっと、どこまで聞かされてるのかは知りませんけど…」
頭を上げたオルヴァさんは、少し元気が無い様に見えました。
「全部聞かされてる。元老院は解体、直接指揮下にあった俺たちは、今後は独自で外回りを行う事になる。村については今後、いくつかのグループに代表者を設けて協力していく方針になるらしい。だからこそ、村に居場所がある事に感謝してるんだ」
村の新しい組織運営については興味がありますが、良い方向に動くのは間違いないでしょう。
外からやってきた人達について色々対応が必要にもなると思いますが……その辺りは人の運搬等で利益が発生する、キャラバンがお世話する部分。何もかも私が口出しする事ではないです。
「アマリや、カイリスについても話を聞いてるんですか?」
耳の良い人がいる事も考慮して少しだけ声を落とします。直後、バリスタの発射音が響いて、オルヴァさんの後ろで空にむかって縄が張られていきます。すぐに地面の欠片に命中する鈍い音が聞こえ縄はピンと張られて引かれ始めました。
「アマリ様の体について、もう心配が無い事も知っている。詳細は知らないが、あんたがそれに噛んでる事も。だからこそ、どう接すればいいのか悩んでいるんだが…」
彼の発言に、私は少しだけ尻尾を揺らしちゃいます。凄い奴だという認識は構わないのですが、秘密は知っている人が少ないから秘密なのです。
「リム……私が連れていたあの子について、知っている人はどのくらいいますか? あの子についても、元老院には報告したのでしょう?」
村の中で小さい姿で呼んでますし、昨日も接触された直前に姿を現してます。あのタイミングで私の事を観察していないはずがないので、リムの存在については人工知能は知っていて触れないのです。
「あんたが村の救世主である以上、不利になる事は口を慎むよう釘を刺されてる。アレについては、元老院と俺たち以外知らないから安心してくれ。アマリ様の容態を知ってるのはわずかだが、安定剤が完成したという話で通すつもりらしい」
絶対的な発言権を持っている元老院なら、何を言っても真実になる。盲目的に自分を信じてくれるというのは、羨ましくもありますが悩みが尽きなそうですね。
「で、あなたはその嘘を通すわけですね」
「あぁ。だがその、納得いかない奴が二人ほど居てな……」
申し訳なさそうに、深いため息をついて視線を下げるオルヴァさん。二人。誰かとは問うまでも無いです。
「このすぐ後、都合がよければ一緒に来てほしい。情けない話だが、俺じゃ説得できん」
「んー……別に構いませんけど、石細工職人に、石像がどのくらいで作れるのか日程を聞きたいんですよね。ほら私、一応人造アンカー作ってるので。キャラバン側にはアマリのために材料使ったことは内緒ですし」
「なら、アンカー作りに関しての連絡係は俺に任せてくれ。その代わり、あの二人の説得を引き受けてくれないか」
あの二人が抱えてる秘密、特にリムに関しては、私が化け物を連れてるなんて言い回られたら、確かに厄介です。最悪なのは、コロニーの生活が安定してきた頃に悪い風に噂を流される事。小悪党がお似合いなギーネは特にやりそうですよね。リムに関する噂じゃなくても、嫌がらせはしてきそう。
安泰なコロニー生活のためにも、不安の芽は摘んでしまいましょう。
「わかりました。説得、という形になればよいですが」
「別に構わん。あいつは少し痛い目を見るべきだ」
どうやら、彼にも思う所があるようです。
オルヴァさんは作業している方達に挨拶して、私達は並んでキャラバンのキャンプへ向かい始めます。
空は無数の地面の欠片が浮かんで渦を巻いている異様な青空。珍しさに気を取られていると、足元の空色の大穴に落ちかねないので実に厄介。地返し直後で穴が多いのも、パッチの中を歩いているような感覚です。村の外縁に近付くにつれて、穴が多くなってきてました。
まっすぐ歩けば村の外へ通じる石橋に通じる分かれ道。そこを左に入って、遠くの林を目指します。
「ギーネさんはともかく、ジルニアさんも説得が必要なんですか?」
黙々と歩くのも気まずく、ふと浮かんだ疑問を口にすれば、オルヴァさんは深いため息です。
