第八話 F4D⧉И⧉ ⧉Σ⧉Ƨ (2)
お風呂、という文化をご存じでしょうか。
バスタブにお湯を張って、全身湯に浸かる文化です。水じゃダメです。お湯です。
蛇口をひねればお湯が出る、というのは相当な贅沢です。村に到着してすぐ、シャワーでお湯が出る事を教えられた時は驚愕し、村の資源事情に遠慮して使えなかったのですが、今じゃ使い放題という言葉を信じて湯船にお湯を張らせてもらってます。
マーニさんに借りているお部屋のある建物の一階の突き当りには個人用にしては広いバスルームがあり、美味しい食事をいただいた後にたっぷり時間をかけて温まった次第です。
後ほどマーニさんも入るそうなので、大鞄に隠していた入浴剤を使う贅沢っぷり。ほんのり柑橘のさわやかな香りが、お風呂上りでも自分の体から香り立ってました。
寝巻、なんて気の利いたものは持っていません。少ない着替えの最低限の楽な姿は、他人様にお見せできる類の姿ではないです。
「どうせお部屋に戻って眠るだけ。無防備な薄着姿でも問題ありません」
一階部分はお祭り騒ぎで酔いつぶれた人がやってくる可能性はありましたが、幸い、星明りが照らす廊下では誰もすれ違う事はありませんでした。
「お風呂は良いものです。シャワーやサウナとは違う癒しがあります」
ひとり呟きながら尻尾を高く持ち上げてご機嫌に歩いてました。
突き当りの階段を上っていき、二階へ上がり切って、視線に気づきます。
「あ?」
「………」
人影は二つ。二人とも、お揃いの角が生えてて、お揃いの似たような尻尾が生えてます。
カイリスとアマリでした。
「遅かったですね。今日はもうこな」
「兄さま見ちゃダメ!」
アマリが叫ぶなり、カイリスを付き飛ばしました。何か重量物に激突されたかのようにぶっ飛ばされたカイリスは、床を二度、三度跳ねるように転がって、ぐったりとして動かなくなってしまいました。そんな彼に目もくれず、アマリが慌てて駆け寄ってきました。
「ね、姉さまダメだよ! 人前でそんな恰好しちゃ!」
慌てる彼女に対して、私は首を傾げちゃいました。
「そんな恰好と言われましても、旅暮らしだったイコナさんは着替えなんてそんなにもってないし、サイズの合ってる服をパッチで拾えることは少ないんですよ?」
私が今着てるのは、お腹が出てしまうような丈の短いシャツに、裾を大胆に切り落とした緩いズボン、短パンと呼ばれる部類の装備です。予備の予備くらいの装備。
細くてすべすべな肌を大胆にさらす格好ですが……確かに普段の格好に比べると、露出がかなり高いかもです。二人みたいに肌に鱗が出ているわけでもないので、地味なものですね。足元はブーツではなく、お借りしたスリッパ。その分足が長く見えるでしょう。隠す場所は隠しています。
「そんな事より例の話をしに来たのでは?」
「しに来たけど、姉さまがそんな格好してたら集中できないよ! なんかすごいいい匂いするし! あらゆる要素が兄さまには毒だよ!」
「カイリスは私に恋愛感情を抱けないそうなので、その辺は安心かと」
「でも兄さまは姉さまの事、あの、アレしようとして! とにかく兄さま絶対変な気持ちになるの! っていうか男の人の前じゃダメ!」
元老院についてちゃんと話すようには言いましたが、そこまで話す必要はあったのでしょうか? アレとは、間違いなく子供云々のおぞましいお話。やっぱり私も同席すればよかったですかね。兄妹水入らずの方が、話しやすいと思ったのに……え、兄妹でそういう話って気まずいのでは? 兄妹いないのでわからないですが。その場にいなくてよかった。
しかし、男性の目線、という点では目を引くのはあるかもしれません。なんせ魅力的な少女なので。