「ジルニアは元老院の直属である事を誇ってる。仲間思いでいい奴なんだがな。自分が特別な奴だと信じて村の何も知らない奴と問題を起こしてる。元老院解体も、あんたに対しても、納得がいかないそうだ」
つまり、肩書が無くなるのが嫌なのですかね。弓の腕は確かなのですから、それで誇ればよろしいのに。
そういえば、エルフと呼ばれる妖精は自尊心が高く外界との交流を避けるのが、お話では定番でしたっけ。キメラ種の混合生物にエルフが含まれているとは思えませんが。
「納得いかなくても、元老院の決定は覆りませんよね。アンカーの件は既に彼女が自壊する事が必須で動いてます。私の件はともかく、放っておけば渋々納得するのでは?」
時間が解決する問題だと思ったのですが、オルヴァさんは再度のため息でした。
「俺もだが、キャラバンが現れるまでは、元老院は世界を統べる支配者だと信じて生きてきたんだ。その直属として村の秘密を任されていた事を名誉に感じたが、それが危険な仕事を任される支えにもなっていた。他の村の連中と線引きする事で理不尽な出生にも納得できたからな」
「……不穏な言葉は今更聞かない方がいいですよね?」
ドラコアン計画の過程で産まれた個体の全てが、竜を引き継いだ訳ではないと思うのです。運よく、普通のキメラ種として産まれる事ができた者もきっといるのでしょう。
詳細をオルヴァが語ってしまう前に、ガンターが息遣いのような音を立ててから口を挟みます。
『話が見えてきた。つまり、あいつらは他の村の連中と違って、いつまでもここが小さな国である事を望んでるんだろ? 人造アンカーなんざ論外で、三人でイコナを襲うつもりだったのも、元老院にいい顔しつつ、邪魔できそうだったからだ』
話の脱線を防ぎつつ、核心を突いてくれます。やはり彼はできる男。いつもこうしてくれると、イコナさんは自分の興味を優先して生きられるのですけど。
「情けない話だが、その通りだ。特に、カイリスとアマリ様が産まれた今の代は、直属としてクマ様の他に、俺達三人が補佐役として抜擢されていた。それが余計な自尊心に繋がっていたのだろうな。結局のところ、ジルニアは立場に酔い、ギーネは特権に酔っていた。俺は、あの方に忠実でいるつもりだったが……愚かにも選択を誤ったわけだ」
個人的な印象ですが、私は彼と会った時から強い芯に支えられた、堅苦しい人という印象がずっとしていました。自信ではなく、確かな誇りを信じているような。それが今は感じられず、どこか弱々しく感じます。
闘牛ではなく、乳牛にでもなってしまったような。カメレオンなんかではなく、尻尾を切って逃げるトカゲなのでは。
「人工知能に忠誠を捧げる、なかなかロマンがあるお話ですね…」
「…何を言い出したんだ?」
「あなたの事です。冷たく無感情な人工知能に忠誠を捧げるというのは、そこに捧げるに値するモノを見出しているからですよね? イコナさん的には、あの二人の事よりもそちらの方がよほど興味があります」
オルヴァさんは少し困惑されて、足を止めます。遠くに見えていた林はかなり近くになっていて、テントの姿もはっきりと見えてました。
「すみません、話を脱線させちゃいましたね」
「いや、やはりあんたをもう少し敬うべきかと思ってな……まだ侮っていた部分があったかもしれん」
「あなたの忠誠心の行き場が無くなったらイコナさんに向けてくれても良いのですよ? 将来的に工房を立ち上げた際に専属ワーカーが欲しいとは思ってるので、働き先としてもおすすめです! 特別にアーティファクト級の便利装備一式も付けます!」
胸に手を当てて自慢気に言う様子は冗談にも取られてしまいそうですが、まじめな話、専属ワーカーは本当に雇う必要があるので、彼は私の求める水準を満たしていると思います。
「それは、悪くないが少し検討させてくれ………迂闊に返事をしたら後悔しそうだ」
「無理難題を押し付けるつもりはないですよ? 普段は自由にしてもらって、私のお願いだけ優先してくれれば十分です。クラスターに結晶を取りに行け、なんて事は絶対に無いと思いますよ」