「肌についてはイコナさんの普段着が露出低めなので目立って見えると思いますが、コロニーの女の子って派手な格好してる人多いですよ? お腹とか生足はわりと普通です。キメラ部分と人間部分をいかに綺麗に見せるかがキメラ種のお洒落ってやつなのです」
いつもの旅用ブーツではなく、借りてるスリッパを履いた足を見るように、アマリの視線が露骨に下がりました。
「そ、そうなの…?」
顔を赤らめて食い入るように私の足を見るアマリの方が、よほど怖い気がしました。同性の肌を見て楽しくなる人なのですかね。彼女に比べたら、さすがのイコナさんでも自身の貧相な肉体が情けなくなりそうでならないです。私はこの細身のしなやかさが魅力。
人の魅力は人それぞれ。他者への魅力の感じ方も人それぞれ。キメラ種なんて多彩な種族が世を回している時代ですので、気にしてもしょうがないです。容姿よりも毛並みとか角の大きさに魅力を感じる人がいるくらいなので。
「ちょっと色々置いてくるので待っててください」
一度部屋に戻って持ってた荷物を整理。必要なものは……全部臨時工房に置いてました。余裕があるときは毛並みのお手入れとかしたいのですけど、待たせるのも悪いので後回し。
「ガンターも見に来ます? たぶん、呪いを本格的に行使するんですけど」
『邪魔じゃないなら連れて行ってくれ。お前の本当の力ってのを見せてもらおうか』
本当の力というか、竜の部分の力なんですけどね。工房が完成してから、私の本領なのです。
ガンターのシルバーの娯楽端末を片手に、再度廊下へ。カイリスはようやく起き上がったところでした。
貴族然とした恰好ではなく、シャツにズボンというどちらかと言えば執事っぽい印象でした。私を見ても、赤面すらしません。やはりそういう対象として見れないのでしょう。
彼の前で立ち止まり、一応聞いてみます。
「イコナさんの今の恰好どう思います?」
カイリスは口元に手を置いて、真剣なまなざしで耳の先から足の先まで視線を滑らせました。
「……痩せすぎじゃないかね? もう少し筋肉も付けた方がいい。この辺とか」
鱗の浮いた手がゆるりと私のお腹に向かって、触れられる前に後ろからアマリに抱き寄せられてしまいました。
「兄さま……姉さまのお腹つまもうとしたの? 柔らかいお腹が好きなの?」
「いやアマリ、私はただ素直に感想を」
「うー…姉さま、やっぱり着替えた方がいいよぅ。兄さま邪念でいっぱいになっちゃう」
私のお腹を隠すように腕を回されますが、なんか、横腹撫でられてます。くすぐったい。
「今の恰好は偶然ですが、考えてみたらこの後都合がいいかもしれません。それに、夜も遅いのでさっさと終わらせ……あの、くすぐったいです…」
「ごめんなさい!」
横腹からお腹の方へ回っていた手を離して彼女は離れました。すべすべなお肌の私のお腹を撫でまわしたくなる気持ちはわからなくもないですが、さすがにそれは羞恥心を感じてしまいます。
ぺたぺたと足音を鳴らして、星明りが差し込む薄暗い廊下を奥へ。続く足音は、どこか硬い感じがします。
最奥の扉を開いて、入り口のスイッチを入れて中へ。
突き当りの部屋は物置きとしても使われていて、左には梱包された荷物の山。箱には布がかぶせられ、縄で固定されてます。奥の棚にも箱が積まれていますが、整理整頓が行き届いています。
部屋の中央には机が…用意してもらっていたのですが、今は壁に寄せて立てかけてあり、広いスペースを確保してあります。そして、床にも壁にも赤黒いインクで陣を描いてあります。
『……なんつうか、普通に不気味だ。マジで呪いの儀式をする感じだよな』
ガンターはとりあえず、邪魔にならない窓際に。