歩きを再開すれば、オルヴァさんもすぐ追いついて来ました。その横顔は少しだけ、元気になってる気がします。将来の選択肢が増える事は心の余裕というのが生まれますよね。
ほどなくして、半円型のプレハブといくつかのテント、それに六本脚の荷台が停泊しているキャンプに到着しました。
先日訪れた時よりも人の気配が無く、ニブレットさんの子供らは一人もいませんでした。いたのは、少し離れて建てられた丸いテントの前にいた、リュミンだけ。
折り畳み式の椅子に深く腰掛けて、リラックスした姿勢で本を読んでました。
「やーほー、アンカーの件は順調かなぁ?」
心地よい陽気でとろけたような姿勢でお腹に本を開いたまま置いて手を振る、犬とヤギのキメラ。とても眠そうです。
「アンカーの件はもう大丈夫です。あとは石像と、キャラバン側が固定してもいい環境になればいつでもいけますよ」
「はやいねぇ。さすがイコナ。外についてだけど、今回の環境かなりいいみたいだよ? みんな総出で調査に向かってるところ。早ければ来週にはコロニーに行けるかもねぇ」
状況報告をして、リュミンは大あくびをしました。
セトルメントの外はリバインド毎に変わるので、今がどんな環境なのか気になるところです。キャラバンが良いと言うなら、あとは石像が出来上がり次第、人工知能が自壊してアンカーが機能を取り戻し、万事解決、となるはず。
不安があるとすれば、本当に村のアンカーが機能をすぐに取り戻すかどうかですが……こればかりはなんとも言えません。最悪、人工知能のコアにあるエーテル結晶を回収して使わせてもらえればいいかなと思う次第です。
「オルヴァはお見舞いかな? 仲良しだねぇ」
「まぁ、な。あいつらは騒いで迷惑をかけてないか?」
「なんにも。むしろマルセナが元老院について聞き出そうとして、こっちが迷惑かけてるかな。秘密はちゃんと守ってるみたい」
知識欲が高いと自ら評している、カラスとフクロウの翼を持つ魔女。諸々の口止めにもなるし、正直扱いに困っていたのでとりあえずここで療養してもらってましたが……不満を持っていても口を割らない程度の理性はあるみたいですね。
眠たげなリュミンをじっとみつめて、あざとい仕草で首を傾げたので、私も角度を合わせて思ったことを口にしてみます。
「リュミンも一緒に中に入ります?」
「ん?」
「は?」
オルヴァから何を言ってんだと睨まれてしまいますが、首の確度を正してから、思い付きの理由を口にしました。
「たぶんですけど、リュミンはギーネさんと面識がありますよね? 私と出合う直前に」
「あー…そうかな? おいら、戦闘中ってだんだん周り見えなくなっちゃうんだよねぇ」
発言が完全に狂戦士。でも本当は、理性的に自分を制御しているのでしょうね。
狂気に溺れず、狂気を楽しみ、理性で律する。そんな境地にいる気がします。
「イコナはすごいねぇ。人造アンカーを作ってるだけで、そこまでわかっちゃうんだねぇ」
柔らかい表情ですが、不敵な笑み。やはり底が知れないです。
「聞き流しちゃった事なのでそうかな、って思っただけなんですけど、そうなんですね。あの鉄扉にいたのは、幽霊ですか? それともアノマリー?」
私が怯えた、パッチを抜けるトンネルのような場所で見た鉄扉。あそこには、確かに何かいる気配がありました。何年も、誰とも会わなかった私が感じた濃密な気配。
「それはおいらにもわかんないなぁ。ねぇ、オルヴァ。おいら実は、元老院の手先って名乗るのに襲われたことあるんだけど、けしかけられたアレは何だったのかな?」
「…………キメラになれなかった連中だ」
私に視線を向けたのは、それで察しろという事。
ドラコニアンは竜の因子を交配を通して濃縮したキメラ。産まれる子が竜の因子を避け、他の生物を選択肢して産まれたとして、その子が正常に生まれるかどうかは、わかりません。
半端に竜を継いでしまったり、人間部分が薄くなったり、あるいは、他の生物部分が歪に表れるのかもしれないです。興味が無いと言えば嘘になりますが、知りたくない話ですね。