「これを構築する事自体が儀式なのです。貴重な竜血のインクをほとんど使いました。今回の契約そのものというよりは、魔法を使用した際のマナの残滓を無害化する機能が主ですね。歴代呪術師の知恵の結晶です。あとは竜の力を引き出す陣も仕込んでます」
ニアラはやたらと私の竜の特性について詳しかったのですが、それは過去の呪術師が残した呪術書が彼女の手元にあったからです。カビ臭い本ですが、呪術一点に絞れば非常に便利な書です。古の生贄の儀式とかも解説してあって、一部は邪竜じゃなくても扱えたりします。効率は恐ろしく悪いですが。
「えっと、そこの椅子にそれぞれ座ってください。カイリスが奥側で、私の正面に座るようにしてください」
「わかった」
部屋の中心に近い場所に用意した二つの椅子。カイリスは陣の中心に近い椅子に座り、アマリはその隣。二人とも背中をまっすぐ伸ばして緊張が見て取れます。なんだか微笑ましい。
「リム、預けてた荷物ください」
呼べば、私の正面で姿を見せる巨大な異形。彼の口には手提げ袋に入ったエーテル結晶がぶら下がっており、細い目二つで私を見つめていた彼は差し出すように首を伸ばしました。
「いい子です」
袋を受け取って顔を撫でてあげますが、無反応。部屋の真ん中でちょっと邪魔な彼は、すぐに姿を消してくれました。
袋のまま結晶を持った私は、カイリスの正面、陣の中央を挟んだ対角線の席に結晶を置きます。直接触れないように袋を剥けば、濃い黄色の卵が姿を見せるのです。
淡い煙をまとう超高純度エーテル結晶。触るだけでマナに変換されちゃう超純粋なエーテルです。転がり落ちないように横向きにして、姿勢を安定。よし。
「…イコナ、それを使うという事は、人造アンカーの件は」
「その件は何も問題ありません。詳細については明日にでも、村の守護者に直接聞いてみればいいです。あ、その際は例の件、タイミングは私に合わせてくださいとお伝えください」
そういえば、あの人工知能はこの二人の周りの出来事は監視しているのでした。今も見ているはずなので、伝言もちゃんと伝わってるでしょう。
私は一応、人造アンカーを作る前提で動かないといけないので、村の新しいシンボルが完成する前にアンカーの機能が回復する事になるのは、かなり、気まずいのです。ようやく内容が決まって楽しくなっているのに冷水をかぶせるようなものですよ。
キャラバンの都合もありますしね。
「それじゃ、改めてアマリの現状をお話ししましょう。えっと、カイリスはどこまでお話したんですか?」
背筋を伸ばしていた彼は、私とアマリの視線を浴びて疲れたとばかりに息を漏らします。
「私の知っている限り全てだよ。元老院のしている事、計画、私がしていた取引や、私達の素性ももちろんね」
「なるほど。アマリは怒ってないんですか? 客観的に見ても、色々思う所があるはずですけど」
純粋な興味で聞いてみれば、彼女は怒ってますと腕を組んでむくれます。
「兄さまが私のために一生懸命がんばってくれてたのは怒ってないよ。悪いのは元老院…人工知能? がやってた事みたいだから、兄さまには怒ってない。たぶん」
自分の出生の秘密とか体質とか、原因を作ったのは元老院です。夕方に接触してきた彼女のお話では、村を守ろうとした行動の一環。
世界で最後の人の住む場所。それを守るための選択。今だけではなく、未来を見据えた行動が、ドラコニアンに関わる話。
「お二人は白竜の特性が強く出ていて、まさにドラコニアンと位置づけるに相応しい状態です。しかしあくまでも基本はキメラ種。アマリの薬が切れた際の症状は、キメラ種でも見る事ができる、典型的なマナ欠乏症だと思います」
「…コロニーとかだとよくある事なの?」
アマリの問いには少しだけ期待が混じっているようでした。この質問には首を横に振って否定しました。
「マナを激しく消耗する時って、基本的に魔法を使った時です。幻獣種の混じったキメラ自体が珍しく、そもそもパッチ内で魔法は原則使用できないため、魔法を扱える人でも滅多にない症状です。そもそもマナ理論そのものが一般人に知られてないレベルなのです。私のいたコロニーでは、エーテルを利用する動きがあったので、知ってる人が結構いたんですけど……魔法って言うと、鼻で笑う人が多い世の中なのです」
コロニー主導のエーテルを人工的に結晶させようとする試み。あれって確か、ニアラの研究が私のおかげで証明されたのがきっかけでした。なんかやたらと高い外食に連れて行くなって思った時期があって……話が脱線してました。
「えっと、一般的にマナ欠乏症は、エーテルが極端に薄い地域に長時間滞在する事で発生します。アンカーから遠い外縁部のスラムで稀にあるんですけど……症状は意識の混濁、手足の痺れに脱力、粘膜をはじめとした各所から出血ですね。重度に進行すると、マナの漏洩が発生して、最終的に体が溶けちゃいます」
「とけ…? え?」
「マナはキメラ種の体の繋ぎを果たしてくれてます。多種の生物が混ざっても平気なのはマナのおかげ。それが無くなっちゃうと溶けちゃうのです。怖いですね!」
マナの考察についてはまだまだたっぷりあるのですけど、それを紹介してたら朝になってしまいますのでほどほどにします。ニアラの顔も脳裏にちらつくので。
足元の陣の模様を確かめるように部屋を歩きながら、説明を続けて行きます。
「マナはエーテルから作られ血に貯蔵されます。エーテルは空気に含まれているので、空気と一緒に肺に取り込まれ、心臓でマナに変換されて、血に溶かされて全身に回ります。実際はエーテルは全身で吸収してて、マナを変換してるのも…って、とりあえず置いておきましょう」
「……兄さまが薬いらないのは、兄さまの心臓が竜だから?」
「人工知能が言うにはそうらしいが、私が安定しているのにも理由があるのだね……せめて半分でもアマリにも継がれていれば良いのだが」
遠い過去のどうにもできない事を悔やみそうなので、ぱちんと手を叩いて意識を引き戻しました。
「さて、ここからが本題です」
エーテル結晶を挟む形で立ち、本題に入ります。
「アマリの命を救うにあたって、私は私の竜の特性である呪術を使用します。ですが、呪術の特性上、命を救うなどという漠然とした目的には、相応の代償が必要になります。例えば……アマリの命の代わりに、村の全部の命とか」
アマリの目が見開かれ、カイリスも一瞬戸惑い、言葉を発しました。
「それでも私は」
「兄さま!」
何か言い合いそうな雰囲気でしたが、私は彼の前まで歩いていき、右手を上げました。手を開いて、側面を彼に向けて。
「とーっ!」
頭を叩いて差し上げました。振り下ろす際、尖った角に触れそうで慌てて軌道修正。危うく出血するところでした。
「……?」
彼からすれば大した威力でもなく、目を丸くされていました。
「あなたの覚悟は立派ですが、残されたアマリは罪悪感を抱えて生きる事になる。そんなのはかわいそうですよ」
これで彼女が何も感じない暴君的な性格だったら、そもそも私は助けないかもしれません。別の意図で救われる選択肢を用意するかもですね。
「そういう訳なので別の選択です。代償が大きいなら、願いの焦点を変えればいいのです。アマリの体調不良の原因は、マナの供給不足。その原因は心臓が竜のものではないから。では心臓が竜になるか、同じくらい効率よくマナが血に溶けてくれればいいのです。それでも、一人の体質を大きく変える事になるので相応の代価が必要ですけどね」
再度、エーテル結晶の後ろに行き。深呼吸します。一度目を閉じて、体の中の、血の道に沿って流れるモノをお腹の真ん中に集めて行きます。