私はどこぞの知識欲に倫理観まで支配された狐狼と違うので、この話はこれ以上踏み込みません。聞いて楽しい話でもないでしょう。
「リュミンは、私の秘密を守ってくれますよね?」
「キミは命の恩人だからねぇ。ほら、犬って義理堅いし、おいら犬のキメラだしねぇ。キミが望む限り、内緒にしておくし、味方するって誓うよ」
垂れた耳をぱたぱたと動かして見せるリュミン。平気で嘘や隠し事をしますが、これは信じてもよさそうな感じがします。
「なら、詳細はこれ以上聞かないでおきます。お互い秘密が沢山ですね」
「おいらは別に全部教えちゃってもいいけど?」
「重い話が多そうなので遠慮します」
彼の後ろのテントへ向かい、入り口を押し開けば、我々の声を聞いて警戒していた人が、木箱に柄の悪さが出る座り方をしておりました。
「てめぇ……よくも俺の前に面出せたなぁ!」
牙を向いて怒りを露わにする、山猫と垂れ耳系ウサギの獣頭型キメラのギーネ。薄着でよく見れば、彼は上半身部分がかなり、斑模様の毛皮に覆われていました。折れた腕はちゃんと三角巾で固定されて首から吊ってます。
「ギーネ。頼むから落ち着いて話を聞いてくれ」
「黙れよ裏切者が! そのチビに飼いならされてんじゃねぇぞ!」
説得も何も、そもそも会話にならないじゃないですか。どうなってるんでしょう。
じっとオルヴァさんを見れば、実にいたたまれない表情でした。申し訳なさが伝わってくる。諫めたのは、別の声です。
「オルヴァの言う通りだ。静かにしろ。集中できん」
疲れが滲んだ声の正体は、簡易寝台で横になっているジルニア。妖精耳と白い鳥の下半身が特徴的な彼は、背骨にダメージがあるため安静が必要な状態。
「ジルてめぇ………」
血管が浮き出そうな表情でジルニアを睨むも、彼は胸の前で指を組んだ状態で、穏やかに目を閉じ…いや、彼は目が細いので、天井を見つめてるのかもしれませんが、何か悟っているような表情でした。なんだか、召されてしまいそうです。
「この姿勢だと嫌でも瞑想が多くなる。自分と向き合う良い機会だ。私はこの一日で己の矮小さを悟ったが……お前はどうだ? 憤り以外に何を感じた?」
完全に悟ってました。何に気付いたのかはわかりませんが、悩みから解放されたような、そんな穏やかさを感じます。そんなにお話なんてしてませんけど、なんだか別人みたいです。
ギーネは、完全に引いてました。オルヴァさんも、目を丸くしてます。
「ジルニアはどうしたんだ…? 昨日は暗がりに怯えて錯乱してたはずだが…」
「はぁ……夜中に便所に行ってからこうなんだよ……完全におかしくなっちまった……それもこのチビが連れてた化け物にやられたせいだ」
再度睨まれてしまいますが、彼の威勢は長く続きません。ジルニアが彼の発言を鼻で笑ったからです。
「恐れるより畏れよ。私も未だ解を求めてる最中だが、深淵の闇の中にこそ答えがあるのは確かだ……あぁ、深紅の六眼が私を見ている……私は成す術もなく地に平伏し…闇に閉ざされ……ふふふ」
「……頼むからあいつ、何とかしろよ。俺まで頭がおかしくなっちまう。この際、誰でもいい」
怒る気も失せてしまったようで、項垂れてそんな事を言いました。
「私は一応、オルヴァさんに説得を手伝ってほしいと言われて来ているのですが、その件については?」
「あぁ? 元老院の事はてめぇが首を突っ込む問題じゃねぇだろ? 納得はいかねぇが、俺はこんなんで、ジルもまともじゃねぇ。今更状況を変えられるとは思わねぇよ。仕方ねぇから、農作業でもなんでもやってやる」
口では言うものの、本当に不服なようで舌打ちまでされてます。頭が冷えて、自己解決できたなら文句なんて無いんですけどね。ちょっと拍子抜けです。
『こいつは見くびってたな。どうやら小悪党の天才らしい。おいオルヴァ。こいつ吊った腕に刃物隠してるぞ』
「は? あ、おい!」
ギーネが座った姿勢から飛び込むように私との間合いを詰め、三角巾から小ぶりのナイフを抜いて、私の首めがけて横に振ろうとします。しかし、その腕が動くより先に、小柄な影が低い姿勢で彼に飛び掛かり、むき出しの草地にうつ伏せで押し倒しました。
いつの間にかテントに入ってきていたリュミンは、ギーネの耳元で囁きます。
「イコナにそんな事したら、命がいくつあっても足りないよ?」
背に乗っかって、ナイフを持った腕を捻り上げました。
「くそが! オルヴァやれ!」
これで私ではなく、リュミンを狙って動かれては、どうなるかわかりませんでしたが、オルヴァさんは得物を持っておらず、腕を組んで不動でした。
「…俺の認識が甘かった。すまない、イコナ…さん」
「イコナでいいですよ。リュミンもありがとうございます」
「どういたしましてっと。ほらほら暴れないで。こっちの腕も折っちゃうかもだから」
一応、ジルニアの方を見てみますが、彼は相変わらず寝そべったまま瞑想をしていました。悟りの境地みたいです。
「パッチの精神汚染って怖いねぇ。例の瓶と札? あれ使ってあげた方がいいんじゃない?」
「んー……ごめんなさいリュミン。私もあなたに嘘言ってました。これはそういうのじゃないです」
「えー? あー……まぁ、お互い様だし、おいらはイコナの味方だからねぇ」
本当に義理堅いわんこです。お話してるうちにリュミンはズボンのベルトに腕をしっかり結んでしまいました。
移動してギーネの顔を覗き込んでみたら、折れた腕が下敷きになっているせいか、歯を食いしばって痛みに耐えているようでした。
自業自得とはいえ、怪我人を責める趣味は無いので、胡坐をかかせて足も縛ってもらいます。肩で息をしていた彼ですが、驚くことにまだ私をにらむのです。
「てめぇ覚えてろよ…絶対にいつか」
「とー!」
不快な単語を口にする直前に、ブーツのつま先を鳩尾に滑り込ませてあげます。旅用のブーツはとても硬いので、小刻みに震えて黙ってくれます。
怪我人を責める趣味は無いですが、必要あらば生命に差し障りない程度に容認する次第。
「やれやれ、同じ深淵に触れた者だというのに、情けない限りだ」
瞑想をしていたジルニアがゆっくりと寝台から身体を起こしました。
「世の理を越えた深淵の使徒。狂えるほどの神性に気付かぬか」
「ジルニア。お前、口調まで妙になってるぞ…?」
オルヴァさんの指摘に、彼は静かな笑みを浮かべます。
「闇の中で狂気と対峙し続けた故だ。底知れぬ恐怖が我が身を包み、終わらぬ狂乱が我が心を乱し続ける。だが夜明け前の暗き時にあれに確かな神性を見出したのだ。その瞬間、アレは私の中で畏敬の存在へと昇華したのだ」
大業な言葉を並べていますが、完全に精神汚染が後遺症となってしまっています。
「……つまりあなたは、リムが神様か何かと思い込んでます?」
「いかにも深淵の巫女よ。真理を得るにはより深く闇と対峙せねばならぬが、深紅の六眼こそが深淵へ至る道なのだろう」
敵意が無いのは良いのですが、なんだか、行き過ぎた推し活を始めそうです。宗教ってやつです。
早めに真実を突き付けて、誇大していく妄想に終止符を打っておきましょう。
「リム、ちょっと出てきてください」
ぱちんと指を鳴らして、大切な相棒を呼べば、私を守るように前腕で挟んだ格好で姿を見せます。目はほとんど閉じていて、とても眠そう。
ジルニアはすぐに草地に降りて、頭を深々と下げました。
「おぉ、深淵の使徒よ! 真理の求道者にどうか啓示を…!」
「えっと、あなたが何を信じるのも自由ですけど、私は深淵の巫女じゃないし、この子も深淵の使徒じゃないです」
事実を告げれば、顔だけを上げて信じられないとばかりに口を開けていました。
「そんなはずは。私は確かに闇の中で何度も深紅の瞳を見たのだ」
「それはリムに致命的な一撃を食らった事による、トラウマのフラッシュバックですよ。リムは私の事が大好きなアノマリーで、私にとってはリムは愛する相棒です。勝手に崇拝対象にしないでください。誰かに触れ回るのも絶対にダメです」
いずれリムの事は公にして暮らしたいですが、宗教的活動の神格的存在にされるのはちょっとこまりますね。推し活ぐらいで留めてほしい。
ジルニアは少しの間、正座したまま考えていましたが、手槌を打って何かに気付きます。
「では私はあなた様にお仕えしよう」
ぶっ飛んだ気付きでした。この人の思考回路壊れちゃってます!