「姉さま、目が」
「赤く光ってますよね? すごいでしょう? これが己の魔法を極めたものが辿り着く、真の魔法というやつです。私はこれより、理に触れます」
赤黒い粒子が周囲に漂い始めます。マナの残滓を逃がさないようにする結界です。明かりが一段暗くなり、独特の雰囲気が室内を支配します。
「今から私はいくつかの条件を述べます。その条件は全て現実となるでしょう。全ての条件を満たす限り、望みは叶い続ける。カイリス、覚悟は良いですね?」
「………いいよ。始めてくれ」
背筋を伸ばした彼は穏やかな表情で言いました。何を言われても、自分の心臓すら捧げてもいいという覚悟が現れてました。
「アマリの心臓は今後、自身の体を保つためのマナを自給できるようになります。そのために、次の制約を課します」
ちりちりと、尻尾の毛が逆立つ感覚。理に触れ、運命を司る何かが、見えない領域ですぐ近くにやってきていました。
「一つ。あなたとアマリは、竜の力を失います。生きるのに必要な部分を残して、過剰な力や身体能力を失います」
「……構わない。アマリも良いだろう?」
「それは、いいけど…」
得体の知れない何かが覗き見している中、そいつが持つ天秤に一つ代価を乗せますが、まだ傾きません。
竜の力を失う分、体の消費マナも減って、望みの敷居も下がっているのですが……微々たるものですね。これは最低限の条件。
「二つ。今後あなたはアマリに対する家族愛、それを越える愛を他者に向ける事は許されない。あなたが他者を愛することは、彼女の死を意味します」
制約に含まれる葛藤、あるはずだった未来の全てが潰れ、その苦しみが重さとなる。未来にあった運命の一切が天秤を傾ける大きな錘となります。
「……今更惜しむ事でもない。何も今までと変わらない。私がアマリを想う気持ちが救いになるなら安いものだ」
天秤が大きく揺れ、僅かに持ち上がるのを感じました。彼は生涯、他の誰かを愛する事が出ない。強制的にその運命が無くなるのではない。彼は自ら、愛を遠ざけなければならないのです。
誰かに好かれることも、誰かを好きになる事も。慈愛も敬愛も、全てがアマリを失うリスクになるのです。
不可視の天秤は、それを対価足りえるとして受け入れました。
それでも足りません。死の運命を覆すに値する新しい運命を用意しないといけないのです。
天秤も、確かに感じているソレの気配も、私が感じている何かに過ぎません。感覚が妙にはっきりしていて、そこにいると錯覚するのです。これが私の竜の、邪竜の持つ特別な感覚。
「……三つ。あなたはアマリの危機に対し、今後一切関わることが出来ない。いかにもがこうと、先手を打とうと、そのすべての目論見は水泡に帰し、彼女に降りかかる災難の全てに干渉できなくなります。あなたはただ、黙る事でしか彼女を救えなくなる」
「………」
さすがに、言葉を詰まらせてしまいました。
彼女を本気で大切にしているからこそ残酷な条件。アマリが危険に陥っても、どんなに盤面をひっくり返せる立ち位置にいても、誰かに相談したり、危険を知らせる事ですら禁じられる。話したり伝えようとした相手は、絶対にアマリを助ける事ができなくなる。
その葛藤と苦悶は、狂えるほどに強く重いのでしょう。
カイリスは、迷ってしまいます。それで構わないです。今この瞬間の葛藤が、僅かにでも呪術の力になる。
「兄さま、大丈夫だよ」
アマリの言葉に、カイリスは不安の浮かんだ顔を向けました。
赤黒い光が漂う中、彼女は自信たっぷりに、笑いながら言います。
「わたし、自分の事は自分でなんとかできるよ。必要だったら周りに助けてもらうようにする。困ったら、姉さまに最初に相談する。それなら安心でしょ? だって、こんな事できるんだもん」