「おいジル、お前何言ってんだ……元老院の誇りはどうした? お前今正気じゃないぞ?」
変わり果てた仲間を嘆くように、ギーネの声が少し泣きそうでした。
「真理の一端に触れた今、立場などくだらんモノだ。真理の探究こそが我が使命となったのだ。この雄大な漆黒の獣こそが、真理への鍵なのだ。ならば彼女に仕える事こそ、真理へ至る道である」
予想外の方向からきましたが、専属ワーカーゲット…でいいのでしょうか。どちらかと言うと狂信者ですよね。信じるなら、私は空の柱を推してあげたい。
でもまぁ、使える物は使いましょう。
「ジルニアさん。私に仕えるという事は、私のお願いは優先してくれるんですよね?」
「お任せを。イコナ様に敵意を向けるギーネが邪魔ならば…………止むを得ん」
「おいジル! お前錯乱してるんだから本気にすんな! やばい目が本気だ! オルヴァ、助けてくれぇ!」
ナイフを抜くジルニアに、オルヴァに引っ張られるギーネ。場は混沌とし始めましたが、私はジルニアのナイフを収めさせます。
「私は無事にアンカー関係のお話が終われば、コロニーに移住します。専属のワーカーが必要になるので、まずは時間を置いて、正気になってまだ気持ちが変わらなければ、来てください。とりあえず、あなたにはトラウマを解消する簡単な道具作っておきます」
錯乱状態が収まってるなら、もう少し時間を空ければ快方に向かうと思うのです。精神的なアレコレは専門外なので、どうなるかわかりませんが。
あとは、問題児さんです。
「ギーネさんは………そうですね。恩を一つ売ってあげましょうか?」
「……はっ、お前なんかが売れる恩なんてあるのか? 裸になって頭を下げんならオッ!」
ジルニアさんの鳥の足蹴りが鳩尾に入りました。青筋を立てて、彼はギーネの顎を掴みます。
「良いかギーネ……今後一切、私の前でイコナ様を侮辱する事は許さん……あの深淵の獣は真理に至る鍵であり、彼が慕うイコナ様はすなわち聖女である。貴様の薄汚れた欲望を向けるなど言語道断」
「わ、悪かった……つぅか、あばらも逝ってるから、腹はやめてくれ…」
現在のジルニアの精神状態は本当にわかりませんが、私の身と名誉を無条件で守ってくれる存在というのは良いものです。恋愛的な好意ではなく、敬意での行動というのがすばらしいです。行き過ぎるようでしたら、呪いを使ってでも制御しましょう。
相手に対する敬意というのはとても大事。それを欠くと、彼みたいに短絡的な行動や発言をしてしまうのです。
「ギーネさんが私の事が気に食わないのって、私の事を甘く見てるからだと思うのです。小娘がなんだか偉そうに語ってて、自分の立場もぶち壊す原因になって、おまけに痛い思いをさせられて……その度に自分がいかにちっぽけな存在か思い知らされているのです。かわいそうに! 現実逃避したい気持ちもわかります!」
ジルニアはわかるぞとばかりに頷き、オルヴァさんも納得したように渋い顔。リュミンはにまにまして行く末を見守っていて、顔を上げたギーネさんは牙を剥いて、毛皮でわかりませんが、たぶん赤面してました。
黙れ、そう言おうとした口が声を発せず、あっけにとられたようにぱくぱくと開閉しました。それもそのはず。見上げた少女の瞳は、きっと薄い赤の光を湛えていたのですから。
「あなたの不満の原因、私が生意気な小娘に思えるからですよね? なら、ただの小娘ではない、そう思えればご不満も解消できますね?」
「な、何する気だてめぇ…!」
後ずさりするも、すぐ後ろに木箱があって下がれなくなってしまいます。
私はポーチから、コロニーに住んでいた頃からの愛用品を取り出します。キャップのついた万年筆。インクをあらかじめ詰めておくことができる便利品です。