彼女の言葉に、カイリスは彼女を見たまま細かく、何度も頷きました。
「………そうだね。その通りだ。アマリ、何か困ったら私ではなく、イコナを頼りなさい。この先、決して私に頼ってはだめだ。私がキミのためにしてやれるのは、これが本当に、最後だ。幸せになりなさい」
条件の一つ一つを、ちゃんと理解できているようで大変よろしい。
迷いを断ち切ったようで、ため息一つを挟んで顔を上げた彼は、覚悟の決まった真っすぐな目をしていました。
「それで構わない。その代わり…」
私は人差し指を口に当てて、彼の言葉を切ります。今は望んではいけない。世界を動かす理の一つが、この様子を見ているのですから。
天秤に、大きな錘が乗っかります。見えない影がその重みをじっと見つめ、天秤が傾いていく。
数多の困難と葛藤が今後、彼を試すでしょう。それに直面した時、彼に圧し掛かる苦しみは彼女を生かすに値するほどに重い物となる。
だけど足りない。私の力も、対価も、覚悟も。ならばもう一歩踏み込むしかない。
尾が毛を立てて波打ち、耳は角のように傾く。赤黒い光が強くなり、我が身に宿る竜血が、呪いを紡ぐ。
陣を介して引き出される竜の力が、腕を、足を黒く染める。
あと僅か、釣り合わせるための呪いが見える。
「この先、幾度となく竜の力を求め、幾度となく愛され、愛し、愛ゆえに諦めるだろう。救いの手は決して届かず、救いを求める声は闇を広げる呪いとなる。永久に苦しみ、苛まれるがいい。愛が枯れるほどに」
呪い応じた試練の確約。これで呪いは一段、強くなる。
天秤は揺れ、釣り合うどころか片側に傾きます。
過剰な対価は本来、私の竜の力となります。一人の人生を変える程の呪い、私の力をより強くする事が出来る…それは竜の力を引き出している今、甘美なお菓子にしかみえない……今回は……特別にお返しします。
試練の時に必要以上に感じた葛藤も、苦しみも、私の力にはしなくていい。その代わりに、ほんの僅かな逃げ道になるようにしてあげます。
十分に苦しんで、正しく葛藤すれば、呪いは軽くなり、報われる。
アマリが本当に困っている時に、一言くらいはかけられるように。その一言で、彼女が救われるように。
運命ってやつは、こういうのが意外とお好きなようですし。
かちりと、天秤はきれいに釣り合います。だけど、私の力がそれを反映するに満たない。
力量差はマナで支払います。それすら足りないですが、大丈夫。
一つの運命を足蹴にするために、黒く染まった竜の手で、結晶に触れてやりました。
爆発するような風が吹き出し、手のひら全体が燃えるように熱くなると同時に、天秤を動かすための力として体の中に急速に満ちていきます。
異常なマナ、心臓が早鐘を打ち、血の流れが急に早くなる。
「い、いたたたた! 予想していましたがめちゃくちゃ痛い!」
「姉さま!」
アマリが近寄ろうとしましたが、邪魔をするなとばかりに風が壁になって立ち上がり、彼女は廊下側の扉に転がって行ってしまいました。カイリスでさえ、椅子から転げ落ちて壁に縫い付けられちゃいます。
「あ、あははは! やはりすばらしい純度です! 体から抜け出す暇もないほどに満ちていきます!」
手の中は火花が散っているような痛み、腕から順に血の道が弾け飛びかねない圧迫感を感じます。逃げ出そうとするマナも押し込めるように意識しますが、まだ足りない。両手でつかみ、構わずエーテル結晶を抱き上げ、そのままお腹で抱き込んでやります。激しい痛みに涙が浮かびますが、マナの変換効率が跳ね上がって激しい風が室内に吹き荒れました。結晶は炎の中の氷のようにみるみる小さくなります。
窓ガラスは割れ、棚はひっくり返り、室内に紙が舞い始めてしまう。
足りない。まだ足りない。過剰なマナに全身が悲鳴を上げ、心臓が跳ね、ひどい耳鳴りや頭痛がしても全然足りません。
息すら止めて、両手で包める大きさにまで結晶が小さくなって、ようやく足ります。これで契約は履行される。だけど私は、もう少しだけ耐えるのです。
余剰なマナを対価に乗せて、傾いた分だけ呪いを薄めて、少しでも報われる機会を増やして。
ほんの少しだけ、アマリの体がマナを余分に作れるようにして。
それでも残る結晶の分は、呪いの抜け道に回してあげて。
とても、すごくがんばったら。本人も幸せになれる道になりますように。そんなおまけに、結晶の残りを注いでやるのです。
契約成立。その刹那、私の中に溜まっていた尋常ではない量のマナを根こそぎ取り出され、部屋を支配していた赤黒い光も、強烈な暴風も、消えてしまいます。
全身の力が抜け、だけど私の手の中には小石ほどの大きさの結晶。倒れる前に、これを思いっきり両手でつぶします。儀式の終わりとばかりに。
一気に残りのエーテルが体の中に流れ込んできましたが、結晶そのものは限界に達して強烈に爆発。部屋中に最後の強風を叩きつけてあらゆるものを破壊し、ようやく静かになりました。
ぱらぱらと瓦礫が落ちる音。そんな中で至近距離で爆風を食らった私は床に派手に転がされて、忘れていた息を這いつくばった姿でようやく思い出してました。とりあえず、身体の部品は全部そろってます。手とか弾け飛んでなくてよかった。
途端に感じる激しい眩暈。頭痛。全身燃えるような熱に、異様な高揚感! 酩酊によく似ています! 最悪なのは感覚が失うほど止まっていた血が流れ出した時のような、全身の痺れ。
「あばばばば、これは急性エーテル中毒! わ、うわぁ! 目が回るぅ!」
視界は右の景色が中央に流れてはまた右に戻るを繰り返してます。経験はありますが、過去最大の状況です。痺れも最悪。動けません。
「……終わったのかい?」
カイリスに問われるも、そちらを向くのもままならない。
「お、終わりました………ですがちょっと待ってください………体調悪いのにテンション高い異常事態に、急速に疲労が蓄積してるのを感じます…」
床にうつぶせに転がされたまま、私は床が振動しているのを顔で感じました。
ほどなくして、入り口が開け放たれます。
「すごい音したけど平気かい!? へ、平気じゃなさそう、だね?」
声からしてマーニさんです。蜘蛛の足が背中に生えた、おそらく一番私に恩を売っているであろう人。
「アマリ様もカイリス様も平気かい? イコナさんも……まさかアンカー作り失敗しちゃったのかい?」
蜘蛛足の先端が変異している鳥のタロン部分で掴み上げられ、椅子に座らされちゃいます。痺れてる部位に悲鳴を上げたかったです。おまけに視界はぐるぐる。油断したら夕飯が口からでちゃう。
「ちょっと暴発しちゃいましたが、問題ないですよ? お部屋は後でちゃんと片付けますが、何か壊れちゃってたらごめんなさい」
「別に壊れて困るもん仕舞ってないけどさ。あんまり無茶すんじゃないよ? 平気なら、あたしゃ行くからね。あ、今夜は地返しが来るから、外にだけは出るんじゃないよ? 地面と一緒に空に放り出されたくないだろう?」
やれやれと去っていく彼女は、バスローブ姿でした。ほんのり柑橘のいい香り。お風呂上がりですね。
「これでもう、わたし大丈夫なの? 何も、変わった気がしないけど…」
「んー……試しにカイリスを殴ってみればよいのでは? 成功してるなら竜の力をうしなってますので」
「え? 別の試し方ないのかい?」
ようやく視界がまともになった時には、ちょうどアマリがカイリスに向かって拳を突き出すところでした。