「今からあなたのその折れた骨を癒してあげます。奇跡ってやつですよ? ただし条件付きです」
言葉を発しつつも、右手に持った万年筆は虚空を掻き、赤黒いインクで描きなれた紋をくみ上げていきます。簡易呪術のための万能紋。竜とウサギを模った、私の工房の看板です。
「あなたの今の傷は今すぐに全て癒えます。ただし一年の間、私に敵意を向ける度に骨が折れた時の痛みが生じる。どうですか?」
「ふざ、けんな…ッ! 俺がてめぇを憎まないわけねぇだろうが!」
「だからこその条件です。あなたが口先だけで諦めた事なんてないように、今後私に敵意を向けないように、これはあなたの潔白を証明するためのモノですよ? この条件を飲めないのならば、私はあなたに寛容になる必要は無いと思ってます。言っておきますが、私は明確な敵に容赦しません」
自分でも驚くほど、最後は冷たい声になりました。ギーネの表情に怯えが混じり、固唾を飲む音が聞こえました。
紋が書き終わり、幻視する天秤が葛藤という錘を経て傾いて行きます。昨夜の取引にくらべてずいぶんささやかなもので、見張られているような感覚は全くないです。これが本来の、魔術の感覚ですね。昨日は例外です。
「くそが…! 俺に拒否権なんて無ぇじゃねぇか!」
最低限は頭が回ってる小悪党に優しく微笑んであげます。
「はい。安心してください。一年もあれば、私に対する考えなんて変わりますよ。その頃には私はコロニー暮らしですからね。どうしても働きたくなったら、雇ってあげますよ?」
条件は十分につり合い、紋が赤黒い光の粒子を放って消えます。マナが抜けた倦怠感はほとんどなく、竜血のインクに含まれていたマナだけで済んでしまいます。マナの残滓は、少しだけです。
「はい、治療完了です。いかがですか?」
「………嘘だろ」
ギーネは吊られていた腕を何事もなかったように動かしてます。反対の腕は拘束されてますので、撫でたりはできてませんが。
オルヴァさんも、ジルニアも、目を丸くしていました。リュミンも口を開けて驚いていましたが……なぜか尻尾は左右に振られてました。
「やっぱりイコナはすごいねぇ。もっとすごい秘密があるのかな?」
「ふっふーん! きっと私の工房が完成したら驚いちゃいます! どうぞ楽しみにしてください」
リュミンに秘密を一つ知らせてしまいましたが、まぁ、今更裏切るなんてことは無いと思います。
「では三人とも、今後の身の振り方を相談して決めてくださいね。私のお勧めは、コロニーのワーカーですよ」
驚きあっけにとられてる三人を放って、さっさとテントを出てしまえばリムの姿も消えてしまいますが、代わりについてきたリュミンが隣に並びました。
「ねぇねぇ、おいらが専属のワーカーになってあげようか?」
少しご機嫌に、楽しそうにリュミンは言いました。尻尾が振られたままです。
「あなたはキャラバンの雇われでは?」
「雇われだからだよ。おいら基本はワーカーだからね。雇われ側にも雇い主を選ぶ権利はあるのさ」
ぽわぽわしてて、私が命の恩人で、裏切る可能性が低い、狂戦士気質の犬ヤギのキメラ。底が見えませんが、頼りにはなります。
「色々とすごい力を持ってるイコナさんに惚れちゃっただけでは?」
冗談半分、悪戯半分で言ってみれば、リュミンは少し驚いた後、楽しそうに笑いました。
「ふふ、そうだね。そうなのかも」
尻尾を持ち上げて、嬉しそうに振っていたその理由をちゃんと知るのは、ここからずっと先の話です。
このときはただ、友人ってやつが出来たのだと思ってました。
End_Fading Days/終わりゆく日々
お気に召しましたらブックマーク、評価等していただけると励みになります