ぼす、と彼女の拳はカイリスのお腹を叩くも、ぶっ飛ばされる事はありません。手加減をしたみたいに見えます。
「えと、一応力いっぱいやったんだけど…」
「アマリ。キミが本気を出したらいくら兄でも死んでしまうよ? 正直今の一瞬で死ぬかと思った」
「それはいけませんね。カイリスが死んだらアマリにも影響が出てしまいます。せいぜいご自分を大切にしてくださいね……と」
視界が傾いて椅子から倒れてしまいます。しかし床に倒れる前に、駆けこんだアマリが抱きとめてくれました。滑り込むような姿勢。異常な速さはなくても、体の動かし方はわかってるようです。
「うわ、うわぁ…! 姉さま抱きしめるのに気を付けなくてもいい……! ほんとに竜の力なくなったんだ…!」
私の背中に腕を回す彼女はなぜか嬉しそうで、強がってない事を尻尾の動きが証明してしまいます。
カイリスも確かめるように腕を動かし、何度か手を握ったり開いたりしてました。
「確かに、とても体が重い。失ったのは感じるが……肝心の体調の方はどうかな、アマリ」
「え、いや…正直わかんない……全然変わらない気がする…」
失ったのは力だけじゃなく、彼は他にも制約がある事は忘れてほしくないです。いや、彼にとってはそれすら二の次ですね。じゃないと、あんな条件出しませんよ。
「たぶんですが、まだアマリの体内には薬が残ってます。あれが変異エーテルならそのままにしておくのも問題が出そうですね。こんな時にいいのがあるので、私の部屋に連れて行ってください。もう、足腰立たなくて」
立ち上がろうとしますが、足が震えてしまいます。失ったマナの分をエーテルが役目を果たしてくれていますが、体に馴染んでいないために感覚が繋がらないのです。
心臓が脈打つたびに、徐々に回復しているのは感じます。私も竜のキメラであるため、相応に変換効率は良い方なのだと思います。
「姉さま途中、耳とか角になってなかった? 手も……あ、元に戻ってる」
「ちょっと本気をですね…あ、ちょっと肌は触らないで……し、痺れてるので…」
アマリに肩を貸してもらいながら散らかった作業部屋を出て、階段に一番近い借りている部屋へ。なけなしの力でベッドに飛び込んで、マットレスで軽く弾んでから、普段の装備でもあるポーチから小瓶と札を取り出します。
「はい、これ握ってください」
アマリに瓶を握らせ、少し不安そうな彼女の顔に、札を押し当てます。
札の文字はどろりと溶けて、淡い光が握った瓶に集まって、すぐに収まる。必要以上に顔が汚れる前に札を離して、握った手を開かせます。
瓶には銀色の光の液体が溜まってます。半分ほどですが、紛れもない変異エーテル。これで彼女は薬を抜いた状態です。
探索中では、すぐに様子がおかしくなりましたが。
「………なんともない」
信じられないとばかりに呟いて、インクで汚れた顔を歪ませたのは一瞬。衝撃を受け、彼女の顔も見えなくなります。
「なんにも起きない…! なんにも起きないよ! 姉さまありがと!」
抱き着かれ、ベッドに押し倒されちゃいました。
部屋の入り口で見守っていたカイリスも、感じる物は当然あるようで、眼鏡をはずして目元を押えていました。じっと見るのも悪いので、脱力してされるがままにしちゃいます。
アマリは私の肩に顔を押し当てて泣いてしまいました。諦めていた未来の可能性をようやく取り戻したのです。
約束が守られ続ける限り、彼女は生き続けることが出来ます。綺麗な竜のキメラとして。ただそれだけの少女として。
きっと意地悪な運命が待っていますが、全てはカイリス次第。困っていたら、助けてあげるくらいの事はしてあげます。
お酒に酔ったような酩酊状態のまま、私は心地よさに身をゆだねてそのまま眠るのでした。
窓際に置いた誰かの事をすっかり忘れたまま。




